第23話 お泊り

 コピーを続ける俺とプリンターから出て来た用紙をまとめる彩矢。

 俺は、彩矢の持っている過去問と込山さんから渡されたノートの山を見る。

 今日中に終わるのだろうか……。

 彩矢も、そのノートの山を見ていた。

 そして、何かを決心したかのように、大きく頷いた。


 「この量をなるべく減らしたいし、今日は泊まるね」


 「!!!」


 俺は驚くと、甘い期待と興奮を抑えるように、首を何度も横に振って葛藤する。


 「えっ、ダメ?」


 「えーと、彩矢が泊まりたいなら、俺はかまわないけど」


 「なんか、その言い方はズルい」


 口をとがらせて、俺をジッと見る彩矢。


 「大したもてなしは出来ないけど、是非、泊っていって下さい」


 「ふふーん。そこまで言われたら仕方ないなー」


 彩矢は、嬉しそうな悪戯っぽく見える笑顔を見せた。

 か、可愛いー!

 俺は両手で顔を覆うと、悶える。

 そんな俺を見て、彩矢は楽しそうにクスクスと笑っていた。




 ノートのページをめくってはボタンを押してコピーをする地味で単純な作業を続けていたが、飽きることも疲れることもなかった。

 何故なら、俺の頭の中は彩矢が泊まるということでいっぱいになり、それをどういう意味で捉えればいいのか、苦悶し続けていたからだ。


 グー、ギュルルル。


 思考をフル回転させつつも、没頭するように手は休めずに作業を続けていたが、自分のお腹の音で集中が切れると、あっという間に数時間が過ぎていたことに気付いた。

 彩矢はテレビの脇に置かれた時計を見てから、立ち上がる。


 「もう、こんな時間なんだ。何か作るね」


 「ありがとう」


 「キッチンにある物だけで作るから、期待しないでね」


 「足りないものがあったら言って、買ってくるよ」


 「うん、分かった」


 どこか甘酸っぱくも感じる会話に喜びを感じると共に、生まれて初めての女の子の手料理に、期待が膨らむ。

 期待しないでねと言われたが、こればかりは無理だ。

 彩矢が廊下のキッチンで食事の準備を始めると、俺は壁の操作パネルを見て、お風呂の設定時間を確認した。

 うん、大丈夫だ。食後は、いつでもお風呂に入れる。

 ふと、彩矢もうちのお風呂に入るのかと思うと、興奮と緊張が襲ってきた。

 何か自分がおかしくなってきている感じがして、妙に落ち着かない。

 俺は雑念を振り払うように、コピーの作業へと戻った。




 「できたよー!」


 彩矢がキッチンから声を掛けてくる。

 俺はテーブルの上の物を片付けると、キッチンへと向かった。


 「こっちが野山君のね」


 そう言った彩矢から、二つのお皿を手渡された。

 お皿に載せられた出来上がったばかりでうっすら湯気の上がる真っ黄色なオムライスを、テーブルへと運ぶ。

 俺が作ったものとは違い、焦げ目がまったくなく、凄く美味しそうだ。

 そして、俺のほうは、ケチャップで書かれた『LOVE』のOがハートマークになっていた。

 その文字を見て、感動すると同時に、嬉しさとこそばゆいような恥ずかしをも感じる。

 一方の彩矢の分は、『勝負!』と書かれていた。

 何故、その文字が選ばれたのかが、まったく分からない。


 冷蔵庫の中に入っていたお茶の大きなペットボトルとグラスを持ってきた彩矢が座ると、俺も向かい側に座った。

 いつ食べ始めていいのか、困惑する俺。


 「どうぞ、食べてみて」


 そんな俺に、彩矢は手を差し伸べた。


 「いただきます」


 一口食べると、玉子の中は鶏肉とみじん切りの野菜が入った鶏がらベースで、ニンニクとバターの風味をほんのりと感じるピラフだった。

 ケチャップライスのものしか食べたことがなかった俺は、こっちのほうが美味しいと頬張るように食べ始める。


 「どーお?」


 「凄い美味しい! 今までケチャップライスのは食べたことはあったけど、俺はこっちのほうが好き!」


 「良かったー」


 安堵した表情を見せた彩矢も食べ始めると、彼女は味を確かめるように食べていた。


 食事を終えた俺たちは、仲良く食器を洗っていく。

 料理を作ってもらって、その後片付けを仲良く一緒にするなんて、夢のようだ。

 俺にも彼女ができたんだと、再度、実感させられる。

 そして、洗い終えた食器を棚にしまっていると、壁の操作パネルから電子音が鳴り、お風呂の準備が出来たことを報せてきた。


 「えーと、彩矢」


 「ん? 何?」


 「お、お風呂の準備が出来たから、その、良かったら、その、先にどうぞ」


 お風呂を勧めるだけなのに、緊張しすぎて、たどたどしくなってしまった。


 「うん。じゃあ、お先にいただくね」


 彩矢は鞄を持つと、浴室へと向かう。


 「棚のタオルとかを自由に使っていいから。それと、男性ものしかなくて悪いんだけど、シャンプーとかも自由に使っていいから」


 「うん。ありがとう」


 バタン。


 彼女が浴室の扉を閉める。

 すると、今、服を脱ぎ始めているのだろうかと邪な妄想が俺の脳裏に浮かんできた。

 扉を空ければ、裸の彩矢が……。

 緊張と興奮に加え、欲望が入り混じった複雑な感覚と、それに対抗する理性が頭の中で戦い始め、俺は苦悶する。

 俺はテレビをつけて、理性に加勢するのだった。


 浴室から出て来た彩矢は、上は淡い緑色、下は薄めの緑色のルームウェア姿で、タオルで髪を拭いている。

 色っぽくも可愛くもある姿。そして、うちには無いシャンプーの香りが彼女から漂ってくると、俺はドキドキした。


 「じゃあ、俺も入ってくるね。テレビでも見てくつろいでて」


 俺はテレビのリモコンを渡すと、浴室へと逃げた。

 こんなヘタレな行動をとるなんて、我ながら恥ずかしい。

 自己嫌悪を抱きながら、洗面台の鏡に移った間抜け面の自分を見て呆れる。

 歯を磨こうと、歯ブラシに手を伸ばした俺の視界に見覚えのない歯ブラシが入った。

 おそらく、このピンク色の半透明な歯ブラシは、彩矢が持ち込んだ物だろう。

 自分の青色の歯ブラシを取り、歯を磨き終えると、歯ブラシを元の位置に戻す。

 すると、俺の歯ブラシが転がり、彩矢の歯ブラシと重なった。

 うっ、またドキドキしてきた……。

 俺は雑念を振り払うように首を横に振ると、さっさと服を脱いだ。

 そして、少しぬるめのシャワーを浴びた。

 冷水を浴びることを躊躇してしまうところがヘタレだよなと、再び自己嫌悪を抱く。

 シャンプーのポンプを押そうとすると、フローラル系の香りがする女性物シャンプーとコンディショナーがあった。

 これも、彩矢が持ち込んだ物だろう。俺は何かを試されているのだろうか……。


 自分の物を使って頭と体を洗い終えると、湯船に入る。

 さっきまで彩矢が浸かっていたお湯だ。

 入浴剤で白く濁ったお湯を手ですくって匂いを嗅いでみる。

 俺は変態か……。

 こんなにも落ち着かない入浴は初めてだ。

 俺は、ブクブクと頭まで湯船に沈んでいくのだった。




 少しのぼせたかなと感じつつ、浴室を出る。

 そして、リビングに戻ると、彩矢はベッドに寄りかかって、テレビを見ていた。


 「お帰り」


 「ただいま」


 こちらを向いて、奥へずれる彩矢に返事をすると、その隣に座る。

 すると、彼女は俺の肩に頭を預けてきた。

 恋人同士なのだから、普通のことなのだろう。分かっていても、嬉しさやら緊張やらで頭がおかしくなりそうだ。


 「残ってる分のコピーは、明日に持ち越しだね」


 「そうなるね」


 彩矢は、明日も泊まる気らしい。

 嬉しいことなのだが、困惑する自分もいた。


 二人で、放映されているアクション映画が終わるまで見る。

 彩矢は初めて見た映画だったのか、見終えると満足そうな表情を浮かべた。

 俺も初めて見た映画だったが、俺に寄りかかる彼女の身体の温もりと漂ってくる香りにばかり意識が向いていて、何も頭に入ってこなかった。


 「面白かったね」


 「そ、そうだね」


 俺は曖昧な返事しか出来ず、己の不甲斐なさを痛感する。


 「明日も講義があるし、そろそろ寝ようか」


 「う、うん」


 映画の感想を聞かれないようにと提案した俺に、彩矢はどこかぎこちなく返事をした。

 俺は立ち上がり、ベッドに目を向ける。

 そして、大変なことに気が付いた。

 うちには来客用の寝具がない。


 「えーと、彩矢」


 「何?」


 「うちには布団がこれしかないから、彩矢はベッドを使って。俺は床で寝るから」


 ベッドを指差す俺を見て、彩矢は戸惑う。


 「私が床で寝るから、野山君がベッドを使いなよ」


 「女の子を床で寝かせるわけにはいかないから」


 「でも……」


 「誰かが泊まりに来るなんて想定していなかった俺の落ち度だからいいんだよ。それに、好きな人を床になんて寝かせられないから」


 自分で言っていて恥ずかしくなった俺は、顔が真っ赤になっていくのを感じた。

 そんな俺を見て、彩矢は顔を赤らめながら、嬉しそうな表情を浮かべる。


 「それなら、二人でベッドを使おうよ」


 「いや、だけど……それは……」


 「もう、付き合ってるんだから、同じ布団で寝るくらいなら大丈夫……だと思う」


 何が大丈夫なんだ……。

 彩矢は自分で言っておきながら、真っ赤になった顔を両手で覆って、恥ずかしそうにしていた。

 彩矢は恥ずかしさを堪え、勇気を振り絞って覚悟を言葉にしたのだ。

 俺も男だ。これ以上、彼女に恥をかかせるわけにもいかない。


 「わ、分かった」


 勝手な解釈をした俺は覚悟を決めると、大きく頷き、いまだに恥ずかしそうにしていた彩矢の手を引いて、ベッドへと向かう。

 出来るだけ男らしくを意識していたが、胸中は「本当にいいのか?」「同じ布団に入って俺の理性は保てるのか?」と不安を抱く。

 しかし、その反面、彼女と同じ布団で一夜を過ごすことに、嬉しさと男のさがともいえる邪な甘い期待も心の奥底に浮かんでいた。


 そして、どこか気まずくもぎこちない俺と彩矢は、緊張しているかのようにお互いを気遣いながら、ベッドの中へと潜り込んだのだった。

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