第五幕:修羅の剣③
ざわつく周囲の中で、秀嗣も天晴の名前を口の中で転がし、記憶を引っ張り出す。
「嫡男? 影月……斑霧の竜童……斑臥竜か?」
「おお、よく知ってるな」
天晴は笑いながら感心する。
斑霧藩に才児が二人。竜童と麒麟児と呼ばれた兄弟がいた。しかし、弟の百桜は、全国を旅し、数多の偉業を成し遂げ、今や天下に名を轟かす大剣豪。一方で、兄の影月は未だ大成せず。何をするでもなく日がな一日過ごす始末。斑霧の竜は伏したまま動かぬ凡龍、『斑臥竜』だと藩の人々は陰で天晴をそう呼ぶ。
「その呼び名も悪くは無いが、今はもっと気に入った名がある……丁度良い。これだけの者達の前、大見得を切らせていただく!」
そう言うと天晴は手を広げ、高らかに声を張り上げる。
「遠き者は音に聞け、近く寄りてその目に見よ! 我こそは『天影無明』の天晴なり。これより俺の前に立つ者は全て叩き斬る。その覚悟を持って挑んでこい!」
その気迫に多くのサムライが気圧された。
しかし、進み出る者もいる。もちろん狂四郎だ。
続きをしようと攻め込んでくる。
絶はと言うと、「わらわを嫁になど、百年早いのじゃ。奪いに来るがよい」などと言いながら、高みの見物である。
天晴は狂四郎から距離と取り、回り込み、時には近くのサムライの陰に隠れるが、彼はすぐに追いついてくる。
その神速の刃は恐ろしく正確に首を狙っており、他への攻撃も鋭い。刃が痛むからとは言っていられず、天晴も無明の鞘だけでなく刀でも受け止めざるえない。
天晴の周囲では刃や鞘を打ち合った無数の火花が飛び散っている。そして、その周囲はまるで剣風による竜巻。安易に近づけば、巻き込まれて切断されるだろう。
「凄いな。楽しいな。王来王家。ここまで全力を出したのは初めてだ。俺の剣技を受けてまだ死んでいない奴などいなかった!」
「剣技? お前のはただ力任せに刀を振るってるだけだろうが!」
天晴は狂四郎の刀に刃を重ねるようにして打ち落とすと、峰に滑らせながら斬り上げる。その切っ先は顎を捉えるが、踏み込みが浅く力が入ってなかったせいか、彼を守る剛磊が砕けたのみ。それでも、狂四郎は目を見開いで驚いている。
「いいな。カッコいいな」
一拍の間も置かず攻めてくる狂四郎に、天晴はジワリと冷たい物を感じる。彼は亜人の特殊能力で身体能力が底上げしているだけではない。自負するだけの天賦の才を持ち合わせている。
天晴の縦横無尽な足捌きにも即座に対応。二寸五分のズレをすぐさま修正してくる。天晴の攻撃も剛磊などによって弾かれることもあるが、それ以上に同じ攻撃が通らない。
戦い続ける程に、倒しにくくなっている。
天晴は身を切り返し、狂四郎の胸に鋭い突きを放つ。完璧なタイミングだったが、狂四郎の刀が重なるように軌道をずらされ、そのまま峰に沿って斬り上げられた。
深くはないが天晴の頬に縦の裂傷。鮮血は飛ぶ。同時に彼の体の中に、不気味で奇妙な寒気が生じてきた。
「やっと一撃か」
狂四郎はニヤリと笑う。彼の大刀・邪霊刀が天晴の傷口から精気を啜ったのだ。一瞬動きが鈍ったことで、さらに一撃が天晴の胸を撫でる。
これも皮一枚斬られただけだが、血が滴り落ち、同時に己の中身が引き摺りだされるような感覚に陥る。
まだ耐えられるが、意識が混濁し、目が回る。
気が付けば、狂四郎の刃が首筋を掠めている。刀が近づいているのではない。自分の首が刀に近づいている。
これ以上、戦いが長引けば、負ける。
天晴は「カッ!」と己が中の邪念を振り払うと、鞘を腰に差して刀を両手で構えた。
様子が変わった天晴を見て、狂四郎も攻めの手を止める。
「何のつもりだ?」
「片手では、お前を剛磊ごと斬るのは難しそうだからな」
「斬る?」
「ああ、次でお前の首を取る」
片笑む天晴はハッタリを言っているようには見えない。だが、圧しているのは間違いなく狂四郎だ。おかしいと高笑いをした。
「俺は天下無双の漢。速度も、腕力も、全て俺の方が圧倒的だぞ?」
「ああ、だがお前が次動いた時が最期だ。お前よりも先に、俺の刃が首を落とす」
その言葉に、狂四郎の笑みは濁り、不快感を露にする。能力が格下の相手のはずなのに、そいつは余裕の笑みを消すことがない。
「俺よりも速く斬れる、と?」
「真剣の勝負で、圧倒的な速度は要らん。相手よりもほんの少し速ければいい」
不敵に笑い刀身を後ろへ向ける脇構えを取る。
「ほんの少しだろうが、俺よりも速くは動けんだろうが」
「それは、やってみなければ分からん」
その自信がどこから来るのか分からないと、狂四郎の顔には書いてある。構えたまま動かない天晴は、狂四郎が動くのを待っていた。誘っている。
ポツリポツリと雨が降ってくる。
それは次第に強くなり、雨粒が刃を打ち、濡らす。
「天下無双なんだろ? 俺より速く俺の首を取る自信が、ないか?」
「ほざけ。今の俺なら百桜にも勝てる。お前の自信、どれほどの物かは知らんが、斬られたことも気付かぬ間に、その首を高らかと飛ばしてやる」
凶悪な笑みをして同じく脇構えを取る。
しばらくの静寂。雨音が打つ音のみが聞こえてきた。
周りにいるサムライも、もはや手出しをする気など毛頭なく、ただただ化け物二人の決着を固唾を飲んで見ていた。
王来王家天晴影月。偉大な父と英雄の弟に挟まれた不出来な兄と認識されるが、王来王家で剣を収めた一部の高弟からの評価は異なる。曰く、剣技を競う場においては月並み。されど一度、命をかけた戦に出れば、まさに悪鬼羅刹も恐れる修羅の剣に化ける、と。
息が詰まりそうなほど睨み合う二人の間を、雷鳴が轟いた。
動くのは狂四郎。
最も彼の踏み込みを捉えられた者は天晴以外にいなかった。半瞬遅れて彼も前は出る。
ほぼ同時に見えるが、確実に狂四郎の方が速い。間合いに入り、振り抜かれる邪霊刀の凶刃が真っ直ぐ天晴の首へと吸い込まれる。対する天晴の刃はまだまだ遠い。
勝ちを確信すると同時に、邪霊刀が天晴の首を薙いだ。鮮血を噴き上げ、高らかと宙へ舞う頭を見た。刹那のうちに交差する二人の影。
「やはりハッタリで……」
頭を失い崩れ落ちるだろう身体を確認すべく、振り返った狂四郎の言葉が止まる。
彼の目には、無明をゆっくりと鞘に収める天晴がいた。もちろん、頭は胴に付いている。
「『死鏡(しかがみ)』」
天晴は振り返り狂四郎を見る。
その目の前で、彼の首が傾くと皮一枚を残してぶら下がる。そして、頭の自重でその皮も切れ、地面に落ちる。数瞬遅れて、胴体も膝から崩れた。
流れ出る大量の血は雨と混ざりながら、地面に広がっていく。
何が起きたのかを理解できる者はいなかった。
あらゆる面で相手に劣っている場合、どのようにして勝てばよいか。それは、相手の隙を突くしかない。ならば、戦いのさなかで、気を抜く時、隙が生まれるのは……。
それは、相手を倒したと確信した瞬間である。死力を尽くし、敵を斬り伏せる。その勝利の美味が、極限までに張り詰めた緊張の糸を切る。いかに達人であろうと、完全にその緩みを消すことなどできない。
それは狂四郎もそうだった。
間違いなく彼の方が先に刀を振っていた。タイミング的には先に刃が天晴に届くはずだった。しかし、彼は間合いを見誤った。否、見誤さえた。彼の切っ先はギリギリ天晴の首には届かなかった。
天晴の究極の見極めと、崩歩によって僅かに狂う間合いの距離が成し得る、まさに『一分の妙技』と言える。間合い、タイミング、全てにおいて相手を斬ったと錯覚した者の脳は、時に見たいものを見せる。その結果、自分が切り伏せたはずの相手の後の先の剣によって命を落とす。
まるで相手に放った死が、鏡のように己に返ってきたかのよう。
ただ、この技は天晴にとっても危険を伴う。捨て身の戦法に近い。成功すれば必殺だが、一歩間違えば凶刃をまともに受ける形となる。
天晴は微かに痙攣する狂四郎の体をしばらく見下ろしてから、深呼吸した。
静まり返った周囲には、もう天晴へ挑もうとする者はいなかった。
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