第一章 龍討伐

第23話 空を這う

 教会には大きな一枚絵が飾れらていた。


 題名はわからないが、大きく口を開けた龍が逃げる人々を食らう様子が描かれている。写実的ではなく印象派なのは、龍に対する恐怖であろう。

 龍の怖ろしさを体現する口、歯や爪、がバランス悪く異常に大きい。

 それと色味もよろしくなかった。血のようにべったりと塗った赤。龍には細かい鱗があるのだが、そんなものおかまいなしで、より恐怖を引き立てるような色味を出している。

 そして絵の中で逃げ惑う人々は人間だった。今では人口の多くを占める亜人種が一人もおらず、代わりに今や絶滅危惧種となった人間ばかりが描かれていた。

 そうした絵画は旧世界の美術大改革―ヨハネの春と呼ばれてた時代のもので、時代区分としては六千年前期から後期にあたる。


「―」


 鎧の音が広い空洞に木霊した。

 それに竜人種ドラゴノイドの戦士―レイクが反応した。

 魔力を流す。疎らにではない。全身に一気に。要領としては血流を意識することだ。そうすれば自ずとどこにどう魔力を流せばいいのかが感覚で掴める。


「らあああァァ!」


 踏み込みで地面のタイルが割れた。半ば飛翔のような踏み込み。―目標は鎧女だ。

 レイクは腰に装備していた甲を振り下ろす。


「やるねえ。やっぱ帝国領内最速昇格の記録はお飾りじゃない」


 飄々とレイクの一撃を交わしたのは、『勇者』の地位に就く―武のユビレア。

 二つの角―「伏魔」と呼ばれる、空気中の魔力を大量に取り込んだ結果、異常発達した感覚器官が淡く発光し、そこから供給された魔力を糧にユビレアはその筋肉がまったくと言っていいほど無い体からありえない身体能力を発揮した。

 

「クソ!」


 攻撃が風に靡く帆のように受け流されたレイクは上体のバランスを崩し地面に手をつく。

 幾つかの任務を連続でこなした疲れのせいだろうか、しかし―


「おいおい隙見せちゃっていいの?」

「ガフっ!」


 めきめきと外殻が押し込まれ、臓腑を支える骨が悲鳴を上げる。

 倒れたレイクに容赦のない膝蹴り。ユビレアは魔力を集中的に込めた足をレイクの鳩尾にめり込ませた。

 息が詰まる。痛いどうこうの前に呼吸ができない。視界がぐるりと地面から天井に。一回転。


「―っと、もう一回!」


 そこからはもう虐めだった。

 立ち上がることすら出来ずに呻くレイクの体にもう一度の蹴り。

 慣性の法則に従って、真っすぐに吹っ飛ぶ。そして地面に激突した。


「ってな感じか?」


 数刻の無意識。いや生命活動が止まりかけていた。

 死の淵から帰ってきたレイクは何故自分が教会の壁に埋まっているかを分析した。


「うんうん。体内魔力の扱いはだいぶ長けてきたなー」


 教会を出て、外壁からレイクの顔を覗き込む。炎を宿した女。

 長く伸びた白い髪が日の陽を遮断し、影を落とした。


「今は全身に満遍なく流してるみたいだけど、慣れたら要所に。まあミスったら死ぬけどさ」


 はははとユビレアは朗らかに笑った。

 魔力は無限じゃない、それに一度に出せる出力も決まっている。だから全身に10を振り分けるより、強化したい部位(より細かくはその部位を動かすための筋肉や血管)に絞って100を振り切ったほうが良い。

 強者はこの切り替えを素早く行い、実質全身どこでも常に100の魔力を流せるように訓練している。

 一部、バカみたいに理不尽な存在と、そのバカみたいに理不尽な存在を滅ぼしかけた本物の勇者とか言う例外はあるが。


「…テメエのせいで、傷が増えたぞ」

「元からボロボロだろ?」


 レイクはユビレアにボコボコにされる前から満身創痍だった。

 肩から腰に掛けて包帯をぐるぐる巻いている。その包帯も血が滲みまくって黒ずんでいる。

 片目を負傷したのか、目には眼帯。包帯の隙間から覗く鱗も傷だらけ。一部は剥げてて、数々の難敵と死闘を繰り広げていたことが窺えた。


「訓練がてら攻略済みの第53番迷宮に行ったんだろ?シュツルトから聞いた」


 火燕には四つの大隊がある。

 それぞれ『勇者』の称号を得た冒険者が率いるパーティーで、人数は20~30人規模。

 レイクら新人は「飢えた捕食者」の異名を持つシュツルト・オーウェンズ、一番新人の『勇者』が担当していた。


「あの蜘蛛野郎には目に付いたとこ手あたり次第に糸を吐くな伝えておけ」


 シュツルトは蜘蛛人種スパイヤーという種族だった。

 迷宮だろうが、仲間を引き連れていようが、奴にとってはおかまいなし。糸を駆使して自分の領域に変え、絡めとられた外敵を食う。まさに「飢えた捕食者」の名前に相応しい冒険者だった。


「…その様子だと随分と振り回されたみたいだな」

「知ってんだろ。この傷みろよ」


 予定では迷宮の最も浅い層を探索して終了のはずが、気づけば奥深く進んで…

 それからはあまり思い出したくはなかった。難易度40くらいとされる三首狼ケルベラドと刺し違えて…それで…


「冒険者組合によると、難易度20範囲の小鬼ゴブリンから大鬼オーガを仲間と協力して五十匹。それに難易度四十の三首狼ケルベラド単独討伐の評価によって、一番下の『狼』から一個上の『獅子』に冒険者階級が上がったそうだ」

「うっせぇんだよ。早く龍だ。龍を狩らせろ」


 レイクは足を引きずりながら協会の壁に描かれた絵画に手を伸ばす。

 龍の単独討伐によって『勇者』の称号は得られる。それもあるがレイクには―


「そういえば竜人種ドラゴノイドの成人の儀は龍種ドラゴンを狩ることだったな」


 竜人種ドラゴノイドの宿命。それこそが龍を狩ることだった。

 

「元を辿れば同族だろ?なぜ争うんだ?」

「ッチ、竜と龍は決裂してんだよ」


 竜は文明に寄り添うことを選び、龍は大自然の体現者―大災害そのものとなった。

 両種族は旧世界の末期より違う道を歩み、それ故に互いに禍根を残している。特に空を飛べず、地を這う竜人種は龍に対して―絶対に口にすることはないが、ひそかに羨望を抱いていた。


「それなら安心しろ。お前にもってこいの任務がある」

「あ?」

「―ミシュナ山脈。ここ中営拠点から西南に50kmの北東嶺ルートに一匹の龍の出現が確認された。難易度は魔力測定から77。ま、龍種だから最終的には難易度は五くらい上乗せされるが…」


 ユビレアは火燃ゆる瞳をレイクに向ける。

 

「旅団として最大限の支援はする。運搬人ツェルトも雇おう。―だが、討伐はお前一人だ。やれるか?」

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