第20話 ブレア

 「先祖返り」とは亜人種の中では忌むべきものとされている。


 獣亜人種とは元々、旧世界が滅びるにあたって逃げ延びた人間と進化の原点であった古獣人種(原生の獣亜人種より獣の色が強い)が交わって生まれた。

 獣亜人種の中で獣人の血は誇りであり、人間の血は劣等遺伝子という差別意識がある。だから獣亜人種の共同体では、より獣人の血が濃い者が異性からすり寄られるし、官職でも高い地位を得られる。


 要するに獣亜人種とは血統至上主義の種族なのだ。


 ブレアが生まれ落ちた村でもその慣習があった。

 名前もない、たぶん地図にすら記されてないであろう小さな村。川から引いてきた水で田んぼ、また更に応用的な水車の小屋を建て、山間の木々が生い茂る新緑の中で約二百名ほどの羊人種が村長を筆頭として慎ましやかに生活していた。

 ブレアは生まれてしばらくは普通の子供として育てられた。姉のユビレアもそうだった。

 ユビレアは生まれつき力が強かった(これは後に伏魔の兆候と知る)ので、村人からも厚く信頼され頼られていた。

 村の子供たちの間では「頭」と呼ばれて親しまれていたことをブレアは憶えている。

 反対にブレアは繊細に力を扱うことが得意だった。村人からは服飾作りを手伝わされていた。子供よりも大人とばかり一緒に居たので、ユビレアとは本当に対照的な存在だったと思う。


 そんな平穏な生活が終わりを迎えたのは…いつだったか。


 たぶん「この日だ」と断定できることではない。最初は年寄りのひそひそとした噂話だった。

 曰く『ユビレアもブレアも獣の発現が遅い』とのことだった。この時期から既に同年代の子供たちには獣の色があった。一番成長の早い子供だと毛を定期的に剃らないと顔を覆ってしまうほど。対するブレア、ユビレアは…その額からちょこんと伸びた羊の角以外、つまり生まれた時から獣としての成長は止まっていた。

 疑心は徐々に確信へと変わり、村で優遇されていた二人は村の隅へと追いやられるようになった。

 ユビレア、ブレアが住む小屋は「穢れの住処」とされ、子供が近づくのを禁じ、大人でも無断で立ち入れば後ろ指を刺されるような扱いになった。


 そんな生活に両親は耐えられなくなったのだろう。


 皆が寝静まる夜、母と父は農具を武器として持って私たち二人を殺しに来た。何発も殴られ、碌な抵抗もなせぬまま私たちは瀕死に追いやられ、そのまま川に投げ捨てられた。


 ―何が悪かったのだろう。

 ―どうして殺されなければならないのだろう。


 冬の冷たい川に流されたブレアは死を直前にして考えた。

 理由はこの人間の血だ。人間のような容姿をしていたから、私は村から弾きだされた。


 ―神様。


 私は村で信仰されていた羊人種が崇める神様。始原の魔獣―『月』に願った。

 

 ―生まれ変わるなら獣に成りたい。なににも縛られず、姉妹二人で月下の広原をただひたすらに


 そう願いながらブレアは川底に沈んでいった。


◇◇◇


 次にブレアが目を覚ましたのは火燃える祭壇のような場所だった。

 視線を周囲にやると、同じようにユビレアも寝かされていた。息がある。死んでいない。

 誰が助けてくれたのか、とブレアは恩人の姿を探した。

 祭壇の奥。緋色に色づいた装束に身を包んでいたのは、灼熱そのものだった。

 燃ゆる髪をたなびかせた彼女―火の大精霊スカーレットはブレア、ユビレアの両方が目覚めたのを確認すると、祭壇の壇上から降りて二人に手を差し伸べた。


「私は柱神との盟約で個人に対する干渉は禁じられているの」


 スカーレットは煌々と燃え盛る炎を二人に浴びせる。

 熱い、と一瞬だけ思った。でも熱くない。灼熱は確かに二人を焼き焦がすはずであった。


 しかし、現実はそうならなかった。


 ブレア、ユビレアに浴びせられた炎は二人とスカーレットを繋ぎ合わせる。それこそが契約完了の証だった。


「だから少々強引なやり方だけど、無理やり眷属にしたわ。二人とも魔力量が多かったみたいだし、ちょっと強引でも耐えてくれたようね」


 眷属とは強大な魔力を持つものが、自分の因子を他者に与えて配下にすること。配下となった者は主が死なない限り、永遠の命を享受するという魔術の一種だった。

 主は当然ながら莫大な魔力量を有するので、本来は長い時間を掛けて慣らす必要があるのだが、二人は『先祖返り』の副産物として通常の獣亜人種では考えられないような魔力を保有していた。

 その為、即契約という荒技で大精霊の因子を授かっても壊れなかったのだ。

 尤も、即契約しないと死ぬ怪我を負っていたのだからスカーレットからすればかなりの博打だったのだが。


「二人の処遇なんだけどね。今ちょうど私は人手を欲してるの」


 だから―とスカーレットは二人に協力を仰いだ。

 私たちに残された選択肢なんか一つしかなかった。当然、命の恩人であるスカーレット様にすべてを差し出す。余生も、この身そのものも。


 ―それから数十年から百年くらいの時が経った。


 旅団『火燕』は世界に名を馳せた。その一役を買ったのが二人の活躍だ。

 『武』のユビレアと『文』のブレア。その双翼があってこそ『火燕』は成り立っている。


◇◇◇

 

「―人員を補給するわ」


 第53迷宮を攻略した後にスカーレットはそう指示を出した。

 この迷宮攻略で『火燕』は難易度百(始原の魔獣を除けば最高難易度)の魔獣を討伐し、旧世界の文明技術たる秘宝も幾つか手に入れた。

 しかしその代償として多くの死者を出したのだ。中には『勇者』の地位に就く古株もいて、『火燕』は急速に弱体化した。

 それでも『火燕』には立ち止まっていられる余裕はない。『火燕』の計画では次の旅団が踏み入る前に第54番迷宮も攻略する予定なのだ。すぐさまに人員を補給し、最低限度は使い捨ての壁くらいには強くなってもらわなければならない。

 そこでスカーレットは長くから懇意にしていた辺境の田舎、リンジャ国のアーズム孤児院で使え捨てにしても良い奴隷を探すことにしたのだ。


 …だったのだが。


 スカーレットはそこにいた幸人という人間種にご執心になった。それはもう「奴隷なんて使い捨て」と言い放つ彼女からは考えられないほどの溺愛っぷりだった。

 その皺寄せは彼を管理するブレアにまで波及し、


「幸人をよろしくね」

 

 とまで命令する始末。


 しかも、この幸人という人間は特別役に立つ者ではなかった。確かに魔力を介さなくてもその種が話す言語を理解できるのは目を見張る能力だ。ただそれは魔力がないからこそ生き残るために発達した技術であったし、その能力が活きるのも限定的だった。

 その癖、当の本人は冒険者を目指しているという。分不相応この上なかった。

 だからブレアは早々に幸人の心を砕き、早々に主たるスカーレットの愛玩動物に堕とすことを決意した。

 その計画をスカーレットに話すと性格が歪んでいるスカーレットは大変喜んだ。


 それからのブレアは難しい仕事(他の使用人にとっては簡単)を与えて幸人を観察し続けた。

 ブレアは最初の三日で音を上げると思っていた。満足な仕事も出来ないので周りの使用人から嫌われて虐めに合い、仕事で寝る暇も作れなければ大抵の者は壊れる。

 ―事実、ここ数十年の使用人生活でブレアは何人もの給料泥棒をこうした手法で蹴落としてきた。


 しかし、幸人は折れなかった。


 どれだけ周りから嫌われようが自分にとっては途方もなくこなせないと思う仕事ですらめげずにしがみつく。その仕事の成果を使用人たちに台無しにされたときも、『ちょっと失敗しちゃって』なんて使用人を訴えることすらしなかった。それどころか『もう少し頑張らせてください』なんて言う始末だ。救えない被虐者の有様。

 もうボロボロで目には何重にも隈を重ねて、帰り際にはまともに歩くことすら覚束ない。そんな人間の姿を見たブレアは、


 ―正直、バカみたいだと思った。

 

 でも、周囲に蔑ずまれても尚、愚直に生きようとするそんなバカをブレアはよく知っている。

 もしかしたらこれが人間種の血筋なのだろうか。だとしたら自分はとんでもなく厄介なものを引き継いで生きてきたらしい。


 ―だから弟みたいだと思ったんだ。



 いつしかブレアは幸人をかつての自分に重ね合わせていた。

 

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