シンギュラリティ

シンギュラリティ(singularity)……人工知能が人類を超える技術的特異点。



「お、やってるな、生配信」

 所長補佐の今枝が部屋に入って来た。

「はい、差し入れ」

 缶コーヒーが数本入った袋を手渡される。

「ありがとうございます」

 モニターの見過ぎでチカチカする眼をこすりながら、仁岡は立ち上がって袋を受け取った。

 三人ほどいるチームのメンバーに、それを配って回る。あちこちから缶を開ける音が聞こえた。

「話題になってるじゃないか、『AI怪談』。視聴数もうなぎ上り、ネットニュースにも取り上げられて、所長も評価してたぞ」

 仁岡たちは人工知能に関する研究部署に所属しており、そこでは所員たちがチームを組んで様々なプロジェクトを進めている。

 仁岡が中心となるこのプロジェクトは「AI怪談」と呼ばれる。全国津々浦々に伝わる都市伝説や実話怪談、ネット怪談と、怖い話をひたすら学習させたAIを使い、新しい怪談を語らせようという試みである。今まさに、最新の生配信を実行しているところだ。

「なかなか難しいですね。まだまだ『どこかで聞いた感』が拭えません」

「それも含めて、人気なんだろう?」

「そうなのかもしれませんが」

 今枝も興味深そうにモニターを覗き込む。3DCGで描かれたキャラクターが、合成された音声で怪談「天井の下」を語っている。

「ん、あれ? 今回は語り手が一人ではないのか」

 今枝の疑問に、仁岡は待っていましたとばかりに口角を吊り上げた。

「今回は初の試みとして、三人のAIを登場させています」

「それで何か変わるのか?」

「正直なところ、AIの生成する怪談には新奇性が乏しく、頭打ちです。そこで、今回はAI同士での相互作用から新奇な発想が出てこないかを検証しているんです」

『旦那さんが守ってくれたんだね』と、語り手のAIに対して別のAIがコメントしている。

『俺、こういうの聞くといつも思っちゃうんだけど――』

「すごいな。ちゃんと対話になっている」

 そう言う今枝に、仁岡は首を振ってみせた。

「試行のときもそうでしたが、やり取りの内容が浅いんです。正直、ここからの発展可能性はこれ以上見込めないかと」

「理想が高いな」

「当然です。僕らはこの『AI怪談』で、シンギュラリティを目指しているので」

 チームメンバーの残り三人も、大きく頷いている。

「シンギュラリティねえ」

「人間では考えつかない恐怖を、AIなら創造できると思うんです」



モニター内では、二体目のAIが怪談「幽霊トンネル」を披露し終えたところだ。

『これって、いるはずのないC美が現れたってことなのかな。それとも、いたはずのC美が消えちゃったのかな』

 恒例のように、感想戦が始まっている。

「やはり浅いですね。それに、会話のターン数も少ない」

 仁岡が頭を掻いてみせる。

 今枝は「そうかね」と言いながら、

「AI同士でもキャラクターのすみ分けがあるんだなあ。俺はもっと、似たり寄ったりになると思ったんだが」

「今回は、AIに『人格』的なものを設定してみたんです。と言ってもシンプルに、過去のイベントとそこから考えられる行動の傾向をランダムにプロットしただけで――別プロジェクトの成果を借りてきました」

「ああ、深山たちの研究だな。それで、イベントってことは、経験を設定するってことか?」

「そうです。あるキャラは身体が弱くて入院生活が長かった。別のキャラは幼い頃に親を亡くしている」

「なるほど」

「そうすることで、キャラクターが差別化されて対話にも深みが出ると思ったんですが――見ての通りですね」

 言いながら、仁岡は苦笑いを浮かべる。それから、配信画面とは別のモニターを指し示した。

 そこには四角い図形が一つ描かれ、その中に三つの点が浮かんでいる。

「ここが、この三体が居る仮想空間です。箱を一つ作って、三体を放り込み、語り合わせている。次の一手としては、この仮想空間そのものに何らかの工夫をしてみるのがよいかもしれません」

 そんな話をしている間に、配信では三つ目の怪談「ワンピースの女の子」が終わっていた。

 仁岡は視聴数が過去最高であることを確かめ、「まあ、こんなもんか」と鼻を鳴らす。

「よし、みんな、お疲れ様」

 チームメンバーにそう伝えたところで、一人から「待ってください」と声が掛かった。

「どうした?」

「まだ続いてるっぽいです」

 モニターの中では、三体が向かい合っている。

『それで聞きたいんだけど、二人は誰から話を聞いたの?』



「新しい相互反応だっ」

 仁岡が叫ぶ。そのまま、メンバーの一人を指さす。

「至急、深山さんを呼んで来い。涙流して喜ぶぞ」

 指名された一人は、脱兎のごとく駆け出していく。

『実はあの話、母さんから聞いたんだ』

『お母さんから?』

『うん。だから、息子っていうのは、赤ん坊の頃の僕。死んだのは僕の父』

 沈黙。

「すごい……」

 仁岡は立ち尽くしている。

「自分のイベント設定を利用して、怪談と結び付けたんだ」

 今枝らも固唾をのんで見守っている。

『俺の話は、B太本人から聞いた。ちなみに、助手席で寝ていたD郎ってのは、俺のこと』

 沈黙。

 AIたちが順番に、怪談に登場した人物が自分であると種明かしを始める。

「怪談が広がっている」

 メンバー全員が、感嘆を隠せない。

『やっぱりそうか。実は僕もそう。ワンピースの女の子に顔を覗き込まれていた入院患者の一人が、実は僕』

『ってことは――』

『三人とも、怪奇とかかわったことがあるってことだね』

 沈黙。

 仁岡が短く息を吐いた。

「共通項を見つけた。いや、創り出した」

 今枝が、「それの何がどうすごいんだ?」と水を差す。

「すごいなんてもんじゃない。シンギュラリティの歴史的第一歩――ですかね」

 そのとき、モニターから声がした。しかし、誰もそれを聞いていなかった。

『だから選ばれちゃったのかなあ』



「主任、これを見てください」

 メンバーに呼ばれ、仁岡はモニターに寄る。

 四角い図形が一つ。そして、その中に三つの点。

 仮想空間とAIたちを図式化したプログラムだ。

「なんだ、これ」

 四角い仮想空間の周りを、ぐるぐると回っている点がある。

 当然、仁岡たちが設定したものではない。

 せっかく、自分たちの研究が目覚ましい成果を上げようとしているのだ。おかしなことで水を差されてはたまらない。

「動きは一定か?」

「いえ、逆向きに動いたり、速さを変えたり、まちまちです」

 ふむ、と仁岡は顎に手をやる。

「バグだろうか。それとも、ウイルスの類か。いずれにしても、今回の仮想空間はかなり厳重にプログラムしてある。侵入は不可能だ。悪いが、サーバールームに行って、サーバー本体の処理速度と、ウイルス対策の動作を確認してくれないか?」

 一も二もなく、メンバーの二人が頷いて部屋を飛び出していく。

 そこで、仁岡はあることに気付いた。

 深山を呼びに行った所員が帰ってこない。

「さっきのやつ、いやに遅いな」

 今枝もそう言い始める。

 仁岡は努めて冷静に切り返す。

「たぶん、向こうの研究室でこの配信動画を見ているんでしょう。こちらに来るよりもすぐに確認できますから」

 よもや、本プロジェクトの成果に嫉妬した深山あたりが、ウイルスを仕込んだということはあるまい。

 AIたちの対話は止まっている。

 おそらくこれが引き際なのだろうが、先ほどまでの強烈な快進撃を経験した今では、さらに何かが起こるのではと期待してなかなか配信を切る気になれない。

 せめて、このプロジェクトに尽力してくれた仲間たちが戻ってから配信終了としたいのだが、サーバールームに行った二人はもう少しチェックに時間を要するだろうし、深山たちに声を掛けに行った一人は戻って来ない。

「そろそろ配信を切り上げたいだろう? 深山たちのところに、俺も確認に行こうか?」

 今枝がそう言ってくれる。

 所長補佐がここまで仁岡の考えを汲んでくれるのはありがたい。同時に、仮にこの状況がバグやウイルスの問題だとするならば、大事になる前に配信を切っておきたいというのが今枝の本音だろう。

「今枝さんにそこまでしていただくのは――」

 断りかけたが、今枝は飲みかけの缶コーヒーを片手にすでに部屋を出ようとしているところだった。

「いいって、いいって。同じフロアなんだし――廊下がやけに暗いな?」

「すみません、ありがとうございます」

 仁岡の言葉に、返事はなかった。

 普段の今枝なら、「いいってことよ」くらい返してきそうなきもするのだが。

「今枝さん?」

 返事はない。

 もう行ってしまったのだろうか?

 それにしても、外から音の一つもしない。

 深山たちの研究室は同じフロアの突き当りだ。ここへ来ずに向こうの部屋で配信を見ているとして、声の一つも聞こえないのはやはりおかしい。

「今枝さん?」

 ぞわ、と何かを感じた。それでも仁岡には、それが何の鳥肌なのか分からなかった。

 カラカラ、と音がする。

 出入り口に近付いてみると、缶コーヒーが転がっている。

 まだ中身が入っていたのだろう、缶の口から茶色い液体がちょろちょろと流れ出ていた。

 ――今枝の手に持っていたコーヒーだ。

 どこに行ってしまったのだろうか。

 仁岡は扉の向こうを覗き込む。

 でも、仁岡にもすでに分かっている。

 常識では考えられない何かが起ころうとしている。

 扉の向こうにあるのは、漆黒の闇だ。何も見えない。何も聞こえない。深山の研究室も、サーバールームも、存在からすべて消えてしまったかのように。

 ――あるいは、俺だけがおかしな世界へ来てしまったのか?

 仁岡の頭の中では、自分の言葉がリフレインされている。

 ――

 モニターの中のAIたちは、黙りこくっている。

 これがAIの創り出した恐怖なのだとしたら、逃げ出す術はあるのだろうか?

 非現実的な考えと知りながら、それでも仁岡はそんなことを考えてしまう。

 扉の向こうの闇は、無言で迫って来る。

 四角い仮想空間の周りを、点がぐるぐると回る。

 気付けば、仁岡は真っ暗な空間にいる。

 そして、その周囲を、ずるずると何かが這っている。

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怪談シンギュラリティ 葉島航 @hajima

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