第24話 カサッ、カサカサッ

 相手が女の子といえど、シングルベッドに二人で横になると少し狭かった。

 俺の身体に彩矢の身体のところどころが触れて、その温もりを意識すると、鼓動が激しくなっていく。

 ゴソゴソと彩矢が体勢を変えてこちらを向くと、彼女からはシャンプーの香りが漂ってくる。


 「少し狭いね」


 「そうだね」


 緊張で気の利いた返しができない。


 「ホラー映画だと、こういうシチュエーションの後は、必ず、お化けに襲われちゃうんだよね」


 何故、この状況でホラー映画を出してくる?


 「変なフラグをたてるなよ」


 オカルト的なことが苦手な俺は、引きつった笑みを浮かべた。


 「もしかして、そういうのが苦手だったりする?」


 彩矢は、少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべる。


 「そ、そんなことはない」


 「嘘、怖いんだ」


 強がる俺を見透かす彩矢。


 「ホラーなんて作りものだし、音や映像で怖いっていう心理をあおっているだけだから、種が分かっていれば怖いことはない」


 少し向きになる俺を、彩矢は面白そうに見つめている。


 「こうしている間も何かが近付いて来ていて、私たちが襲われちゃかもよ」


 弾んだ声で楽しんでいる彩矢に、仕返しをしたい俺の脳裏には、「俺が、これから彩矢を襲うんだよ」という冗談が浮かんだが、口にしてしまったらシャレにならないと、自重した。


 「明日は朝一から講義なんだから、もう、寝るよ」


 「あっ、逃げた」


 「そ、そんなことはない」


 俺と彩矢は、少しの間見つめ合うと、お互いに笑ってしまう。


 笑いがおさまると、再び二人で見つめ合った。


 「「……」」


 ただ見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。


 「灯りは全部消したほうがいい?」


 目を合わせていると妙に緊張してきた俺は、何とかひねり出した言葉を彩矢に掛けると、彼女はコクリと頷いた。

 頭の上に手を伸ばし、ベッドの頭側にある棚からリモコンを取ると、最弱にしてあった部屋の明かりを消す。

 暗闇が俺たちを包み込む。

 闇に目が慣れてくると、ほのかな光を反射させる彩矢の瞳が、俺を見つめていた。

 暗い中、彼女と目を合わせていると、俺の緊張はさらに高鳴る。

 彩矢が俺に身体を寄せてくると、彼女の柔らかい感触と温もりが伝わってきた。

 そして、こちらを向く彩矢はゆっくりと目を瞑り、意を決したような表情を浮かべているのが、かすかに見える。

 俺は、そんな彩矢の顔に自分の顔を近付けていき、唇を重ねた。

 ドクドクと俺の心臓は鼓動が高鳴り、その鼓動は彩矢にまで伝わりそうなほどだ。


 「彩矢、いい?」


 俺の問いに、彩矢は恥ずかしそうにコクリと頷く。

 俺は再び唇を重ね、そのまま首筋へと這わせていった。

 そして、片手を彩矢の腰に添えると、ルームウェアの隙間に潜らせ、腰から脇腹へと優しくゆっくりと、彼女の肌の質感を楽しむようになでて行く。

 彩矢からは、甘い吐息が漏れる。

 興奮した俺は、彩矢の首筋を唇で挟むようにして吸い、目的地に到着した手は、彼女の柔らかく大きな膨らみをもてあそぶように包み込む。

 彩矢は切なそうにあえいだ。

 理性をなくした俺は布団を下にずらしていき、彩矢の上に覆いかぶさると、ルームウェアがせり上がって露出していた彼女の腹部に唇を当て、膨らみに向かって這わせていく。

 唇に伝わる彩矢の肌の温もりと触感、そして、鼻の奥で籠る彼女の香りに、俺はクラクラしてきた。


 カサッ、カサカサカサ。


 ビクッ!


 部屋の隅から聞こえる物音に、俺と彩矢は身を震わせ、硬直した。

 火照った身体は急激に冷め、全身に鳥肌が立つのを感じる。

 そして、バクバクと脈打つ鼓動は、興奮とは別の意味での高鳴りに変化した。

 俺と彩矢は、そのままの体勢で動かず、先ほどのかすれた音が気のせいだと願うように、耳を澄ませるのだった。




 しばらく待ったが物音は何も聞こえず、ホッとした俺は、彩矢の身体を這いあがるように動き、彼女の顔を覗き込んだ。

 強張った表情だった彩矢は、俺の顔を見ると、安堵したような和らいだ表情へと変わっていく。


 「エアコンの風で紙がなびいて、音を立てたんだと思う」


 「良かった」


 俺の推測に彩矢も納得すると、お互いにクスリと笑ってしまう。


 カサッ、カサカサカサ。


 ビクッ!


 安堵したのも束の間、再び聞こえる物音に、俺と彩矢は身体を強張らせる。

 これは、確実に奴がいる!

 俺は、リノベーションされたばかりとはいえ、古い安アパートを即決で選んだ一人暮らしを始めたばかりの自分を呪った。


 カサッ、カサカサカサ、カサカサカサカサ。


 その物音がこちらに近付いてきていることに、俺たちは恐怖する。

 彩矢は恐怖を紛らわそうと、俺にしがみつく。

 彼女の温もりと柔らかさが俺の身体に伝わってきた。

 嬉しい。すぐにでも、さっきの続きを再開したい衝動が、俺を襲ってくる。

 だが、物音を立てている元凶である黒光りの奴を倒さない限り、この後の展開は期待できない。

 俺はリモコンのボタンを押し、部屋の明かりをつける。


 パッ。


 眩しさと共に、明るい光が室内を照らした。

 明るさに目が慣れると、俺はベッドで立ち上がり辺りを見回し、奴を探す。

 彩矢は雪ん子のように布団をかぶってくるまると、ベッドに座った姿勢で、辺りを見回している。

 なんか、可愛い。


 部屋が明るくなったせいか、奴は動きを止めたままだ。

 奴を倒さない限り、続きどころか精神的に落ち着かない。


 パッ、パパパッ。


 突然、照明が点滅を繰り返し、消えてしまう。

 LED照明なのに、こんなことがあるのか?

 俺は天井を凝視すると、疑問を抱く。

 接触不良かリモコンの電池切れだろうと思い、何度もボタンを押しなおしたり、電池を入れなおしてからボタンを押してみるが、照明はつかなかった。


 「ねえ、この部屋って蛍光灯じゃなかったよね?」


 「うん、LED照明だよ。だけど、こんなことは初めてだ」


 恐怖心を抑えながら俺が振り返ると、彩矢は青ざめた顔をこちらに向ける。

 そして、ギュウっと俺の背中にしがみついてきた。

 彼女がしがみついたことで、俺の恐怖心は少し和らいだ。


 カサッ、カサカサ。


 室内が闇に包まれたことをいいことに、黒光りの奴は動きを再開させた。

 俺はしがみつく彼女の腕をほどき、そばにあった捨てるはずの雑誌を取り上げて丸める。

 そして、丸めた雑誌を構え、ゆっくりと慎重にベッドから足を降ろしていく。

 フローリングのヒンヤリとした冷たさが足の裏に伝わってくると、恐怖心がより一層あおられた。

 一歩一歩、ゆっくりと歩を進め、物音のした方向へと近付いて行く。

 奴の気配を感じる。

 そして、こちらを執拗に見ている視線も感じられた。

 だが、奴の所在を掴むことまではできない。


 カサッ、カサカサッ。


 背後で物音がした。

 すぐに振り返るが、そこに奴の姿はない。

 代りに俺の目に映ったのは、窓から入る微かな灯りに照らされた彩矢が、ベッドの上で毛布にくるまり、心配そうにこちらを見つめる姿だった。


 奴が動きを止めると、室内を沈黙が包み込む。

 気配を感じるだけで、居場所が分からない。

 俺は動くことが出来ずに、時間だけが過ぎていった。

 こちらを嘲笑うかのように動きを見せない奴に、しびれを切らした俺は、緊張しながら、ゆっくりとベッドへ歩を進めていく。

 そこらのお化け屋敷よりもたちが悪い。




 ベッドの前に着くと、部屋全体を見渡す。


 カサッ、カサカサッ、カサカサカサ。


 「そこか!」


 俺は音のした方向に走る。


 バン! パン、パン、パン!


 そして、丸めた雑誌で、音のした辺りを闇雲に叩きつけた。

 手ごたえが、まったく伝わってこない。

 叩きつけた数か所を見るが、奴は暗闇に紛れているせいか、パッと見ではよく分からない。


 「獲ったの?」


 「分からない」


 俺はベッドに戻ると、枕元に用意された箱から多めのティッシュを取り、慎重に叩きつけた辺りを捜索した。


 カサカサカサ。


 黒く光る影が、俺の足元を素早く通り抜けて行く。

 そのおぞましい姿に、ゾクゾクと背筋に悪寒が走る。

 やはり、奴はGだった。


 「キャァァァー!!!」


 ビクッ!


 奴の逃げる姿を見てしまった彩矢が悲鳴を上げると、俺の身体は強張った。

 そして、心臓がバクバクと鼓動を打ち、毛が逆立って身体中の血の気が引いていく。


 「お、お願いだから、叫ばないで。し、心臓に悪い……」


 「ご、ごめんなさい……」


 「怖いかもしれないけど、奴を退治するまでは我慢して」


 彩矢は黙ったままコクコクと頷いた。


 俺は、奴が逃げた方向へ、一歩、また一歩と、周囲を警戒しながらゆっくり歩を進める。


 カサカサカサカサ。


 真下から物音がし、下に視線を向けると、奴は俺の足元をかすめていった。


 ゾクゾク。


 背筋に悪寒が走り、恐怖で身体中の筋肉が硬直する。

 ふざけるな! 足に触れるか触れないかの距離を走り抜けるのは反則だ!

 俺は心の中で、悲鳴にも似た愚痴をこぼす。


 再び辺りを探すが、奴の嘲笑うようなニアミスの攻撃にたじろいだ俺は、動揺を隠せないでいた。

 クソ! こうなればアレを出すしかない!

 俺は戸棚に向かうと、窓から差し込む灯りに冷たく光る筒状の物を手に取った。

 殺虫剤だ! しかし、効能・効果には、Gも明記はされているが、蚊や蝿用の物だから、効き目が分からない。

 少し不安は残るものの、最強の武器を手に入れた俺は、片手に丸めた雑誌、もう一方の手に殺虫剤と二刀流で奴に立ち向かおうと、先ほどニアミスの攻撃をされた個所を中心に、辺りを探索する。


 カサカサ。


 そこだ!


 シュゥゥゥー。


 俺は、奴とその周辺に向かって殺虫剤を噴射した。

 奴は、足をばたつかせてもだえ苦しんでいる。

 しかし、ここで手を抜くわけにはいかない。


 シュゥゥゥー、シュゥゥゥー。


 とどめとばかりに、俺は奴の黒光りする背に向かって、さらにスプレーを噴射した。


 ……。

 …………。

 ………………。


 奴はピクリとも動かなくなった。

 フッ、勝った。

 俺は彩矢に得意げな顔を向けると、親指を立てて退治したことを伝えたのだった。

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