第26話

「カノンさ――ってここで呼んじゃマズいか……先輩、見えますよね? あそこで紫子さんと一緒にこっちをジロジロ見ている男、あれが本物のラクナなんです。ごめんなさい、僕がラクナだという話は嘘なんです」

 手相占い中のあたしに向かって、後輩男子が怒涛の勢いで説明してくる。この数分間、めっちゃ早口でまくし立てられていた。

 彼の説明を要約すると、つまりは、先日葦原カノンであるあたしに語った内容にはフェイクが多分に含まれている、と。紫子ちゃんが新事務所からデビュー予定のVTuber兼ラクナのマネージャーという点だけが事実で、あとはとっさについてしまった嘘だと。この純君も事務所のスタッフで、紫子ちゃんを庇うためにラクナのふりをした、と。

「もちろんさっきも言った通り紫子さんもラクナではありません。ただ、あなたにそう勘違いされたままでは、将来VTuberデビューした際に不都合が生じますからね。事務所のスタッフとしてそれは看過できませんから」

 結果として自分がラクナだと嘘をついたと……いやいやいや、ぶっ飛び過ぎでしょ、この子……。

 確かにあたしも騙された。いや騙されるよ? そりゃ。だって、知らないもん、ホントのラクナちゃんの姿なんて。でもこの学校に関係者がいるってことは本人からのメッセージで推測できて、そのうえでラクナだと名乗る生徒が現れたらそれを信じるしかないもん。

 でも、一旦は騙せても、ずっとその嘘を貫き通すのは無理があるでしょ。だからこそ、こうやって早々と白状してきたわけだし。

 やっぱこの純君って子、相当な無能だ。それも無能のくせに自分のことを有能だと勘違いして勝手に自分の考えで行動してしまう――いわゆる無能な働き者。状況を混乱させる、一番厄介な人間。

 文化祭だってこの子のせいでめちゃくちゃだもんな……。純君の意見で委員会にフレックスタイム制が導入されたせいでサボりが続出したり連携が取りづらくなったりして、しかも二年生のスケジュール管理を自ら引き受けた純君がそれを全くやっていなかったため、二年生が担当していた有志発表関係の準備は結局終わらないまま、今日本番当日を迎えてしまっていた。現在、体育館のステージは大混乱に陥っており、急きょ三年の委員長が出向いて現場を必死で指揮しているらしい。そんな現状も認識していないのか、この子はのん気に手相占いに訪れている。

 無能だ……本当に無能だ……。

 この子は絶対人の上に立ったり、プロデュース業とかしたりしちゃいけない人間だ。絶対ラクナちゃんの事務所でも永遠に下っ端スタッフに留めておくべきだろう。

 まぁ、文化祭もラクナちゃんの事務所もあたしにとっちゃどーでもいーんだけどね。イベントではしゃいでる陽キャ共とか嫌いだし、てか可愛い子に触れまくれるという下心で委員サボって手相占いとか開いてるあたしも純君と同類だし。そんで事務所経営に失敗したラクナちゃんを勧誘してうちの事務所に引き込みでもすれば、コラボ機会・セクハラチャンスも増えるだろーし。

 とはいえ中の人を知っちゃった以上、さすがにそれが微妙な男だとセクハラテンションもちょい下がりするなぁ……と思っていたんだけど、

「へー、あれが本物の……」

「はい、騙していてすみません。信じてくれますか?」

「そりゃ少なくとも君が関係者だってのは疑いの余地がないし、信じるしかないっしょ。てか別にそこら辺はいーんだけどさ……あ、じゃあお詫びくれる? え? オフパコっちゃってもいい? 寛大に許したげる代わりに」

 純君に示された男――遠くで紫子ちゃんと何やら話している男は、端的に言ってめっちゃあたしの好みだった。可愛い。ちょい年上っぽいけど可愛い。弱そう。なにそれ一番いいじゃん。育てがいありそう。調教しまくりたい。

「そこまでは僕の立場で口出しできることではないので。ただここだけの話ですけど、ラクナって、陰キャな金髪ギャルが何よりも大好きなんです」

「マジ!? そんなピンポイントに!?」

 そっか、配信上のあたしはノリノリでセクハラしまくりで陰キャ感全くないから靡いてくれなかったのか……!

「僕個人としては二人の相性は抜群だと思います! 二人に何かあったとしても知らないふりを通します! あ、あとこうやって良い占い師を見つけたので占い好きのラクナに紹介しておきますね! あくまでもプライベートとして!」

「いいね! さすが敏腕スタッフ!」

 そう言い残して去っていく無能スタッフ。顔だけは悪くないから後でこっちも手ぇつけとこうっと。

「ん?」

 セクハラ予定リストに本物ラクナちゃんと純君を加えようとスマホを取り出した、まさにその瞬間、紫子ちゃんからメッセージが届いた。曰く、

 ――ラクナのマネージャーの小貫です。純君からラクナの正体についてお話があったと思います。これからそちらに本物のラクナを向かわせますね。

「めっちゃ手際いいな!」

 そんでマネージャーまで私にラクナちゃん食わせようとしてる! もういっそこいつら三人まとめて食いたい。げへへ。

 おっと、まだ続きが。

 ――その代わりと言ってはなんですが、一つお願いが。ラクナの正体についてですが、純君から聞かされたのではなく、事前に私から聞いていたということにしておいてください。先ほどのお二人のお話はこちらに聞こえていませんので。実は本来、事務スタッフでしかない純君にラクナの正体をお話しする権利はないんです。彼は無能な働き者なので勝手に先走って動いてしまいました。ラクナに知られたら私が叱られてしまいます。ちなみにこれはあくまで一人の女子としてのアドバイスですが、ラクナは好きな人には呼び捨てされた方が喜びます。一気に距離縮んじゃいます。

「マジか!」

 もしかしてめっちゃ脈ある感じ? 一気にパコまで行けちゃう感じ?

 やっば、上がってきた! ビビってる場合じゃない! 勇気出してグイっちゃお! あ、でもセクハラは厳禁で!


「あのギャルっぽい女の子が、はさみ揚げ……?」

「はい。あ、ちなみに心は男です。あと心は陰キャです」

 何事でもないかのようにそんなことを言う紫子さん。

 そうか、最近の子はそれが普通なのか……そうだよな、実際性別なんて関係ないしな。バ美肉おじさんなんてやってるくせに変な先入観持ってたおれがおかしかったんだ……。紫子さんの好きな相手なら男だと勝手に思い込んで……。

「へ、へー。ところでじゃあ君の恋愛対象って……聞いちゃってもいい?」

「私はそういうの関係ないですよ。体も心もどっちでもいいです。欲しくなった人が好きな人ですし、老若男女関係なく欲しくなったら何をしてでも手に入れますので」

「ふ、ふーん」

 あれ? 何でおれ安心してるんだろ。別に紫子さんの恋愛対象がどうだって関係ないだろ。ただちょっと興味が湧いちゃっただけで。

「でもイメージと全然違って驚いたでしょう?」

「う、うん。そりゃあ、正直ね」

「ラクナ餅のはさみ揚げですもんね。そんなペンネームつけるような人があれですから。中身は陰キャそのものですけど」

 あ、そっちのことか。まぁ確かにそっちもだが。

「まぁ、彼――『彼』って呼びますけど、彼自身もはさみ揚げというペンネームを口に出されたりするのは相当恥ずかしがってるみたいですけどね。私もそれで茶化したりはしないですよ」

 そりゃ、その名前つけたの中三のときなんだもんな。後から考えてみたら自分で恥ずかしくなっちゃってるってのも、あるあるだろう。

 あまりじぃっと凝視するのも怪しすぎるので、曲がり角の陰に隠れるようにしてこっそりとはさみ揚げの様子を窺う。喧騒に紛れて向こうからの声は聞こえないが、客の男子生徒の占いをしているようだ。手相を見ている感じじゃないから、たぶん他の種類の占いもやってるんだろう。最古ラクナーのはさみ揚げだもんな。おれの信者だもん。おれがよく話してる占いの知識なんかはいろいろ持ってるはずだ。

「……………………」

 ……来て、よかったな……。やっぱり実際に見てみないと知れないことって多い。

 ずっとVTuberをやってきて、ラクナーさんたちと触れ合って、その繋がりをおれは誇りに思ってきた。リアルで繋がる必要なんてないし、リアルで会わなければ安心できないなんていう考えを前時代的だとバカにしてるところさえあった。そんなの、信頼し合ってない証拠じゃないかと、下に見てさえいた。

 でも、酸っぱい葡萄ってやつだったんだよな、ホントは。おれだって、リアルな自分に自信さえあれば、リアルな繋がりが欲しかった。人と直接会って触れ合いたかった。愛してくれている人がいるのに、それを目の前で伝えてもらえないなんて、悲しすぎるじゃん。

 ラクナでいるだけじゃ、手に入れられないものがある。ラクナがいればそれでいいなんて、強がりでしかなかった。

 おれはもう、それに気づいてしまっている。この子のせいで。

「……じゃあ、そろそろ……こんなところで小貫さんといて、万が一彼に疑われるわけにもいかないし。おれは一人でゆっくりいろいろ見て回ってみるよ」

「何でですか、もったいないですよ。せっかくここまで来たんですから、あの男子のお客さんが終わったら――話してくればいいじゃないですか、純君と」

「え――」

 でもそんなことしたら……いや、おれがボロを出さないように気をつければいいだけ? ただの一般客のふりをして……。でも、おれは元々、君にラクナを奪われることに抵抗していたんだぞ? 敵対していたんだ、おれと君は。全てをバラすことだってできるんだ。

 それだけ君は、おれのことを信頼してくれてるってこと……?

「あ、でも盗聴はさせてください。伊吹さんって不用心ですからね。スマホの通話繋いでおいてくれればいいんで」

「何だよ……」

 ある意味全然信用されてなかった。

「……まぁでも。君がそう言ってくれるなら、ありがたく行ってくるよ。やっぱり、はさみ揚げとも話してみたいし」

「はい、じゃあさっさとゴー。決めたらすぐ動かないとあなたは動かないんですから。……伊吹さん……これが私の気持ちですから」

「え? 何が?」

「何でもないです。あ、ほら、前のお客さん終わっちゃったみたいです! さぁ、早く!」

「え、ちょっと……なんだよ……」

 私の気持ち? 何のこと?

 小貫さんの呟きが気になって仕方なかったけれど、無理やり背中を押されて突き飛ばされてしまった……占い中のはさみ揚げとは逆方向に。

 いや、何でだよ……しかもその隙に姿消しちゃってるし。……彼女なりの気遣いなのかもな。きっとおれの複雑な心境にも気づいてるんだろうし。盗み聞きはするけれど、顔までは見ないでおいてやろうってことか。

 そこまでしてもらって、行かないわけにいかないよな。

 おれは目をつぶって、ゆっくりと深呼吸をする。

 行こう、はさみ揚げのもとに。話してみよう、おれの一番の大ファンと。

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