第25話 退治できないG

 俺は雑誌と一緒に握っていたティッシュを奴に被せようとしたが、手に掻いた汗を吸ってしまったティッシュでは使い物にならなかった。

 ティッシュ箱に向かい、新しく取り出す。


 「本当に、もう大丈夫なの?」


 「殺虫剤を掛けたら動かなくなったから、もう安心だと思う」


 俺が答えると、彩矢は気が抜けたかのように、ドサッとベッドに沿っている壁へ寄りかかると、ホッとした表情を浮かべた。

 そんな彼女に微笑んだ俺は、奴の骸の始末へと向かう。

 念のため、丸めた雑誌の先で突いてみる。


 ……。

 …………。

 ………………。


 奴はピクリとも動かない。


 俺は、奴の骸にティッシュをかぶせ、つまもうとした。


 バサバサバサバサ。


 ゾクゾクゾク。


 突然、背筋が凍るような羽音がする。

 奴はティッシュをすり抜け、羽根を広げて飛び立った。

 羽を広げたことで何倍にも大きくなったように見える奴は、俺の顔を目掛けて向かってくる。


 「ヒィッ!」


 俺は悲鳴を上げて、恐怖で腰が抜けたように尻もちをつくと、偶然にも顔面への攻撃はかわせた。


 バサバサバサバサ。


 「キャァァァー!!!」


 おぞましい羽音を立て、室内を我が物顔で飛び回る奴に、彩矢は悲鳴を上げると、頭から毛布にくるまり、縮こまった。

 怯えている彩矢のそばへ向かわないとと思った俺は、ベッドに向かい、彼女のそばで周りを警戒する。

 今まで羽音を立てていた奴は、どこかに身を潜めたのか、静かになった。

 静寂の中、くるまった布団の中から目元だけを覗かせた彩矢は、周りを警戒しながら、俺へと視線を向ける。


 「ね、ねえ? 退治したんじゃないの!?」


 「ああ、動かなくなった。だけど、問題はそこじゃない」


 「どういうこと?」


 「被せたティッシュを通り抜けて、向かってきたんだ!」


 「えっ? どういうこと?」


 彼女は理解できないと、首を傾げた。

 それはそうだろう。実際にその光景を目の当たりとした俺ですら、いったい何が起きたのか理解が及ばないのだから……。


 丸めた雑誌と殺虫剤を手に持った俺は、彩矢の隣にしゃがんで息を潜めた。

 彼女は俺の寝間着代わりのTシャツの裾を掴むと、すがるように身を寄せてくる。

 うっ、すぐにでも彩矢を抱きしめたい!

 美味しいシチュエーションだが、相手が奴なだけに油断は出来ない。

 さっき、奴を仕留められなかったことが、悔やまれてならなかった。


 カサッ、カサカサ。


 奴が動きを再開すると、俺と彩矢に緊張が走る。

 どかから来る? できれば、このままいなくなって欲しい。

 いや、奴の骸を確認しなければ、俺たちの気が休まることはないだろう。

 ここは奴を素手で掴むことになろうと、確実に捕らえてみせる。


 ゾクゾク。


 決意して起きながら、素手で掴むことを想像しただけで、俺の背筋に悪寒が走った。

 何とも情けないことだが、身体と心が拒否反応を起こしている。


 バサバサバサ。


 黒く光る影がこちらに向かってきた。


 シュゥゥゥー。


 俺は向かってくる奴に向かって、殺虫剤を噴射する。

 クソッ! ダメか!

 奴は殺虫剤にたじろぐことなく、こちらへと突き進んできた。


 ブン。


 殺虫剤がダメならと、飛んでくる方向に目掛けて丸めた雑誌を振り下ろす。

 丸めた雑誌は、確実に奴を捉えた。

 だが、丸めた雑誌は、奴の身体をすり抜け、空をきる。

 そして、奴はスゥーっと霧散するように姿を消してしまった。


 「う、嘘? い、いやぁぁぁー!!!」


 その光景を目の当たりにした彩矢は、悲鳴を上げて俺の腰にしがみつく。

 Gの幽霊? このアパートは、部屋は新しくても建物自体は古いから、今まで殺されてきたGの怨念か? そんなの、どうしろと……。

 田舎で育ってきた俺は、スズメバチとかでは逃げるしかないが、Gくらいなら気持ち悪いだけで、どうってことはないのだが……、お化けとなると別だ。

 どうあがいても倒すことができないと知った恐怖で、俺の身体中の皮膚が、痛みすら感じるほどに鳥肌を全開に立てている。

 こんなことがあってたまるか!? 退治できないなんて、反則だ!

 俺は恐怖で腰が抜けそうになるのを耐えると、彼女の手を取った。


 「彩矢、逃げるぞ!」


 「う、うん」


 この部屋から出ることを選択した俺は、毛布に身を包んだままの彼女と共に、玄関へと向かう。




 カチャ、ガチャガチャ。


 玄関に到着すると、俺は鍵を開けて、ドアノブを何度もひねった。

 しかし、鍵は開いているのに、扉は開かない。


 バサバサバサ。


 突然、扉をすり抜けてきた奴が姿を現すと、俺たちに向かって飛んでくる。


 「い、いやぁぁぁー!」


 プシュゥゥゥゥゥゥー。


 悲鳴を上げた彩矢は、俺が扉を開けるために預けていた殺虫剤を、奴に目掛けて勢いよく、長めに吹きつけた。

 すると、奴は再びスゥーっと霧散するように姿を消す。


 「彩矢、鍵は開いているのに、扉が開かないんだ」


 「えっ? 嘘?」


 彩矢の顔が青ざめる。


 ドンドンドン。


 どうにかしないとと思った俺は、ドアノブをひねりながら、何度も体当たりをした。

 だが、勢い良く身体をぶち当てても、扉が開くことはなかった。

 クソッ、ダメだ! 扉が開かない。


 「ダメだ」


 「……」


 彩矢は黙ったまま、青ざめた顔の目には涙が溜まっていた。


 バサバサバサ。


 扉の向こう側で羽音がする。

 その羽音は徐々に大きくなり、こちらへと近付いているようにも感じた。

 すると、羽根を広げた奴が、再び扉をすり抜けて、黒く光る姿を現す。


 「いやぁぁぁー!」


 「クソッ! こんなのどうしたらいいんだ」


 彩矢の悲鳴が上がり、俺も弱音を漏らすのだった。




 ドタドタドタ。


 俺は彩矢の手を取ると、奴から逃げるように扉から離れる。

 そして、ベッドへと舞い戻った。

 俺と彩矢はベッドの上で身を寄せ合いながら、毛布にくるまる。

 どうにもならない状況と、その恐怖の中、彼女の柔らかさと温もりだけが、俺に安心感と思考力を与えてくれていた。

 何でもいいから、何か策はないのか!?

 奴を警戒しながら、部屋にある物で使えそうな物はないかと、部屋中を見回す。

 しかし、物理攻撃の効かない相手に対抗できるような物は見つからなかった。

 焦っていた俺の服を彩矢が引っ張る。


 「ん? どうした?」


 「ね、ねえ? あれって、普通のGじゃないよね?」


 「ああ、俺もあんな奴と遭遇したのは初めてだ」


 身体を震わせながらも、恐怖を紛らわせるように口を開く彼女に、俺は答えた。


 「野山君。この部屋って、その、あれな物件なの?」


 「違うよ。そんな話しは不動産屋からは聞かされてないし、お隣さんやご近所さんとも仲良くしているけれど、この部屋が事故物件だったり、いわくがあるなんて怪しい話しは聞いたことがない」


 「もしかして、私があれを連れてきちゃったのかな?」


 勝手な思い込みで、自らを責める彩矢。


 「彩矢、そんなことは絶対にない! 彩矢だって、こんな体験は初めてなんだろ?」


 「えーと、うーん、うん。こんなのは初めてだよ」


 ……何だ? 曖昧な返事がとても気になる。


 「もしかして、違う体験ならあるの……かな?」


 俺は恐る恐る尋ねた。


 「私がというか、実家が……その、あれだから、まあ、色々と」


 あー。確か、彩矢の実家は神社と言っていたな。

 テレビで神社やお寺が、いわくつきの物を持ち込まれたり、その手の経験をした人の相談を受けたりしていたことをを思い出し、納得した。


 「彩矢の部屋でも、こんなことが起きたしてるのかな?」


 「私の部屋は、虫の子一匹すら出てこないよ」


 首を横に振る彩矢を見て、俺は猫の子では? と思いつつもスルーする。


 「なら、今回のは違うよ」


 俺が断言すると、彩矢は嬉しそうな表情を見せてから目を瞑った。

 こんな時にと思いつつも、彼女の唇に、ゆっくりと自分の唇を近付けていく。


 カサカサ。バサバサバサ。


 あと少しというところで、奴が動き出した。


 「「ヒッ!」」


 俺と彩矢は小さな悲鳴を上げると、その音に身体を強張らせ、お互いに強く抱きしめ合う。

 クソッ! いいところで……。何なんだこいつは!

 恐怖を抱きながらも、俺は奴に対して苛立ちを募らせた。




 その後も、奴は俺と彩矢が落ち着いた頃を見計らうように、定期的な間隔で物音や羽音を立てて現れる。

 その度に、彩矢は悲鳴を上げ、俺も恐怖で身体を強張らせた。

 さらに、こいつのたちが悪いところは、ベッドにいる俺たちの上空を旋回してみたり、突然、こちらに向かってきたりするのだ。

 その行動は、まるで俺たちを恐怖に陥れることを、楽しんでいるようでもあった。

 ここまで来ると、嫌がらせをされているようにしか感じない。

 かといって、物理攻撃の利かない相手に為す術を持たない俺は、悔しさをかみしめながら、彩矢と一緒に怖がることしかできなかった。

 寝ることも心を休めることもできない時間が、永遠と続いているようにも感じる。


 「彩矢、大丈夫か?」


 「う、うん……」


 彼女は力なく返事ををした。


 「御祓いとかは……出来ないよな」


 「うん、ごめん。……あっ! でも、鞄の中にお父さんが持たせてくれた御守りがあるから、気休めだけど、私たちを護ってくれる……かも?」


 彩矢は自信がないらしく、疑問形で締めくくる。


 「鞄だな」


 「うん」


 俺は奴が姿を消している隙をついて、ベッドから飛び降りると、彩矢の鞄を取って戻る。

 そして、彩矢に鞄を渡した。

 彼女は鞄の中をガサゴソと漁ると、白色の金糸が贅沢に使われた高そうな御守りを取り出し、拝みながら両手で握る。

 これで、奴がいなくなってくれればいいのだが……。

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