第14話 火の間で目覚めた朝

 幸人にとって睡眠とは何よりも大切な学習だった。

 魔力を持たぬが故に発達した言語能力と記憶能力。人間種では発音できない声すらも拾う聴力。それら身体能力を十全に発揮するためには一日を通して得た膨大な情報を脳に叩きこむことが必要になる。


「…んむぅ」


 押すと沈み込むような柔らかい感触。幸人は半ば覚醒するも、まだ微睡の中にいた。


(布団だ。あったかくて広い)


 このふわふわした綿毛のような雲のようなクッションが敷布団だと理解した。固い古衣を詰めた簡素な物じゃない。ちゃんと就寝具として作られた布団。


「―ふぁ」


 大きく欠伸をして目を擦る。

 目覚めたら孤児院ではない、お日様が差し込む長閑な一室で眠っていた。


(あれ?なんで?ここ、どこ?)


 幸人は寝ぼけていた。「んーんー」と唸りながら、孤児院の狭いベッドじゃ出来なかった布団ごろごろをする。感動だ。感動するほど気持ちがいい。

 布団ごろごろを堪能しながら、幸人は昨晩の出来事を思い出す。


(火の大精霊様に召し抱えられて…それで…)


 使用人に正式に任命されて、夕飯を食べて、―爪で背中を肉が抉れるほど掻かれて—

 幸人は「あ、」と間抜けな声を出す。そうだ、ここは…


「あら?起きたの?」


 幸人が布団の中で蠢いていると声が掛けられた。

 幸人の主にして世界三大傑物の一役を担う―火の大精霊、スカーレット様だった。

 そしてここが誰の寝室なのか思い至る。そして幸人は自分の無礼に遅れて気が付いた。


「―も、申し訳ありません!」


 布団から飛び出た幸人はダイビング土下座を敢行する。

 額を床で擦りおろし、誠心誠意、謝罪する。


「良いのよ。私の意志で幸人を寝かせたのだから。不可抗力で謝られても困るわ」

「し、しかし…スカーレット様の大切な寝床を汚してしまい…」

「汚れてなんかないわ。昨日、私が隅々まで洗ったもの」

「す、隅々…?」


 幸人は頭を抱えた。昨日の記憶が断片的にしかない。

 お風呂に入ったところまでは憶えている。そこからは疎らな記憶だ。お風呂で頭を洗われて、体も隈なく…

 幸人は昨晩の無礼過ぎる振舞いを恥じた。これじゃあ、どっちが主でどっちが従者なのか分からない。使用人失格だ。


「幸人。ここではご飯をしっかり食べなさい。痩せすぎよ」

「は、はい」

「それと体も酷使し過ぎね。体を洗ってて気が付いたのだけど、擦り傷の跡が沢山あったわ」


 ―それは孤児院に居た獣亜人種の子供にやられたものです。

 幸人は体中に残る傷跡を見て過去の忌々しい思い出を振り返る。獣亜人種からすれば単なるじゃれつきも、幸人のようなひ弱な人間を相手にすれば重症を負わせることになる。

 幸人は殊更、自分の貧弱さを憎んだ。


「…あ、あの、仕事は?」


 現在の時刻はわからないが、お日様は昇っている。

 使用人の仕事はもう始まっている頃合いだろう。


「幸人はお休みよ」

「お休み…ってクビ、ですか?」

「いいえ、言葉の通りよ。今日はゆっくり休みなさい」


 スカーレットは地面にぺたんと座り込む幸人を抱きかかえて言った。


(仕事二日目で休み。そんなの許されるのだろうか)


 転生前の世界でも厳しい目で見られるのに、それよりも過酷な職場で三日坊主ならぬ一日坊主。社長が汲んだ休みとは言え、同僚や上司からの叱責は逃れられない。


「あ、あの…もう大丈夫です!仕事行ってきます!」

「ダメよ。これは主たる私の命だから」


 スカーレットの懐でもごもご動く幸人。しかし小動物が人間の前で必死に抵抗しているだけの図で、事実、スカーレットの腕はびくともしなかった。


「朝食がまだよね?」


 既にスカーレットの執務机には湯気の立つ茶と白パンにスープが置かれている。

 精霊であるスカーレットは食事をすることは滅多にない。つまりこれは幸人の朝食だった。


「食べさせてあげるわ。疲れてるでしょ?」

「い、いえ…自分で」


 スカーレットに抱っこされて座っているこの状況下で使用人のプライドなんてない。だが、施しを受ける側であり続けていたらいつかはクビになる。

 そう思った幸人は配膳されたスプーンを持ち―からん、と音を立ててスプーンが地面に落ちた。


(あれ、体に力が入らない)


 手の末端神経まで力が伝わらない。生まれたばかりの赤子のように力が効かなかった。スカーレットに抱きかかえられていなければ地面に倒れ込んでしまうほど。


(もしかして魔術?)


 相手の力を奪う魔術があること自体は魔術に疎い幸人でも知っている。ブレアが扱っていた相手を測る魔術は『干渉魔術』と呼ばれて体系化されていた。これもその類だろうか。


「ほら。無理しちゃダメよ」


 スカーレットは幸人が落としたスプーンを拾うとそれをお盆に置き、新たにもう一本のスプーンをお盆の匙入れから出した。


「はい。あーん」


 スープを掬うと、それを幸人の口元まで持ってくる。

 あー、と不器用に口を開くと、程よい温度の熱が口に入ってくる。


(美味しい。昨日のご飯は味がわからなかったけど、今はちゃんと美味しいって感じる)


 続いてスカーレットはパンを食べやすいサイズに千切って幸人に与える。まるで給餌されている雛鳥みたいだった。幸人はただただ口を開けて咀嚼することしか許されない。

 ついこの間までは庶民の食事しか味わえなかったのに、今はこうして王侯貴族の味を堪能出来ている。有難いことだが、ちょっぴり複雑だった。

 

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