第三幕:白面の亡霊①

第三幕:白面の亡霊


    一


 絶が幼い頃、義兄弟三人と行動を共にすることが多かった。

 叔父の住む圷砦にも何度も行ったことがある。城へと続く坂は綺麗な所で、春は花、夏は新緑、秋は紅葉、冬に雪も良いものだった。

 兄弟で歩く時は、いつも正尚と泰虎が先を歩き、正代は幼い絶の手を引きながら少し遅れて歩く。先の二人も絶を気遣うように、足を止めては振り向いていた。

 優しい兄達だが、泰虎だけは少し苦手だった。

 彼の睨むような怖い目付きや、つっけんどんな物言いは冷たさを感じた。

 父親の正嗣は、子供達に優劣を付けず可愛がったが、それでも嫡子と私生児の差を感じることは多くある。それは正嗣のいない時の周囲の対応を見ても分かる。

 特に叔父の秀嗣は厳格な人物で、五百旗の名を継ぐ兄二人と、泰虎や絶を分けて扱った。それは、いかに兄弟であっても、成長すれば主従の関係になるからである。

 圷砦へ行った時は、もてなしを受ける二人を何度も遠目から眺めたものだ。

 まだ幼かった絶には、区別される理由が分からなかったが、隣の泰虎の目には羨望が混ざっていた。一方で『五百旗の名は継げずとも、篁イチと言われるほどの立派なサムライとなり、五百旗を守る剣となろう』と剣技に励む姿も見たことがある。

 泰虎の中に忠義と羨望があることは気付いていた。

 近づきがたく、親しくはない絶だったが、同じような扱いを受けることの多い泰虎には、勝手ながら親近感を抱いている。

 もちろん本人に言ったことはない。

 そんなことを言っても『半妖のお前と同じにするな』と冷たくあしらわれるだけだから。


 正嗣と玉櫛の関係もあり、篁では妖狐をはじめ亜人に対する偏見は少なくなっている。しかし、差別は無くなることなく、根強く残る。

 藩の中には玉櫛を快く思っていない者も少なからずいた。その敵意にも似た負の感情が、絶に向くことも。

 ある時、城からこっそり抜け出したことがあった。

 自由に城下町を走り回った絶だが、その外見は目立ちすぎた。

 容姿が端麗な亜人は高く売れる。人さらいに狙われ、幼い絶はろくに抵抗もできないまま連れて行かれそうになった。

 武器を持つ幾人もの悪漢に囲まれ、その卑下た視線に身を強張らせ、動くことも、声を上げることもできない。ただ恐怖に震え、目から涙が溢れてくる。

『下郎どもが!』

 そう勇んで悪漢どもに飛び掛かったのは、絶を探していた泰虎であった。

 騒ぎに気付いた警邏(けいら)が素早く駆け付けたおかげで、悪漢どもは捕えられ、絶も泰虎も助かった。ちなみにこの一件で、絶は天狐の郷で暮らすこととなる。

 帰り道、絶はおいおいと泣きながらも、隣の泰虎に感謝を述べる。

『俺はサムライだからな。誉れを重んじただけのことだ。別にお前を助けたくて、助けたわけじゃない。お前のような半妖は、見捨てたって良かったんだ』

 泰虎は鼻を鳴らしぶっきらぼう吐き捨てるが、その手は未だに小刻みに震えていた。

 まだ子供の泰虎が武器を持った大人に向かっていき怖くないわけがない。懸命に己を奮い立たせて、死ぬかもしれないという恐怖と戦い絶を助けた。

 それに彼は、いち早く絶が城下へと抜け出したことに気付き、街中を探し回っている。

 泰虎が、不器用な優しさを持っていることを、絶は知っている……知っていたはずだった。


☆   ★   ☆


 定期的な振動を感じながら、絶は微睡みから目を覚ました。

 ここは簡易的な屋根の付いた荷馬車の中だ。

 双木を出てしばらく。道中で進行方向が同じ行商と交渉し、荷車の一つに乗せてもらうことにした。荷車を引く馬の蹄が軽快な音を立てて聞こえてくる。

 馬と言っても足が長く速く走る種類ではなく、足が短く、寸胴で、動きもゆっくりな代わりに悪路でも乗り越えられる馬力を持つ品種だ。

「よく寝てたな」

 頭上からの声に、未だ頭に霞がかかっていた絶は顔を上げる。

 無明を抱えながら座る天晴がいた。

 どうやら、彼の膝を枕に寝ていたらしい。

 自分の醜態を自覚し、絶は跳ね起きた。

「眠ってなどおらぬ!」

「嘘を付くな。グースカ寝てたぞ」

「寝ておらぬ! ちょっと休憩しておっただけじゃ」

「ほら、見てみろ。お前が寝ている時に垂らした涎の跡だ」

 天晴が指さす所、先ほどまで絶の頭があった着物の裾が濡れて染みになっていた。

「あ、阿呆! わしは涎など垂らさぬ。これは涎ではない……あー、汗じゃ」

「口の横。涎が渇いて筋になってるぞ」

 指摘され、顔を真っ赤にしながら絶は顔を擦りながらも、それでも「涎ではない」と主張している。

「律よ! そなたからも何か言ったやれ」

 天晴とはやや距離を置いて座る律に助けを求める。

「天晴殿。涎でも汗でも、どちらでも変わらんだろう」

「よし、律。黙れ。それ以上は、わしの心が持たぬ」

 思ったような援護ではなく、絶はガックリと肩を落とす。

 一方、律は釈然としない顔だ。

 双木で青幻との戦闘時に現れた律は、あのまま旅に同行することになった。彼は『護拳』と呼ばれる天狐族を守護する役職の一人で、玉櫛の命を受けて圷砦へ使者として向かった。無事、協力を取り付けて郷へ戻ったが、時すでに遅し。郷は襲撃にあった後で、何とか絶が逃げたとの情報を掴むと、合流するために奔走した。そして、双木で追い付くことができたとか。

「それより、本当にこのまま旅を続けて良いのか?」

 絶は話題を変えると、天晴は鼻を鳴らす。

「なんだ、信用してないのか? 圷砦まではしかと送り届ける」

「しかし……」

 絶は口ごもる。皇羽から圷峠までの同行を認められたことは聞いている。その代わり、天晴が武家の者と言うのは内緒にすること。そして、絶達も天晴の家名を詮索しないことが条件だ。

「そういう約束だろ? 武士に二言はない」

 胸を張る天晴の言は、絶にとって安心する反面、やはり気が気ではない。もしもバレれば、天晴は家に泥を塗ることになる。責任を取らされ絶縁、最悪の場合はお家がお取り潰しになるかもしれない。

『そん時は、お前に雇われるかな』などと笑って返すが、絶にとっては全く笑えない。

 とは言え、天晴が一緒にいてくれることは嬉しい。律も加わり、一層安心できる。だからこそ気が緩み、先ほどのような居眠りをしてしまったに違いない。

 絶はそれ以上、何を言うこともなく、律へと意識を向ける。

「母上や連れて行かれた郷の者達は無事であろうか?」

「……少し調べたところによれば、卯ケ山城(うがやまじょう)で監禁されているようです」

 卯ケ山城とは代々の篁藩主が住む居城で、今は泰虎が拠点としている。

「怪我などしておらねばいいが……。しかし、どうして天狐族を捕らえるのだ?」

 絶の問いに、律はしばし口ごもり、考えをまとめてから答えた。

「雪様は我らの長であり、この藩にも多大な影響を与えることのできるお方。人質としては十分に役目を果たすでしょう。天狐族については、雪様や絶様への揺さぶりとしてではないかと。連中の狙いは、あくまでも天狐の秘宝です」

 律の口から出る『雪』は、玉櫛の君の名前の一つであり、妖狐にとって仮名に当たる。

 玉櫛とは真名であり、大々的に名乗るものではない。本来は、儀礼の際に使用したり、大切な者にのみ打ち明かすものだ。その真名を、玉櫛は正嗣からの求愛を受け、郷を離れる時から使い始めた。これは、自身が天狐(亜人)と人間の繋ぐ重要な役目を担うという彼女なりの決意の表れだったのだろう。

 ちなみに律や絶にも真名があるらしいが、教えてはくれなかった。それだけ大事な物らしい。

「殺生石……か。こんな物のためにどれだけの命が失われたのか」

 吐き捨てながらも、絶は懐の包みを守るように腕を組む。

「これは一体、どういった物なのだ? 古くから天狐族が祈り鎮め、守り続けているとしか、わしは知らぬ」

 律は天晴を一瞥し、少しためらったものの、諦めたように小さくため息を吐いて説明する。

 妖狐は古来、地上において絶大な力を誇っていた『金毛九尾』と呼ばれる大妖の欠片から産み落とされた亜人だとされている。だからこそ、高い妖力を有し、扱いにも長ける。とは言え、その特長は女系に強く受け継がれる傾向があり、部族の長は代々女性が務めている。

 妖から生まれたが完全な眷属と言うわけではない。世界に害をなす九尾を退治すべく、妖狐は人間や他の亜人と手を組んだ。そして多くの犠牲を払いながらも討伐に成功する。その時に膨大な妖力が凝縮された核の岩が現れた。

 それが『殺生岩(せっしょういわ)』。

 近づくだけでも、放たれる妖気の影響を受けてしまうほどに強力な物であったため、妖狐族は悪用されぬよう、その岩を砕き、欠片を各部族で管理、守護するようになる。その部族の一つが天狐族なのだそうだ。

「殺生石は持った者に絶大な力を与えます。その気になれば、国家転覆を図れるほどに。だからこそそれは、何としてでも守り切らなければいけません。雪様や天狐の者達が、命を賭してでも、絶様に託して逃がしたのです」

 重たい沈黙が曲がれる。さすがの天晴も気軽に口を開ける内容ではない。と言うよりも、彼が思っていた以上に危険な物を絶が持っており、敵が狙っている。かなり事態は深刻だ。

 誰も口を開かずしばらく揺られていると、荷車が止まる。

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