──5── バディ結成
拘束を解いてもらって、ようやく人心地つく。ぬるいアスファルトに座り込んだまま、俺はふう、と息をついた。ぐるぐると腕を回してみる。幸い、どこも痛めてはいないようだ。まったく、酷い目にあった。
透明な少女の形をした女装男子は、細い腰に手を当てて、淡々とこちらを見下ろしていた。ちら、と見上げる。清楚な瞳が細くなった。淡々とした声が落ちてくる。
「おまえ。余計なこと吹聴するなよ」
もういっぺん転がされたくなかったらな、と告げる声はあきらかに男のそれで、俺はなんだか安堵した。ほっと息を吐くと、肩の力を抜く。
「別になんも言わねえよ。それより、安心した」
「安心? なにが」
「だっておまえ、男なんだろ。女だったら、脅してでも帰らせようと思ったけど。男なら、ま、大丈夫だろ」
なっ、と笑いかける。たちまち女装男子が顔をしかめた。そんな表情でも彼はやっぱり清楚でおしとやかで、見た目だけなら完全に可憐な女の子だった。感心して身を乗り出す。
「なあなあ。あんたってどういうヤツなの」
「教える義理はないだろ」
「いいじゃん。ちょっとだけ。なっ。名前は? どこ高校? あっ、俺は相崎高校二年五組の、堂島敬斗って言うんだけど。ちなみに天文部な」
女装男子はじっとりした目で俺を見つめた。額に手を当て、深い深いため息をつく。
「……一ノ瀬、
「あ、意外とすんなり教えるんだ」
「俺だけそこまで聞いといて、黙ってるのもなんか違うだろ」
「おー、律儀だなおまえ! ていうか、なんだよ大人かよ。なら尚のこと心配いらねえな。よかったー」
なにが良かったのか心底わからない、というような目が俺を見る。なんでわからないのか俺の方が不思議だが、それはまあいい。気になることなら、他にもいくらでもあった。
「な、な、あんた〝天使〟なんだろ? 具体的になんの仕事? そういう名前の役職とか?」
「そんなわけないだろ。あれは名前伏せてたら、周りが勝手に呼び始めただけ。俺がやってるのは、所属なしの個人で、レンタル彼女とか出張JK風リフレとか……そういうの」
「へえ……」
へえと言ったものの、それがどういう仕事なのか、皆目見当がつかない。いや、レンタル彼女というのは、なんとなく想像ができなくもないけれど。
「でもそれ──」
男ってバレねえの、と言いかけて。俺はすぐさま言葉を飲み込んだ。俺を見下ろす一ノ瀬は、どこから見ても清楚で可憐で透明感抜群の、セミロングの黒髪にお嬢様風の制服の似合う、ただのちょっと背の高い女の子だった。バレるわけがない。
ひとり納得に頷いたとき、ふと思い出した。こんなことをしている場合じゃなかった。一ノ瀬の物珍しさにうっかり目がくらんでいたが、俺はそもそも、この街になにをしに来たのか。
「なあそうだ! 一ノ瀬って此倉街に詳しいんだろ?」
「え? まあ、そうだけど……遊び場所なら教えてやらないからな」
「それはいらねえよ、じゃなくて!」
勢いよく立ち上がる。ぱんぱん、と膝を払うと、俺は一ノ瀬の両肩をぐっと掴んだ。一ノ瀬がかすかに、たじろぐ気配。
「な、なに」
「この街でバイトしてた友達が行方不明なんだ。頼む! 俺に力を貸してくれ!」
「……行方不明?」
そう、と頷く。一ノ瀬が少し黙って、促すような目をした。
俺はここぞとばかりに口を開いて、簡単に事情を説明した。同じ部活の友達がいなくなったこと。彼女がここでバイトをしていて、なにかトラブルに巻き込まれたかもしれないこと。その親友に頼まれて、此倉街まで彼女を探しに来たこと。
一ノ瀬は、最初は黙って話を聞いていた。だが書き置きがあったこと、家族は事件性を疑わず、家出だと思って捜索していることを伝えると、たちまち興味を失ったように息をついた。
「……なんだ。親御さんの言うとおりだろ。確かに心配だけど、大丈夫じゃない? 今のところ、この辺で高校生絡みのトラブルは聞いたことないし」
「でも……!」
「それよりも、だ」
ぱち、と目を見開いて、一ノ瀬がずいと顔を近付ける。整った顔、長いまつげがまばたいて、彼はきっと表情を厳しくした。
「問題はあんただ。友達が心配なのはわかるけど、衝動的にこんな街に入り込むなんて危ないだろ。捜索は大人に任せて、おまえは家に帰るんだ」
「だっ……そんな、無理だろ!」
「なんで」
「だって! 小野塚は占いを建前に、おっさんに手を握られる店に勤めてたんだぞ⁉ こんないかがわしい街に出入りしてたのに、なんもないって確信できるまで、引き下がったりできるかよ!」
「小野塚……?」
俺の強い宣言に、一ノ瀬がぴくっ、と眉を動かした。なんだ。首をかしげる。一ノ瀬は少し考え込む仕草をすると、静かな目で俺を見た。
「ちょっといい。その天文部の子──小野塚、なに?」
「へ? 小野塚、ゆりだけど」
「……そう。占いの店って、フォーチュンパープル?」
「え? あ、うん。そこ」
「……そう」
それだけ言うと、一ノ瀬はほっそりした顎に白い指を押し当てて、そっと目を伏せた。長いまつげが瞳の上にかぶさって、どことなく物憂げな思案顔。そのまま彼は黙り込んだ。
「なに──なんだよ。どうしたよ」
「……いや」
まだ眼差しを伏せたまま、一ノ瀬がぽつりとつぶやく。
「あの店舗、場所はゲートのすぐそばで、かなり〝健全〟な店なんだ。たしかに女子高生を使ってはいるけど、守るべきラインは絶対に守る店──だった」
「……だった、って」
澄んだ視線が持ち上がり、真剣な瞳が俺を見つめる。桜色のくちびるから、緊張感のある声が発せられた。
「だから、過去形。あそこ最近、オーナーが変わってさ。急に運営がキナ臭くなってきたんだよね」
淡々とした声に、逆に不安がかきたてられる。一ノ瀬のまつげが静かに持ち上がった。黒い瞳と視線が交わる。
端正な表情を引き締めて、彼は言った。
「わかった。手伝ってやる。その小野塚って子、探すの」
「えっ……いいのか!」
黙って頷く一ノ瀬。真摯な瞳に嘘は感じられない。ぶわ、と安堵がこみ上げてきた。
(や、やった……!)
〝此倉街の天使〟がついているなら、きっと調査もできるようになるはずだ。ようやく一歩前進といえる。
「よかったぁ……」
どっ、と緊張が解けた。肩の力が抜けて、俺はほっと破顔する。一ノ瀬がちらと俺を見て、口元ゆるっゆる、と苦笑した。
「協力はするけど。任せっきりはやめろよ」
「もちろん。俺だって、できることならなんでもする」
「……へえ。なんでも。ほんと?」
「ほんとだって」
ふーん、と涼やかな声。そのまま、彼はまた考え込む仕草をした。美しく澄んだ瞳が、きろりと俺を見る。なんともいえない眼差しが、俺の身体を上から下まで走っていった。
「じゃあ、がんばってもらおうかな」
「がんばるって……なにを?」
なんとなく嫌な予感を覚える。だが一ノ瀬は答えずに、含みのある可憐な微笑みを浮かべるだけだった。そのままくるりとターンして、ひら、とスカートが翻る。
黒いストラップシューズが、かつんと路地を踏んだ。大通りに向けて歩き出した一ノ瀬の背を、俺は慌てて追いかける。思ったより足が速い。当たり前だ、こいつは女じゃないんだから。
男の、でも女の子みたいに華奢な背が、きらめくネオンに溶けていく。その肩越しに、一ノ瀬がふっと振り返って。
「ほら──行くぞ、敬斗」
清楚な容姿に似合わない、どこか不敵な笑みを見せた。透明な瞳がまたたいて、美しい黒髪がさらりと夜風に揺れた。
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