第15話 人間種の壁

 朝食を主の手ずから食べさせて貰うという醜態を晒した幸人は壁に掛けてあった使用人服に袖を通した。


「お洋服、お返しします」


 幸人は知らずに着せられていた、これまた良質な生地を使った就寝用の服を畳んでスカーレットに手渡す。この一着だけで金貨数枚は飛ぶ勢いだ。

 幸人の給与がどれくらいかは知らないが、一般的な使用人の給与は一か月に銀貨十枚。日本円に換算すると約十万円だ(低い給与だと思うが、この世界には電気代や水道代を差し引かれない。おまけに使用人が着る服や食事代は主が受け持つ。だから給与として受け取った十万で好きなように使えるのだ)。

 為替レートは国や経済状況により変化するが、だいたい金貨一枚で銀貨五枚に相当する。

 つまりこの服の予想額は幸人の給与一、二か月分となる。


「あげるわよ。使用人も言ってしまえば主の所有物だしね」

「でも、こんな高価な物…」

「安いわよ。これぐらいの物なら幸人のお給料で何百枚も買えるわ。だから気にしないで」


 スカーレットはそう言って畳んだ服を幸人に手渡した。


(そ、そんなに安いんだ…お値打ち価格とか?)


 幸人の給料(銀貨十枚ほど)で何百も買える物と言えば、混ぜ物が入った安いパンくらいだ。これほど高品質な服と安いパン一個が釣り合うはずもない。


(あ、そういえばスカーレット様は国から特別な歓待を受けてるんだっけ?)


 大精霊は国家によっては柱神と同等の扱いを受ける。リンジャ国では火の大精霊は正式に国家守護者(一部の人間に利益を与えてくれる知性がある魔獣などが指定される)として崇められている。リンジャ内での買い物はタダ同然の可能性が浮上した。


「わかりました。有難く頂戴します」

「うん。それともう知ってると思うのだけれど、貴方の部屋に本を仕入れているわ。聖堂院ではまず最初に暗記させられる基礎中の基礎の本に、今流行している冒険譚などを幾つか取り揃えてあるのだけど、足りなかったら言いなさい」

「た、足りないなんて滅相も!」


 幸人の書庫を埋め尽くしていたのは、幸人が心の奥底から求めていた探求の世界だった。

 広大な世界を歩くには知識は欠かせない。三大傑物に唯一個人で名を連ねた旧世界の勇者―スコット・ランガルズくらいしか無謀な挑戦が許されなかった世界なのだから、下積みは必要不可欠である。


「ありがとうございます!この御恩は一生忘れません!」


 幸人はスカーレットに改めて忠誠を誓う。

 正直に言えば幸人は早くにスカーレットの使用人を辞めるつもりだった。

 勉強をして冒険者としての資格を得た後は、彼女が旗印となっている『火燕』に編入し、そこで迷宮や未開の大地を切り開き…ゆくゆくは自分の冒険譚を世に出版することを人生の目標に掲げていた。

 その夢は今も変わることはない。しかし自身が最大に重きを置く対象を変更した。

 生涯の夢よりもスカーレット様を優先する。そう固く決意したのだった。


「うん。頑張ってね」


 スカーレットは幸人の頭を撫で回す。スカーレットにされるがまま、幸人はぐわんぐわんと頭を揺らす。


「…それでお願いがあるのですが…」

「なにかしら?」

「あの、やっぱり今日から働いても…その、仕事だけでも憶えたくて」


 仕事は早いうちに憶えろ。それが鉄則だ。

 最初の一日、二日は特に重要でここで取り残されると同僚に置いて行かれる。前世の知見から幸人はどうしても、とスカーレットに頼み込んだ。


「…うーん。わかったわ」


 スカーレットは悩ましげに眉を寄らせると渋々と了承した。


「でも仕事を憶えるだけよ。ブレアから説明を受けるだけに留めておくこと。それを破ったらお仕置きだからね」

「は、はい!」


 お仕置きと聞いて、幸人は昨晩のアレを思い出す。

 鞭打ちと火責め。数千度に熱せられた鞭を振るわれる恐怖に幸人は身震いした。


 ◇◇◇


「幸人。今日は休めと主から命を賜れたのをお忘れですか?」


 一階の左手奥の客室は物置…と言うよりかは『火燕』の活動録(様々な発掘品や魔獣の毛皮や爪、鱗など商会で高値で取引されるようなものが揃っている)らしく、ブレアは新たに入ってきたのか梱包された木箱を品定めしていた。


「主様から許可は得ました。働いてもよいと」


 幸人は視線を廊下に向ける。幸人と一緒に入った同僚は今現在、清掃を任ぜられているようだ。恐る恐る視線を横にスクロールさせてゆき、昨日、ひと悶着あったウオウを探す。


(あれ?ウオウが居ない)


 ウオウの姿が見当たらなかった。

 幸人はもしかして同じように謹慎処分(幸人の場合は休息だが)を言い渡された可能性があると思い、ブレアに訊ねることにした。


「あ、あの…ウオウは?」

「ウオウは昨晩亡くなりました。急性の魔力暴発だそうです」

「え」


 急性の魔力暴発は体内を正常に循環している魔力因子が、なんの前触れもなく周囲の魔力因子と結びついて起こるものだ。


 ―しかし、


「急性の魔力暴発が自然に起こるのは体内生成魔力量が多い種の、それも幼児期に限る場合じゃ…」

「他にもありますよ。例えば外部から一気に魔力を注がれた場合など。この屋敷は魔力結晶がありますからね」


 ブレアは淡々と木箱の整理をしながら説明する。使用人の死を受けても何も気にしていない様子だった。


「それよりも仕事ですね。幸人以外には説明しましたが…」


 ブレアは作業を一旦中止すると、幸人に仕事の説明を始めた。


「使用人の主な仕事は清掃だけです。と言っても、この屋敷に滞在している場合は、です」


 ブレアは『火燕』の物資を見て言う。

 大精霊スカーレットの活動は多岐に渡る。『火燕』関連のものから国家元首との面会、はたまた危険分子の排除。そのどれもが重要でその度に従者は馬車馬の如く働かされるそうだ。戦場で亡くなった者も沢山いるらしい。

 しかし外で忙しい分、屋敷での活動は余暇みたいなものなのだそう。


「掃除は魔術で行うのですが、幸人は魔術が扱えないのでしたね?」

「はい…」

「なら大まかな場所は結構です。雑巾を使って細かな見落とし場所を拭いてください」


 それは暗に「使い物にならない」と言われているようなもので幸人は肩を落とした。

 清掃を行うくらいの魔術なら孤児院出身の使用人でも出来る。ここに来て簡単なものでも魔術を扱えるか否かの溝が深まった。


「…わかりました」


 仕事二日目早々に戦力外通告を受けた幸人だった。

 

 

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