第35話 美紀先輩の運転

 無事に車線変更を済ませたことで、俺たちはホッとしていた。


 「バスがどこにもいません。これは追いつかねば」


 込山さんがとんでもないことを言いだしたことで、俺たちに緊張が走る。

 そして、グッと背もたれに押し付けられ、車が加速を始めると、恐怖が俺たちを襲った。


 「しおりん。目的地は一緒なんだから、急がなくても大丈夫よ」


 「そうはいきません」


 美紀先輩が優しく声を掛けたが、込山さんは聞く耳を持たない。

 ガラガラの追い越し車線に移ると、車はさらに加速を始める。


 「「「「「ヒィー!!!」」」」」


 込山さんの運転を信用出来なくなった俺たちは、悲鳴を上げた。


 「そんなに飛ばすと、捕まるよ」


 「うっ……」


 遠崎の一言で、数台を追い越した込山さんはバスに追いつくのを諦め、中央車線に戻る。


 「遠崎、良く言った!」

 「拓、ありがとう!」

 「「「良かったー」」」


 俺だけでなく、皆からも安堵の声が漏れた。


 「なっ! とっても納得いかないんですけど……」


 込山さんだけが拗ねるのだった。




 車線減少が終わると、俺たちの乗る車は一番左の走行車線へと移った。

 もちろん、バスの姿は見えない。


 「私、運転する気が削がれました。そこらへんに停めるので、誰か交代して下さい」


 すっかり拗ねてしまった込山さん。

 ……ん? そこら辺に停める?


 「「「「「ダメー!!!」」」」」


 込山さんが路肩に停める気でいることに気付いた俺たちは叫んだ。


 「大丈夫ですよ。この車なら、外に降りなくても後退できます」


 「「そういうことじゃない! 教習所に行き直せ!」」


 彼女に向かって、遠崎と美紀先輩が怒鳴った。

 初めて見る遠崎の怒る姿に、俺は遠崎も怒ることがあるんだと思ってしまう。


 込山さんは渋々と運転を続ける。

 しばらくして、パーキングエリアの看板が出てきた。


 「ここに入る」


 込山さんはそう言うと、少し先のパーキングエリアの入り口に着くと、そこへ入って行く。

 そして、駐車場に停めるのだった。




 駐車場で少し休むと、運転手は美紀先輩に代わる。

 助手席には早紀さんが座り、込山さんは最後尾の座席に座った。

 そして、美紀先輩の運転で高速道路へと戻って行く。


 美紀先輩は中央車線と追い越し車線を使って、バスを追いかける。


 「美紀先輩、バスには追い付けそう?」


 「このペースで走っていれば、降り口のインターチェンジ辺りで追いつけると思うわ」


 早紀さんと美紀先輩の会話を聞いて、美紀先輩に任せておけば大丈夫そうだと、俺は安心した。

 丁寧で安定した運転が続けられると、込山さんの運転の時とは違って眠気が襲ってくる。

 そして、運転する人によって、こんなにも快適さに差が出るのかと、美紀先輩の運転に感心するのだった。


 ウトウトしている間に、車は降り口のインターチェンジ付近にまで来ていた。

 俺は前のめりになり、バスには追い付けたのかを確認する。


 「バスには追い付けなかったんだ」


 「ええ、途中で少し詰まったりしてたから、ごめんね」


 美紀先輩が謝ってくる。


 「いえ、目的地に着けばいいんですから、問題ないです」


 「ありがとう」


 俺が答えると、彼女は微笑んだ。


 「スースー」


 寝息が聞こえる。

 助手席を覗き込むと、早紀さんが気持ちよさそうに眠っていた。

 俺はもしやと思い、車内を見渡す。

 ……全員、気持ちよさそうに眠っていた。


 「美紀先輩。皆で寝てしまった中を運転させて、ごめんなさい」


 「いいのよ。きっと、しおりんの運転で疲れちゃったのよ」


 女神だ!

 俺は、微笑む彼女の優しさに感動するのだった。




 車はインターチェンジを降りて、一般道を進んで行く。

 信号で停車することが増え出すと、皆も起き出した。

 皆は窓の外を眺め、一般道を走っていることに気付くと、寝てしまったことを美紀先輩に謝る。

 彼女は謝られる度に、「いいのよ」と優しい笑顔で答えるのだった。


 一般道をしばらく走っていても、バスに追いつけそうな気配はまったくない。

 早紀さんがお兄さんに電話を掛け、どのあたりを走っているのかを聞くと、バスはすで

に山道を走っているとのことだった。


 「そろそろ、こっちも山道に入るから、追い付けそうなんだけど……」


 美紀先輩は、ナビを確認しながら眉をひそめる。

 ナビの地図には、山道の入り口付近の道路が真っ赤に表記されていた。


 「ねえ、野山君。抜け道とか近道はないの?」


 早紀さんが、振り返って聞いてきた。


 「この辺りは観光客が多いから、休みの時期はどの道も混んでるんだよ」


 「そうなんだ」


 彼女はナビを少しいじってから、肩を落とした。


 昼時ということもあって、渋滞は解消されるどころか、さらに酷くなりそうだった。

 車が進まない間に、美紀先輩と遠崎が運転を交代する。

 そして、ちょっと進んではしばらく停まってを繰り返し、時間だけが過ぎていく。


 「もう、バスは着いちゃったかな?」


 彩矢がヘッドレストの間から顔を出す。


 「大丈夫だよ。バスは着いているかもしれないけど、バスだと麓の入り口までしか行けないから、その後は山の中を歩かないと合宿所には辿り着けないから」


 「「「……」」」


 俺が答えると、彩矢だけでなく、武岡さんと込山さんも顔を引きつらせていた。


 「思い出した。あれは道を進むとかじゃなくて、ほぼ登山よ」


 早紀さんが嫌そうな顔をする。


 「だから大丈夫だって、この車なら、裏道を通って家の前までいけるから」


 「「「「「……」」」」」


 眉間に皺を寄せた皆が、俺を見つめてくる。


 「何?」


 「「「「「何でもない……」」」」」


 声を揃える皆に、どこか納得がいかなかった。




 一時間弱を費やし、なんとか渋滞を抜けることが出来た。

 山道を安全運転で走らせる遠崎。

 くねくねと曲がる道は登ったり下ったりとせわしなくなる。

 遠崎は山道の運転に慣れていないせいか、制限速度以下に抑え、ハンドル操作に苦労しているようだった。


 「遠崎君。代わろうか?」


 美紀先輩が彼に声を掛けた。


 「お願いします。普段はあまり乗ることがないから、こういう道は苦手で……」


 遠崎は苦笑する。


 「では、私が」


 「「「「「ダメー!!!」」」」」


 手を挙げた込山さんを、皆で拒絶した。

 ガックシと肩を落とす彼女を放置して、車は停車できるスペースのあった路肩に停まる。

 そして、遠崎と美紀先輩が交代した。


 美紀先輩の運転で車が走りだす。

 山道の運転にも慣れているのか、車は遠崎の時とは違い、徐々に加速していく。

 カーブに来ると、身体に遠心力がかかる。

 結構、飛ばすな。

 そんなことを思っている最中も、車は加速をやめない。

 目前にカーブが見えてくる。

 この速度で曲がるのか?

 俺は迫ってくるカーブを見つめ、身体を強張らせた。


 クゥゥゥー。


 車がカーブに入ると、タイヤはわずかに鳴りだす。

 カーブを抜けると、すぐに次のカーブが現れた。


 クゥゥゥー、キュルルル。


 タイヤの音は、途中から甲高くなっていく。


 「うん。もう少し上げても大丈夫そうね」


 美紀先輩の納得するようなつぶやきに、俺は青ざめた。

 ミニバンで、何に挑むつもりだ……。

 彼女の運転は、徐々に加速と減速が激しくなっていく。


 キュルルル、ギャァァァー。


 カーブでのタイヤの音が、悲鳴へと変わる。


 「「「「キャァァァー!!!」」」」


 車内では、女性陣の悲鳴が上がった。


 「ミニバンなのに、結構、食いつくわね」


 満足そうにつぶやく美紀先輩。

 ハンドルを握る彼女は、楽しそうな微笑みを浮かべる。

 そして、その目には炎を宿していた。

 こ、これは……。

 俺が察したと同時に、彼女の自重は外れ、車の挙動がおかしくなる。

 カーブの手前でフルブレーキング。

 俺の身体は前のめりになった。


 ギャギャギャギャギャァァァー。


 そして、エンジン音は唸り、タイヤは悲鳴を上げ、加速しながらカーブを抜けていく。

 車の後輪が滑りだすと、全身の毛が逆立つ。


 「「ギャァァァー!!!」」


 俺と遠崎は悲鳴を上げた。


 「「「キャァァァー!!!」」」


 後方からは、彩矢、武岡さん、込山さんの悲鳴が聞こえる。

 マズい。家までは、こんな道が続く……。

 フル加速、フルブレーキング、ドリフトが連続する中、美紀先輩が曲がる方向とは反対方向にハンドルを切っている姿が目に飛び込んだ。


 「美紀先輩! ハンドルが逆!」


 「カウンターステアよ」


 恐怖で俺が叫ぶと、美紀先輩は冷静に答えた。

 そいうことじゃないのだが……。


 「「ギャァァァー!!!」」

 「「「キャァァァー!!!」」」


 俺たちは、先に到着した武術研究会のバスが停まっている駐車場まで、悲鳴を上げ続けるのだった。

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