第27話

「大丈夫だった、紫子さん? 伊吹に何もされてない?」

 カノンさんの占い屋の隣の隣、喫茶店をやっている教室で紫子さんと向かい合う。カノンさんと話をつけ、紫子さんのもとに戻ろうとすると、彼女がササッとここに身を隠してしまったのだ。伊吹もどこかに消えていた。僕と伊吹が接触すると互いを必要以上に刺激し合って揉めてしまうと危惧したのかもしれない。紫子さんが観察し続けてるのをカノンさんに見られて不審がられてしまう可能性もあるし、妥当な判断だろう。

「はい、もちろん! 万事オーケー、作戦大成功です! 今、伊吹はラクナとしてカノンさんとお話ししに向かっています。『ここまでお膳立てをしてもらった以上、もうラクナを操る必要もないから、事が済んだらすぐに解放する』と約束してくれました!」

 よかった。うまくいき過ぎているくらいだ。僕は自分の作戦立案能力を過小評価していたのかもしれない。

「でも、君の考えはわかるんだけど、やっぱり念のため結果は見届けた方がいいんじゃないかな?」

「それなんですが……私は必要ないと思うんです。カノンさんからしたら盗み見されているだけなわけですし……」

 確かに彼女目線に立てば、これは純粋なオフ会、またはコンパみたいなもんだもんな……僕自身がそう仕向けたんだし。純粋なヤリモクオフ会に。

「それに、心配なんて何もないじゃないですか。だって純君の計画は完璧です。放っておいても予想通り進むはず、天才プロデューサー純君がその脳内で描いた思惑通りに全てが運ぶはずなんです。そう決まっている以上、後はもう、あの場で繰り広げられるのは彼ら二人の恋愛模様でしかないんです。そこまで分かっているからには、覗き見というのはちょっと……」

「そうだね! 僕の計画に穴があるわけないからね!」

「はい! もはや自分への被害がなくなった以上、私も恋する乙女として純粋に二人を応援したいですからね」

「そうだね! ……僕も、恋する男子だから……っ」

「…………! 純君……!」

 熱っぽい視線で紫子さんと見つめ合う。

 何もかもをこの頭脳で計画通り解決してきてしまった僕だが、ここから先は、きっと理屈じゃない。

 熱い気持ちをぶつけていこう。僕はそう決意するのだった。



「あ、えと、こんにちは。あの、占ってもらってもいいですか……?」

 おれは期待と不安で高鳴る胸を押さえながら、金髪ギャル――はさみ揚げの前へと歩み寄った。

 いやさすがにドモりすぎだろ。傍から見たら二十六のおじさんが顔真っ赤にして女子高生におどおど声かけてるみたいなことになってるぞ。傍からっていうか、はさみ揚げからしてもそうだろ、向こうはおれの正体知らないんだから。ヤバい、絶対キモがられる。

 嫌だ、はさみ揚げにキモいとか思われたくない! キモくないぞ! おれは君が大好きなラクナなんだよ!?

 何てことは口に出せるわけもなく。キョドるだけのおれのことをはさみ揚げはニッコリと見上げ、

「こんにちは、ラクナ。さ、座って座って」

「――――は――――」

「ほら、ラクナ。座りなよ。リアルで会うのは初めてだね。ずっと会いたかったよ」

「――――」

 ラクナ。

 ラクナ。ラクナって。ラクナって呼んだ。はさみ揚げが。おれのことを。この子は、ラクナのことを小貫さんだと思っているはずなのに。

 ダメだ、わからない。意味がわからない。でも、動揺してる場合じゃない! 理由はわからないけれど、とにかくはさみ揚げに勘付かれてしまったんだ! ならおれにできることは一つ!

 小貫さんの秘密を守らなきゃ……!

「ち、ちがう、何だよ、らくなって? 意味わからないよ、おれはそんなんじゃ……」

「あ、大丈夫だよ、隠さなくても。あれ? 伝わってなかった? 紫子ちゃんから聞いたんだよ、君がラクナだって」

「え……」

 優しく微笑むはさみ揚げの言葉に、おれはもはや戸惑うことしかできない。

 小貫さんが、全てを話した……? 何で? おかしいじゃん。前提から全部覆っちゃうじゃん。君ははさみ揚げと付き合うためにラクナに成りきってたはずだろ? その作戦は上手くいってたじゃんか。なのに何でそれを放り投げるようなことしちゃうんだよ!?

 今すぐ、スマホの向こうでこの話を聞いている彼女に問い詰めたい。……でも、聞かなくても、おれはもう薄々わかってしまった。言ってたじゃないか、さっき。「これが私の気持ち」だって。

 ――終わったんだ、全部。作戦は、契約は、終了した。でもまだ、はさみ揚げが小貫さんと付き合うための条件、ラクナの登録者十万人は達していない。

「……一つ、確認しておきたいんだけれど。君は小貫さんと付き合ってるの?」

「え? 何で? あ。あー、そーゆーことか。ううん、付き合ってないよ」

「そっか……」

 やっぱり作戦は成功していない。それなのに小貫さんはそれを自ら打ち切った。ラクナを解放した。おれに返した。いや、仮に二人が付き合えたとしたって、最後までラクナの本当の正体は明かさないはずだった。それなのに、小貫さんは正直に全てを告白してしまったんだ。

 何で? そんなの決まってる。全部、おれのためだ。あんなにも執着していた自分の恋を諦めて、おれの大切なものを返してくれたんだ。

「うふふ、ねぇ不思議だよね」

 はさみ揚げがおれの手にそっとその手を重ねてくる。

「あたしたち、配信でずっと会ってたはずなのにさ。あなたの生の声、初めて聞いた。ふーん、こんな声してたんだ。ボイチェンなんて使わなくても、とっても素敵だよ?」

「……君は思ってたのと全然違う。いや、外見とかはおれが勝手に偏見持っちゃってただけだけど……」

「ふ、ふーん、そう? あ、いやほら、普段のセクハラとかはさ、あれ嘘だから。ごめんね。本当はあんなキャラじゃないの。実際はあたしってめちゃくちゃ陰だから。それはマジで。でも今は君に近づきたくて必死に頑張ってお話ししてるんだよ?」

「いやセクハラはもっと酷い人がいるし、君のくらい気にしてないよ。でもやっぱ陰なんだ。それはよかった。あと……そうやって傍から聞いたら寒いことでも、おれのために平気で伝えようとしちゃうところも、やっぱりおれが知ってる君だ。そんなのでおれはまんまと喜んじゃうんだけれど……」

 本当に、さすがだよ、はさみ揚げ。実際に会ったのは初めてだけれど、まだまだ知らないことも多いのだろうけれど、それでもやっぱりラクナと君の二年間は無駄じゃなかった。モニター越しの繋がりは決して偽物なんかじゃなかった。

 リアルな繋がりの尊さもおれはもう思い知っている。でも、絶対に負けてない。顔を見せ合っていなくたって、二年間も注ぎ続けてくれた愛はとても重くて尊くて愛おしくて――おれにとってそれに勝るものなんて、あるはずがない。

 その証拠におれは、こんなにも君を信頼できる。

「おれはずっと君に感謝してたよ。ラクナを変えてくれたのは君だから」

「え……! そ、そこまで……!?」

「なははっ、やっぱ自覚なかったんだ、可愛い奴だな。でも、ホントだから。謙遜しなくていいよ。しないでよ」

 君は、おれが羨ましいくらい綺麗で素敵な女の子に、羨ましいくらい本気で真っすぐ愛されているんだから。

「あのさ、君は、小貫さんのことどう思ってるの?」

「もちろん大好きです!」

「――そうなんだ……」

 でも、付き合ってない。そりゃそっか。小貫さんは自分がラクナだなんていうとんでもない嘘で君を騙していたんだから。それをもう君に知られてしまったんだから。はさみ揚げにとっても不信感が残るし、それ以上に小貫さんにとって重い負い目になる。どちらからも告白して付き合うなんて展開にはなかなか進みようがない。

 でも、お互いに大好きだという気持ちがあるのなら。

「お願いだ、小貫さんが君を騙していたこと、許してくれないかな……?」

 おれは机におでこを付けるように頭を下げた。

「え、あ、うん。許すよ。最終的にはこうやって本物のラクナと会えたしね」

「ホント!? じゃあ、小貫さんからの告白があれば、そのときは付き合って……」

 嬉しいはずなのに、これ以上ない返答を引き出せたはずなのに、何故かおれの言葉は尻すぼみになって、

「え、うん! 彼女がオーケーって言うなら断る理由なんてない!」

「…………そっか」

 それでも力強くはさみ揚げが答えてくれたその言葉が、おれの情けなすぎる葛藤のその役目を、完全に終わらせてくれた。

 ありがとう、はさみ揚げ。本当に君にはずっと助けられてばかりだ。

「じゃあ、おれ、そろそろ……」

「あ、待って! ラクナのことももちろん、ずっと大好きだよ!」

「――――ぁ」

「……? ラクナ?」

 水滴が落ちた。おれの手を包んでくれているはさみ揚げの手に、ポタポタと。悲しくなんてないはずなのに、嬉しいだけじゃないはずなのに、意味も理由もわからない涙がおれの目から溢れてくる。

 おれはここで通話を切った。ごめん、小貫さん。ここから先はあまり君に聞かれたくない。

「おれも、大好きだよ……はさみ揚げ」

「え」

「……小貫さんのこと、大切にね……!」

 はさみ揚げの手を振り切って、おれは行くあてもなく駆け出した。



 え、なに? どしたん、ラクナちゃん? いきなり走り出してどこ行っちゃったの? なんで急に泣き出したの? ……やっぱあたしが紫子ちゃん好きって言ったことが悲しかった? 聞いてはいたけど、そこまであたしのこと好きだったの!? 紫子ちゃんとあたしの関係を邪推していろいろ探って嫉妬しまくっちゃうくらい!?

 うん、そうだよね、そうとしか考えられない。だって何より本人の口から「大好き」って言ってくれたんだから! 間違いない!

「でも最後のはさみ揚げって何……? 『大好きだよ、はさみ揚げ』……? あ、あれか! ラブコメ漫画とかで見たことあるやつ!」

 ツンデレだ! ツンデレなんだ! 大好きって伝えようとしたけどやっぱり途中で恥ずかしくなっちゃって、「大好きなのは君じゃなくてはさみ揚げのことだけど? 何か?」ってな感じでとっさに誤魔化したつもりなんだ! 何ではさみ揚げなのかは謎だけど、たぶんどっかのクラスが何かしらのはさみ揚げを売ってたのを直前で目にしてたとかそんなだろう!

 うん! 私は真相に辿り着いてしまった! ラクナちゃんはあたしにガチ恋! オフパコれる! 以上! 可愛い!

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