第二章 妬みのG

第22話 二人きり

 一日の講義をすべて終えると、周りでは前期テストの範囲が公表されたことで、頭を抱えて苦悩する学生たちの呻き声や愚痴が聞こえてくる。


 「ねえ、野山君。試験の過去問とかは持ってるの?」


 武岡さんが心配そうな顔を俺に向けた。


 「ほとんど、持ってない……」


 サークルとかにも入らず、花園と寄居くらいしか交流の無かった俺が持っている過去問はごくわずかだ。


 「「だよね……」」


 武岡さんと遠崎は、苦笑する。


 「野山君。彩矢も私たちと同じ過去問とかを持ってるから、見せてもらいなよ」


 俺は彩矢を見る。


 「うん、いいよ」


 彼女の返事に、俺は、三人と選択している講義がほぼ同じだったことを感謝した。


 教室を出ようとすると、その出入口のそばの席に座っていた花園と寄居が俺を睨みつけてくる。


 「女ができた途端、得意げな顔でご帰宅かよ」


 「羨ましいのか?」


 突っかかってくる花園に、俺は嫌味を返した。


 「バカじゃねーの。そんなわけねぇーだろ!」


 どこかムキになって否定しているのを見て、俺は気分が良くなる。


 「何だ、その顔は! 野山、あまり調子に乗るなよ」


 「寄居、お前も羨ましいのか?」


 「野山はお気楽だな。お前のことを妬んでいる奴が山ほどいることを知ってるのか?」


 「……」


 彩矢は可愛いから、当たり前だろう。

 俺は負け惜しみだと思い、聞き流す。


 「まあ、最近、都市伝説にもなっている呪いが流行っているらしいから、気を付けるんだな。フッ」


 そんな非科学的なことを、本気でやろうとするのはお前たちくらいだ。

 寄居が脅すようなことを言いだしたことで、苛立った俺は睨みつける。

 すると、寄居は目を泳がすように逸らした。

 ヒヨりやがった。


 「おい、野山。夏合宿にお前たちも参加になったからな。お前からも、実家のほうによろしく伝えてくれと、佐々木会長からの伝言だ。確かに伝えたからな」


 突然、笹島が背後から声を掛けてくる。

 血の気の引いた顔になった花園と寄居がうつむくと、俺は笹島に視線を向ける。


 「あ、ああ、分かった」


 二人のビビりように呆れた俺は、何も考えずに答えると、彼は俺の肩をポンと軽く叩き、立ち去って行く。

 俺じゃなく、笹島を見てビビったのか……。

 勘違いに気付くと、とてつもなく恥ずかしくなってくる。


 「さ、笹島と仲良くなったからって、俺たちがビビると思うなよ!」


 「そうだ。お前は俺たち以下なんだからな!」


 笹島がいなくなった途端、花園と寄居は強気になった。

 これ以上、相手をするのがバカらしくなった俺は、彩矢の手を取り、教室を出る。

 背後からは、二人の「逃げるのか!?」「ビビったのか!?」と俺を罵る声が聞こえたが、気に留めることなく歩みを進めた。




 「相も変わらず、絡まれてますねー」


 廊下に出るとすぐに、楽しそうな顔をした込山さんに声を掛けられた。


 「面白がってるだろ」


 「はい」


 「「……」」


 素直に答える彼女に、俺と彩矢は呆れる。


 「何ですか? 二人揃って、その呆れた目は?」


 「呆れてるんだ!」


 「そんなことを言う野山君には、これを貸しませんよ」


 込山さんは、ページごとに用紙が張られて分厚くなった数冊の汚れたノートを俺に見せびらかす。


 「何それ?」


 「野山君が取っている講義のテスト範囲の過去問と解答をまとめたノートです。こないだまで、ほぼボッチだった野山君には必要かとかき集めたんですけど、余計なお世話だったようですね」


 「い、いや、そんなことはない」


 「そうですか。なら、「ありがとうございます」は?」


 「あ、ありがとう……ございます……」


 ドヤ顔の彼女は、その数冊のノートを俺の手に持たせた。

 何だろう? この屈辱的に負かされたような悔しさは……。

 勝ち誇った顔をした彼女は、俺たちに手振って、上機嫌で立ち去って行った。


 俺と彩矢は、その場で込山さんから渡されたノートをペラペラとめくり、簡単に内容を確かめると、間違いなくテスト範囲のものだった。

 彩矢の持っているものも含めると、これで全教科の対策ができる。

 二人で頷き合うと、購買へと向かうのだった。


 購買で、俺がコピー用紙の束を手に取ると、彩矢は不思議そうに見つめてくる。


 「ん? どうかした?」


 「ここで、コピーをするんじゃないの?」


 「あー、そういことか。複合プリンターを持ってるから、コピー用紙の補充分を買えば、部屋でコピーできるんだよ。彩矢の分も一緒にコピーするから大丈夫だよ」


 「そうなんだ。ありがとう。じゃあ、帰りに私の家によってから、野山君の部屋に行けばいいね」


 彩矢はそう言って、少し顔を赤らめていた。


 「そ、そうだね」


 彩矢が俺の部屋に来るんだ。というか、遠回しに部屋へ誘ってしまったような気が……。

 そう思った途端、緊張してきた。

 買い物を済ませると、彩矢の住むアパートへと向かうのだった。




 「ちょっと、ここで待っててね」


 クリーム色と淡い水色の外壁のアパートの前に着くと、彩矢はオートロックを押して、その建物の中へと入って行った。

 部屋には入れてくれないんだと、少し落ち込んでしまう。

 そして、どんな部屋なんだろうと、妄想しながら彩矢が戻って来るのを待った。


 しばらくすると、大きな鞄を肩から下げた彩矢が出てくる。


 「なんか、荷物が多くない?」


 「女の子は、色々と準備するものがあるの」


 俺の質問に答えた彩矢は、少し顔を赤らめ、プクーと頬を膨らませる。


 「そ、そうなんだ。女の子は大変なんだね」


 「そう。大変なの」


 俺はそれ以上の追及はせず、彩矢の鞄を持ってあげると、彼女の歩幅に合わせて歩き出した。

 そして、俺のアパートへと向かう。




 灰色の壁に雨のシミが目立つ、ちょっと古臭い雰囲気のアパートの前に到着した。


 「ここが俺の住んでるアパート」


 そのアパートを見て、難しい顔をしている彩矢。

 見た目はアレだが、部屋はリノベーションされて新築のように奇麗だ。そして、忘れてはいけないのが、何と言っても家賃が安い!

 何故か、心の中で言い訳をしていた。


 「見た目は古臭いけど、部屋は奇麗で明るいから」


 そう言って、俺はむき出しの階段を上り、自分の部屋の前に立つ。

 ポケットから鍵を出し、玄関の扉を開けると、照明の電気をつける。


 「少し散らかっているけど、どうぞ」


 そして、彩矢を招き入れた。


 「お邪魔します」


 彼女は廊下のキッチンを確かめるように見ると、向かい側のトイレと浴室は無視して、奥の部屋へと足を踏み入れた。


 「キッチンや壁紙もそうだけど、居住スペースも新築のように奇麗だし、本当に外観と全然違うんだね」


 「ああ。だからここに決めたんだよ」


 少しホッとしたような彩矢を見て、俺もホッとした。


 友人も来たことがない……というより友人と呼べるような……。虚しくなるので省略して、とにかく、初めて部屋を訪れてくれたのが女の子。それも彼女になってくれた彩矢なのだ。

 そんなことが脳裏を駆け巡っていて、テンパっていた俺は、彩矢を立たせたままにしていた。


 「えーと、これを使って、適当に座って」


 俺は、愛用のクッションを渡して、テレビの前にある小さなテーブルの辺りを指差した。

 テーブルのところだけでも、小さなカーペットを敷いておくんだった。

 むき出しのフローリングを見て、後悔する。


 彩矢はクッションの上に座ると、鞄からノートや筆記用具を取り出し、テーブルの上に置く。

 俺もパソコンの電源をつけてから、買ってきたコピー用紙をプリンターの引き出しに入れて、準備を整える。


 「じゃあ、コピーをしていくよ」


 「うん」


 俺は込山さんから渡されたノートを開いて、プリンターに置いた。


 「あっ、ちょっと待って!」


 彩矢に止められた俺は、プリンターのボタンを押そうとしていた指を止める。


 「沙友里と遠崎君の分もかもしれないから、確認してみる」


 スマホを取り出して電話をかける彩矢を見つめ、俺は返事を待った。

 何やら、コピーの話しだけでなく、別の話しにまで発展したのか、立ちあがると、廊下に出て居住スペースとの仕切り扉を閉め、ヒソヒソと話し始める彩矢。

 廊下からは、「そんなんじゃない」「違うから」といった声が、たまに聞こえてくる。

 何やら、武岡さんと揉めているようだ。

 俺はプリンターの前で、聞き耳を立ててジッと待つが、否定する言葉以外は何も聞こえてこず、四人分をコピーしていいのかを聞きに行こうかと悩んでいた。

 すると、少し扉が開く。


 「野山君。四人分でお願い」


 「分かった」


 俺はプリンターの液晶画面の数字が四になっていることを確認してから、ボタンを押してコピーを始めた。

 再び扉を閉めた彩矢は、武岡さんと話し続ける。

 同じ空間にいるのに、少し寂しい。




 しばらくして扉が開き、彩矢が戻って来た。

 彼女は顔を赤らめ、俺を見てからベッドのほうへ視線を向ける。

 そして、再び俺に視線を戻した彼女の顔は、さらに赤みを増していた。


 「えーと、武岡さんとなんかあったの? 喧嘩?」


 「ううん、そう言うのじゃなくて……何でもない」


 「でも、顔が真っ赤になってるけど」


 「えーと、これは……。もう、野山君には関係ない……なくはないけど、関係ないの」


 耳と首まで真っ赤になる彩矢。

 俺と関係あるのかないのか? いったい、どっちだ?

 俺は首を傾げた。


 「いいから。余計な詮索はしないで、コピーを続けて」


 「は、はい!」


 鬼気迫る彩矢の表情を見て、しっかりとした返事をしてしまう。


 「……もう、バカ」


 えー、なんで? 女心は分からん……。

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