第21話
一言で言えば、つまらない人生だった。ここ二年間を除けば、日本中にありふれた二十四年間だった。
両親共に公務員でそこそこ裕福だけどお堅い家庭。世間体にしか興味がない両親の下で暮らすのは子どもながらに窮屈だったけれど、振り返ってみれば恵まれていた方だったのかもしれない。
それでも結局、地頭が悪かったからどうしようもなかった。生まれながらに陰気だったせいか何も手に入れられなかった。言われたことしかできないから何も成し遂げられなかった。
友達も恋人も出来ず、親に隠れて可愛いものに癒されることだけが生きがいだった二十四年間。仕事も続かず、親のコネで入った会社を勝手に辞めて、当てもなく実家から逃げ出し、ネットカフェに飛び込んだあの夜だった。バ美肉おじさんVTuberというものの存在を知ったのは。
自分もやってみたいと思ったのは、ずっと可愛い女の子に憧れていたから。なりたくてもなれない理想の姿を実現できるから。そして何より――
「チヤホヤされたかったんですよね」
「そうだけどさ……もう、黙って聞いててよ、小貫さんは。せっかくおれの口も乗ってきてたんだから」
引き続きベッドで隣り合う小貫さんにジト目を向けつつ、自分語りを続行する。
でも、その通りなのだ。おれはただただ、とにもかくにも、チヤホヤされてみたかった。甘やかされたかった。それが当初の動機の全てだ。
だから貯金を費やしてまでアバターを作ってもらい、そしておれは奈落野ラクナになったのだ。
「で、デビュー直後から純君、ラクナ餅のはさみ揚げさんとは交流がある感じなんですよね?」
「まぁ、そうだね」
「でも、過去配信のアーカイブとか見て知ったんですけど、ラクナちゃんって最初の方、今と結構違いましたよね」
「うん……」
奈落野ラクナはただの可愛い女子高生ではなかった。名前の通り、地獄からの使者という設定を背負っていた。背負っていたっていうかおれが自分で勝手に背負った。バ美肉おじさん沼という地獄に人々を引きずり込むためにバーチャル地獄からやってきた美少女で、おどろおどろしい設定を持ちながら実はドジッ娘というギャップが可愛い女子高生。そんなキャラ作りを自信満々でしていた。制服デザインにも地獄っぽいテイストを入れてもらっていたし。
そこまでしたのはもちろん、人気者になってたくさんチヤホヤしてもらうためである。目立たなきゃチヤホヤなんてしてもらえない。
結果的に、おれは空回った。地獄少女という役になりきって話すことはおれにとって難しすぎた。語尾やしゃべり方も特徴的にして、披露する雑談にも創作の地獄っぽいエピソードを交えて――端的に言えば、相当無理をしていた。
もちろん人気なんて出なかった。有名イラストレーターさんに作ってもらったガワのおかげで、とりあえず見に来てくれる人は少なくなかったけれど、全く定着はしなかった。痛々しいほどに無理してることが丸わかりな配信なのだから当然だ。ちらほら『可愛い』なんて好意的なコメントももらったが、素直に喜んでる余裕なんてなかった。奈落野ラクナというVTuberは人間風情の可愛いなんて言葉にはツンデレで返さなくてはいけなかったから。そんなところにも必死さがにじみ出ていて、視聴者も見ていられなかったのだろう。
でも、当時のおれはそれを自分で認められなかった。誰にも教えを乞おうとなんてしなかった。意固地になっていたのだ。おれは元々、自信がないのにプライドが高いから。
そんなときツイッターアカウントに、あるメッセージが届いた。それ自体は、不人気VTuberとはいえ特別珍しいことではなかったのだけれど、なぜかそのメッセージはおれの目を引いた。
「あ、それが純君からのメッセージで、ラクナちゃんを変えたってことですね!」
「そうだけどさぁ! 読めちゃったとしても先に言わないでってば! 一番盛り上がるとこなんだからねっ!」
まぁ他人から見たら大したことじゃないのかもだけど。でも、おれとラクナにとっては特別な出来事だったんだ。
ラクナ餅のはさみ揚げという意味不明すぎる名前の視聴者から届いた文章は、アドバイスでも批評でもなかった。ただただラクナが好きだという、どこまでも純粋なファンレターでありラブレターだった。
でもその中からおれが感じ取ったのは、「もっと素のラクナを知りたい」という願望でもあった。ある種、ストーカー気質な、好きなアイドルのオフの生活を知りたがる厄介なオタクの欲望がにじみ出ていたとも言える。
普通の人から見れば気持ちの悪いメッセージだっただろう。でもおれの胸はまんまと打たれてしまった。自分の本当の感情に気づかされてしまった。
おれはただチヤホヤされたかったんじゃない。素のままのおれをチヤホヤしてもらいたかったんだ。そして、ラクナにさえ入れば、素のままのおれを求めてくれる人がいる。少なくともこの世界にただ一人、こいつだけは。
だからラクナは地獄の使者であることをやめた。設定を捨てて、おれ好みなだけの新しい制服を発注して、ただの女子高生になった。
結果、おれがおれのありたい姿で、ただただおれのまま話しているだけで、ラクナは人気VTuberになっていた。
「そんな感じでラクナは今のラクナになったってわけ。それからは本当に楽しかった。ラクナであることがおれの全てだった。変な話だけれど、ガワを被ることでおれは本当のおれになれたんだ。おれの人生で初めてありのままの自分を受け入れてもらえた二年間だった。だからはさみ揚げはおれとラクナの恩人なんだ」
「うーん、気持ち悪い話ですね」
「君が聞きたいって言ったんだよね。君の好きな人と君が興味を持ってる人の話だからね」
「えー? 私が興味を持ってる人って誰のことですかー?」
「おれだよ……」
「えーっ、自分で言っちゃいます、それ? そんなに私のこと意識ビンビンですか?」
「うざ」
「でもそんなに興味持ってもらいたいなら興味持ってあげます。で、それがきっかけで純君もラクナちゃんに夢中になっちゃったってことですよね。自分のプロデュースによってラクナちゃんが人気者にのし上がったことに興奮して」
「ん? や、違う違う。何だよ、それ、人にもの教えて好きになっちゃうとかおじさんかカノンさんじゃないんだから。そもそもはさみ揚げの方に『自分がラクナを変えた』って自覚があるのかどうかも分からないし。てか言ったじゃん、はさみ揚げは既にラクナにハマってたからそんなメッセージを送ってきたの。そうじゃなきゃその時点でラクナ餅のはさみ揚げなんて名前つけてないじゃん。ちゃんと話聞いといてよ、もう」
「あ、そうでしたね、すみません。でもじゃあ何で純君はそんなにラクナちゃんにハマってたんでしょうね? 見た目は可愛いし、バ美肉って珍しさもあるから入口はわかりますけど、素のラクナちゃんを見たがってたのに素のラクナちゃんを見る前からそんなにドハマりしてた理由は?」
「ああ、それはたぶんなんだけれど……」
デビュー直後だった。地獄の使者時代のラクナが視聴者からのお悩み相談企画を実施したのは。自ら悩み相談を募集しておきながら、地獄の使者らしくそれらのお便りを塩対応で切り捨て、でも最後にツンデレっぽくボソッとアドバイスを付け加えるみたいな進行をした結果、案の定、結果はさんざんだった。全然話題にもならなかった。
それはそれとして。そんな企画だからこそ、重すぎたりセンシティブな内容のお便りは取り扱わなかった。でも、せっかく送ってもらったのに切り捨てちゃうだけなのは申し訳ないなと思い、匿名でないものには個人的に返信をしたのだ。今になって思えばそんなことする必要はなかったのかもしれないけれど、当時はお便りの数自体少なかったから別に負担でもなかったし、せっかく興味を持ってくれた人を手放したくないと必死だったのだ。
そんな中に、中学生からの相談があった。曰く、学校でイジめらている女の子がいるのに、陰キャの自分は勇気が出なくて助けられない。どうすればいいのか、というもの。
そんな重くてセンシティブな内容に答えることはできない。正体も明かしていない自分が責任なんて持てない。そう思ったけれど、でも自分も陰キャだしイジめられてこともあるし、イジめられっ子を助けたいのに何もできないという惨めな経験もしたことがある。気持ちは痛いほどよくわかる。
だから出来得る限り真剣に回答した。今すぐ一番信頼できる大人に伝えて、と。もしそいつがすぐに行動を起こさなかったら二番目に信頼できる大人にすぐ伝えて、と。それがダメなら三番目、四番目……行動を起こしてくれる大人に当たるまで、スピード重視で。早く、少なくとも一番辛い状況からは解放してあげなきゃいけない。もし怖ければ匿名の手紙などで報告してもいいし、どんな結果になっても君が責任を感じる必要はないから、今すぐ動いてほしい、と。
言えることなんてそれだけだった。返答してから、本当にそれでよかったのかと悩みもした。でも数日後、その子のアカウントから「自分の行動の結果、いじめが解決された」とメッセージを受け取って、心底安堵した。
そのアカウントは後日消えてしまったのだけれど、文章の癖から、彼が後のラクナ餅のはさみ揚げなんだとおれは半ば確信していた。別におれの力じゃないけれど、ラクナに助けられたという認識があってラクナにハマったのかもしれない。おれも無意識的にだけど、そんな相手からの言葉だから、自分を変えるきっかけにしたのかもしれない。
「とまぁ、そんな感じかな、ラクナとはさみ揚げの馴れ初めは。と言ってもやっぱ絶対にそうだとは断言できないとこもあるんだけれど。…………ん? 小貫さん? え、なに、そんなにキモかった!?」
小貫さんは目を見開いて固まっていた。ドン引きとか通り越して心肺機能に何か影響でも受けてしまったのだろうか。
「い、いえ、そうではなくて……えと、伊吹さん、その純君らしき視聴者さんからの相談があったのっていつ頃ですか……?」
「え、まぁデビュー直後だから二年前のー……うん、七月だ」
「…………っ」
「ちょ、マジでどうしたの?」
小貫さんはなぜか両手で顔を覆って俯いてしまう。動揺のあまり、つい肩をつかんでしまうと、その細い体は小刻みに震えていた。え、笑ってる? ――わけないよな。
嗚咽のようなものがこぼれてくる。小貫さんは、泣いていた。
「小貫、さん……?」
「…………っ、それ、私です……っ」
「え?」
「イジメられていて、純君が助けてくれた……っ、伊吹さんが救ってくれた、女の子……っ、私、です……」
「……うそ……?」
「嘘なわけ、ないじゃないですか……っ」
「…………」
小貫さんがまるで力尽きたように倒れこんできて、結果、おれの胸に頭を預けるような形になる。おれはどうすればいいのかわからなくて、でもそうするしかないから、そっと抱擁するように、その髪と背中を撫でる。
「辛かった……っ、何度も死のうかと思った……っ、でも別のクラスの、話したこともないような子が動いてくれて、私を助けてくれたんです……っ! そんなの、好きにならないわけないじゃないですか……!」
「そっか……」
そんなことがあったんだ。中学時代の二人に。そしてラクナがそんな二人を救うきっかけになった。
よかった。VTuberを始めて、ラクナになって、本当によかった。
「……はさみ揚げの奴やるなぁ……かっこいいじゃん、おれの大ファン。そりゃ好きになっちゃうよね。そっか、じゃあ中学のときから…………ん?」
あれ、でもそれ何かおかしくね? 純君はラクナに相談をしてから小貫さんを助けたのに、今、ラクナのことを小貫さんだと思い込んでいる。彼はその時系列の矛盾に思い当たらないのだろうか?
「あ、純君はあの時イジめられていた女の子と私が同一人物だと知らないので……親の再婚で苗字も変わっていますし、何より見た目もかなり……当時は地味子でしたので……」
「へー……」
まぁ、そういうこともあるか。こう言っちゃ何だけど、はさみ揚げ、せっかくヒーローになったのに、それがきっかけでモテてることに気づいてないのか。残念な奴だな……それはそれでちょっとかっこいいけれど。
「いいんです、高校デビューなんて女の子は知られたくないものなんですよ? まぁ、心配していないですけどね。実は当時と比べてかなり胸が大きくなりましたので、胸の大きさで女性を見分けている純君は気付かないでしょう」
「はさみ揚げぇ……」
なんて残念な奴なんだ。全然かっこよくない。
でも、そんな残念すぎる男のおかげで、おれと小貫さんにも知らぬ間に不思議な縁が結ばれていた。その事実にきっとこの子も特別なものを感じてくれていると思う。
「あ、ちなみに嘘泣きですよ? 伊吹さんが自分語りに酔っていたので私も雰囲気作りに貢献してあげようかと思いまして」
顔を上げ、悪戯っぽく笑うその目は、しかしやっぱり真っ赤になっていて。
そんな子どもっぽい強がりが、高校生らしい一面が、どうしようもなく愛おしく思えてしまう。もっと知りたい。もっと知ってほしい。
おれは、君に近づきたい。
「あっそ。じゃあ次は君の番。小貫さんの日常をおれに教えてよ。文化祭、見に行くから」
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