第2話 〝女の子〟になってみて

──6── 女子高生のケイティーです!

「こ、こんばんはぁ、ケイティーでぇす、今日はその、よろしくお願いしまぁす……!」


 笑みが引きつる。口角をむりやり持ち上げて、俺は必死で高い声を作っていた。女声、女声、と頭の中で何度も唱えないと、うっかり喉の力を抜いてしまいそうだ。


 さっき鏡で見た、自身の姿が思い出される。

 背中まである、ゆるく巻かれたアッシュっぽい髪。健康的な色の肌、ラメできらきら輝くまぶたに、ばちばちに盛られたまつげ。グラデーションで立体感の増した赤いくちびる。


 わざとゆるめた襟元のリボン、指示通りシャツの袖をまくって、短すぎるチェックのスカートと、昔懐かしいルーズソックス。ゴテゴテと首だの手だのにあれこれアクセサリーを巻きつけて、喉仏や男らしい骨格を見事に隠している。


 今の俺の格好は、完全に女子で、制服で、ギャルだった。美優と一緒だ。実際俺を変装させた一ノ瀬は、俺が何気なく口にした美優の話から、この格好を思いついたらしい。


 テーブルを挟んだ正面には、中年のおじさんがにこにこと座っている。目尻に細いしわを浮かべ、笑み混じりの眼差しが、安心させるように俺を見つめていた。へら、と愛想笑いを返す。


 すると急に真横から手が伸びてきて、ぴし、と座った腿を叩かれた。はっ、とする。女声に気を取られて、脚が開いていたらしい。叩き込まれた〝女子の心得〟を思い出し、俺は慌てて膝を閉じる。


 俺を叩いた隣の〝美少女〟が、桜色のくちびるを開いた。わざとだろう、はにかむような、笑み混じりの声。


「こんばんは、アンジェです。ふふ、はじめましてですね。短い時間ですけど、私たち、一生懸命占いますから。どうぞよろしくお願いします」


 俺の四苦八苦などどこ吹く風、とばかりに、美少女──一ノ瀬は、実になめらかに挨拶を述べた。


 入り口にカーテンの引かれた、狭っ苦しい半個室。薄紫で統一された室内にはカードや水晶玉、手相の本やおみくじボックスなどが並んでいた。占い道具に混ざって、チェキが一台置いてある。それが如実に、ここがどういう店なのかを伝えていた。


 占いコンセプトカフェ、フォーチュンパープル。ゆりの情報を得るのなら、まずここは外せない。なんとしても内部に入り込んで、調査する必要があった。


 作戦はとんとん拍子に決まった。一ノ瀬は当たり前のように俺を〝改造〟し、店に突撃し、あれよあれよと話を通して──気がつけば俺たちは今、一日体験入店のペア占い師として、はじめてのお客さんを迎えることになっている。


 それはいい。他に方法もない。いちばん効率的だ。

(けど──これ、キッツイなあ……!)


 どんなに着飾ったって、しょせん男だ。しかも俺は女子の言動を学んだことも、ちゃんと観察したこともない。〝女子の心得〟だって、さっき一ノ瀬に五分で叩き込まれたっきりだ。難易度が高すぎる。


 よどみなくおじさんの相手をしていた一ノ瀬が、占い道具を取るため立ち上がった。否応なく一対一にされ、俺は笑みが引きつらないよう必死に顔をキープした。


「ケイティーちゃん、緊張してる?」

「あ、えっと、ちょっとだけ……」

「そうかあ。慣れてないんだね。はじめてのお客さんがぼくだなんて嬉しいな」


 おじさんは穏やかに笑っている。思ったよりずっとマトモそうだ。俺はひそかにほっとした。こんなところに来るおっさんなんて、いきなり女子の胸元に手を突っ込んでくるようなヤツばかりだと思っていたのだ。でも、目の前の人は紳士的な笑みでじっと俺を見つめている。


「無理しなくてもいいよ。ゆっくりおしゃべりしようね」

「あ、ありがとうございます」

「きみ、すごいギャルなのに礼儀正しいねえ。そういうギャップ、とっても良いと思うな」

「そ、そう? よかった……です」


 まだぎこちないものの、ようやく本当の笑みが浮かんだ。緊張が少しだけ解けてくる。俺はかすかに口元を緩めた。


「実はこの格好、あんま慣れてなくて」

「あれ、そうなの? すごくかわいいし似合ってるから、ずっと着てるんだと思ってたよ」

「かわいい、って……お、いや、あたしなんて、そんな」


 うっかり『俺』と言いそうになって焦る。もごもごと口元を動かしていると、すっ、と目の前が陰った。


「ほんと、かわいいなあ」

「あ……え?」


 するっ、と手が伸びてきて、目のすぐ下をちょいちょい、と触られる。乾いた、生あたたかい、皮膚の温度。その感触が妙に生々しく立ち上がってきて、

(え──)


 ──ぞわっ、としたものがこみ上げる。それがなんなのかわからないまま、反射的に手が動いていた。


 ぱしっ、と乾いた音。視界の端で、ぱっ、と一ノ瀬が振り返るのが見えた。力いっぱい払い除けた姿勢のまま、俺の手が宙に浮いている。目の前のおじさんが、きょとん、とした顔をして。


 その表情が、ほんの少し、よく見なければわからないほど少しだけ──歪んだ。


「……ケイティーちゃん?」

「っ……!」


 ──怖い。


 唐突に無意識に浮かんだのはそんな言葉で、俺は混乱する。

 なんでだ。こんなおじさん、絶対俺のほうが腕力あるし、大声を出せばスタッフが来るってわかってる。一ノ瀬だっているし、そもそも俺は男で、顔くらい触られたからなんだって話のはずで、でも、それなのに──なんで。


 おじさんがうっすら目を細める。それがなんだか無性に恐ろしい。


「……だめだよ、ケイティーちゃん。初めてで慣れてないからって、お客さんにこんなことしちゃあ。ぼくじゃなきゃすっごく怒ってたよ。よかったね、ぼくで」

「ご──ごめん、なさ」


 怖かった。おじさんの顔に浮かんでいるのは間違いなくたしなめるような笑みなのに、薄い膜を一枚へだてた向こうに、なにかどろっとしたものが渦巻いているのがわかる。その正体を知らない。大人の人から、こんな目で見られたこと、一度もなかった。それがどんな目かなんて一つもわからない、だけど怖くて気持ち悪いことだけはわかる。


 おじさんが口の端を持ち上げて、固まったままの俺の手に、無骨な手がゆっくりと伸びてきた。びくっ、と逃げるように痙攣した手を、掴まれそうになって──


「──タロットですか? 手相ですか?」


 急に澄んだ声が降ってきて、はっ、と肩が跳ねた。おじさんがぴた、と手を止める。俺を見つめていた黒い眼球が動いて、その中心に一ノ瀬が映り込む。


「私のオススメは手相なんですけど」


 にこ、と可憐に微笑んで、一ノ瀬は椅子を引くと、俺の隣に座った。テーブルの上に手相の本と、タロットカードが並べられる。

 一ノ瀬はやや前のめりになると、ちら、と上目遣いでおじさんを見つめた。


「ふふ。どっちがいいです?」


 白いてのひらを広げて、まだ宙に浮いたおじさんのてのひらに自分のそれを合わせる仕草。触れそうで触れない絶妙な距離を保ったまま、一ノ瀬はことんと首をかしげた。


「手相にします?」

「……もー、アンジェちゃんは商売上手だなあ。じゃあ、奮発して手相にしようかな」

「ふふっ、ありがとうございまーす」


 さっ、と手を引っ込め、伝票にさらさらとペンを走らせる一ノ瀬。おじさんはもう俺のことなど気にも留めず、一ノ瀬と笑い合っていた。


(……っ、なんだ、今の……)

 心臓が、まだどくどくと嫌な鼓動を鳴らしている。なにがなんだかわからなかった。


 大したことはないはずだ。顔を触られるのも、失礼な行いをたしなめられるのも、手を掴まれそうになったのも、べつに変なことじゃない。今まで大人に怒られたことも、手や顔に触られたことも、何度だってある。そのときはこんな風にならなかった。


 ただ──おじさんの語り口や俺を見る視線、扱われ方。一つ一つは大したことないはずなのに、集まるとえも言われぬ感覚がこみ上げる。なんとなく、自分が〝堂島敬斗〟じゃなくなったような気がする。女装のせいだろうか。そうじゃないような気もするが、よくわからない。


(どうして、俺──)

 とんっ、と肘で脇腹を叩かれた。はっとして一ノ瀬を見る。ちら、と流し目がよこされて、彼の視線が『しっかりしろ』と語っていた。慌てて姿勢を正す。


「えと……じゃあ、二人で手相見ていきますね」

「ケイティーはこっち、私はこっちね」


 おじさんが投げ出した両手を、二人で取る。手相の本と引き比べで、俺はぎこちなく生命線が長いとか、頭脳線が濃いとか、あれこれ占いっぽいことを話した。

 一方の一ノ瀬は、本を見るのは本当に一瞬で、ほとんどの時間をおじさんの手をいじることに費やしている。


「親指の付け根がふっくらしてると、愛情深いんだそうですよ。ほら、ここの……」

「ははっ、くすぐったいよアンジェちゃんってば」

「えー、がまんしてくださいよ」


 どう見ても占いではない。でも、それでいいのだ。ここは〝そういう〟お店なんだから。

(小野塚は、こんなとこで働いてたのか……)

 ずん、と気が重くなる。だが、落ち込んでいる場合ではない。俺はここに、ゆりの行方を探りに来たのだから。


 おじさんは一ノ瀬と夢中になって話し込んでいる。気を引くため、俺は思い切って、無骨な指を一本、ぎゅっと握った。


「あ、あの」

「ん? ケイティーちゃん、どうしたのかな。ごめんね、もしかして仲間外れがさみしくなっちゃった?」

「う……いや、えっと……そう、かも……?」


 へら、と笑う。おじさんはたちまち上機嫌になって、嬉しそうににこにこ笑った。今なら、話が聞けそうだ。


「この店の、ゆうちゃん……のことなんですけど」

 面接時に聞き出したゆりの源氏名を挙げると、おじさんはああ、と頷いた。知り合い? と尋ねられ、頷く。


「あたしたち、ゆうちゃんからこのお店紹介してもらって、それで……ここでのゆうちゃんって、どういう……?」

「そっかあ、ゆうちゃんの知り合い!」

 おじさんはにこりと笑うと、なら不慣れでもしょうがないよね、と言った。


「あの子の知り合いなら、接客より占いが好きなのもわかるよ。ほんとに好きなんだろうねえ、こんな店じゃ占いなんて見向きもされないかも、って言いながら、いつも毎回がんばって星占いしてさ。ぼくが喜ぶとすごく嬉しそうな顔するの。素直で素朴で、いい子だよねえ、ゆうちゃん」


 ああいう子好きだなあ、恋しちゃいそう、と冗談っぽく笑うおじさん。なぜか背中の辺りがぞわっとして、俺は喉の奥でぐっと言葉が詰まるのを感じた。


「彼女、どうしてここで働いてるんですか?」

 一ノ瀬の問いかけに、おじさんはうーん、と遠い目をする。

「たしか望遠鏡が欲しいんだって。夢があるからって」

「夢?」

「そう。なんだったっけな……自分で観測した星だけで星図を作って、それをもとに新しい占いを発明したいんだっけ? なんか惑星や太陽も見なきゃいけないとか言ってたよ」

「そう、なんだ……」


 知らなかった。ゆりは自分のことはあまり話さない。同じ部の友達なのに、俺は彼女の夢どころか、占いが好きだということすら知らなかった。


「ちゃんとした望遠鏡がいいけど、高いからお小遣いじゃ足りないんだってさ。家にお金があんまりないらしくてね。誕生日やクリスマスでも、あんな望遠鏡は無理だ、って」


 一ノ瀬が、かすかに目元を引き締めて沈黙する。考え込むような眼差しをまばたきでかき消して、彼は顔を上げた。


「そういえば私たち、ここ数日ゆうちゃん見てないんですよね。どこかで見かけてませんか?」

「え? 見てないなあ。ここんとこ出勤もしてないね」

 うーん、とおじさんが考え込む仕草をする。

「そういえば、最近はお母さんとの喧嘩の話をよく聞いたな。バイトで帰りの遅いゆうちゃんを、シフト調整がおかしいって叱るんだって。そのくせ自分は仕事仕事で、ちっとも家に帰ってこないって」


 それは知っている情報だ。夏休みに入ってから、ゆりと母の喧嘩は加速度的に増えていた。そしてとうとう、昨夜大きな喧嘩があって、彼女は身を隠してしまったのだ、と。


「ゆうちゃん、口では怒ってたけど、さみしそうな目をしてた。もしかしたら家にバレて辞めちゃったのかもしれないね。……心配してたんだけどなあ」


 真摯な顔で言うおじさん。まるで本気で心配しているような目。

(でも……)

 どこか、なにかがおかしい感じがする。なんでかはわからない。これは〝小野塚ゆり〟の話のはずだ。それなのに、おじさんが話しているのが、ゆりのことだと思えない。

 考え込む俺をよそに、おじさんが眉間にシワを寄せた。


「あーそういえば。ゆうちゃんってホント店外に出ないんだけど。先月末くらいかな。一回だけ、店の裏口あたりで、若い男と隠れてひそひそ喋ってたの見たことあるよ。お客さんでも、ここのスタッフでもないっぽかったけど」

 ぴくっ、と指が動いて、俺は思わず声を大にしていた。

「えっ──ど、どんな人⁉ どういう様子でした⁉」

「け、ケイティーちゃん?」


 おじさんが目を丸くする。その瞳に、じわじわと戸惑いと、かすかな警戒がにじみはじめた。しまった、食いつきすぎたか。


「も……もうケイティー、相変わらず恋バナ大好きなんだから。ね、その人、ゆうちゃんの彼氏かなあ?」


 ぱしんと俺の肩を叩き、一ノ瀬がさっとフォローに入った。不審そうな目だったおじさんが、「なあんだ」と肩から力を抜く。


「ははは、ケイティーちゃんも恋に焦がれる女の子なんだねえ。でも、あれが彼氏かはわかんないな。ぼくもちらっと見ただけだから。ただ、髪が真っ白でね。いかにもこの街の人って雰囲気だったよ。ゆうちゃんが誰かと外で喋ってたの、そのとき以外には見たことないかな」

「そう、ですか……」


 店の外にほとんど出ないゆり。たった一人、そんな彼女と隠れるように店舗裏で話し込んでいた若い男。なにかあるとすれば──ここだ。


 ちら、と視線を横へ向ける。ばちっ、と一ノ瀬と目が合った。うなずきあう。俺たちはひそかに目配せをしあうと、気がつけば放置されていたおじさんの手をふたたび取って、愛想笑いとともに接客に戻った。




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