第25話 藻掻く手はどこまでも短く

 報償に見合う働きもせず、対価を得る者は嫌われる。

 これは古今東西、どの組織でもあることだ。幸人もその一人であり、主である嗜虐姫のお気に入りというだけで多額の金銭を受け取った事実は、他の使用人からすれば面白くないものであった。

 結果的に幸人はスカーレットの庇護下にあるだけで殺されはしないが、仕事がやりづらくなる程度には周囲から孤立することになった。


「いつものことなんだけど」


 緑の奥に広がる深い沼地を闊歩する。びしゃびしゃと足元を濡らす汚水と、不安定な足場が体力を摩耗させていた。この道で体力づくりをするのが最近の日課となっている。


「今ではブレアさんが庇ってくれてるからなんとかって感じか」


 孤児院の頃から周りは異種族だらけで友達どころか碌に話せる相手すらいなかった幸人。孤独には慣れたもので、嫌がらせに私物を隠されたり、壊されたりなんかは日常茶飯事だった。感情そのものが擦り切れていたんだと思う。スカーレットやブレアの優しさに触れる前は。


「あー無力だなあ。神様はこの体でやり直せって言いたいんだろうけど」


 約3kmほど続く足場の悪い沼地を走破し、岩場を上って崖から遠く続く地平線を見た。

 相変わらず病弱な体。頭がギリギリ痛む。疲れからか吐き気も。だけど長期的なトレーニングの成果は着実に表れ始めている。

 それでも―それでも、まだ全然足りない。


「冒険者になる。目標は高く、職場はステップアップしなければ」


 ここに来てから様々な学術書に触れて知識を確実に付けている幸人。冒険者という職業についても、漠然としてではなく事細かにその実態を掴んでいた。


 冒険者パーティーと一口に言っても様々な役割がある。

 地理に詳しく、道案内ができ、また野生の獣や弱い魔獣程度から本隊を守る斥候。

 秘宝や遺跡、また魔獣や獣の生態に精通する随伴研究員(これは旅団規模にしかいない)

 そして本命の冒険者。役割は勿論、強大な魔獣と闘うことだ。


「目指すべきは随伴研究員。有名どころだとマテリア・ジョーイとか、エリン・ロンソンとか」


 ひと昔前までは冒険者=戦える者が主流だったらしいが、技術や兵器の発展によりそのイメージは廃れつつある。今では賢く、戦える者が脚光を浴びがちだ。

 現在、最も有名な冒険者であるフリース・ユリサエルが元は大学出身の知識人であることが証拠であろう。それ以外でも研究員の発見がなにかと注目される。


 もはや冒険者は個人の時代ではなく国家の事業に移遷されつつあるのだ。


「幸人。こんなとこに来ちゃ危ないじゃない」


 服が汚れるのも気にせずに地べたに寝そべっていると抱き上げられた。


「スカーレット様?」


 火のように燃え盛る、朱色の髪と瞳をした主の姿がそこにあった。


「どうしてここに…?」

「だって、ここから少し行ったところには私―と言っても、私が令嬢として籍を置いているフィーエル家が管理している軍事施設があるもの」

「軍事施設?」

「飛空艇の発着場所とかがあって、工場内には銃器や駆動兵ゴーレムクラフトなんかが保管されているの」


 リンジャ国は田舎の辺境地。移動手段も馬が主流。

 そんな中でもスカーレットは中部の発展した帝国や王国と同様の軍事技術を保持しているらしい。


「それで幸人の気配がしたから急いで飛んできたの。なにしてたの?」

「訓練です。冒険者になるからには少しでも動けないと」


 優しい口調―しかし冷淡な声色で訊ねられた幸人は、若干声を震わせつつもしっかりとそう受け答えする。慣れの部分も大きいが、これは幸人の成長だろう。


「私としては、ずっと今のままでも良いのだけれど…」

 

 頭を撫で回しながらスカーレットはそう言う。

 なにかと幸人には甘いスカーレットだ。何もしなければ飼い殺すつもりなのだろう。

 事実として最近はスカーレットの執務室でお茶くみをすることくらいしか供回りとして仕事をさせて貰えていない。あとは膝の上で愛玩動物が如く撫でられたり、ベッドで共寝をするくらい。偶に帰らせて貰えない日もあって、その日はスカーレットの部屋で寝食を一緒にする。


「それだといつまでも恩を受けっぱなしなので、僕が成長した暁には―旅団火燕への入団をご検討をどうか」

「火燕に幸人をあげると、あんまり会えなくなるから嫌」


 スカーレットとしてはこのまま供回りとして、そして成長してからは妾(スカーレットは令嬢で、幸人は男だが)として、更には眷属として可愛がるつもりなだけに出世はさせたくないと思っている。

 しかし幸人の成長にも目を見張る部分があるのは認めていて、贔屓目なしに知識だけなら冒険者として十分な資格があることを確信している。

 分野は違えど大聖堂名誉教授のスカーレットとその教え子のブレアが付きっきりで指導しているのだ。当然と言えば当然。だが、幸人の地の知識も侮れないもので、どこから得たのかわからないほど卓越した見地で物事を見据えることが度々あった。


「そうね、ちょうどいい機会かしら」


 スカーレットは懐にいる幸人に灼熱を宿した目を向ける。


「実は幸人が報告してくれた寒冷地から魔獣が逃げてきているという報告なのだけれどね。あれが大当たりだったの」


 数日前に幸人が―というかほぼほぼブレアの功績だが、寒冷地出身の魔獣が温暖なクシュアド広原に居る異変を報告した。

 スカーレットは「お手柄ね」と手放しに幸人を賞賛するが、幸人としては複雑な気分だった。

 あれはこの世界で学んだものではなく、元居た世界の知識だけに寄るものだったからだ。実際に幸人本人の力かどうか怪しい。

 元居た世界の知識を活用すること自体は良いのだが、それだけに頼りすぎるのは、例えるならインターネットのコピペに近い感覚がして―あまり良い気分ではなかった。


「これから龍討伐をする火燕の応援に向かうつもりだったのだけど―ちょうどいいわ。幸人も一緒に行きましょう」


 スカーレットは有無を言わさず、幸人を抱えて空を飛んだ。

 しばらく低空飛行を続けると、灰色の施設が森林の中から姿を現したのだった。

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