第18話 努力の清算

「幸人。服を脱いでください」

 

 脱衣所で使用人服を脱いだブレアは同じように服を脱げと幸人に催促する。

 ブレアは他の獣亜人種と違い、ちょっぴりと額から覗かせる羊の角以外は人間にしか見えない。

 そんなほぼ人間種のブレアが気にせず素肌を晒している。幸人は顔を真っ赤にして年相応の少年らしく顔を逸らせた。スカーレットと一緒にお風呂に入った時は、スカーレットは服を着ていた。けどブレアは全裸だった。


「ぶ、ブレアさん!タオル!タオルくらい巻いてください!」

「入浴中に布類を持ち出すのは不衛生です」

「でも」

「幸人は他種族に欲情するのですか?」

「どう見ても人間じゃん!」


 ブレアは『先祖返り』という人間の血が濃い羊人種だが、その価値観というか性観念は羊そのものだった。幸人を他種族のオスとして割り切っている。人間の血が混じる獣亜人種は多少人間に対する親近感というか、性的な意識があるはずなのにその気配がまったく感じられない。


「私は気にしません。それに幸人のなら一度見てますから」

「見たって、もしかして初日の…」

「ええ。ですから早く幸人も脱いでください」


 事務的に対応するブレア。幸人が恥じているのがなんだか可笑しく思えてくる。

 幸い、就寝時間の為か風呂場は薄暗く、月明りだけが石畳みの浴場を照らしているだけ。

 幸人は意を決して服を脱ぐと、タオルを巻いた。


「…先にシャワーを浴びましょう」


 ぺたぺたと石の床を歩く。幸人は出来るだけ視線を下に降ろしてブレアの後ろを付き従っていく。


「湯加減はどうですか?」

「ちょうどいいです」

「そうですか」


 シャワーからはほどよい熱水が降ってくる。徹夜で荒んでいた幸人の心を温かく絆してくれる。


「…なるほど。そういえばそうでしたね」


 ふとブレアが呟いた。


「何がですか?」

「…私の外見を見ても気味悪がらないのは、幸人と姉と、そしてスカーレット様くらいです」


 幸人は知らないことだが、この世界では『先祖返り』は忌むべき対象とされる。

 人間寄りの容姿に亜人種の特徴。転生前の世界でも疾患などが外見に表れると差別される歴史があった。痘腫などが代表的な例。

 なんとなく言葉のニュアンスから幸人はあまり触れてはいけない話題だと勘づいた。


「幸人は人間種でしたね。やはり私は人間種に見えますか?」

「……」


 幸人は言葉に詰まる。イエスかノーならイエスだ。幸人の目にはブレアは人間にしか見えない。しかしそれを当の本人に伝えてよいか幸人は悩む。

 この世界に来てから人間種は冷遇されていると嫌と言うほど思い知った。人間種=最下級層というイメージが染みついている。


「―ブレアさんは人間が嫌いですか?」


 幸人はブレアから投げかけられた質問を別の問いにして返した。


「…いいえ。嫌いではありません」


 シャカシャカと幸人の頭にシャワーを流しながら答える。

 ブレアは少なくとも人間種に嫌悪感は抱いていないようだった。亜人種は見下す対象が人間種くらいしかいない為、亜人種間では人間種は差別の対象となっている。ブレアも同じような価値観を持っているのではないかと疑っていたが、一安心だ。


「幸人は変に思いませんか?人間の外見に亜人種の角だなんて」

「思いませんよ。むしろそのちょっと曲がった角は可愛いというか…」


 幸人は照れながらブレアの角を褒める。

 羊の角にはちょっとした憧れがあった。幸人は生まれてからほぼ病室暮らしで、犬や猫以外の動物を見たことがない。そんな幸人が一目見たいと思っていたのが羊だった。

 寝れない時に数える羊。もこもこしててメーメーと鳴く。情報は頭にすっと浮かぶのに肝心の本物は見たことがない。それが歯痒かったのだ。


「……」


 ブレアは無言で幸人の頭を拭く。


(もしかして、怒らせちゃった?)


 ブレアが無反応だったため幸人はそう心配する。


「幸人」

「は、はい!」

「私の頭も洗ってくれますか?」


 ブレアはそう言って幸人と場所を入れ替わる形でシャワーヘッドの下に立った。


「…えっと」

「嫌ですか?」

「い、いえ!むしろ…」

「むしろ?」

「ちょっと触ってみたかったというか」


 幸人はブレアの角を触る。こういうのだとお約束の感覚器官は敏感…ということはないようだ。代わりにブレアは気持ちよさそうに目を閉じた。


「…じゃ、じゃあ洗いますね」


 幸人は洗髪用の香料を手に塗ると、ブレアの月夜に輝く白髪に塗っていく。

 さらさらだ。毎日手入れをしているのか、それとも素でこうなのか手からすり抜けるほどしなやかな髪。


「…なんだか姉を思い出します」

「ユビレア…さんのことですか?」

「ええ。姉も昔は私の髪をこうやって洗ってくれたのです」

「そうなんですね」

「幸人は弟みたいです」


 ブレアは冗談なのか幸人にそう言った。


 (―弟か)


 幸人は一人っ子で姉が居なかった。それに余命を宣告されてからは、両親ともあまり顔を合わせてなかった。

 もう一回両親と会いたかったな。幸人は思う。医者や見舞に来た親戚に両親と会いたいと頼みこんだことがあった。でも両親は「幸人と会うと悲しみに耐えられなくなるから」と言って会いに来てはくれなかった。恨んではいない。でも、どうせ永遠に会えなくなるんだから最後に顔くらい見に来てよとは思った。


 シャワーを終えて湯に浸かる。どうやらお湯は一回入れ替えたらしい。どうしてかと幸人がブレアに訊ねると「抜け毛の湯だまりに身を沈めるのは嫌なので」と答えが返ってきた、通りでブレアが一番に湯に浸かりたがるわけだ。と察した。シャワーしかなかった孤児院では知りようもなかった事実。でも納得だ。


「幸人。こちらに来てください」


 一緒の湯に浸かりながらも離れた場所にいた幸人はブレアに呼ばれる。

 お互いに裸だし…と遠慮がちになっていると、腕を引っ張られて背後から抱かれた。

 スカーレット様がするみたいに。…この場合は姉が弟にするようにが正しいか。


「幸人。今日の仕事に関してですが…」

「すみません」


 仕事の話題になると、幸人は申し訳なさそうに水面に顔を落とした。

 今日で振り出し以前に戻った。二週間かけてそのザマだ。幸人は自信の不甲斐なさを恥じる。


「知ってますよ。彼ら、他の使用人に妨害されたのでしょう?」

  

 ブレアはすべて知っていた。同僚が幸人の仕事を台無しにしようと画策し、実行していることを。それを見て見ぬふりをして放置したのだ。


「…幸人。正直に言います。実は初めから幸人が成果を出すのは期待していなかったです」

「―っ」

 

 かっと目頭が熱くなった。―期待していない。その言葉を聞いた幸人は悔しさに唇を噛む。

 そんな幸人の頭をブレアは撫でた。話には続きがあると言わんばかりに。


「スカーレット様の思惑です。幸人の心を完全に折り、自身に依存させる。もともと幸人を使用人にさせるつもりなんて端からなかったんですよ。うちの嗜虐姫様は」

 

 幸人は信じられなかった。初めから失敗するのを前提に考えられているなんて。

 それはつまりスカ―レットも幸人には使用人として期待などしていなかったということで…


「そして私の役割は幸人がいつ他人を頼るのかを見届けることでした」

「……」

「どのみち無理なんですよ。あんな仕事を魔術なしでこなすのなんて。だから幸人が音を上げたところでスカーレット様に報告するのが私の与えられた仕事だったんです」


 ブレアは呆れたように水面に浮かぶ月を握りしめた。


「幸人が辿る道は一つしかありませんでした。―それはスカーレット様の愛玩動物として溺愛されて生きることです」


 ブレアは淡々と計画の概要を説明し始める。


「幸人の心を周囲の環境が限界にまで追い詰めたスカーレット様は幸人に「よく頑張ったね。貴方はもう十分よ」と甘い言葉で誘惑します。心身共に疲弊した幸人にその誘惑を断る術はありません。使用人を辞め、冒険をするという夢も捨て去って、ずっとスカーレット様に可愛がれ、愛され、寝食を共にし過ごす。人によっては幸せかもしれない、そんな末路が幸人には用意されていたのです」

 

 それを聞いた幸人は冒険者になるという夢の為に奔走していた自分を嘲笑した。


(そうだ。最初から僕なんてそのくらいの価値しかなかったんだ)


 どこかで有頂天になっていた。生き抜くために身につけた能力で世界を変えられると思っていた。二度目の人生で僕は一度は諦めざるを得なかった夢に手をかけているんだと舞い上がっていた。


「はは…そうだよ、うん、なんでそんなことにも気づけなかったんだよ」


 涙が込み上げてくる。―けど、絶対に涙は零さない。

 それが強さだと教えられた。だから幸人は前世で余命を告げられても悲しみに泣くことはなかった。今泣いたらすべてが台無しになる。その一心でひたすらに耐え続ける。

 するとブレアが幸人の頭を撫でた。


「―しかし、幸人はその計画を覆しました」


 そう言ってブレアは俯く幸人の顔を持ち上げて自分の前まで上げた。


「幸人は折れなかった」


 泣かないと決めたはずなのに…


「たとえ失敗しても」


 無理だ。止めようとしても涙が溢れてくる…


「どれだけ仲間内から冷ややかな目で見られても」


 なんでだよ…初めから期待してなかったんだろ?

 …なんで、今更そんなこと…


「幸人。よく頑張りましたね」


 暖かい感触が頭上に。頭を撫でられたと気づいた時には―もうだめだった。

 僕はその日、産声を除いて、生まれて初めて人前で泣いた。

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