第26話 妬みのG
バサバサバサ。
奴がおぞましい羽音を立てながら向かってきた。
彩矢は御守りを掲げ、俺は彼女を庇うようにかぶさり、奴の様子をうかがった。
ピシッ!
電気のスパークのような青白い光が放たれ、奴は弾き飛ばされる。
「「!!!」」
俺と彩矢は、その光景に驚く。
バサバサバサバサバサ。
奴は助走をつけるように、部屋の端から勢いをつけて飛んでくる。
ピシッ!
再び電気のスパークのような青白い光が放たれ、奴が弾き飛ばされた。
俺は、奴が弾かれた辺りに手をかざしてみる。
触ることも見ることも出来ないが、何か壁のような物は、確実にがあるらしい。
それからは、目に見えない壁を警戒した奴がベッドの範囲から中に入ってくることはなくなった。
そして、ベッドの周りをイラついてでもいるかのように、左右や上下への飛行を頻繁に続け、こちらを威嚇しているようでもあった。
御守りのおかげで、奴がベッドの範囲へは入ってこれない。
どちらかというと、あまり信心深くない俺だったが、御守りの効果を知ると、さすがに神社へ行って、神様にお礼と感謝の気持ちを伝え、お賽銭を奮発したいと思うのだった。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
奴は床伝いにベッドの下に潜り込もうとしたが、見えない壁に弾かれると、姿を現したまま、ベッドの周りをおぞましい音を立てながら、飛び続けたり、這いまわり続けていた。
こちらに入ってこれないと分かっていても、奴の存在自体が俺と彩矢の体力と精神を疲弊させる。
そして、俺たちは、たまに意識をもうろうとさせていた。
これでは拷問だ。
かすかに残っていた思考で、この状況を整理しようとしていると、ふと、込山さんを思い出した。
「なあ、彩矢」
「何?」
彼女はうつろな表情で、こちらを見る。
かなり疲れているようだ。
「込山さんが、何かこんな感じの都市伝説を言っていたような気がするんだが……」
「あっ! そう言えば……」
彩矢の目に生気が戻ると、彼女はあごを押さえて考え込んだ。
「うーん。思い出せないから、電話してみる」
そう言って、彩矢は込山さんに電話を掛ける。
こんな深夜に電話を掛けて起こしたら、文句を言われそうだが、非常事態なので勘弁してもらおう。
そんなことを思っていると、電話が通じたのか、彩矢はスピーカーに切り替えた。
「も、もし……もし?」
「しおりん? ごめんね。寝てた?」
彩矢は申し訳なさそうにする。
「誰だー! 今、何時だと思ってるのよー! 寝てたに決まってるでしょ! プツン。ツーツーツー」
「「……」」
睡眠を邪魔された込山さんは、ご立腹のようだ。
彩矢は、再び電話を掛ける。
「もーう、誰よ!?」
「彩矢です。すぐにでも、しおりんに聞きたいことがあって」
「ん? 彩矢ちゃん? こんな時間にどうしたの?」
彩矢は、込山さんに今までの経緯と現状を話した。
「ふむふむ。なるほど、なるほど」
込山さんは、彩矢の話しに相槌を打つ。
「ん? えっ、野山君の部屋に泊まってるって、こんな時間にのろけられても……」
「「そっちじゃない!」」
俺と彩矢は、声を揃えて叫んだ。
「あっ、野山君もいるんだ。って、そりゃそうか。……この、ス、ケ、ベ」
イラッ。相談する相手を間違えた気がする。そして、すぐにでも電話を切ってやりたい。
「彩矢、切ってもいい?」
「ごめん、ちょっと待って!
込山さんの叫び声が、スピーカーから聞こえる。
「野猿って、わざと言い間違えてるだろ!」
「野猿……コホン、野山君。胸に手を当てて思い出してみて、君は彩矢ちゃんにお猿さんのような行為をしなかったと言いきれますか?」
痛いところを突いてくる。
「そ、それは……」
「図星か。このエテ公が!」
「やかましいわ!」
何も情報が効けていないのに、異様に疲れた。
「しおりん。それで、Gを退治できるの?」
彩矢だけは冷静に話しを進める。
「そうでした。えーと、彩矢ちゃんからの話しから、それは、最近流行りの都市伝説の『妬みのG』に間違いありません」
込山さんが断言した。
「そんな物を流行らせるな!」
流行りという単語が、俺を苛立たせた。
「エテ公君。私に怒鳴られても……」
この期に及んでも、俺をからかってくる込山さん。
「それで、しおりん。何とかする方法はあるの?」
「えーとですね。解決策の情報は入ってきてないんですけど、『妬みのG』は妬みと付くだけあって呪法の類なのと、彩矢ちゃんから聞いた御守りに近付いてこなかったことから推測すると、おそらく、そのGに……ガサ、カサカサカサ。ギャァァァー!」
スピーカーからは、奴が移動するときのおぞましい音と込山さんの悲鳴が響く。
「しおりん!」
「込山さん!」
俺と彩矢は叫んだ。
「ちょっと! 鳥肌が立つような音を拾わないで下さい。嫌がらせですか?」
「しおりん。こっちでは何もしてないよ」
「えっ? カサッ、カサカサ、バサバサバサ。ギャァァァー! ツーツーツー」
おぞましい音と込山さんの悲鳴の後、通話は切れてしまう。
彩矢は再び掛けなおすが、首を傾げる。
そして、スマホの画面を見ると、青ざめた顔で俺を見た。
「どうしたの?」
「急に、圏外になった……」
それを聞いて、俺も背筋が凍る。
この『妬みのG』って、呪法とか言っていたけど、誰がこんなにもおぞましい呪いを考えつくんだ!
込山さんは解決策を思いついたようだけど、最後まで聞けずに終わってしまった。
何も為す術がない俺は、彩矢と共に奴がいなくなるのを願い、ただ耐えるだけになってしまった。
カサカサ、バサバサバサ。
その音に、ハッとした俺は辺りを警戒する。
いつの間にか、俺は意識を失っていたようだ。
彩矢は、俺にもたれかかって寝ていた。
まだ、少しもうろうとする頭で状況を確認すると、室内に陽が差し込み始め、徐々に辺りを明るく照らし出していた。
そして、その日差しの温もりが恐怖で冷え切った身体を温め、心地よく感じる。
俺は彩矢を起こさないように注意を払いながらカーテンを開けると、日が昇るのは早く、あっという間に朝を迎えた。
すると、奴の気配はなくなる。
奴は立ち去ったようだ。
試しに照明のリモコンを押してみると、パッと灯りがつき、点滅することも消えることもなく光り続けていた。
「フゥー」
俺は肩の荷が下りた時のように、大きく息を吐いて安堵する。
再び彩矢を見ると、彼女の頬には涙が伝った痕が残っていた。
寝たというよりも、恐怖と疲労で意識を失ったというところだろう。
俺は彼女の頬に、そっと手を触れる。
「んん。んー」
彩矢は呻き声をあげて目を覚ますが、その目はトロンとしていて、まだ眠そうだった。
「ごめん、起こしちゃった?」
「ううん。大丈夫」
彩矢は目をこすりながら、軽く笑みを浮かべる。
ブオーン、キキッ。
新聞配達だろうか? こまめに停まるバイクの音が、外から聞こえてきた。
いつもならうるさいと苛立つであろう騒音に、心が恐怖心から解放されていき、安心感に包まれていくような心地よさを感じる。
今なら、ご苦労様と、心の底からの感謝の念を述べられそうだ。
「あっ、野山君?」
目を覚ました彩矢は、意識がはっきりしてきたのか、俺の顔を見上げる。
そして、すぐに顔を強張らせた。
「野山君、あれは、Gのお化けはどうなったの?」
「外が明るくなって、騒がしくもなってきたら、いなくなったみたいだ」
「そ、そう。良かったー」
彼女は安堵すると、ギュウっと俺にしがみついてぐったりとする。
心の底から安心したのだろう。
しばらくの間、俺たちは、ベッドの上で黙ったままジッとしていた。
外から登校する学生たちの騒ぐ声が聞こえてくると、悪夢から覚めたかのように、平然と大学に行く支度を始めるのだった。
昨夜、逃げ惑った際に散らかしてしまった部屋も、二人で片付けていく。
奴に被せたティッシュだけがフローリングの上に残る。
俺は息をのみ、恐る恐るそのティッシュをどかすと、そこには奴の姿はなかった。
もう大丈夫だと分かっていても、襲われる恐怖を心身ともに覚えており、俺は恐怖心を堪えるように、取ったティッシュを丸めて、ごみ箱へ捨てる。
そんな俺を強張った顔で見つめていた彩矢と視線が合うと、お互いに苦笑してしまう。
そして、支度を終えた俺たちは、玄関の扉が開くことを確かめると、何もなかったかのように部屋を後にするのだった。
◇◇◇◇◇
腕を組んで大学へ向かう俺と彩矢の前を、女子高生のグループが楽しそうに、会話に花を咲かせながら歩いていた。
「ねえねえね、『妬みのG』って知ってる?」
「妬みの爺? 何それ? 何のお爺ちゃん?」
「お爺ちゃんじゃなくてー、黒いGのこと」
「うげっ、朝から変な話しをしないでよ。うー、寒気がしてくる」
「それで、それで? その妬みのGって何?」
別の子が興味を抱いて、話しを聞きたがる。
「最近、流行ってる都市伝説で」
「うんうん」
「妬んでる相手をGに襲わせる呪いなんだって」
「うげー、きもっ! うちに出たら、弟に始末させなきゃ」
「それが、そのGはお化けだから、殺せないんだって。それに、一晩中襲ってくるから寝られないし、ずっと辺りを移動したり飛び回ったりして、恐怖を与え続けるんだって」
「「「「「何それ、こわっ!」」」」」
周りにいた子たちも集まりだした。
俺と彩矢は、たまたま聞こえてきたその話しを聞いて、顔を見合わせる。
「それって、ただの逆恨みでしょ。妬んだ奴が凄いムカつくんだけど」
「それは呪いだから、そのGが退治されると、呪いをかけた当人も原因不明の高熱がでるんだって。薬も効かないんだけど身体には影響なくて、ただ高熱の苦しみだけを味わい続けるんだって」
「都市伝説だけあって、なんか、微妙なオチ」
女子高生たちは笑いだすと、話題は別の話しへと変わっていった。
昨夜のことを思い返した俺と彩矢は、その女子高生のグループの後ろを、疲れた顔でついて行くのだった。
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