第15話
ラクナちゃんとの久々のコラボ配信を終えて、あたしは自分にそっくりなアバターである芦原カノンへ猛烈に感謝していた。
「ハァ……ハァ……あんな可愛い子にセクハラしてもコントとして許されるなんて……ここだけ半世紀前にタイムスリップしたのかよ……最高や……!」
まぁ配信終了したらお疲れ様の挨拶もそこそこに即行でバイバイブッチされたけど。やっぱり許されるのはVTuberとして配信している間だけのようだ。
あたしは口元のヨダレを拭いて、この一年強の月日を思い返す。
可愛いキャラクターを演じる可愛い声の女性と絡めるんじゃないかという下心一つでVTuber活動を始めようと思い立ったのは高校二年生のとき。VTuber事務所なんてものがあると知り、金髪ギャル風のアバターの演者募集を見つけ、応募し採用された。せっかくならアバターのビジュアルも自分に似てたほーが気持ちも乗るし、素でやりやすいしね。
自分の欲望通り可愛いVTuberとのコラボ配信をメインに活動していった結果、なぜかスルスルと人気が出てしまった。コラボ相手にセクハラ発言をしがちなせいで、向こうのファンから殺害予告が届くことも日常茶飯事だけど特に気にしてはいない。
この順調なセクハラ街道の中であたしが特に気に入ったのは奈落野ラクナちゃんだ。バ美肉おじさんという存在を初めて知ったときは、どうせあたしと同じような美少女大好き変態さんばかりなんだろうなと思ったものだが、全然そんなことはなかった。
中にはそんな人もいるのだろうけど、ほとんどのバ美肉おじさんは、仮想空間だからこそ実現できる自らの美しさ・可愛さを追求し続けるストイックな変態さんだった。そしてあたしもそんなアスリートたちにリスペクトを示すため、リアル美少女相手と同じようにセクハラを繰り返した。
その中でも奈落野ラクナちゃんは特別だ。まずビジュアルが私好みだし、声もボイチェンっぽさがほとんどないリアル女声を実現している。そしておじさんとは思えない、いい意味でそこら辺にいそうな女子っぽさ。セクハラに対してあっさり受け入れるでもキャーキャー抵抗するでもない、気だるげな拒絶感がたまらない。こういう「性」を感じさせない美少女こそを何とかして辱めたいのだ。セクハラしがいがある。触りたい。
もはや中身がおじさんだとか関係ない。可愛ければどうでもいい。可愛いものは可愛い。可愛いは正義! だからセクハラしたい! 触りたい。
「にしてもずっと無視されてたのに何で急に誘われたんだろ? 数字かぁ? 数字欲しくなっちゃったかぁ? おじさん数字ならいっぱい持ってるよ? げへげへ」
あたしは鼻血を垂らしながら、今日もまたラクナちゃんへとコラボのお誘いメッセージを送るのだった。
まぁ今回のセクハラのせいでさすがにもう受けてもらえなそうだけど。
と、思っていたのだったが。
「マジか」
ダメ元のお誘いに対して、返信はすぐに来た。しかもまさかの超前向き回答。企画の提案までしてくれてる。
「ふむふむ、ほうほう」
チャンネル登録お願いセリフをいっしょに考えてほしいと。人気の秘訣をご教示願いたいと。
「なるほどなるほど。じゅるり」
くすぐってくるじゃんか……! 滾っちゃうじゃんか……!
「おっけー、おっけー、教えちゃう教えちゃう。あ、そだ」
ついでにあれも教えとかなきゃだね。感謝しろよー、お礼にいろいろ触らせろよー!
*
「……え……は……?」
「どうしたんですか、伊吹さん」
「あ、や、何でもないんだけどさ……」
ベッドに座り不思議そうな顔を浮かべる小貫さんの問いを、とっさにはぐらかしてしまう。この情報はおそらく彼女にも関連している……だからこそ、まだおれだけが握っておくべき――そう思ったのだ。
カノンさんとの二回目のコラボが終わった夜。昨日頼んだ、『カノンさんにいろいろ教えてもらう配信』はさっそく実行に移されていた。期待通り視聴者の反応は上々、今回もまたチャンネル登録者数アップに繋がりそうだ。
そしてそんなことよりも予想通り、いや予想以上だったのはカノンさんのテンションだった。ノリノリだった。ノリノリもノリノリだった。ラクナが「教えてください」と必死に懇願し、教えてくれたら「さすがです」と持ち上げ、「ためになるなぁ……」と感嘆のため息混じりに呟き――そんなことを続けるだけで、カノンさんは、もはや喘いでんの?ってくらい悦びを声に滲ませながら、たまに涎音も織り交ぜながら、頼んでないことまでいろいろ教えてくれた。視聴者もそんな様子を面白がって彼女を持ち上げるコメントを投下しまくり、それを見たカノンさんがさらに気をよくして……という相乗効果もあって、配信はとても盛り上がったと思う。そこまでしておいて結局最後は教えてもらった挨拶を採用しないというオチにも手ごたえがあったし、全てが狙い通り運んだと言っていいだろう。
そんな大成功のコラボ配信が終わった直後。簡単なお礼だけ済ませて一方的に通話を切った後。前回と同じようにカノンさんから届いた長文メッセージには、前回とは違って、セクハラ(と次回コラボお誘い)以外の内容が初めて含まれていたのだ。
曰く、
――そういや配信中についでに教えようと思ってやっぱ配信に乗せたらまずいかと思って言わなかったんだけど今ゆーね。ラクナちゃんツイッターで個人情報漏らしすぎ。笑
「嘘やろ……」
――最近は気をつけてるっぽいけど昔のね。さかのぼるほどヤバいよー。西矢上駅近くに住んでるっしょ。笑
「おい」
――遊び行くね。
「笑をつけてよ……!」
――冗談だよーマンションまではつかめなかったし。まぁあたしは高校が駅三つしか離れてないからたまたま気づけただけだけどね。ラクナちゃんが言ってた焼きたてスフレのお店おいしかった! 気をつけなきゃだよー笑 マジで行っちゃダメ?
「はぁ……」
こんなことになっていたとは……てか……
「伊吹さんブツブツ独り言多すぎですよー。おじさんですか?」
小貫さんがここまでたどり着いたのも、やっぱりこれが原因ってことだよな……。くそぉ、自業自得か。
まぁ、やっちゃったことはしょうがない。とりあえずヤバそうな投稿を教えてもらって、こっそり消しとくって対処をするしかないだろう。幸い、この辺の土地に馴染みがなければ気づけないって感じっぽいし。……小貫さんがアパートまで特定できたのは、より特定能力が高かったのか、それとも、ここらの地理に詳しかったのか……。
「じゃ、私今日は帰りますね。冷蔵庫に卵サンドの残りあるんで食べちゃってください」
「あ、ごめん、ありがと。……送ってこうか?」
「は? 何ですか今さら。別に遠くないんで大丈夫ですよー。そんなことより明日以降の配信予定決まったら私に連絡するの絶対忘れないでくださいね。私達はもう運命共同体なんですから」
さらっと言い残して小貫さんは去ってしまう。運命共同体……いやいや今はそこじゃない。
でもやっぱそうなんだよな。毎日毎日一体どこから来てるのか、最初に聞いたときに濁されて以来、特に問いただしてこなかったけれど、滞在時間帯とかを考えても、そう遠くに住んでるわけじゃないことは予想できる。
まぁ別にそんなのどうでもいいんだけれど。あの子が勝手に来て、勝手に帰っていくだけの話なんだし。どうせ計画が完了したら途切れるような関係なんだし。だから今まで必要以上に探ろうとしてこなかったわけだし。
それなのに、そのはずなのに。最近になって小貫さんのことが「必要以上に」知りたくなってしまう。いや、別に特別な感情があるわけじゃない。うん、そうだ、むしろ今までが不干渉すぎたのでは? 相手はこっちのプライバシーを思いっきり侵害してくる加害者なんだぞ。そりゃ情報は欲しくなるでしょ。向こうにばっかりこちらの情報を握られてるのも不公平で気に食わないし。
「…………」
背徳感を覚えながら、今まで敢えて封印してきた好奇心を検索窓にぶつけていく。いや、正直に言えば実はこれまでも魔が差して調べようとしてしまったことはある。でも制服デザインにも校章にもこれといった特徴がなかったおかげで生じたその面倒くささが、寸前でおれの手を止めてくれたのだ。
しかし、別に本気になれば難しい話じゃない。特に、もし仮に、最寄り駅まで絞れていたとしたら――。片っ端から学校ホームページを見ていくだけで済んでしまう。
「……駅三つ……」
おれは、小貫さんと純君の高校に、カノンさんも通っているかもしれないという可能性に思い当たっていた。
うん、さすがにないな。絶対あり得ない偶然ではないとはいえ、確率で言えばせいぜい数パーセントだ。
必死になったところで徒労に終わる。
そうわかっていてももう止められなかった。てかカノンさん、あんなこと言っといて自分だって個人情報漏らしてんじゃん。いや、そもそも向こうはおれ相手に身バレしたくないとも思ってないんだから端から無警戒か。キモ。
それはそうと、このアパートは下り側の始発駅から二つしか離れていない私鉄駅が最寄りになっている。まぁ乗り換え含めて駅三つって意味かもしれないけれど表現としてはあまり自然じゃない。普通に考えれば、同一路線で三つ離れた駅近くの高校にカノンさんは通っているわけで、そしてそれはここから上り側に三つ進んだ志徳駅だと特定できてしまう。
やめるならここだ。おれは一旦頭を落ち着かせるために、冷蔵庫から卵サンドを持ってきて一かじりする。サラダタイプで甘めの味付け。おれが一番好きなタイプ。確か配信で話したことがあったはずだ。
「……おいしい……」
作り立ても最高だったけれど、しばらく寝かせてパンにサラダが馴染んだ食感がまた別種の味わい深さを生み出していた。甘くて優しい余韻も不思議と長く口に残るようになった気がする。
「…………」
クールダウンさせるはずだった脳が、何故かますます熱気を帯びてくる。
うん、別にいいじゃん。誰も困るようなことじゃない。彼女に迷惑なんてかけない。
おれはダメ元で検索窓に、知りえた情報を打ち込んでいく。
志徳駅が最寄りになる高校――三つ。男子校を除いて、二つ。別に最寄りだとは限らない。自転車通学圏内まで広げれば候補は二桁になる。それでもまずは可能性の高いところから。一つ目――違う。こんな色じゃない。二つ目――――ビンゴだ。
都立志徳高校。モニター内の女子高生が着ている制服と、いつもこの部屋のベッドで寝転がっている女の子が纏っている制服は、間違いなく同じデザインのものだ。
おれは、小貫さんの通う高校を特定した。
「…………はぁ……」
だから何だと言うのだろう。たまたま思ったより早く見つけられてしまったとはいえ、別にこんなことは時間さえかければ前々から可能なことだった。おれにそこまでの気が起らなかっただけで、そもそも制服のままここに訪れている時点で彼女本人にとっても特段知られたくない情報ではなかったはずだ。そりゃそうか、通っている高校を知られた程度で何だと言うんだ。そこから類推できる個人情報なんてせいぜい学力くらいのもんだろ。結構頭いいんだな。
でも、そこにもう一つの偶然が重なってしまったら? 「情報のやり取りができる知り合いがターゲットと同じ高校に通っている」という条件を伴ってしまっているとしたら?
「ん……」
卵サンドの残りを口に突っ込む。下品な食べ方をしてもやっぱりおいしい。短期間で完全に胃袋をつかまれてしまった気がする。いや、小貫さん自身も自画自賛してるってことは、単純にあの子とおれの味覚が似てるだけ? てかそもそもこれってはさみ揚げに作ってあげるための練習なんじゃなかったっけ。その割にはいつもおれの好みに合わせてくれてるよな……。
「……まぁこれ以上の偶然なんて起こらないよね。起こったとしてもそれ以上探るかどうかはまた別の話だし」
自分に言い訳するように呟きながら、スマホに文章を打ち込んでいく。
この時点で可能性は数パーセントとは言えなくなっている。五割、とは言えないけれど、まぁたぶん三割くらい? うん、なんだ、言っても大した確率じゃないじゃん。これはどうせ外すだろうな。だって三回に二回以上はハズレなんだよ? あーでも確か野球だと三割で凄いんだっけ。野球知らんけれど。
あ! 次のコラボ企画思いついちゃった! カノンさんって心おじさんだし野球詳しいよね!
「うん、あんま気は進まないけれど、思い立ったらすぐ誘わないとね」
おれは勢いのまま文章を打って、ためらいが生まれるよりも早く送信ボタンを押した。
卵サンドの甘い余韻が、未だ口内を漂っていた。
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