第五幕:修羅の剣④
三
「馬鹿な!」
沈黙を破ったのは千冥だった。顔から色を落とし狼狽える。
天守前の広場にもサムライはいるが、もはや敵意は感じられない。戸惑うような視線で、様子を窺っている。
「狂四郎に勝てる者など……おぬしのせいで、計画が狂った!」
千冥は取り乱し、怒り狂って、喚きたてる。
「おぬし一人のせいで。だが、まだじゃ。まだ玉霊がある。いくらでも軌道修正ができるわい」
「安心しろ。お前もここでキチリと斬ってやる。それで終いだ」
「ほざけ、小僧が!」
目を見開く千冥の顔は青白く、息も荒い。かなり疲労し、具合が悪そうだ。雨が降っていなければ、大粒の汗を掻いているのが見えたかもしれない。
「この退屈な世を五十年耐えたのだ。幕府を滅ぼし、混沌の世に戻すことこそが、儂ら烏夜衆の役目」
「物騒な役目だ。世界を滅ぼしたいのか?」
「滅ぼすのは幕府だけ。大金を支払ってでも戦乱の世を望む者は、この世界にはいくらでもおるのじゃ」
「酔狂だな。だが、此度は諦めることだ」
「そうはいかぬ。これ以上の邪魔だて赦さぬ!」
「怖い怖い。それで、どうするよ?」
茶化すような口ぶりで問う天晴に、千冥はニヤリと卑しく笑う。
「万死よ。万死……こやつは八つ裂きじゃ」
フェッフェッフェと声を漏らし笑う千冥を訝しんでいると、迫る気配に反射的に飛び退いた。
先ほどまで自分のいた場所から炎が噴きあがり、その周囲含めて業火が舐める。
「天晴よ。わらわも、その爺様の言う破滅とやらには興味があるのじゃ」
殺生石の力の解放と千冥の心操術で、絶は自らの欲望を抑えなれないのだろう。
「絶よ。そんな場所にいたら危ないぞ。降りてこい」
「わらわに命令するでない。しかし……どうやら、そなたを殺さねばならぬようじゃ。悲しきことじゃが、楽しみでもあるのぉ」
美しく笑うその顔に、天晴は腹の底から震えた。絶の放つ気迫は暴力的で、大妖の玉櫛以上の強さを感じたからだ。
「早く降りて来い。でないと、ゲンコツだぞ」
そう言うと天晴は無明の鞘の栗型を外して下緒を掴み、それを左手首に結んだ。
「わらわと戦うのか? 嫁に貰いに来たのであろう?」
「これほどおっかないと、先の言を撤回したくなるな」
「武士に二言はないのではなかったかのぉ?」
「揚げ足を取るな」
いつもの様な会話だが、絶は指を絡ませ、窓を作る。
攻撃が来る。火産霊だ。
雨で威力が落ちると言っても、食らえばタダでは済まない。
天晴は弾かれた様に走る。それは千冥に目掛けて。術の使用でまともに動けない千冥は、天晴の接近に気付くも対応できない。
絶は火産霊の発動を止め、屋根から飛び降り、風のような滑らかな動きで天晴の前へと躍り出る。
「そなたの相手は、わらわじゃろうが!」
鋭い爪が旋風となって宙を舞う。見えない刃が、雨粒を弾きながら飛んだ。天晴は無明の鞘を振り回してそれを薙ぎ払う。
「こんなことをしても無意味だ」
「無意味? 無意味なのは、わらわのこれまでじゃ!」
絶の動きは素早く、かつ先を読みにくい。重力や抵抗を感じさせない自由な動きは、天晴ですら反応するのがやっとだった。繰り出される攻撃はどれも重く、鋭く、速い。鞘で受ける度に、その衝撃だけで腕の骨が折れてしまいそうだった。
「そなたに分かるか! 人間からは疎まれ、妖狐からは避けられてきた。自らの居場所を守るために、必死で耐えてきた。それなのに!」
強烈な蹴りが鞘ごと天晴の胴にめり込む。何とか踏み止まるも、息が詰まる。
「何が高潔だ、何が誉れだ。そんなものはクソじゃ。正直者が馬鹿を見る世界なら、壊れてしまえ!」
操られていても、絶の口から出る激情はこれまで積もりに積もった彼女の本心だ。
「大層なことほざきながら、みな自分勝手じゃ。叔父は私欲のために血縁を殺し、母はわらわを食らおうとした。守ってくれていた律には殺されかけた……そなただって、圷砦でわらわを見捨てて去ったであろうが!」
「あれは……いや、すまん。判断ミスだった」
言い訳をしようと思ったが、何を言っても無駄だろう。
攻撃をいなし続ける天晴に、絶が鼻を鳴らす。
「どうした、天晴? 剣を抜くがよいぞ」
天晴は無明を鞘に収めたまま戦っている。その指摘に、ため息交じりに答える。
「阿呆、童に本気が出せるか」
「ならば、そのまま死ぬか」
宙を舞う絶の指が窓を作る。
『火産霊』
避ける暇もない。即座に天晴は外套を翻すと死角を作り。そのまま全力で避難する。外套を焼いた業火は瞬く間に一帯を蹂躙し、彼の背中を舐めていく。灼熱の熱さと激痛でくぐもった声が漏れる。これだけで済んだのは幸運だ。
「どれほど使おうとも妖気が溢れてくる。なんと清々しいことよ!」
恍惚の表情を浮かべる絶は、再度窓を作るが、術を放つ前に天晴が距離と詰める。掴みかかるが、それはうまく躱され、同時に蹴りが彼の胴を薙いだ。
ギリギリ鞘で受けたが、それでも引き千切られるかと思う威力で、彼の巨体は勢いよく吹き飛ぶ。地面に数度跳ねてから壁に激突。穴こそ開かなかったが、大きな亀裂ができた。
高笑いをする絶の追撃。そこで火産霊ではなく、接近戦で勝負を決めに来たのは、彼女の戦闘に対する幼さからだろう。
「毬のようにボコスカ蹴りやがって」
起き上がりざまに天晴の無明が振り上げられる。重量のある鉄の塊は絶の目の前スレスレを通り過ぎた。剣風で彼女の髪が巻き上がる。
危険を感じて表情を強張らせると、彼女はふわりと屋根へと舞い上がって避難した。それを天晴も追う。壁を蹴り、手を伸ばし、何とか屋根へとよじ登る。
「はしゃぎすぎだ。このお転婆娘め」
「そなたは、いつだってわらわを子ども扱いしおる!」
屋根の上では真っすぐにしか攻められない。それは分かっていても、絶の接近は反応できるものではない。何とか彼女の突き出す手刀を躱し、身を捻り、立ち位置を入れ替える。それを何度か繰り返すと。
「動くでない」
苛立った絶が天晴を掴もうと手を出した。彼はその右手を左手で掴まえる。指を交錯させ握り合う形だ。
絶がギョッと目を剥く隙に、天晴は手首に結んだ下緒の端を絶の右手首にも巻きつけ結ぶ。
「何のマネじゃ?」
「ようやく捕まえた」
天晴は満足げに笑うが、絶はそれに鼻を鳴らす。
「たわけたことを。ついに狂ったか。そなたの手など、少し力を入れれば簡単に潰せるのだ」
そう言うと、彼女の手が万力のように締められ、爪が肉に突き刺さる。天晴の左手は圧力で白くなり、骨が軋み、血が流れる。が、潰れない。
「あれ?」
違和感に気付いた絶が戸惑ったような声を出した。右手に力が入らない。
「力が入らぬぞ……、この紐か?」
「退魔の紐だ。妖の力を封じる」
「小癪なマネを。じゃが、それが何だというのだ」
右手を封じられても、他の部分が残っている。そう思っていると、天晴は絶の首に腕を回して組み付いた。後ろから抱きつかれるような形に、絶は驚くもすぐに我に返り、引き離す。そして腕ごと天晴を振り回し、何度も屋根へと叩きつけた。
それでも彼は握った手を放さない。
致命傷になりえる攻撃は鞘で防ぐ。勝ち目などないのに、粘る理由が分からない。
「し、しつこいぞ……!」
息を切らせて絶が叫ぶ。彼女も自分の変化に気付く。
息が切れている……。
確かに動き回ってはいるが、この肉体で息が切れることなどありえない。
「わらわの中の妖気が……」
「底を突きかけてるんだ」
天晴が言葉を引き継ぐ。と同時に、圧されていた左手を握り返すと、力が拮抗する。
「バカな! 何をしたのだ?」
「よおく自分の身を見てみろ」
そう言われて初めて気が付いた。首からぶら下がる麻袋。
「これは……」
天晴に用心棒の謝礼だと渡した物だ。ここあるはずがない。
「やっぱり凄いな。お前」
天晴が感心する先には、震えて今にも失神しそうな錬の姿。
動きを封じた時に、彼女が首に掛けたのだ。そのために、ずっと気配を消していた。
状況が理解できないと混乱する絶を強引に引き寄せ、そのまま柄頭で彼女のみぞおちを突いた。一瞬、苦しそうな声を出すが、絶はそのまま気を失う。
ドカッと屋根に腰を下ろし、気を失った絶を膝の上で寝かせた。彼女の体は見る見る萎み、元の幼い姿へと戻っていく。加えて体に刻まれた呪印も消えていった。
「母の愛とは、偉大なもんだ」
呑気にぼやいていると、下から鋭い悲鳴のような声が。
視線を落とせば、わなわなと震える千冥がいた。
「これは、これは一体、どういうこと」
「さて、残るはお前らだけか……」
鋭い眼光に、千冥と秀嗣は小さく悲鳴を上げて後ずさった。
「き、斬れ。こやつを斬れぇ!」
秀嗣は喚き散らすが、従うサムライは誰一人いない。
気が付けば雨も止み、青空も雲の切れ間から覗いていた。
広場へつながる坂下から、大きなざわめきが起こる。
それは次第に坂を上がり、ついに姿を現す。
戦鎧を身に付けた武装した集団だった。
その先頭には戦馬に跨る二人の若いサムライ。
「久方ぶりに帰ってみれば、何たることか!」
馬上からの喝は周囲に殷々と響き渡る。
「正代」
秀嗣が喉を潰されたような声で言った。
サムライ達も口々に「正代様」と呟くと、武器を捨ててその場で平伏する。
その若きサムライが、正嗣の息子の正代だった。
「なぜ、ここへ。いや、生きておったのか」
「危うく妙な刺客に殺されるところでしたよ。しかし、こちらの方に助けられた」
そう言うのは、一層豪華な鎧に身を包んだサムライで、彼は屋根に座る天晴を見つけると嬉しそうに屈託のない笑みを浮かべて手を振ってくる。
「兄様! 全然扇喜へいらっしゃらないので、心配していたのですよ。ずいぶんと、遠回りをされていたようで」
「伎雲坊。先の役ではかなり、武功を上げたようだな。おめでとう」
天晴も軽く手をあげて返した。
この若者こそが、天下に名を轟かせる王来王家伎雲百桜だ。
「よく、分かったな」
「姉上が伝言蟲なる気色の悪いものを寄こしたのです。それで兄様とこの篁が危機と知り、ここにおられる五百旗正代殿と共に馳せ参じたわけでございます」
紹介された正代は「馬上にて失礼」と添えてから、天晴に頭を下げる。
「此度は、我が家のお見苦しい所をお見せしました。心よりのお詫び、と同時に、感謝申し上げます」
もう一度、深く頭を下げた。
「ふざけるな。騙されてはならぬ。こうなるように正代が計ったに違いない」
秀嗣は喚きながら、刀を抜いた。
「王来王家の者と結託したな。そうでなければ、このようなことが起こるわけがない!」
「見苦しいぞ。叔父上。これ以上、五百旗の名に泥を塗るな」
正代の言葉も届くことはない。逆上した秀嗣は刀を振り回しながらも、逃げようとした。
その先を塞ぐように、天晴が屋根から降りて立ちはだかる。
「この期に及んでまだ足掻くか。お前のような輩を見ると虫唾が走る」
「兄様、なりませぬ!」
百桜の制止を無視し、天晴は無明の鞘を掴み引き抜く。しかし、それが振られるよりも早く正代が踏み込み、秀嗣を一刀のもとに伏した。
「これは五百旗家の問題故、これにて手討ちといたす!」
正代は高らかに宣言した。
そして「さて」と視線は千冥へと向けられる。
彼はジリジリと逃げようと後ずさるも、叶わぬと知り、両手を掲げる。それは自害のためか、何らかの呪術かは分からないが、降参の意味ではないことだけは確かだった。
馬上より百桜が、佩いた太刀を抜いて振り抜く。すると、それは刃風となって、その両手が何かをするよりも早く切り捨てた。
失った腕から血が噴き出し、悲鳴を上げながら、千冥は転げまわる。
「下手なマネはお勧めせん。ここは篁藩につき、貴様の処遇は正代殿に任せておるだけ。本来であれば、国賊としてすぐにでも斬り捨ててやりたい。最も、聞かねばならぬことも多くありそうだが」
千冥を見下ろす百桜は、先ほど天晴に見せた顔とは異なり、一切の温かみのない氷のような面持ちであった。
こうなってしまえば、天晴にできることはない。
ふぅ、と気を抜けば魂ごと抜けそうなため息が漏れた。
屋根に目を向ければ、錬に介抱されて絶が寝息を立てている。
さらに見上げれば、雲から覗く空は抜けるように澄んでいた。
天晴は再度、大きく息を吐き出す。
こうして篁藩の騒動は、多くの犠牲を払いながらも幕を閉じた。
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