第8話 ひと時の休息は炎にかき消されて

 幸人は割り振られた部屋の豪華さに驚いていた。

 大きさは元の世界基準だと六畳間くらい。ふかふかの布団が敷いてあるベッドに机と椅子まで完備されている。書斎には欲しくてもお金が無くて買えなかった物語がずらっと。しかもそれだけじゃない。測量法や気候観測術が書かれた専門書に冒険者用の魔物や薬草図鑑。そして何よりも幸人の心を躍らせたのは…


「冒険譚がある!」


 冒険譚だ。今一番有名な冒険者フリース・ユリサエルが著書『落陽』に、英雄と称された冒険者—『勇者』ゲイマン・ノーティスの相棒ブリンゲルがゲイマン亡きあと後年に記した『ゲイマン探検記』など。有名どころが沢山揃っている。


「…っと、気をとられてちゃダメだ!早く支度しないと…」


 ブレアは『着替えて来るように』と言っていた。そして候補ではなく、『使用人』とも。つまり幸人たちはもう孤児院で暮らす子供ではない。スカーレット様に雇われた使用人という扱いだ。給与も発生する。生半可な仕事は許されない。


「…ん、」


 使用人服に袖を通す。少なくともこの世界に来てからは断トツ一番の素材だ。

 重厚感のある質感だが、軽い。これ一枚で金貨数十枚はしそうだ。


「うわ。もう皆揃ってる」


 使用人服に着替えた幸人が部屋を出ると、既にブレアと使用人服に着替えた同輩の姿があった。

 一匹、二匹、三匹、四匹、五匹、…あれ?一人いないな。

 幸人を入れても六名。一匹足りない。

 

(誰だろう…ここにいる皆とは昔から一緒にいるけど、獣顔で区別がつかないんだよね)


 そんなことを思って待っていると、


「お、遅れました…!」


 茶色い水玉模様のある犬亜人種がズボンを引きずりながらやってきた。

 こいつは見覚えがある。遅刻の常習犯ほどではないが、礼服に着替える日―祈祷の日では必ずと言っていいほど遅刻する着替えが下手なドモンという犬人種だった。


「…遅いですね。それに着替えもまともに出来ていない」


 ブレアは冷たい眼差しをドモンに向けた。


「ひ、ひいい!お許しを!」


 叱られたドモンは地に頭を擦りつけて土下座の姿勢で謝罪する。

 それを見たブレアは火色の瞳を全員に向ける。


「いいですか?貴方たちはこれより世界で最も尊き存在である火の大精霊にお仕えするのですよ。遅刻はもとより所作も主に恥をかかせないように」

 

 ブレアは全員の服装を確認して回る。


「…それでは食堂に参りましょう。スカーレット様がお待ちです」


 ブレアに案内されるまま一階の食堂へ向かう。

 食堂は孤児院のものよりもやや狭い…がこれまた豪華だった。縦長の机にはテーブルクロスが敷かれ、全員分の席にワイングラスが置かれていた。

 その最奥に赤熱の髪の精霊、スカーレット様が座っていた。炎のようなドレスコーデに身を包み、血のように赤く染まったワインを嗜んでいる。


「ブレア。新人はどうかしら?」

「…初日はこんなものかと」

「そう」


 心臓がバクバクと鼓動する。

 ここでブレアが幸人ら使用人に苦言を呈せば苛烈なお仕置きが待っているだろうからだ。

 お仕置きで済むのならまだいい。仮に解雇となれば…弱い幸人らは餓死直行だ。


「貴方たち、座っていいわよ」


 スカーレットの許しが出て、皆一様にほっとした表情になる。

 各々、なるべくスカーレット様から離れるようにして席に着いた。やっぱ怖いものは怖いのだろう。

 幸人は最後になってしまい、スカーレットの右隣。


(…き、緊張する)


 幸人は青ざめた顔をしながらも、なんとか姿勢を整える。


(緊張で吐いたら終わりだ。気をしっかり保たねば)


 そうこうしている間に前菜が運ばれる。運んでくるのは幸人らの先輩にあたる使用人達だ。


「お、美味しい」


 一口咀嚼して野菜の瑞々しい旨味が広がった。

 孤児院の王都から数日掛けて運ばれた腐りかけの野菜とは鮮度が違う。


「そう?良かったわ」


 幸人を見てスカーレットは微笑んだ。

 どうやらご機嫌なご様子。幸人も他の使用人も一安心。

 …だったが、


「ところでブレア。私が内々に定めた時刻から遅刻したようだけれど」


 スカーレットは手に灼熱を迸らせながら、ブレアに詰問する。

  

(((((((あ、終わった…)))))))


 スカーレット様はお怒りになられていた。

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