第12話 交錯する主従関係
「顔色が悪いようですが?」
「…ちょっと本に夢中になってて」
「左様ですか。くれぐれも体調には気をつけてください、これからは毎日ここで働くことになるのですから」
背中に深々と彫り込まれた傷の痛みで顔色を悪くする幸人を見て、ブレアが気遣いの声を掛ける。
ウオウにやられました、とは言えない。職場の関係悪化を伝えれば両方の首が飛ぶ可能性があるし、何よりもドモン他六名からより一層恨まれる。
そう判断した幸人は痛みに脂汗を流しながらも大丈夫だと気丈に振舞った。
「スカーレット様のお部屋に案内します」
先行するブレアの後ろに付く。幸人は使用人として相応しい立ち振る舞いを心掛け、背筋を伸ばし、顔を上げて歩く。
(どうしてスカーレット様は僕を呼びつけたのだろう?まさか…お仕置きとか?)
あの場では見逃されただけで、幸人は初日から仕事が遅いと示されてしまった。
たった一度の集合だけ。されど職場とは得てして一度というのが肝心だ。
最初の一回で好印象を残せるか、機会を掴めるか。その観点で言えば幸人は結果を出せなかった。ただの前準備ですら…劣っていると
「心配なさらずとも結構ですよ」
幸人の心情を汲んだのか、ブレアが安心するように言う。
ふわりと白い髪が歩くたびに揺れる。毛じゃなくて髪なのはブレアの容姿のせいだった。手の先から足の先まで幸人のような人間種のもので、彼女が羊人種だと示すとは額にちょこんと抜けた角しかない。
「…スカーレット様。幸人を連れてきました」
スカーレットの部屋は使用人部屋から真反対にあった。使用人の部屋ですらその豪華さに驚かされたが、主の部屋はそんな使用人部屋が家畜小屋と思ってしまうほど荘厳だった。
大きな執務用の机が窓の前にどすんと構えていて、スカーレットはそこに座っている。就寝用のネグリジュに着替え、炎のように赤く褐色を含んだ長い髪をストレートに下ろしていた。
「よく来たわね。幸人」
「す、スカーレット様?」
スカーレットは幸人に抱き着いた。
背が低い幸人は彼女の胸の溺れ、上擦った声を出す。
(あ、暖かい。ポカポカする)
スカーレットは火の精霊。だからか火の包みこむような安心する匂いがした。
「寝ていた?それとも本を読んでいた?迷惑じゃなかった?」
「い、いえ…」
「良かった!」
スカーレットは幸人の頭を撫でまわす。
嗜虐姫の称号も形無しであった。普段の侮蔑に歪んだ顔ではなく、優しい母のような笑みを浮かべて幸人を後ろから覆うように抱き、膝に座らせる。
「あ、あの…お風呂入ってなくて…臭いませんか?」
「うん。とってもいい匂いよ。食べちゃいたいくらい」
「ひいい!」
精霊は人はおろか動植物ですら食べる必要はない。また嗜好品の類の薬物や酒も吸収する臓器を持たぬため、雰囲気で楽しむことしかできない。精霊とは魔力さえあれば良いのだ。
しかし、軽い精霊ジョークも幸人にとっては冗談に聞こえない。
なにせ幸人は獣亜人種が沢山いる孤児院で育ったのだ。「食べちゃいたい」とはそのままの意味で「お前の肉が上手そうだから食わせろ」になる。だから精霊だと知ってても本能が被食者な反応をしてしまった。
「でも、なるべく綺麗綺麗にした方が良いわね」
スカーレットは空気中の魔力を手繰り、箪笥から体拭きの布や髪に付ける香料(転生前の世界だとシャンプーにあたる)を取った。
「お風呂は使用人用の浴場が一階にあるわ。今日は私の部屋にあるのを使おうね」
「で、でも…あそこは」
使用人にも序列がある。幸人らはただの使用人。この屋敷では百名以上いる雑用係だ。
浴場を使えるのは『供回り』と呼ばれるスカーレットの世話係。それは屋敷に来て先輩であるインらから教わった。
曰く、「スカーレット様の使用人は上下の階級が厳しいから先輩には逆らうな。スカーレット様の耳には入っていないが、使用人同士で決められた暗黙の了解がある」とのことらしい。
その暗黙の了解とは以下のことだ。
まず『供回り』のまとめ役であるブレアが好きな時間に風呂に入る。その次が『供回り』で、全員は入れないから年功序列に順次入っていくらしい。時間が早ければその下に控える使用人筆頭のインらが入れる時があるそうだ。
当然ながらそれを知らないスカーレットは小首を傾げる。精霊は俗世に疎い。直轄の部下に対しても同じようで、さほど興味が無いらしい。
「使っても構わないわよ。それとも私のお風呂を使う?」
「お、畏れ多いです」
背も低くて軽い幸人はあっけなくスカーレットに抱えられ、ホテルのように内備されているバスルームに連れていかれる。
この世界の技術レベルでは水道はまだ完全に発展しきっていない。一部の都市国家や王都などで部分的に導入されているだけだ。
ではなぜ水道管もない辺境地の屋敷内に風呂があるか。答えは簡単だ。
「お湯が沸いたわ。脱ぎ脱ぎしようね」
スカーレット様のお力だ。水があれば…否、水も必要ない。
魔力で水を作って熱する。火の大精霊なら簡単な雑務だった。…火の大精霊の尊き力をこんなしょうもないことに使っていいのかは疑問が残るが。
そんなことを考えている間に幸人は脱がされていく。
が、その手は上着を脱がしたところでピタリと止まった。
視線がある一点に注がれる。
「…幸人、この傷はなんなのかしら?」
スカーレットの語気が数段強くなった。
底冷えするような殺意が、幸人の背中…もっと言えば背中に爪痕を残した者に向けられていた。
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