第9話 炎染の苦

「説明できるかしら?」


 スカーレットの怒りに呼応するかのように、手のひらの灼熱は燃え盛る。

 壁や天井にある灯火もそれにつられて勢いを増した。


「…遅れた者がおりまして」


 席には座らず、スカーレットのすぐ側に控えているブレアは遅れながらそう説明した。

 遅れた者と名指しこそされていないが、誰のことを言っているかはすぐに分かった。当人であるドモンは恐怖に引きつった顔をする。


「誰かしら?」

「そこに控える斑の獣人です。名はドモン」

「…へえ」


 スカーレット矛先をドモンに向けた。

 ぼうっと火が空を伝い、ドモンの目の前を通り過ぎる。ドモンだけではなく、その列に居た使用人は全員、顔を青ざめさせた。


「ブレア、教育はしたの?」

「いえ」

「…わかってるじゃない」


 スカーレットは「私の為に残しておいたのよね?」と言って席を立った。

 ハイヒールのこつこつという足音が処刑までのカウントダウンみたいだ。誰もが火の大精霊スカーレットの二つ名『嗜虐姫』を頭に浮かべる。


「…初めてみたいだし、加減はするわ」


 スカーレットは火玉を線香花火みたいにドモンの頭上から落とす。


「ぎぃ!や!」


 じゅうぅぅ…と焦げる音がして、ドモンは机から転げ落ちた。

 スカーレットはそんなドモンを蹴り上げると、


「誰が勝手に寝そべっていいと言ったかしら?声も荒げて根性なしね」


 火は消えない。ドモンに落とされた火種はふつふつと燃え広がり、火傷を広げていく。

 じわじわと皮膚を炙る痛みにドモンは苦悶の表情を浮かべた。

 そんなドモンを見下ろすスカーレットは「あれ、持ってきなさい」と手の平を上にする。すると傍に控えていたブレアが丁重に鞭が入った箱をもってくる。


「遅刻をした者には、私が時間を確認した回数だけ鞭打ちすることにしてるの。でも、今回は初回だし…それに入ったばかりだものね。一回に留めておくわ」


 傍若無人な精霊の頂点からすれば、鞭打ち一回はとてつもない慈悲なのかもしれない。

 だが、幸人ら使用人は外の世界の位階を知らない。痛いものは痛いし、嫌だ。


「―いぎい!」

 

 ぱしんと軽快な音が鳴って鞭が振り下ろされた。

 ドモンは悲鳴を上げると、ごろごろと地面を転がった。


「さて。アンタの分はこれで終わりよ。…でもね」


 スカーレットは周囲を見渡して、鞭で地面を打った。


「コイツだけじゃないわよね。遅かったの」


 心臓が止まった。

 幸人はナイフを落とし、震えた手を行き場なく右往左往させる。


「はい。この者以外にも則時間を超過していた者がおりました」

「なら下から順番に…そうねえ、二匹くらい罰せばいいかしら?」

「いと尊き精霊の成すがままに」


 ブレアは目を伏せて一歩後ずさる。


「下から名前を挙げていきなさい」

「―幸人、ジール、ウオウ、エン、フイス、オーになります」


 下から二匹。ばっちり幸人が入っている。

 幸人は血を吸ったように赤黒い鞭をみて戦慄した。貧弱な幸人に耐えきれる代物じゃない。


「―ジール、ウオウ。前に出なさい」


 しかし、スカーレットは幸人を選ばなかった。

 これには周囲の使用人も目を見開く。本来は選ばれる筈がないウオウは猶更だ。


「お、お待ちください…なぜ、そこの人間は罰しないのです?」

 

 ウオウ。これまた斑模様の獣人種が異議を唱えた。

 それに対してスカーレットは小首を傾げると、


「聞いてなかったかしら?私は二『匹』と言ったのよ?」


 選ばれた二匹の獣人は唖然とした。

 言葉通りならそうなる。確かにスカーレットは二匹、と言った。人間は換算されない。

 だが、それで納得できるはずもなかった。


「お、お言葉ながら…遅れたのは事実です―ぎゃあ!」


 鞭がウオウを捉えた。

 空を裂く一撃。そこに炎の―1000℃を超える温度が乗る。痛みは倍増どころの話じゃない。

 

「私の言に異を唱えるとはね。決めた。あんた一人でいいわ、そっちの犬は許してあげる。でもあんたには鞭打ち百回よ。覚悟しなさい」


 食卓は地獄に変わった。

 幸人ら使用人は食事を続けることを許されたものの、ウオウの叫び声を聞きながらの食事だ。

 次々と運ばれてくるコース料理の味すらわからぬまま幸人たち使用人はただひたすら残すまいとナイフとフォークを動かし続けたのだった。

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