第22話

 紫子さん……! いったい僕に何を隠しているんだ……! 僕は君のプロデューサーだぞ! 君に僕の知らない一面なんてあってはならないんだ!

 帰宅後も僕は自分の部屋で頭を抱え続けていた。わけが分からないことが多すぎる。一旦整理しよう。

 まず第一の疑問。なぜか紫子さんがカノンさんの中身が同じ学校のギャル先輩だと知っていたこと。これに関しては、よくよく考えてみれば別にあり得ない話じゃない。紫子さんが言っていた通りだ。紫子さんはラクナとしてカノンさんとのコラボ経験があるんだから、先輩の声を聞いて、たまたま気づいてしまったってことも起こりうる話だ。

 ただ、なぜそれをプロデューサーである僕に隠していた? これが第二の疑問。

 カノンさんとのコラボを僕が提案したときにでも話すタイミングはあったはずだ。じゃあ、単純にカノンさんのプライバシーを守るため? いくらプロデューサー相手とはいえ、勝手に他ライバーの正体は明かせない――紫子さんがそう考えたとしても不自然ではない。つまりこの疑問もひとまず解消可能。

 第三の疑問。紫子さんはなぜカノンさんに「小貫紫子が同じ高校に通っているか」という質問を送ったのか。これにも答えは出せる。カノンさんの正体に勘付きはしつつも、紫子さんの中に確信がなかったからだ。だから確かめたかったのだろう。「イエス」と返ってくれば確定するのだから。そんな質問をすれば、紫子さんがラクナと知り合いだと思われて、思わぬ墓穴を掘ってしまったり、最悪すぐに『ラクナ=紫子』だと相手に気づかせてしまう可能性があるのだが……。実際怪しまれてしまって、だからあの教室で待ち伏せ盗聴までされてしまったんだろうし。でもまぁ、交流のあるVTuber同士でお互いに中の人を知り合ってる状態くらいなら別に構わないと考えたのかもしれない。ましてや同じ高校の生徒なんだと予想していたわけだし。

 僕との二人だけの秘密をもっと大事にしてもらいたかったとは思うけど……! めちゃくちゃ思うけど!

 まぁでも、うん。とりあえず以上の三点はクリアだ。

 ただし、以上三点がこの考え通り解決されたと仮定して――第四の疑問が生まれる。

 なぜギャル先輩に「お前がラクナだろ」と問われて、紫子さんはあんなにも動揺していた? あんなにか弱く僕に助けを求めた? あの時点では僕は知らなかったから疑問に思わなかったけど、相手はカノンさんなのだ。仲の良いVTuberだと、紫子さんは知っていて、そして実際に自分がラクナだと気づかれても仕方ないようなメッセージを送っていたのだ。だったらもう素直に認めてしまえばいいだけだったのでは? 僕がラクナのフリをしてまでギャル先輩を誤魔化したことに、何であんなに感動して感謝の表情を浮かべていたのだろう。少なくとも紫子さんは僕ほどこの秘密の共有の『二人だけ』という点を重要視していなかったのだ。ショックだがそれは事実だ。ならば、紫子さんからしたら、結果的に僕は却って状況をややこしくしてしまっただけじゃないか。

 でもこれも無理やり解釈することはできる。紫子さんには二つほど、僕に対する負い目があったからだ。つまり、カノンさんの正体に気づいてカノンさんにメッセージを送ったという事実を、僕に黙っていたこと。そしてそれによって、僕と二人だけの秘密だったはずの自分の正体を第三者に漏らしてしまったこと。やはりこの二つに負い目を感じていたから、僕の前では全てを知らないフリで通すしかなかったのだ。そして僕の紫子さんを守ろうとする行動に感謝感激の演技をしてみせた。

 …………ここまで来ると本当に無理やりでしかない。この考えが正しかったとしても、紫子さんが僕を欺いているという確かな事実は残る。でも事情があってのことだ。思うところはあれど、第四の疑問も解消された。

 しかしさらに新たな疑問が生じる。第五の疑問。僕がギャル先輩を誤魔化すために紫子さんを新人VTuber候補だと紹介し、紫子さんも一旦はそれに話を合わせたのに、なぜ後からわざわざ「ラクナのマネージャー兼業」だという新たな嘘を付け加えた? 「連絡は自分を通せ」と付け足した? どっちにしろ結果は同じじゃないか。カノンさんがラクナ(中身は僕)にメッセージを送ったつもりでも、ラクナのマネージャーに送ったつもりでも、結局受け取る人間は紫子さん――本物のラクナなのだ。

 つまり、紫子さんがあんな嘘をついた理由がわからない。意味がないのだ。

 ……彼女が発言を付け加えたタイミングを考えてみよう。それは目の前のギャル先輩が葦原カノンだと判明した後だ。その前と後で紫子さんは「ただの新人VTuber」から「ラクナの連絡を仲介するマネージャー」に変化している。さらに言えば、あのタイミングを境に――ほんの数瞬だったのかもしれないが――表情が、纏う雰囲気が、明らかに尋常じゃないものに変わっていた。

 あのタイミングだ。ギャル先輩が葦原カノンだと判明したタイミング。あそこに何かがある。

 しかし、しかしなのだ。ここまでの推論は、紫子さんが『ギャル先輩=カノン』だと気づいていたという前提の下で成り立っていたのだ。つまり、おかしなことになる。

 紫子さんは「自分が既に知っている情報」を聞かされたタイミングで、「発言を変更」、「全くメリットのない嘘を付け足し」したのだ。

 ここで完全に行き詰まる。第五の疑問は解消不可能だ。つまり、ここに何かがある。決定的に欠けている情報が――紫子さんが僕に隠している何かが!

「うぅ……っ」

 彼女のことは僕が支配しているはずだったのに……!

 学校では結局、説明をはぐらかされた。僕がビビッて強気でいけないのをいいことに、文化祭の準備が忙しいからと僕のことを避け続け、いつの間にか帰ってしまった。僕が勇気を出して電話しても一向に出てくれないし、後ろめたいことがあると言ってるようなものだ!

 しかもなぜか、今日は配信開始時間が遅れてたし……今までそんなことなかったのに、寝過ごしちゃったとか言い訳して……! 何か配信中のテンションも妙に高くて、コメントでツッコまれまくってたし……。

 何なんだ! 何なんだよ一体! 勝手なことばっかするなよ! 僕の言う通り動け! 僕に隠し事をするな!

「うぐぅ……っ、嫌だ……嫌だよぉ……っ」

 紫子さんが、離れていく……。彼女の一挙手一投足はずっと僕の思いのままだったのに……それを彼女も望んでいて、彼女のためにもなっていたのに……!

 彼女の秘密を知っているのは僕だけで、だから彼女が頼れるのも僕だけで、僕が伸び悩む彼女を育ててきた!

 そのことだけが、僕の存在価値なんだ……っ!

 あんな素敵な女の子に告白してもらっても非処女かもしれないという可能性だけで受け入れられないクズ人間の僕が、自分のことを誇れるたった一つのアイデンティティだったんだ……!

 それが失われてしまったら――君が僕のものじゃなくなってしまったら――もう、僕は生きていけないんだよ!

「戻ってきてくれ、紫子さん……っ、僕を裏切らないでくれ……っ」

「裏切るわけないじゃないですか。この私が、純君のことを」

「――――え……?」

 床に崩れ落ちる僕の傍らから聞こえてきた優しい声音。見上げると、慈愛に満ちた表情で僕を見つめる、聖母のような美少女がいた。

「紫子、さん……? どうして……」

「もちろん、私から純君にお話ししなくてはならないことがあるからですよ。お母様にお断りして上がらせていただき、この部屋のドアにも何度もノックをしたのですが……返事がなかったので勝手に入らせていただきました。さすがに頼れるプロデューサーの慟哭が漏れ聞こえてきているのを放っておくわけにもいかなったので……」

「そうだったんだ……」

 あまりにも集中して考え込んでいたせいで気づかなかった……。

「お母様に聞きましたよ、夕ご飯も食べていないって。良かったら、これ食べてください」

 紫子さんが差し出してくれたオシャレなわっぱの中には、キツネ色の焦げ目が食欲そそるフィナンシェが、お行儀よく並んでいた。

「これ、僕のために……?」

「はいっ♪ アーモンドにこだわってみましたっ」

 そう言って紫子さんは微笑む。そう言えば前に配信で言ってたもんな、カリッとした食感といっしょにアーモンドの風味が広がるのが好きだって。だからマドレーヌよりフィナンシェ派なんだって。

 本当に僕は、ラクナを通して、この女の子のことを何でも知ってしまっている。

「……ありがとう……っ」

 だから僕は泣き顔を隠して、彼女の好きなカモミールティーを淹れに立つ。僕も今日は同じものを飲んでみることにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る