第14話 写真

 俺の目の前には、彩矢に両肩を押さえられ、怖いくらいな真剣な表情でジッと顔を覗き込まれている早紀さんが、その顔を青くしていた。


 「あ、彩矢ちゃん、泊まったっていっても子供の頃だから」


 「子供の頃っていっても、中学の時なんだよね」


 「う、うん」


 「中学生といえば、異性とか色々なことに興味を持つお年頃だよね」


 「まあ、身体の発育に合わせて、男子の視線が気になってくるからね」


 早紀さんの肩を押さえていた彩矢の手が、スーと彼女の首元に移った。


 「ヒィー! あ、彩矢ちゃん、そこはシャレにならないから!」


 彼女は悲鳴を上げるが、彩矢はニコッと微笑んでいる。


 「ちょっと、武岡、助けてよ!」


 武岡さんは、振り返って助けを求める彼女に向かって両手を合わせていた。


 「な、何、拝んでんのよ!」


 「いや、そうなった彩矢は誰にも止められないから」


 そう言った武岡さんは、空を見る。


 「あれは、私と彩矢が、まだ小学生だったころ、彩矢の家に遊びに行った私に、彩矢のお母さんがおやつを出してくれたの。それは、地元で人気のケーキ屋さんの『季節のてんこ盛りフルーツタルト』だった。そのケーキは、なかなか手に入らない希少なケーキだったの。悪戯心が芽生えた私は、彩矢が席を外した隙に、彩矢のフルーツタルトの載せられていたフルーツ部分を削ぎ落したように、奇麗に食べてしまうという悪戯をしたの。戻ってきた彩矢はこの世の終わりを迎えたような悲壮に満ちた表情を浮かべると、ギロリと私を睨みつけてきたわ。そして、彩矢は私に飛び掛かり、悔しそうな表情で私の首を締めだしたの。彩矢のお母さんが騒ぎを聞きつけて、彩矢を止めてくれるまで私が解放されることはなかったわ。ということで、早紀、ご愁傷様。成仏するのよ」


 「長々と回想した挙句、私を殺すな!」


 早紀さんは、武岡さんに怒鳴ると、何かに気付いたかのように、彩矢へ視線を戻す。


 「あ、彩矢ちゃん? ジワジワと首が締まってきてるんだけど……」


 「だって、締めてるんだもん」


 「もんって、そんな物騒なことを可愛く言わないで!」


 「早紀ちゃん、もう、言い残すことはないよね?」


 「ヒィー! ま、待って! そ、そうだ! 私はお姉さんと美夏ちゃんのことは、一緒に遊んだこととかを色々と憶えてるけど、野山君のことは、いくら思い出そうとしても、会った記憶が全然ないから。きっと、私が泊まった時は山野君はいなかったのよ」


 「えっ? そうだったの? 本当に? 野山君とは会っていないの?」


 恐怖で青ざめている早紀さんの顔を覗き込んでいた彩矢は、確認を取ろうと俺に視線を移す。


 「お、俺も早紀さんとは会った記憶はないかな。というか、佐々木さんのことも覚えていなかったからね」


 俺は頭を掻きながら、気まずそうに、お兄さんへ視線を向けた。


 「いや、早紀が泊りに来た時に、浩太君はいたぞ」


 「ちょっと、お兄ちゃん! 何を言ってんのよ!? 私は覚えていないと言ってるのに、なんで、余計なことを言うのよ! 妹が殺されかけてるのに、バカなの?」


 早紀さんは、お兄さんを睨みつけた。


 「早紀ちゃん、嘘は良くないよ。危うく騙されるところだったよ」


 「いやいや、嘘じゃないから。彩矢ちゃんの旦那も、私と会った記憶はないって言っているじゃない」


 彩矢の顔が見る見るうちに真っ赤となっていく。


 「いやー。早紀ちゃん、何を言い出しての? 旦那だなんて、野山君と私は、まだ、そんなんじゃないよ!」


 パンパンパン。


 早紀さんが首に添えられている彩矢の手を叩きだす。

 彩矢は恥ずかしさのあまり、手に力を入れてしまったようだ。


 「あ、あ、や、ちゃ、ん。じ、じまって、る……」


 「あっ、ごめん」


 彩矢はすぐに彼女の首から手を離すと、両手で顔を押さえて恥ずかしがる。


 「ゼェー、ゼェー。の、野山君、嫁のしつけは、ちゃんとしておいてよ!」


 ただでさえ、彩矢が口にする言葉に、もしかして、俺のことは、まんざらでもないのではないか? といちいち反応し、いや、まさかなと思いつつも、ドギマギしていた俺は、早紀さんの嫁の一言で、熱いと感じていた顔が、さらに熱くなっていくのを感じ、クラクラしそうだった。


 「ちょっと、野山君? 聞いてるの?」


 「えっ? あっ、いや、彩矢は、その、まだ嫁じゃないから……」


 「まだってことは、彩矢ちゃんを嫁にする気はあるのよね?」


 さっきまで首を押さえて、息苦しそうに苦しんでいた早紀さんは、急にニンマリとした悪そうな笑みを浮かべた。


 「いや、その、そういうのは早いというか、でも、そうなってもらえればいいなとは思うけど……」


 俺は様々な感情があふれ出てきて、はっきりとは答えられなかった。


 バシーン。


 「ギャァァァー! い、いったー!」


 突然、悲鳴を上げた早紀さんは、背中を押さえてうずくまったしまった。


 「もーう、早紀ちゃん。野山君を困らせないでよ。そんなことを聞いたら、野山君も恥ずかしくて答えられないよ。へへへ」


 彼女の背中を強く叩いた彩矢は、嬉しそうに照れ笑いをする。


 「この女は、そんな華奢……一部を除いて華奢な身体のくせに、どこから、そんな力を出してんのよ!?」


 立ちあがった早紀さんは、いまだに背中を押さえながら、細めた目を彩矢に向ける。


 「早紀、忘れたの? 彩矢は小さい頃から弓道をやってたから、ああ見えて、それなりに力はあるわよ」


 「そ、そうだった……」


 武岡さんに言われ、彼女はガクリと頭を落とした。

 へぇー。彩矢は弓道をやっていたんだ。

 俺は、自分の知らない彩矢を知って、心が躍っていた。


 「野山君、何をヘラヘラしてんのよ。っていうか、彩矢ちゃんもか……。なんか、この恋愛音痴の鈍感どもを見ていると、無性にイライラしてくるんだけど。ねえ、武岡、この二人を殴ってもいいかな?」


 「「気持ちは分かる……」」


 「早紀、やめとけ。お前じゃ、いなされて終わりだ」


 武岡さんと遠崎が答えるのと同時に、お兄さんは忠告を与える。


 「うっ……。そうだった。お兄ちゃんも敵わなかったんだっけ……。キィー。このイライラをどこにぶつければ?」


 早紀さんは、武岡さんを見る。


 「なんで、こっちを見るのよ?」


 「だって、この二人がこうなっている原因は、武岡なんじゃないかと思って」


 「違うわよ! この二人が奥手の天然だから、こうなってんのよ! 私たちも苦労しているんだから……」


 武岡さんが反論すると、その隣では、遠崎も同意するように力強く頷いていた。


 「……」


 早紀さんは頬をひくつかせると、俺をギロッと睨んでくる。


 「野山君! さっさと彩矢ちゃんにコクって、付き合っちゃいなさいよ! 二人に巻き込まれると、面倒くさくて仕方ないわ」


 とんでもないことを言いだす早紀さんに、俺はオロオロとうろたえ、彩矢も驚いて困った表情を浮かべていた。


 「いや、その、なんて言うか、それは無理だよ」


 「なんでよ?」


 「まだ、話すのに精いっぱいで、ご飯は一緒に食べたけど、まだ、その、一緒に遊びに行ったこともなければ、手を握ったこともないし……」


 「アホかー! 手を握るどころか、彩矢の胸を握っておいて、何を今さら」


 早紀さんに俺が答えると、彼女は呆然とし、代りに武岡さんが怒鳴ってきた。


 「あれは事故というか、たまたまで……。それに、ちゃんと段階を踏んで、お互いの気持ちをはっきりさせてからだと、俺は思う」


 俺が答えると、彩矢も頷いて、同意してくれる。


 「「「こ、こいつらは、まだ、そんなことを……」」」


 武岡さんと早紀さん、遠崎は苛立ちとも呆れともいえる表情で、俺と彩矢を見つめてくる。


 「「「「「ハァー」」」」」


 そして、会員たちからは大きな溜息が漏れていた。




 ふと、生暖かい視線を感じ、振り向くと、お兄さんが俺たちを見て微笑んでいた。


 「あの、佐々木さん、おかしなことになってすみません」


 俺は、彼がこの状況に呆れているのかと思い謝った。


 「いや、かまわないさ。俺は、早紀が彩矢ちゃんと沙友里ちゃんに会って、久々に二人とはしゃいでいる姿を見れて、嬉しいくらいだからな。そうだ、浩太君、早紀の昔の姿を見てみるか? 何か思いだすかもしれないぞ」


 スマホを取り出すお兄さんの傍らに行き、覗き込むと、中学生の頃の早紀さんと思われる女の子? が映し出されていた。


 「……ん? なんだか、見覚えがあるような無いような……」


 俺は女の子というよりも、可愛い男子にしか見えない早紀さんの写真とにらっめっ子をする。


 「!!! あー! こいつは姉貴と美夏に、何かと言い寄ってたスケコマシ野郎だ! ……って、あれ?」


 俺は顔を上げて、こちらを見て首を傾げている早紀さんを見てから、再びスマホの画面に目を移す。

 以前に見たことのある、軟派なスケベ野郎だと思っていた人物が早紀さんだったということは、俺と早紀さんは会っていたことになる。

 俺は焦りだし、嫌な汗がにじみ出てくる。

 今の早紀さんと違って、男子にしか見えない。こんなの、覚えていてたとしても、早紀さんだなんて分かるわけがない。反則だ!

 俺は顔をしかめて、再び早紀さんを見た。


 「ちょっと、なんて顔で私を見てんのよ!」


 彼女は、少しムッとした表情でこちらへと向かってくる。

 そして、そばに来ると、お兄さんのスマホの画面に目を落とした。


 「ちょっと! なんで、こんな写真を見せてんのよ!?」


 「ちなみに、これが当時の浩太君だ」


 お兄さんは、早紀さんを無視してスマホ画面をスワイプすると、俺の中学の頃の写真に切り替わった。


 「あー、こいつ、お姉さんと美夏ちゃんをちょこちょこと盗み見しに来る近所のスケベなガキだ!」


 彼女は俺の写真を指差して罵ってくる。

 少しムッとはしたが、俺も彼女のことを酷く言って手前、罵られても言葉を返せなかった。


 「ん? えっ? 待って? これが野山君ということは……」


 彼女は一瞬で顔を青く変化させると、恐る恐る彩矢に視線を向けた。


 「あれ? 早紀ちゃん、野山君とは会ったことがないって言ったよね? 確か野山君も会ったことがないんだよね?」


 笑顔だが、目は笑っていない彩矢が俺と早紀さんを見つめてくると、俺たちは目を泳がせる。

 うっ、俺まで巻き込まれた……。


 「あ、彩矢ちゃん、こいつが野山君だったなんて知らなかったのよ。お姉さんたちもいつもいやらしい目で稽古を覗きに来る近所のスケベなガキって言ってたから、こいつが野山君だったなんて、思わなかったの。それよりも、野山君の昔の写真が見れるよ」


 彩矢は細めた目で早紀さん見つめながら考え込むと、そそくさと写真を覗きに来る。

 彼女の後ろには、武岡さんと遠崎もついてくる。

 そして、三人はお兄さんのスマホを覗き込んだ。


 「なんか、小生意気そうなガキね」


 武岡さんは写真を見た途端、わざわざ俺に視線を向けてから、辛辣な一言を浴びせてきた。


 「そんなことを言うなら、武岡さんの昔の写真も見せてみろよ」


 「そんなの見せられるわけないでしょ! 私の昔の写真を見て何をする気? このスケベ、変態!」


 なんで、そこまで言われなければならない。


 「はい、これが昔の早紀ちゃん。カッコいいでしょ」

 「武岡の写真なら、こっちにも。武岡、女の子にモテモテだったんだから」


 ムッとした俺の前に彩矢と早紀さんがスマホの画面を向けて、昔の武岡さんの写真を見せたきた。

 そこには美少年、それも王子様風のイケメンが映っていた。


 「「えぇぇぇー! これが武岡さん!?」」


 一緒に画面を目にした遠崎は、俺と共に叫んだ。


 「「なんで、女の子になっちゃったの?」」


 「二人は、私に蹴り殺されたいらしいわね」


 俺と遠崎は武岡さんの鋭い殺気を帯びた眼光に、お互いの手を握り合って後ろへと下がるのだった。

 そして、彼女の後ろでは、声を殺して笑っている彩矢と早紀さんの姿があった。

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