第13話 お風呂

「…あ、いや、これは…」


 幸人は背中に生々しい傷が残ったままだということを失念していた。

 背中を捲ったスカーレットの表情を見ることはできないが、声色からして怒髪冠を衝く様子が窺い知れる。


「言わなくてもいいわ。誰がやったかなんて一目でわかるもの。―ブレア」

「は」


 スカーレットはブレアに傷の治療を命じた。スカーレット自信がやるのではない、歯痒くもスカーレットが眷属以外に魔術(一部を除く)を行使するのは無理なのである。

 何故なら大精霊という存在は世界の調律を担うからだ。眷属以外の個人への過度な干渉は旧世界の破滅を導いた要因の一つとされ、世界の意志―柱神により禁じられている。


「背中を向けてください」


 さあーっと麻酔のように痛みが引いていく。不思議な気分だ。

 治療魔法を扱える者は孤児院には居なかったので、見るのも受けるのも初めて。

 だが、そんな学術的な興味を抱いている場合ではなかった。


「…あの、」


 幸人は不安げな目でスカーレットを見る。

 別にウオウに同情するわけじゃない。そのやっかみが幸人に回ってくるのが恐ろしかった。

 内部の人間関係も上手くやれない無能。そうレッテルを貼られて追い出せれることの方を気にしていた。


「大丈夫?もう怪我はない?」

 

 スカーレットは優しい声色で幸人の体を隅々まで見て回った。

 絶世の美女に栄養の行き届いていない貧相な体を見られるのは恥ずかしかったが、そんな抗議なんて出来る筈もなく…


「…大丈夫みたいね。今度から怪我をしたらちゃんと言うのよ」

「はい」

  

 服を脱がされて風呂場へ。風呂場は室内にあるのに孤児院の浴槽よりも大きかった。石畳の床に同じく石造りの風呂。銭湯くらいの広さがある。

 スカーレットは幸人を風呂椅子に座らせると、しゅこしゅこと手で泡を立てて幸人の頭皮にこびりついた垢をこそぎ落していく。

 こんな上質な水洗香料を付けて貰えたのは初めてだ。清潔だと思っていた髪の毛も途端にべたついたものに感じる。


(眠たくなってきた)


 痛みも消え、暖かい蒸気が立ち込める空間で丁寧にシャンプーをしてくれる。

 転生前の世界でも「気持ちよく眠れるシャンプー」が流行ってた。その気持ちも今になってよくわかる。


(主様の前だ。せめて起きていないと)


 自分では洗わせて貰えない。一人でやろうと試みてはいるが、やんわりと優しくも絶対に動かない力で押し留められている。


「寝ても良いわよ」


 目を虚ろ虚ろさせる幸人を見たスカーレットはそう言って頭を撫でた。

 大精霊と言う強者に庇護される安堵に浸りながら、幸人はそのまま眠りについた。



◇◇◇



「今日は幸人を私の部屋で寝かせるわ」


 スカーレットの布団ですやすや寝息を立てる幸人。主と同衾する雑用―ましてや相手はかの嗜虐姫スカーレット。その光景を見せられているブレアは深く溜息を吐いた。


「…やっぱり先の言葉は取り繕いだったのですね」

「先の言葉って?」

「幸人を引き取ったのは人間への恩返し、と」

「そうよ?」

「…どこから見ても違うでしょう。スカーレット様、幸人のことを異性として見てらっしゃるのでは?」

  

 優遇どころか、これでは年の離れた夫ではないか。

 いや階級があまりにも違い過ぎるから妾、なんにせよスカーレットは幸人をありえないほど大事にしている。


「精霊には性別なんてないわよ」

「精霊に成る前の魂があるでしょう」


 スカーレットの言葉はただの屁理屈だ。

 確かに精霊は性別を持たないが、知性を獲得するほど強大な力を持つ大精霊は精霊に成る前の浮遊霊だった者の性別が引き継がれる。―スカーレットは明らかに女性だ。


「…明日は仕事を休ませるわ。明日だけじゃなくても幸人をよろしくね?」


 スカーレットはもう隠すのは無理だと悟り、あからさまに幸人を優遇しだす。

 「よろしくね?」とは幸人にきつい業務を割り振るなということ。


「畏まりました。明日は新たに入った七名に屋敷での仕事説明があるのですが―」

「あら?七名、じゃなくて六名でしょ?」


 スカーレットは炎のように揺れた瞳をブレアに向ける。


「失礼しまいた。―ええ、確かに六名です」

   

 ブレアは面倒な『処理』が今新たに一つ増えたことを頭に入れる。

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