終幕

終幕


 今回の騒動は、首謀者の死亡で片付けられた。

 正代が戻った篁藩は、動乱などウソのように一つにまとまり始める。秀嗣を支持した武将も急に手のひらを返し、正代を支持する。都合のいい話ではあるが、これに関して正代は何も言わずにそれらを受け入れた。疲弊しきった篁藩で、これ以上の面倒事は避けたかったのだろう。まずは秀嗣、泰虎、そして烏夜衆によって滅茶苦茶にされたものを立て直す必要がある。

 そのためには、例え一度は裏切った日和見主義の者達の手も使いたい。

 だから、今は何のお咎めもない。ただ、今後の働き方如何では、切り捨てられる立場なのは武将らも分かっており、必死になって動いているとか。

 ちなみに、正代が早々に帰還しなかったのは、烏夜衆によって送られた刺客への対応と、反乱の情報が一切伝わっていなかったからだそうだ。兄の正尚が死んだことすら知らなかったらしい。絶が書いた文も、どこかで回収されていたようだ。

 村で治療を受けた律は、しばらくして体を引き摺りながらも卯ケ山城へやってきた。かなり無理をしたらしく、顔面が土気色をしており、絶を確認すると安堵のせいか、泡を吹いて気絶した。



 それから数日後、傷の手当ても済ませた天晴は城を出る。

 良く晴れた空の下、隣には百桜が肩を並べ、城下町を歩いていた。

 久しぶりに会った兄がそれほど嬉しいのか、ずっと百鬼の役の話を語っている。正直、この数日で六回は聞かされた。そのことを指摘して「黙れ」と言うと、百桜は「話を聞かせてくれとは言われても、黙れとは言われたことがない」とカラカラ笑う。あまり動じない所は天晴に似ていた。

「そうそう。オニの首領と対峙した時、兄様に剣術の稽古を受けたことを思い出したのですよ」

「ほう」

「正直、首領の気迫に怖気づいておったのですが、考えてみれば稽古時の兄様の方が怖かったなと思い」

「それで吹っ切れたのか」

 なるほど、と納得しかける天晴に百桜はペロッと舌を出して笑う。

「それが、稽古時の光景のすぐ後に、幼い頃、兄様と一緒に姉上の逆鱗に触れたことを思い出しまして、あの時の恐ろしさに比べれば、オニの首領など猫ですよ」

 確かに、と天晴も過去を思い返す。

 まだ子供の頃、幼い百桜を引き連れて、皇羽の化粧道具に墨汁を混ぜたことがある。その後、気付かずに使った皇羽が、顔を真っ黒にし、怒り狂って街中を追い回してきた。

「あれは捕まったら、間違いなく殺されると思ったな」

「姉上の怒りが収まるまで、兄様はご神木の上にしがみ付き三日三晩過ごされておりましたからね」

「あの時ほど気配を消したことはないぞ。過ごしやすい時期でなければ死んでたな」

 苦い思い出を語らいながらも、今となっては笑い話だ。

 城下町を歩く人々には活気があり、顔は明るく輝いている。これまでは不満や不安を押し付けられていたが、今は新しい五百旗の当主を祝福しているようだった。

 大柄の天晴と美形の百桜が並んで歩けば、それだけに絵になる。道行く人々は、遠巻きに眺め、すれ違っては振り返り、口々に「誰何」と囁き合う。

「どうして扇喜に来られないのですか?」

 周囲の視線など気にすることなく、何度目かになる不平を込めた問いを百桜は頬を膨らませて言った。

 戦場を駆けまわる英雄がこのような幼稚な顔をするとは、世間の者は夢にも思うまい。

 ただ天晴は慣れて感じにあしらう。

「どうしても何も、お前の顔を久しぶりに見るために向かったんだ。こうして元気な顔を見て、話せれば、もう俺の目的は果たせた。帰るのは当然だろう」

 故郷の斑霧藩へと帰るつもりだ。

「父上も会いたがっておりましたのに」

 ため息交じりの言葉に、天晴は顔をあからさまに顰める。

「親父殿は小言を言いたいのだろうよ。優秀なお前には言えないからな」

「仲間達ともぜひ会ってほしかったのですが……」

 百鬼の役で、百桜と共に戦った三人だろう。噂だけは天晴に耳にも入っている。それぞれに英雄と称される人物らしい。確かにそう言った豪傑と会えるのは魅力的な話だ。ただ……。

「やはり、都の空気は、俺には合わん」

「顔を合わせたくない方が多いのでしょう」

「うむぅ」

 否定とも肯定とも取れない曖昧な唸りを上げて誤魔化した。若い頃、扇喜にいたことがあり、いろいろとやらかした経験がある。特に剣術の師範代として、将軍筋の家柄だった門弟をボコボコにした。もちろん、彼なりの理由はあったが、今思えばやりすぎたとも思う。あの時の父親の青ざめた顔は今でも腹を抱えて笑える。表沙汰になることはなかったが、道場内では有名な話。以降、天晴が剣を教えることはなくなった。

「では、わたくしも一緒に斑霧へお供します」

「お前は、扇喜に帰る必要があるだろう」

 今回の一件を知った幕府は、原因ともいえる烏夜衆・千冥から得た情報を持ち帰るよう命を下している。その役目が百桜というわけだ。


 なんでも、烏夜衆に幕府転覆を依頼した何者かがいるらしい。確かに千冥も、そんなことを言っていた気もする。つまり、篁藩はその計画に巻き込まれ、利用されたに過ぎない。おそらく百桜が、これらの情報を持ち帰った後、その依頼した首謀者の捜索を命じられるだろうとのこと。ただ、下手人は大方見当が付いているので、そんなに難しいことではないという。

 正直、そこまで行くと天晴のあずかり知らぬことであり、興味もない。


 ムムム、と百桜は納得のいかない顔をする。

「せめて、双木までは一緒に行きますからね」

 確かにあの街が分かれ道になる。本来であれば、百桜には立派な戦馬がいる。その気になれば、疾風の如く駆け、誰よりも早く帰れる。それなのに、今は天晴に合わせて徒歩で移動していた。重要な任に就いて、このような我が儘がまかり通るのは、やはり百桜だからなのだろう。

 二人で下世話な話に花を咲かせて歩いていると、街の外れに何人かの人影が見えた。

「見送りか?」

 必要ない。とばかりの口調だが、天晴の顔は嬉しそうだ。そこには錬に支えられた律と、不機嫌そうに天晴を睨みつける絶がいた。彼女はすでにみすぼらしい男装を止め、綺麗な着物に身を包んでいた。

「また、何も言わずに出て行こうとしたな!」

「言ったろ。御付きの者に言付けで」

「普通はわらわに直接、言うであろうが! その手間を惜しむでない。そういう所であるぞ!」

 ムキになって袖をぶんぶん振り回す絶に、天晴は呆れ気味に笑って返す。

「それに、まだ傷も完全には癒えてはおらぬのだ。もっとゆくりとしてゆけ」

 少し落ち着いた絶は、心配そうに、そして名残惜しそうに言った。

 しかし、天晴は首を横に振る。

「いつまでも世話になるわけにもいくまい。俺は部外者だし、本来はここにいない存在だ」

「それじゃ、それが納得いかぬ」

 再び絶の声に熱を帯びていく。

「篁は天晴に多大なる恩ができた。烏夜衆を倒したのは天晴なのに……そなたの活躍を言うことが許されぬとは」

 表向きには、今回の一件は百鬼の役より帰還した正代と彼の率いる武士によって制圧されたことになっている。

「仕方がないさ。俺が頼んだんだからな」

 天晴は軽く笑みながら頭を掻いた。

 正代に何かお礼をさせてくれと言われた時、「であれば」とお願いしたのが、今回の件で天晴が関わったことを口外しないことだった。

 もしも、天晴の活躍が伝われば、それは同時に禁を破ったことがバレることを意味する。正代も悩んだが、家と藩を救ってくれた恩人を窮地に立たせることは本意ではないと、協力してくれた。

 つまり、天晴はこの篁藩で烏夜衆と戦っていないし、来てもいないことになった。

 絶もそのことは分かっている。分かっているが、納得がいかない。

「しかし、それでは……それでは、せっかくのそなたの誉れが」

「絶よ。世に名を知らしめることが誉れではない。お前が思っていてくれればそれで充分だ」

 天晴は腰をかがめて絶と視線を合わせると、頭に手を置く。

「辛い経験も多くしたが、お前としばしの旅ができて良かった」

 自分の言葉が適切だったかは分からないが、それでも天晴は絶に伝える。そして、視線を律へと向ける。

「お前ともな」

 律は頷いて見せた。

「これからどうする?」

「一旦は脅威が去った。だから、ひとまず絶様の護衛から離れ、散り散りになった天狐族を探そうと思う。天狐の郷が蘇るようにな。郷を守るのも護拳の役目だ」

「その体でか?」

 意地悪な笑みを浮かべる天晴に、片腕と片眼を無くし、全身傷だらけ律は眉を顰める。

「配慮に欠ける男だ」

 それでも、表情は柔らかい。

「礼を言っていなかった。天狐族の誇りと、宝を守ってくれたことに、感謝する」

「よせ。友を助けただけだ」

 しっかりと握手を交わす。

「錬はどうするんだ?」

 急に話を振られて、気配を消しかけていた錬は体をビクつかせる。

「わ、私は、一旦はお師匠の所へ戻ろうかと」

 おずおずと答える彼女に、天晴は頷くも、絶の顔は曇っている。

「やはり戻るか……」

「はい。村の復興具合が心配ですし……ほら、私を追い出した人達が、支援の立役者たる私をどんな顔して出迎えるか見たいじゃないですか」

「そなた、そういうとこあるよな」

 少し引き気味に言う絶に「そうですか?」と錬はよく分かっていない。

「でも、落ち着いたら、絶様に会いにまいりますよ」

「うむ。すぐに戻ってくのじゃぞ」

「いえ、すぐには無理かと」

 やり取りに、一同は声を上げて笑う。

「よし。では、さらばだ」

 天晴が百桜と歩き出した時、絶に呼び止められた。

「ちょ、ちょっと、天晴。耳を貸せ」

「なんだ?」

「いいから、さっさと貸さぬか。ぐずぐずしとると引き千切るぞ」

「怖いことを言うな」

 耳を傾ける天晴に、絶が顔を近づける。

「よいか、一度しか言わぬぞ。玉嶺(たまね)。それがわらわの真名じゃ。覚えておけよ」

 誰にも聞こえない声で囁いた。

 真名は親しい人にしか明かすことのない名前。天狐にとって大切な物だ。

「絶対に気軽に口外してはならぬぞ。そなたは言いそうだからな」

 顔を遠ざけると、絶が顔を真っ赤にしている。

「ピッタリの綺麗な名だ」

 そう褒めると、彼女はさらに赤面し「それ以上は言うな。言えば死ぬ。わらわが」と喚いている。いちいち反応が面白い。

「素晴らしい報酬を頂いた。礼を言う」

「それから、わらわを嫁にすると言うたこと、忘れてはおらぬからな。責任取れよ」

 天晴は忘れていた。

「童のお前に、嫁など到底先の話だ」

「童ではない!」

「鏡を見て言え」

「なにを! 愚弄は許さぬ!」

 プンプンと言う擬音がピッタリな様で怒る絶に、天晴は腹を抱えて笑う。

「気高さと清廉さを兼ね備えたお前のまま、健やかに成長してくれ」

「話はそれからだ」と話を切り上げる天晴は、今度こそ百桜を連れて歩き始める。

「大きくなったら、良いのだな! 今に見ておれよ」

 絶の大声を背中で受けた天晴は、振り返ることなく手を挙げて返した。

 彼女らの温かな視線に見送られ、天晴は篁藩から岐路に付いた。


(おわり)

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天影無明 斑臥竜と天狐の姫 檻墓戊辰 @orihaka-mogura

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