第28話 大海を知る
第53迷宮は、新人冒険者にとっては魔界そのものだった。
螺旋状に深部へと続いていく遺構。迷宮とは旧世界の文明の跡とされるが、何千年もの時を重ねたそこはかつての地形を失い、ただ歩いているだけで気分が悪くなるような高濃度な魔力(それも深部へ足を踏み入れるほど、体を蝕んでいく)とその地に適応した魔獣の巣窟のようにしか見えなかった。
入り組んだ地形。そこら中に穴倉があり、共同体を成す小鬼が這い出てくるが、魔獣はそれだけではない。
「ぎゃああ!」
「痛い!痛い、痛いぃぃぃ‼殺してくれェ!」
目の前の魔獣を殺す。―その腕で、その牙で、その爪で。
竜人種という極めて戦闘に向いた上位種族であるレイクにとって、難易度20ほどの魔獣は歯牙にも掛けないほど弱い敵だった。
だが、同じ孤児院出身の獣亜人種たちはそうもいかなかったようだ。背後に聞こえる悲鳴。鈍器を叩きつけられて骨がひしゃげる音と断末魔が響き渡った。
「―後ろは私に任せるっす。レイクは前」
「っせえ!雑魚が指示すんな!」
猫人種の冒険者、ミアがサーベルナイフを手に背後から迫りくる魔獣の脅威に対応する。
彼女は火燕の厳しい振るいから生き残ってきた強者である。その強さは疑いようもなく、レイクと同じように魔獣に囲まれても難なくその包囲を突破してきている。
赤土の地面を更に上塗りするような真っ赤な魔獣の血が彼女の体から滴っていた。生まれ持った強さでのし上がっているレイクには到底理解できないほどの―生への執着心が彼女を狩人としている。
―なんて腐った場所だ。
レイクは心の内で吐き捨てる。
冒険者とは明日死ぬかもわからない貧民層に残された唯一の成り上がり手段だとは聞いていた。…が、あまりにもそこは地獄絵図だった。
「っち、あの蜘蛛男。どこまで行く気だ」
隊は既に混乱状態。半数は新人な為に隊が混乱というよりかは新人がついていけていなかった。
もう何人が生き残っているのかさえ不明慮。そして四方八方から襲い掛かる統率のとれた小鬼や大鬼の群れ。比較的余裕のあるレイクでさえも、戦場に転がる情報一つ一つに集中することはできない。分かってるのは仲間が死んで―敵が際限なく溢れてくること。
「―っ」
戦場において油断は死に直結する。
周囲の状況把握に没頭していたレイクは、飛び掛かってくる首が三つある犬の魔獣への対応が遅れた。
「がぁあああ!」
同時に三方向から噛みつかれる。強靭な鱗が幸いにも食い入る牙を押し留めていたが、それも束の間。鱗を牙が貫通し、直接肉を食い破らんと顎に力が篭る。
ごりごりと骨の音がする。その牙は肉を裂くのに特化しているようで、竜人の鋼のような筋肉を以てしても深部まで食い込まれてしまう。
「っクソ!クソがあ!」
初めての痛みだった。
孤児院生活では訓練でも一切、掠り傷を負うことすらなかったレイク。
種としての強さ。それだけでのし上がってこられる限界の敵。それが、目の前で荒い息を立ててレイクの一挙一動を警戒する黒い毛に覆われた魔獣だった。
「―ッ、」
死ぬかもしれない。とレイクは初めて思った。
冒険者には死が付き物だ。実際に孤児院を出て冒険者になった奴らは皆、死を強く意識していた。
生き残れるなんて鷹を括っていたのはレイクだけ。それも自らを守る固い鎧に覆われていたからだ。
それが打ち破られた今、レイクの心が剥き出しになる。
―怖い。
―怖い、怖い、怖い、怖い、怖い…!
戦場で感じた恐怖は増幅する。それがほんの些細な不安だったとしても。
…レイクは意識せず、その魔獣から後ずさっていた。
「クソ、なんでだ」
勝てる敵。本気で腕を振るえば、その魔獣は地面に叩きつけられて沈黙する。
魔獣もレイクを警戒している。初手で有利を取ったのに果敢に攻めてこないのは、今の攻防でレイクの強さを感じ取ったからだ。
「腕振り下ろしゃ一発だ!なにを臆してる!」
そうだ。戦え。本気で殺し合えば、こっちが有利。
頭が三つあろうが、固い毛と外皮に覆われていようが、奴の首や胴体なら竜人の力で容易に…
「っ」
しかしレイクは動けなかった。レイクの脳を占拠しているのは不確定要素。
僅かに…ほんの僅かにだが、負ける可能性だってある。
この腕が証拠だ。機能不全に追いやられた腕。―奴が猛毒を持っていたら、今頃とっくに死に至っていた。それにもしも遅効性の毒なら倒したとて…それに…後遺症も…
「レイク!」
後ろの小鬼を倒したミアが叫ぶ。
気づけば、奴の口腔が―目前にまで迫っていた。
◇◇◇
あれから無我夢中で戦って、気づけば生還していた。
わけもわからない俺に与えられた『獅子』の称号。―皮肉だった。
怖気づいた俺が獅子だって?バカげてる。狼を殺せりゃ獅子か?
「―くそ」
ここは帝国領スンナーの教会。大規模な旅団は宿だけでは事足りないため、こうした公共施設を借りて駐屯地としている。
レイクは教会に仮設した慰安所にて治療を受けていた。
「レイク」
白いカーテンがしゃっと開き、第四大隊に所属する―小麦色の毛をした猫人種のミアが声を掛けてきた。
彼女も隣の部屋でレイクと同じように傷の治療をしてきたらしい。赤黒ずんだ包帯を巻いていた。こちらも低位の治癒魔術だけでは治りきらなかったようだ。
「―報告っす。アンタ以外のアーズム孤児院の出は全員死にました」
「どうでもいい」
ミアに「聞かれちゃまずいっすから」と言われたレイクはミアを伴って慰安所を出る。
教会の入口、端が欠けた石の階段の一段目に腰を下ろした。
どうでもいいなんて言いつつも、少しだけ感傷的になっていたレイクは、ぼろぼろに剝げ落ちた鱗の跡を見て、あの地獄を思い出した。
そんなレイクを見かねたのか、ミアはレイクの傍らに寄り添い、慰みの言葉をかける。
「気にすることないっす。これは振るい、ここで死ぬような弱い奴らは―」
「うるせえよ…」
「一人でも生き残ってくれたのが奇跡っす。本当は新人全員、あそこで死ぬって覚悟でしたっすから」
「っ」
「レイク。アンタは期待の新人っす。私らは一生をかけても『獅子』止まり。でもレイクならきっと『勇者』に―」
「それ以上口を開くんじゃねえ!」
慰められたいわけじゃない。賞賛されたいわけじゃない。期待されたいわけじゃない。
レイクはその無様に―本来は傷すら負うことなく倒せたような敵に対して、不覚にも負ってしまった傷の痛みを噛み締める。
世界の広さに圧倒されたんじゃなくて、自分の小ささが浮き彫りになっただけだ。
「レイクの活躍はユビレア様にも伝わってるっす。…たぶんレイクは第54迷宮の攻略隊に選抜されると思うっす」
「それがどうした」
苛立たし気にレイクは聞き返す。そんなレイクに対してミアは、
「―逃げたかったら、逃げていいっすよ」
ミアは知っている。かつての仲間がそうであったからだ。
強くとも心がついてこなければ生き残れない。ミアのような秀でた能力もない獣亜人種が生き残っていて、ミアよりも優れた種族の仲間が死んでいったのはその差だった。
「俺が臆病だと言いたいのか」
「…それは私に聞くことじゃないっす」
「…っ」
レイクは悔し気に地面に視線を落とした。雨が降った後なのか、地面には水たまりが。
―なんて面してやがる。
そこには酷く憔悴した―竜の誇りも欠片もねえガキの顔が映っていた。
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