第2話 火の大精霊。またの名を嗜虐姫

 レイクに促された幸人は孤児院の事務室に足を運んだ。


「あ、幸人です」

「来たかい。入んな」


 事務所に居たのは巨大な熊の老婆。熊人種ベアールフのマイアン・デルソンだ。

 『デルソン』という姓は代々、リンジャ国の国王からこのアーズム孤児院を経営する者に与えられる称号のようなもので、貴族階級の一個下。誰であろうと上級市民の証である姓を賜れる。


「ニンゲン。急遽だが、オークションの来賓は一人だけとなった」

「え?」


 幸人は驚く。それもそのはず。オークションは年に一度の決済期。純金貨数千枚が動く。大抵は貴族達に加えて国の官吏も招かれる。来賓がたった一人だなんて前代未聞だった。


「来賓の名前はスカーレット。火の大精霊様だ」


 スカーレット。その名前を聞いて、幸人はひゅっと渇いた空気を喉から漏らした。

 大精霊とは精霊として最低数百年の年月を過ごし魔力を蓄えた存在で、火、水、風、土、の四元素に各一人が居座る。

 中でも火の大精霊スカーレットは童話で悪辣な令嬢や姫様として描かれているほど、悪いイメージが先行している。


「スカーレット様は…その、なんだ。本が好きなお前なら知ってるだろう―嗜虐姫と呼ばれていることを」


 火の大精霊スカーレットは精霊として極めて特殊な存在で、リンジャ国においては旧貴族(疫病などで世継ぎが死に、血脈が途絶えた貴族の家系)の姓を与えられた令嬢だ。精霊という高貴な存在にしては俗物的。


「そのスカーレット様がな。我が孤児院から供回りが欲しいと仰せつけなさったのだ。これは大変誉れなことであり、国王様が特別にとスカーレット様の歓待をうちの孤児院ですることになったのだ」


 幸人は足が震える。デバフの病弱が発動した。精神汚染に対してもその効果が倍増する。

 カチカチと歯が鳴り、吐き気と頭痛に襲われる。


「お、ええ…」

 

 マイアンは体調不良に見舞われる幸人を介抱する。幸人はその場で吐しゃ物をまき散らした。


「ニンゲン。お前も明日の歓待には商品として出てもらう。あのお方は好事家だ。人間種のしかもオス。もしかしたら興味くらいは持ってもらえるかもしれん」


 マイアンの言葉は幸人にとって、死刑宣告と同義であった。



 事務室を後にした幸人は震える足をなんとか引きずりながら自室に戻った。

 

「スカーレット様…僕なんかが謁見したら、その場で殺される…」


 童話で何度も登場するほどの大偉人。その一人の前に幸人は立つ。

 しかも、嗜虐姫と恐れられているスカーレットだ。


「どうにかして逃げないと…」


 幸人は孤児院からの脱出を考える。地図があれば逃げてからの行動もとりやすいだろう。

 リンジャ国は肥沃な平野に覆われている。気候は月に関係なく温暖で、獣も狼くらいしかいない。孤児院のすぐそばの川を辿って…


 回路が繋がった。


「ニンゲン。清めの時間だ」


 気づけば月七の刻。清めの時間だ。

 幸人が来ないので、回路を繋げるほど魔力を持った竜人種ドラゴノイドのレイクが呼びに来たようだ。


「わ、わかりました…今行きます」


 幸人は布を持って浴場へと向かった。

 浴場は男女混浴。男も女も裸になり、温水を浴びせられる。

 鱗亜人種は年中裸みたいなものだし、獣亜人種も毛に覆われていてあまり恥ずかしさはない。

 問題は、幸人だけ。幸人は羞恥心を捨てて衣服を脱ぎ去った。


「水の精霊よ、魔力を宿したまえ。火の精霊よ、熱を宿したまえ」


 浴場を担当する事務員の一人、蛙人種フロガルドの女性が魔術を行使する。

 熱水が上から浴びせられる。日本に居たころとじゃ衛生観念が違い過ぎて正直に言って臭いと感じる孤児院だからこそ、この瞬間は至福だった。


「明日。歓待の商品は前へ。特別に垢もとってやろうぞ」


 蛙人種フロガルドの事務員が明日の商品たちを呼びとどめた。

 しばらく浴場で立っていると、蛙人種フロガルドの女性が舌を伸ばしてべろべろと舐めてきた。

 

(うええ…)


 周りの亜人種は平然としているが、幸人は生理的嫌悪感に襲われる。


「歓待は明日の陽九の刻だ。しっかり休んで体を整えておきなさい」


 幸人は逃げる機会をとうとう失い、そのまま列に並んで部屋に戻らされた。

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