第22話 幕間 龍討伐の号令

 幸人が小鬼の耳から得た情報を上に報告した翌日。


「旅団の斥候から報告が上がったわ。ミシュナ山脈の高度5000km付近で龍種と思しき痕跡を発見したとのことよ。岩壁に残された爪痕と古く生え落ちた鱗。空気をつんざく咆哮を聞いたと。種までは特定できなかったけれど、高度に巣をつくるのは飛龍目の特徴だから、少なくとも飛龍なのは間違いないわね」


 執務室に座るのは揺らめく炎のような存在。―『火燕』の旅団顧問たる火属性を司る大精霊スカーレットは報告書を淡々と読み上げる。

 呼び出された白髪羊角を持つメイド、ほぼ人間の容姿をした羊人種のブレアは恭しい態度で主の宣う報告を聞いていた。


「…と、一週間前に貴方から受け取っていた懸念事項の確認が取れたわ。お手柄ね、ブレア」

 

 双方の目に揺らめく灼熱を宿し、掌から生み出された高温の炎が報告書を焼く。

 旅団顧問にもなれば工作員から情報を抜かれるのを警戒するのは当然だが、あまりにも杜撰な情報管理だった。まるで送られてきた報告書そのものには価値がないとでも言わんばかりの扱い。


「この手柄は幸人に」

「あら?それよりもずっと先にブレアが報告してたじゃない?」


 スカーレットは口角を上げると、功労者を讃えた。

 事実、ブレアは幸人が発見する前にクシュアド広原の異変を感じ取っていた。それがミシュナ山脈由来のものであることも。


「…いいえ。私は『ここ数日、斥候が討伐した魔獣に寒帯から逃れてきたものが混じっています』と口添えしただけです」


 しかしブレアは一貫して自身の功労を誇示したがらなかった。

 ただ頭を垂れ、「幸人に功労を」と訴える。


「理由を聞いても?」


 スカーレットとしては幸人の功労を讃える気満々であった。むしろブレアを差し置いてでも幸人を誉めちぎり、莫大な恩賞を与えるつもりでいた。

 敢えてブレアに訊ねるのは、ブレアの真意を探るためだ。


「…可愛らしいとは思いませんか?」


 ブレアは眷属の証である瞳の炎を揺らめかせ、恍惚な笑みを浮かべた。


「二週間もの間、計画通りに幸人の精神を壊しました」

「…〝ブレア〟が発案者なのを忘れずにね」

「性格の悪い嗜虐姫様のことです。私が言わずともやりおおせていたでしょう」

「……」


 二週間前。スカーレットはブレアからある提案を受けた。

 それが「幸人を無能の玩具にしないか?」というもの。

 時間を掛けて精神をすり減らし、肉体を疲労させ、思考する余裕すら生ませずにただ主に媚びる玩具として作り変えるという話だった。

 ブレアからその提案を受けたスカーレットはただ首を縦に振った。例えブレアの目的が幸人を職場から蹴落とすことだとしても、―いやむしろその思惑があるが故に両者に得がある提案だったからだ。


「幸人は二週間、ずっと徹夜で作業をしていました。いじらしくも魔力を扱えぬ身で途方もない作業を強いられて、しかしそれでも尚、成果を上げんと苦心し続けて―そして」

「―その目前で、同僚に台無しにされた」

「その通りでございます」

「…よく幸人は壊れなかったわね」

「そこが計画の誤算でした。しかし…努力を台無しにされた幸人の心は確実に崩壊寸前にありました。コップの口に並々注がれた水のように、あと一押しがあれば幸人の心は完全に壊れていたでしょう」


 人の精神が壊される。

 拷問のようなそんな話をブレアは頬に手を当て、熱っぽい息を吐き、恍惚な顔で語る。

 何を隠そう、精神が狂う一歩手前の幸人を掬い出したのは―ブレアだった。


「そうね。ブレアが余計なことをしなければ数日も経たずに壊れていたはずよ。…どうして余計なことをしたの?」


 スカーレットの胸中は穏やかではなかった。

 まさに―大事な獲物を横取りされた気分を味わっているスカーレットは、灼熱よりも熱き青色の炎を掌で生み出す。


 その詰問にブレアは、

 

「―惜しいのと思ったからです。壊れた幸人よりも、ひたむきに頑張る幸人が何倍も―弟みたいにほっとけなくて、可愛いと感じたのです。…僅かに垂らされた希望の糸。それが全て仕組まれたものだと気づかずに無邪気に喜び跳ねる姿を見て、得も言われぬほどに興奮しました。それを知ったら幸人はどんな表情をするのか―いやいっそ気づかせぬまま舗装された道をさも自分が切り開いたかのように冒険者然と歩かせるか。どちらに転んでも―ふふふ、」


 普段の無表情な完璧メイドの顔はどこへやら、狂愛に満ちた笑みでそう答えた。


「…短命種が眷属化すると精神構造が歪になるって文献で読んだことがあったわ。でもまさか、気づかずにうちの子もそうなっていたとはね」


 はあ、とスカーレットは子供のいたずらを目にした親のように溜息を吐いた。

 ブレアは表面こそ変わらぬままだ。だから長年一緒に連れ添うスカーレットすらもその異変に気づけなかった。―あの日、川底から引き揚げた幼子はもうここにはいない。


「いえ。親の影響を受けただけかと」

「性格の悪い親ね。どんな顔か見てみたいわ」

「では、鏡をお持ちしましょう」


 ブレアは主の前で堂々とそう言い放つ。

 嗜虐姫の眷属に嗜虐心が芽生えないはずがない、ブレアは初めて自分の傲岸不遜で傍若無人な人生を後悔したのだった。


「幸人の恩賞。何にしようかしら?」

「硬貨だと学術本など必要なものにしか使いません。物がよろしいかと」

「…物ねえ。そういえばここに来た時、美味しそうに料理を食べていたわね」

「孤児院の出ですからね。食料には恵まれなかったかと」

「…それなら高級料亭でディナーが良いわね」


 龍が旅団に迫っている危機的状況も気にもしない呑気な会話だった。

 ―龍よりも犬の餌。そんな格言がある。目の先のことよりも身近なことを怠るなという意味の、旧世界の人間種が作った言葉だった。

 だが、本当に龍が迫りくる中で褒賞の内容を取り決めるなど、暗愚の王がすることだった。


 ―しかし、それは龍に怯える無力な者たちの話。


「…ま、私がひとっ飛びしてその龍をぶち殺してくれば早い話よねー」

「しかし、それだと火燕の発展に繋がらないと、なにか有事がある度に言っていたではありませんか。それに今は幸人の傍を離れたくはないのでしょう?眷属化の儀式が完了していない今は」


 眷属化を安心安全に行うには前準備が必要だ。

 それが一定期間、主たる存在の魔力を浴びること。その期間は魔力量の有無によって増減する。

 魔力がない幸人なら最低半年か一年はスカーレットの魔力に満ちるこの屋敷、またはスカーレットの傍で生活しなければならない。それを抜きにしても、病弱でひ弱な幸人を置いてまで、たかが空を飛べるだけの蜥蜴退治をするつもりなんてない。


「ほんと、あのクソ神どもの厄介な盟約のせいね」

「…その盟約の穴をすり抜けんとするスカーレット様には向こうも呆れかえってると思いますよ」


 柱神が大精霊と交わした盟約は以下の通り。

 

 その一、眷属以外の個人に干渉しないこと。

 そのニ、国家や組織を率いないこと。

 その三、始原の魔獣と戦わないこと。


 スカーレットはこの盟約を眷属を作ることによって一部抜け穴を作っている。


 それこそが『火燕』の存在だった。


 『火燕』は大規模な組織であるが、旅団を率いているのは眷属のユビレアで、使用人を率いているのも眷属のブレア。つまりスカーレットは『直接』組織を率いているわけではない。あくまで顧問という扱いでお飾りのようなもの。


 事実、この行為は柱神からもお咎めなしだった。


 なぜならこの行為に否を唱えると、神として宗教の崇拝対象となっている柱神にも疑惑が飛ぶからだ。それを知っていて盟約のギリギリを攻めるスカーレットにはきっと柱神も頭を抱えていることだろう。本当に性格の悪い姫様だ。


「火燕にはゆくゆく国を操れるほどにまで成長して欲しいもの。その為には―」

「一刻も早い迷宮攻略を、ですね」

「ええ。だから飛竜だかなんだか知らないけど、そんな小さい石ころに躓いている暇はないわ。―これより飛竜討伐を命じる」


 スカーレットはブレアに龍討伐を命じる。


「は。直ちに旅団に伝えます」

「よろしくね。それと現地に行くだけは行ってあげようかしら。冒険者に憧れてる幸人も龍は人目見たいだろうしね」


 まるで—遠足気分な物言いのスカーレットだった。

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