第31話 検証一日目

 御守りのおかげで、奴は俺たちの周りを周回するだけで近付いてこなくなった。

 どこか悔しそうにも見える姿を見て、いい気味だと喜ぶ。

 しかし、こちらからも何も出来ないことを思うと、素直に喜んだままでもいられない。

 奴はどうか知らないが、こちらは精神的にも肉体的にも疲労するからだ。


 「このままだと、らちが明かないな」


 俺は愚痴った。


 「何を他人事のように。言っておきますけど、私たちは、野山君と彩矢ちゃんに巻き込まれているんですからね」


 込山さんは、俺を睨む。


 「それを言うなら、私が一番の被害者よ! 特に、のせいで」


 早紀さんは、込山さんを睨む。


 「そんなことよりも、あのウザい奴をどうにかすることを考えましょう」


 休みもせず、周りを飛び回っている奴を指差す武岡さんに、俺たちは頷いた。


 しばらくの間、皆で奴を観察する。

 奴には学習能力があるらしく、御守りが作る結界に飛び込んで弾かれることを何度か繰り返した後は、全くしなくなっていた。


 「結界に飛び込まなくなってますから、奴は学習できるようですね」


 込山さんも気付いたようだ。


 「あのGって、呪いなんでしょ。なら、呪ってる奴は人間なんだから、学習能力くらいあるんじゃないの?」


 「そう言えば、そうでしたね。どこかバカっぽく感じたので忘れていました」


 早紀さんに答えた込山さんは、恥ずかしそうに頭を掻く。


 「うーん? んん? おっ! 早紀さんのおかげで閃きました」


 皆の期待が、込山さんに向けられる。


 「早紀さん、ちょっといいですか?」


 「何?」


 込山さんは早紀さんの背後に回って、彼女を抱き寄せた。


 「えっ? しおりん? 何がしたいの?」


 「こうしたいんです」


 バッ!


 「「「「「!!!」」」」」」


 そう言って、早紀さんのシャツを、勢いよくめくり上げる。


 「キャァァァー!」


 すると、甲高い悲鳴と共に、レースの飾りがついた薄いピンク色のブラが、彼女の胸を包む姿をあらわにした。


 「「ブハッ!」」


 思いもよらぬ出来事に、俺と遠崎は吹き出す。

 一方で、奴は早紀さんの前を通り過ぎたにもかかわらず、その光景に気付いた途端、反転して引き返すと、彼女の胸を目掛けて突進する。


 ピシッ。


 そして、結界に弾かれた。


 「フフフ。これで、奴がオスだと分かりました」


 ボスッ。


 「グホッ! ゲホゲホゲホ……」


 早紀さんの肘が込山さんのお腹にめり込むと、彼女はお腹を押さえてむせ込んだ。


 「なんてことをするのよ!」


 ごもっとも……。

 シャツを直した早紀さんは、真っ赤な顔で込山さんを睨みつけている。


 「ご、ごめんなさい。でも、これで、この呪いをかけた奴が男だということも検証できたんですから、喜んで下さい」


 「喜べるかー!」


 早紀さんは、込山さんの頭を両手で掴むと、荒々しく振った。


 「さ、早紀ちゃん……。や、やめて。ごめんなさい。頭がクラクラします……」


 フラフラになった込山さんは、その場にへたり込んだ。

 バカだ……。


 ゾクゾク。


 俺は殺気のこもった視線を感じる。

 恐る恐る振り返ると、怒りに満ちた目をした彩矢が、俺を睨んでいた。


 「えーと、彩矢……さん? 怒ってらっしゃる?」


 「当たり前だよ!」


 「ごめんなさい。でも、不可抗力ってやつだから」


 「言い訳は聞きません」


 「ごめんなさい。もう、しません」


 ん? 込山さんがやらかしたのであって、俺は何もしていない。これって、巻き込まれ事故じゃないか。


 「許すのは、今回だけだからね」


 「はい。肝に銘じておきます。ごめんなさい」


 結局、彩矢には逆らえず、何度も頭を下げるのだった。




 若干、ご機嫌が斜めの彩矢と武岡さん、早紀さんの三人。

 そして、しょんぼりとうつむく俺と遠崎、込山さんの三人。

 げんなりとしている表情から、遠崎も武岡さんにこってりと絞られたようだ。

 と言うか、俺と遠崎は、どちらかというと被害者側なのだが……。

 そんな俺たちは、再び奴を観察していた。


 込山さんは、自分の御守りをジッと見つめてから、武岡さんが持つ蠅叩きに目を向ける。


 「ちょっと試したいことがあるんですけど、いいですか?」


 皆の視線が、彼女に向けられた。


 「沙友里ちゃん。その蠅叩きを貸してもらえますか?」


 コクリと頷いた武岡さんは、彼女に蠅叩きを渡す。

 受け取った込山さんは、蠅叩きに御守りをくくり付け始める。


 「できた!」


 得意げに、御守りがくくり付けられた蠅叩きを掲げる込山さん。


 「結界にぶつかって弾かれるなら、御守りをくくり付けたこの蠅叩きで叩けば、ダメージを与えられるかもしれません」


 「「「「「おぉー!」」」」」


 俺たちは、彼女に感心する。


 「まだ、これから試すので、上手くいくかは分からないですけどね。ということで、野山君、はい」


 ということでって……俺がやるのかい!

 俺は、渋々とその蠅叩きを受け取った。

 蠅叩きを構えた俺は、奴が自分の前を通るタイミングを計る。

 二周目、三週目と、奴は俺の前を悠然と通り過ぎて行く。


 「野山君、何をしてるんですか? さっさと、やっちゃって下さい」


 「そんなことを言っても、奴がフラフラしていて、タイミングを計るのが難しいんだ」


 「しおりん、集中させてあげて」


 彩矢は、俺を気遣ってくれる。

 皆の視線が俺に集中する中、俺は奴の動きに全神経を注ぎ込む。

 奴は蠅叩きを持って待ち構える俺を嘲笑うかのように、こちらへ近付いてくる。


 「今だ!」


 シュン、スカ。


 バサササササ。


 奴は蠅叩きをかわすと、天井付近まで逃げてしまった。


 「「「「へたくそ!」」」」


 彩矢を除いた皆から、罵声が飛んでくる。

 そ、そんなことを言われても……。俺に押し付けておいて、酷い。


 「まじめにやって下さいよ。当てないと検証にならないじゃないですか」


 「分かってるよ。俺だって真面目にやってるんだから」


 俺は文句を言う込山さんに反論した。


 「今度は、しっかりと当てて下さいよ」


 「分かってるよ」


 返事をすると、蠅叩きを構えた俺は、奴が近くに来るのを待つ。


 バサバサバサ。


 奴は、俺をバカにでもするように、目の前で旋回を始めた。


 「「「「「おちょくられてる?」」」」」


 「うるさいよ!」


 皆の言葉のせいもあって、恐怖心よりも、怒りのほうが俺の心を占める。

 今度こそは。

 俺は、奴が確実に当てられそうな間合いに入るまで、先走らないように堪えた。


 バサバサ、バサササササ。


 「そこだ!」


 シュン。


 ピシッ!


 蠅叩きが当たると、青白い光が放たれる。

 すると、奴は弾き飛ばされ、床に背けとなって転がった。


 「よし!」


 「「「「「やったー!」」」」」


 奴から目を離すと、ハイタッチをしたりして、皆で喜んだ。




 遠崎が箒と塵取りを持って、奴を片付けに向かう。

 念のため、蠅叩きを持った俺も付き合うことにした。

 遠崎は、奴のそばに塵取りを置くと、箒で掃く。


 「「……」」


 俺と遠崎は無言のまま、顔を突き合わせて固まる。

 箒が奴の身体をすり抜けて、掃けなかったからだ。

 再び奴に視線を戻すと、その黒光りのおぞましい姿は、粒子へと変換されるように、光の粒となって消えて行く。


 「「ヒィッ!」」


 その光景に、二人で悲鳴を上げてしまう。

 そして、奴の姿は消えてなくなった。

 退治できた……と思っていいのだろうか?


 「退治できた……みたいだね」


 遠崎の言葉に、まだ不安が残っていた俺は小さく頷く。


 「どうしたの? 大丈夫?」


 武岡さんがこちらを心配して、声を掛けてきた。

 二人で彼女たちの元へ戻ると、今、起きた出来事を話す。


 「ふむふむ、なるほど。それは退治できたと思っても大丈夫でしょう」


 込山さんの言葉に、皆は安堵の表情を浮かべた。


 遠崎は、照明をつけるためにリモコンのボタンを押す。


 「……あれ?」


 「ん? 遠崎、どうした?」


 「点かない」


 「何が?」


 彼が上を向くと、俺もつられるように上を向いた。


 「しょ、照明が点かないんだ」


 ゾワゾワゾワ。


 その言葉に、俺の全身の毛が逆立つ。

 そして、女性陣の顔が青ざめる。


 プツン。


 テレビから音がすると、画面が光を放った。

 俺たちは、一斉に視線を向けたが、画面は真っ黒だった。

 画面を見ていると、カメラが引いていく映像が流れ、黒く光る奴の姿が現れる。


 「「「キャァァァー!!!」」」


 「ズームアウトするな!」


 彩矢、武岡さん、早紀さんは悲鳴を上げ、込山さんはツッコミを入れた。


 カサッ、カサカサ。


 画面の中を動き回る奴の音が、スピーカーから響く。


 「「「イヤァァァー!!!」」」


 立体感のある音質に、彩矢たちは耳をふさいで、再び悲鳴を上げた。


 「この庶民の敵が! ドルビーアトモス対応のテレビなんて買うな! 怖さがより一層増すじゃないですか!」


 理不尽な文句を、遠崎に向かって叫ぶ込山さん。

 気持ちは分からなくもないが……。


 テレビを壊すわけにもいかない。

 画面の中の奴に何もできない俺たちは、身体を寄せ合うように固まる。

 そして、耳をふさいで、奴がいなくなるのを待つのだった。


 外が明るくなると、室内も明るくなっていく。

 朝が来たようだ。

 室内が日差しに照らされ始めると、奴はいなくなっていた。

 奴から解放された俺たちが安堵した途端に、睡魔が襲ってくる。

 そして、一人、また一人と、布団の上に倒れ込むと、動かなくなった。

 俺も布団の上で横になると、すぐに意識が遠のいたのだった。

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