第18話 襲撃-③

 『……もしもし、渚、追跡できてる?』


 「問題なし、あの女の子が連れてかれた白いワゴンであってるね?」


 『そう、それ。絶対に逃がさないで、私と真島さんと、佐伯さんと、堂島さんは一回お店に戻るから、そっちで待機してて。到着予定は多分、十分後』


 「了解、母さんにも声かけとくね」


 『うん、ありがと』


 「…………」


 『…………』


 「ね、羽樹里」


 『…………何?』


 「連れ去られたこの子、さ、大事?」


 『…………大事。すごく、大事。ちょっと言葉にできないくらい』


 「ん、了解。追跡まかせろ。高羽くんに出てもらってるから、三百キロ先でも、追いかけたらあ」


 『……ありがと、頼んだ』



 片方のスマホで通話を切りながら、もう片方の通話中のスマホをスピーカーに切り替える。


 「つーわけで、高羽くん、絶対にそのワゴン逃がすわけにはいかなくなったわ」


 『りょーかい、大丈夫。聞こえてた』


 「うちから半径九キロを超えると、ドローンの航行範囲を出ちゃうから、それまでに発信機バグ引っ付けられるかが勝負かな」


 『問題なし、問題なし。どっかで必ず信号にひっかかる、その間に仕込めるさ。その後はナビ任したよ』


 「ん、りょーかい。これ終わったら、羽樹里のやつに給料弾んでもらわないとねえ」


 「はは、違いない。じゃあ、ボーナスのためにがんばりますか」


 そんな軽口を叩きながら、ノートPC内に映る、ドローンから送られてくる白ワゴンをじっと見る。


 細く吐いた息が少しだけ震えはじめるのを感じてる。


 普通の高校生をやっていたのでは恐らく出会うこともないような、切り詰めるような緊張と、不確かな高揚。


 これで何回目だっけ……ざっと私が参加したのだけで、四回目くらい?


 ぐいっと背筋を伸ばしながら、自分の頬ぱんっと叩いた。


 「―――さて、お仕事の時間だ」










 午後7時、27分。



 羽樹里たちが組織テナントの襲撃から離脱して、9分後、喫茶『アイランド』にて。



 千歳羽樹里は集合していた人員が見渡せる位置に座ると、膝を抱えてすーっと深く息を吸い込んだ。



 車からそのまま合流した、真島、佐伯、堂島の三名もそのまま喫茶店の思い思いの位置に腰を下ろして、他のメンバーと一緒にその様子を黙ってみている。



 「……渚、状況は?」



 その答えに、彼女の同級生の住良木 渚すめらぎ なぎさは、眼鏡を軽く持ち上げながらPCから眼を離さずに返事をする。


 「高羽くんがバイクで、対象を追跡中。発信機一回くっつけて、五キロ南方のパーキングで乗り換えを確認。引き続き、高羽くんが追跡中。二車目にも発信機は付着済み。現在はここから南西七キロ地点を南下中」


 「わかった……堂島さん、今使える装備は?」


 「催涙、発煙、発光各種グレネード数点。俺の装備一式、真島君の装備一式、あとついでに佐伯ちゃん用のお古数点。敵の数の想定は?」


 「不明だけど、低く見積もって三十、多く見積って六十。十人くらいはみつきが気絶させてるから、そこはまちまちってところ」


 「了解、数的に正攻法は、ちょっと難しいね」


 「うん、わかってる、佐伯さんはあとでちょっと話が―――」


 「なあ……その前によ、ちょっといいかお嬢?」


 淡々とどこか感情の欠けた声色で状況の整理を続ける羽樹里に、椅子の背もたれに顎を乗せた真島が少し不満げに口を挟んだ。ちなみに名前を呼ばれた時、佐伯は多少すくみあがっていた。


 「何? 真島さん」


 羽樹里はそのまま、どこか感情の抜けた瞳で真島を見るが、真島の機嫌が直る様子はない。



 「



 そう言って、真島は親指でカウンターに座っている、



 そもそもの話、この場には基本的に、羽樹里を社長とする会社に所属している人間しかいない。


 会計・情報処理を担当しており、羽樹里の幼馴染でもある少女、渚。


 カフェ店員兼、荒事担当の青年、真島。


 カフェ店長兼、運転手の壮年の男性、堂島。


 個人経営の精神科医兼、みつきの調整をを勤めていた渚の母、祥子。


 そして厳密には羽樹里の祖母の側近だが、出向という形で管轄に入っている佐伯。


 その中にあって、さも当たり前のように、彼女はいた。しかも喫茶店の冷蔵庫から勝手に、ジュースを引っ張り出している。


 「あはは、疑問はごもっともですね。そしておかえりなさい―――センパイ」


 組織の諜報員、そしてつい先ほどまで、羽樹里たちが襲撃される直前まで共にいた―――紗雪と呼ばれる少女は、事も無げに笑うと羽樹里に対してひらひらと手を振った。


 当然、誰が招いたわけでもなく、彼女は自分の意思でこの場所に赴いていた。


 その場に漂う疑念も嫌悪も素知らぬ顔で。


 「よく知らねーけど、前々から聞いてる組織の奴なんだろ、こいつ? しかもさっきまでお嬢やみつきちゃんと一緒に居たって? 完全にこいつが手引きしてるじゃねーか。なんでこんなとこいんだ?」


 真島は特に怒りを隠すこともなく、蔑むような視線を紗雪に向ける。しかし、当の紗雪は特に慌てた風もなく、何事もないようにジュースをストローで啜っている。というよりは、そうやって自分が疑われることを、どこか愉しんでいる節さえある。


 そんな様子の二人を羽樹里はじっと感情のかけた瞳で眺めると、軽く首を横に振った。


 「真島さん、その子は、ほっといていいから」


 どこか意思と、力の抜けた声に、真島はあからさまに眉根を寄せる。


 「ほっといていいって、どういうことだ、お嬢? つまるところ、敵だぞ? こいつのせいで、みつきちゃんとお嬢は襲われて、しかも、今も向こうに情報送ってっかもしれねー。どう考えても排除対象だろうが」


 真島の怒気があからさまに膨れ上がるのを、羽樹里はただじっと感じていた。


 真島の言い分はもっともで、この場に紗雪がいることに正当な理由はない。



 「でも、紗雪はほっといていい」



 にもかかわらず、羽樹里の返答は冷淡で、それが余計に真島の怒気を無言のうちに膨れ上がらせた。そして当の紗雪はそのさまをどこか愉快そうに、どこか寂しそうに眺めていた。



 五秒ほど、真島と羽樹里が沈黙した後に、カチンと小さな音が鳴った。



 それはボイラーのお湯が沸く音で、その音を聞いた堂島はゆっくりと身体を椅子から起こした。そしてお湯の様子を確かめた後、何気ない様子で口を開いた。


 「社長、ちょっといいかな?」


 静かで穏やかな声のまま、堂島はゆっくりと羽樹里に問いかける。


 「…………何?」


 しかし、羽樹里の声に余裕はなく、感情が見えてこなかった声色もどことなく荒れているのが節々に滲みでている。おおよそ十分前の生死が危ぶまれる襲撃、そしてみつきを奪われたこと。どちらも彼女にとって余裕を欠くには十分すぎた。


 ただ、その様に、堂島にっこりと笑みを浮かべた。


 壮年で恰幅のよい髭の生えた男性が浮かべるそれは、ひいき目に見ても熊が牙をむくような恐ろしさがあった。だが、それでもどことなく和やかな雰囲気を纏っていた。



 「せっかくだから、コーヒーを淹れようと想うんだが、



 羽樹里はその問いに、しばらく無感情な瞳を見つめ続けた後、深々と息をゆっくりと吐いた。



 「……うん、淹れてあげて。



 「センパァイ?! 私、苦いの嫌いなんですけど?!」



 「うっさい! あんたはそれくらい飲んどきなさい!」



 紗雪がそう叫び気味に反応して、その姿に羽樹里はようやく、くすっとだけ笑みを浮かべた。


 「みんなの分も入れるけど、全員いつも通りでいいかな?」


 堂島の問いに、座っていた各人が思い思いに返事をする。少しだけ、先ほどまでの緊張が和み始めた。


 そうやって、堂島が熊のような体躯でキッチンに入り器用にコーヒーを作っていると、その隣にふらりとエプロン姿の真島がやってきた。


 羽樹里と同じように、どこか深々と息を吐いて、冷蔵庫を開けるフリをしてこっそりとしゃがみこむ。それから、多少迷った様子を見せた後、ぼそっと言葉を零した。


 「助かった、堂島さん。正直、焦ってた」


 その言葉に、堂島は軽く他のメンバーには聞こえないよう言葉を漏らす。


 「仕方ないよ、真島君の言ってることも、もっともだ。ただうちの社長もまだ、高校生の女の子だからねえ。理由があっても、ちゃんと説明できない時がある」


 真島はそんな堂島の言葉に、頭を振って言葉を返す。


 「……だよな、偶に忘れそうになる。お嬢がなんか特別なことしてる時は、絶対なんか意味があるときだって。そんくらいわかってたんだがな」


 「うん、そだね。というわけで、真島君も反省してるみたいだから、許してやってね社長」


 「私もごめんね! 真島さん! 余裕なかった!」


 フロアからそう羽樹里の声が飛んできて、真島と堂島はおもわず苦笑いを零していた。


 それから真島は冷蔵庫からケーキを取り出すと皿に盛りながら、カウンターの近くまで来ていた羽樹里に困ったようにその笑みを向ける。


 「いやお嬢、復活早くねえ?」


 「ええ? だって、謝れることは早めに謝っておかないと」


 そういう羽樹里に、真島は―――そしてそれ以外のその場にいた者も、どこか困ったように、でもどことなく安心したように笑みを浮かべる。


 「へいへい、で、その子はここにいていいんだな? ちゃんとお嬢なりの考えがあるんだな?」


 「うん、今は言えないけど。大丈夫、紗雪はここにいていいから。ちゃんと私なりの理由もある」


 「わーかった。じゃあ、もう文句は言わないよ。……で、紗雪ちゃんだっけ? 今からケーキ出すんだけど、食べる?」


 そうやって言葉を向けた真島に、紗雪は酷く楽しそうに笑みを向けた。


 「たっべまーす。コーヒー苦いんで、めっちゃ甘いやつ!」


 「へいへい、他のみんなは適当に出すから好きなん取ってくれ」


 「私チーズケーキ! 全部のせ!」


 「……真島さん、ガトーショコラってあった?」


 「あるある、ちょいまってな」


 「はあ……若人の青春って感じがして、おばさんには眩しいわ」


 「私もです……」


 「佐伯ちゃんまだ二十三でしょうが」


 「いや、大学生出たら私なんか、もうおばさんですよ、精神的に……」


 「にっがっ!? このコーヒーほんとににがっ!?」


 「エスプレッソだからねえ。ミルクたっぷりいれるといい」



 

 ※




 「はあ……」


 「あ、なあに黄昏てんの羽樹里」


 全員がコーヒーとケーキを囲んでわいわい言っている隅っこで、ため息をつく幼馴染に私はそっと声をかけた。そしたら羽樹里は力なく笑うと、頭を軽く横に振った。


 「いや、我ながら感情に飲まれちゃって、やらかしたなあって。雰囲気悪くしちゃった」


 そうやってやれやれと自嘲している。私はガトーショコラとコーヒーを啜りながら、逆にはあとため息をついてやる。


 「むしろ私は安心した。あんたもちゃんと人間だったんだって」


 「ええ、どういう意味それ?」


 「言葉通りよ。だって、羽樹里って時々ロボットみたいになるじゃん。感情ないんかって顔するときあるでしょ」


 「ええ、どこらへんがぁ? 私はこんなに感情豊かじゃよ?」


 そう言って羽樹里はおどけるように自分の頬を無理矢理伸ばして変顔を作っている。それを見つけたお母さんにえらく笑われているけれど、私から見れば無理してるのがありありだ。


 なんせ、あんたが、そうしてる時は、大体余裕がない時だから。


 私としてはちょっとばかし心配だけどね。


 ま、でも今は言っても仕方ないか。


 状況は待ってくれない。いくらこいつがただの女子高生だろうと、敵は手加減なんてしてくれない。


 だから、結局のところ、私達は司令官たる羽樹里を信じて任せるしかない。


 「じゃ、社員のみなさーん! 改めて作戦会議しますよー!」


 そう言って、羽樹里がマグカップを高く掲げて、それに他のメンバーが思い思いに返事をする。


 カンと勢いよくカップを置いた羽樹里の瞳はすっかりと、先ほどの陰りもなく、まっすぐとよく通る声を響かせていた。


 冷淡さの陰りはもうどこにもない。現実的に、合理的に、こいつは前を向いている。


 それがとても頼もしくもあり。


 それが少しだけ危うくも感じられた。



 普通、ただの女子高生は。




 ―――こんな危機的な状況で、自信満々に笑みを浮かべられるものだろうか。

 



 「―――さあ、状況開始だよ」




 そういって、私の幼馴染は揺るぎない笑みを浮かべていた。

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