第19話 襲撃-④

 「店長、各施設の稼働準備整いました。我々はこれからどうしますか?」


 「ここに手伝いを一人残して、いつも通り、戦闘後の後処理をお願いしますよ。私は今からしばらく研究室にこもるので後は一任します」


 そんな会話を組織の構成員と話しながら、私は急ごしらえのラボのドアを開けた。


 簡素で薬品が雑多に段ボールで詰まれているような状況だが、まあ搬入を急がせればこんなものか。


 手袋をしながら、背後に従わせていた人形ハエトリグモに声をかける。


 「『命令』だひとまずそこに座れ」


 私の言葉にハエトリグモは無感情に、用意しておいた椅子に腰掛ける。いささかぎこちない様子を感じるあたり、どうにもまだ命令の競合の影響が残っている。


 軽くため息をついてから、ハエトリグモの前に置いておいた椅子に私も腰掛ける。


 「認証コード『8693421865407509123165078027612938532779287643』


 上位命令だ。現状、実行、あるいは待機状態になっている、私以外からの命令を全て開示しろ」


 しばらく内部処理に時間をかけた後、ハエトリグモはゆっくりと口を開いた。


 「通常命令『聞いてはダメ』上位命令『千歳羽樹里を命に代えても守ること、および当該情報の当人への秘匿』―――」


 PCのシステムメッセージを確認するような、単調な声を聴きながらおもわず舌打ちする。やはり変な上位命令を仕込まれている。……かけた人物は、まあ一人しかいない。あの『箱』を襲った恐ろしいばあさんだ。やはり他人に委任にする際に、上位命令のやり方まで教えたのは間違いだった。落とし子たちロスト・チルドレンの意向とはいえ、従うべきではなかった。


 そこまで確認して、私はさてどうしたものかと思案する。上位命令は基本的にかけた当人しか解除できない。この場合はあのばあさんにしか解除できないわけだが、まあ、それができると想うのは無理筋もいいところだ。


 しかし、下手に競合する命令をかけると、負荷がどんな形であらわれるかも未知数だ。かといって、このままでは、命令無視を続行させるのも得策とも言えない……。


 まったく、本当に他人のおもちゃで好き勝手遊んでくれる。


 「また、開示権限のない上位命令が一件あります」


 「知ってる、第一主人のものだろう? 鬱陶しいが、今はそれはどうでもいい」


 はあ、今日は長い夜になりそうだ。


 私は、傍に控えていた組織テナントの構成員の男に一つ声をかけた。


 「今からいう薬品をその段ボール内から持ってきてください。まず―――」


 そこまで口にしかけたところで、何か、妙な違和感にふと気付く。


 椅子に座ったハエトリグモが何か、えづくような、まるで口にすることを躊躇うような、そんな様子で口を―――。


 「っ―――『できたら、殺さない』」


 ぼそっと、まるで言葉自体が身体の中から、無理矢理零れたみたいな、そんなふうに口から音を漏らした。


 「…………命令? それが?」


 私の問いに、ハエトリグモはどこか苦しそうに、首を横にふった。


 「命令ではありません。でも、これは叶えないと、叶えたい? ……叶えるべき。お願い?」


 「………………なるほど、バグってるな」


 どうにも、通常の命令じゃない、変な処理をかけてくれたらしい。全く、組織の『落とし子たち』と言い、どいつもこいつも折角、人が十年かけて造り上げたおもちゃを一体なんだと想っているのか。


 「あ―――? っ―――あ」


 「もういい、黙れ。私が問うまで喋らなくていい」


 傍仕えの一人が持ってきた薬品を受け取りながら、手元にあった注射器と点滴の箱を開ける。


 はあ、まったくもって、長い調整になりそうだ。





 ※





 「私はね、努力論者というのがどうにもこうにも嫌いなんですよ」


 「へ? あ、はい…? 私に喋っていますか?」


 「ええ、もちろん。どうせ夜は長いんです。黙って過ごしていても、眠くなるばかりでしょう。適当に相槌でもうっていてください」


 「は、はあ……」


 「で、私、努力論者というのは嫌いなんです。なぜなら、彼らが礼賛してるのは、努力という皮を被った素質に裏打ちされた結果でしかないからです」


 「素質に……結果、ですか?」


 「ええ。そういえば、私、昔、少年野球団に入っていたんですよ」


 「そ、そうなんですか……。意外、ですね」


 「見えないでしょう? よく言われます。で、そこで同年代に一人の天才選手とでも言うべき人がいました」


 「…………はあ」


 「凄まじい人だった。小学生ながら、類まれなる瞬発力の持ち主で、ホームランをばかばか打って、ピッチャーまでやっていました。彼の球は誰も打てず、ノーヒットノーランも日常茶飯事でした」


 「ああ……いますね、偶にそういう人」


 「そう、いますね。たまに。チーム内の誰一人だって彼に敵わなくて、彼ありきで試合の勝敗は決していました。で、ここで問題なのですが、彼が凄いのは何故ですか?」


 「…………えと、その人が天才だったからですか? それか一杯努力してたとか?」


 「重畳。まあ、結論から言えば両方です。元の素質があって、そこに練習を重ねることで結果が出ていたわけですね。ところが、コーチの大人たちは、どうにもそうは想わなかったようでした」


 「………………え?」


 「この国特有、というのかどうかは知りませんが。努力というものを過剰に礼賛して、素質や天性の差というものをあまり認めたがらない人間というのが一定数存在します。何か結果が悪ければ、誰かの努力が足りなかったからだと考えるわけですね」


 「…………ああ、いますね。偶に」


 「試合でミスをした人がいれば、エースの彼を引き合いに出しながら、その子のミスを責め立てました。彼ならば、ミスはしなかっただろう。何故なら、彼はここにいる誰よりも練習をしているからだ。エース以外の打率が悪ければ、全員のことを手厳しく叱りました。何故、彼に追いつけない、もっと努力を積み重ねろと、それが足りないからお前たちはダメなのだと。そのコーチがよくするお気に入りの話は決まっていて、病弱な少年が血反吐を吐くような努力の末にメジャーリーガーになる話でしたよ。それほどの努力ができるようになれと」


 「…………」


 「では面白い話を一つ、実際にコーチの言うことは本当なのか? 私はふと気になって、チーム内の練習量の統計をとってみたのです。チーム練習以外で、どれくらいの時間各自練習をしているか、それぞれの素振り回数は? ノック回数は? 各チーム員に聞いて回って、実際に練習を見て、時間を測って、そしてわかったことがありました」


 「…………え」


 「実際にね、彼はとても練習熱心でした。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、人間、できることこそより上達していくものですからね」


 「…………」


 「でもね、一番ではありませんでした。彼よりも沢山練習している選手は確実にいましたし、なんならそのチームで一番練習していたのは、九番ライトの少しどんくさく背の小さい少年でした」


 「………………」


 「私がそれをコーチに皆の前で見せたら、コーチは何と言ったと想います?」


 「…………えと」


 「『お前らは嘘をついている。特にライトのお前、一番練習量が多くてそんなに下手なはずがない。こんなものは練習をしたくないだけの詭弁だ』とそう言ったんです」


 「………………うわあ」


 「要するにね、バカなんです。目の前のことを努力していれば、全てが何とかなる。結果が出ないのは努力が足りないから。バカだから、そんなわかりやすい理屈もどきを信じ込む。実際の結果は素質や環境、人同士の適正に指導法の噛み合い、努力ももちろん大事ですが、結果という観点で見れば、一体何パーセントがそこに影響するのでしょうね?」


 「………………」


 「そういう人間を見てるとね、うざったくて、黙らせたくなるんですよね。なにせ、人間はそういうバカが想っている以上に、生まれた時点でそれぞれかなり違う生き物ですから」


 「………………」


 「なんでも、エースの彼が言うには、相手ピッチャーがボールを離す瞬間を見ていれば、どこにボールが来るかはわかるそうです。あとはそこを叩くだけ。もちろん、そんなものを視認できない子どもが大半でしたし、頑張って見れたとしても、そこに軌道の予測と身体の反応を合わせられる子どもは、彼以外、誰もいませんでした」


 「…………」


 「判断というよりは、脳の構造から違うのです。例えば、各分野で活躍するスポーツ選手の脳を調べる実験がありまして。研究者は彼らの運動野がさぞ複雑な反応と処理をしているんだろうと胸を高鳴らせて、彼らの脳波をチェックしました。さて、で、結果のほどはどうなったと思いますか?」


 「……やっぱり、常人では考えられないほど、反応があったんですか?」


 「はは、それがね、まったく逆だったんです。彼らの脳の反応は酷く単純でした。むしろ単純すぎました。もちろん、常人に比べれば運動野が発達してるのはその通りでした。ですがね、ある種の飛びぬけた選手の反応は、複雑性とは程遠いものでした。彼らの脳はね、


 「…………え?」


 「例えば、普通の人間が認識から行動まで五つのプロセスを踏んで身体を動かすとしましょう。当然プロセスを踏む分、動きには認識からラグが生じます。ところが、その手のとびぬけた選手はその領域をスキップする。文字通り、反射で身体が状況を処理をして動くのです。


 それは言ってしまえば、脳の回路が一部欠損していたが故に起こる超反応です。ちなみに、この脳の構成は成長……つまり努力ではほとんど変化しないことが解っています。どれだけ反応速度を早めても根本的なプロセスが違うわけですから。


 つまるところ、動く際にいちいち考えてるような凡夫では、反射で動く天才にどうやったって敵うわけがないんです」


 「…………は、はあ」


 「考えれば考えるほど馬鹿らしいでしょう。素質の差というのは、バカどもが思うよりも大きい物です。ところが、声の大きいバカばかりが、努力がどうのと宣って。結果が出ない人間を、努力不足と思考停止で切り捨てる」


 「…………」


 「だからねえ、私はそういうバカを黙らせるために、素質の方をいじくることを考えました」


 「……素質を……ですか?」


 「そう、素質……才能とも言いますが、要するにまあ肉体の特性です。さっき言った脳のプロセスも言ってしまえば、肉体の特性です。脳も所詮は肉体の一部ですからね」


 「………………」


 「素質が違えば結果は変わる。肉体が根本的に違えば、人を超えた結果も意図的に作り出せる。人間が猫に瞬発力で敵わないのは、日常生活の観察だけでも想像に容易いでしょう? 時速数百キロで滑空する隼の動体視力と、精々時速三十キロほどでしか走れない人間の動体視力では、根本から違うことはあまりにもイメージしやすいでしょう?」


 「……それは……はい」


 「それほどまでに生まれ持った肉体の性能差というのは凄まじい。だから私は造り変えることにしました、何の才能もないただの五歳の女の子から。人間では到達できない加速を得るための骨格を、筋肉を、そのしなやかさを。そしてその稼働に耐えれるだけの眼を。そしてコンマ数秒もないような状況で、思考すら挟まずに反射で行動できる脳を。何の才能もない一人の女の子という身体を使って、造って、壊して、繰り返して。十年かけて、手塩にかけた、人型の人ではない人形を造り上げました」


 「………………っ」


 「生まれつきの素質すら超越して、訓練や努力などでは到底実現できない性能を、たくさんの失敗作の果てにようやく一人、完成させました」


 「………………それが」


 「そう、この子。―――識別番号323、ハエトリグモです」


 「………………」


 「こんな素敵なおもちゃを、好き勝手に弄られて、私が怒っていた意味が少しはわかってくれました?」


 私がそう言って、笑みを浮かべると傍仕えの男は、言葉を失ったように困惑した表情を浮かべていた。





















 「はあ、途中までは面白い話だったのに、なんでそんな結論になっちゃうかね」





 よく。





 「ま、おばさんも変態の所業だって、言ってたしわかりきってたことかぁ」





 よく響くような、水が透き通るような、独特のゆらぎをもった声が、背後から響いていた。




 

 振り返った先に、そいつはさも当たり前のような顔で、そこにいた。





 「さ、みんな、戦闘開始だよー」





 千歳羽樹里は、愉し気な笑みを無邪気に浮かべて、そこにいた。

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