第12話 俺の過去

 武岡さんと矢神さん、遠崎がジト目で俺を見つめ続けている。


 「野山君、男子校出身だからとか言って誤魔化して、なんで、本当のことを言ってくれなかったの?」


 矢神さんが尋ねてくる。


 「そ、それは、……恥ずかしいし、周りから距離を置かれそうだから」


 「……高校の時に何かあったの?」


 「いや、高校の時は何の問題もなかったよ。ただ、実家が道場だと知られると、古臭くて堅い考えの家柄だとか、プライドが高く力でねじ伏せてくるタイプだとか思われるから、気を付けるように言われたから」


 「「「「「それはない!」」」」」


 矢神さんだけでなく、会員の人たちも手を振りながら否定した。


 「あと、臭いと思われるかと」


 「「「「「そ、それは……まあ……」」」」」


 俺が付け加えると、今度は武岡さんと会員の人たちだけが曖昧な返事をし、難しい表情を浮かべる。

 武術研究会だけあって、会員の人たちも何かしらの経験があるのだろう。防具や道着に染みついたにおいを思い出しているようであった。


 クンクン、フンフン。


 矢神さんがそばにきて、俺の体臭を嗅ぎだす。


 「別に、野山君は臭くないから、気にしなくても大丈夫だよ」


 彼女は、俺に向かってニッコリと微笑む。


 「あ、ありがとう」


 なんて、いい子なんだ! 天使だ!

 俺は嬉しさのあまり、ウルウルとした瞳で彼女を見つめていると、視界の中にニヤニヤとした笑みを浮かべる武岡さんと遠崎の姿が入ってきた。

 うっ、また良からぬことを詮索されている気がする……。


 矢神さんは武岡さんを見つめる。


 「沙友里、実家が武道とかの道場だと、野山君が言ったみたいに思われるの?」


 「まあ、礼儀作法がしっかりしている人は多いかもね。それを堅苦しいと言えば堅苦しいかもしれないけど……」


 武岡さんは答えると、あごに手を当てて悩むように俺を見つめる。

 すると、矢神さんと遠崎も同じ仕草で俺を見つめてくる。


 「??? えーと、何?」


 「いや、野山君と礼儀作法が、どうにもかみ合わなくて……」


 失礼なことを言い出す武岡さんに、矢神さんと遠崎はウンウンと頷く。

 俺は、武岡さんたちから、どんな風に見られているんだ……。

 俺までもが悩まされてしまう。


 「まあ、礼儀作法のことは、今は置いておくとして、野山君は、誰からそんなことを聞かされたの?」


 「姉から」


 「「「……」」」


 武岡さんの質問に答えると、三人は口をパクパクさせている。


 「??? どうしたの?」


 「「「お姉さんもいるの!?」」」


 三人は身を乗り出してくる。


 「いるよ」


 「まだ、他にもいるんじゃないの? 野山君、家族構成を言いなさいよ!」


 武岡さんが苛立ちを見せている。


 「えっ? なんで?」


 「私たちは、野山君ことで知らないことが多いのよ。それに、次から次へとビックリ箱でも開けてるかのように、毎回、驚かされるのが嫌なのよ。分かった!?」


 彼女の隣では、矢神さんと遠崎も大きく頷く。


 「……う、うん。えーと、祖父母、両親、兄、姉、妹、それと、下宿している門下生。あと、期間限定で合宿に来る人たちがいるくらいかな」


 「期間限定って……。合宿に来たお客さんは、特売品か!?」


 何故か、佐々木さんからツッコまれてしまった。




 その後も、俺が武岡さんたちから尋問を受けていると、佐々木さんのお兄さんから妙に視線を感じる。

 振り向くと、彼は俺を見て難しい顔をして悩んでいた。


 「あの、佐々木さん。俺に何か質問でも?」


 俺はお兄さんに向かって、声を掛けた。


 「なんで、私がお前に興味を持たなくちゃいけないのよ」


 妹のほうが嫌そうな顔で答えてくる。


 「いや、佐々木さんじゃなくて、佐々木さんに聞いてるんだ」


 「はあ? 何を言ってるの? おかしいんじゃないの?」


 彼女は眉間に皺を寄せて、バカでも見るような目で俺を見る。

 二人とも佐々木だからややこしい。


 「お兄さんのほうの佐々木さんに声を掛けたんだよ。向いている方向が違うんだから察しろよ」


 バカ扱いされているようで、俺は少しムッとしていた。


 「何を怒ってるのよ。仕方ないから、私のことは下の名前で呼ばせてあげるから、ほら、呼んでみ?」


 何だか、からかわれている気がする。


 「えーと、……さ、さ、さ、早紀さん」


 女の子を下の名前で呼んだ経験のない俺は、緊張と恥ずかしさですんなりと呼べなかった。


 「さが多すぎる! それに、なんで、顔を真っ赤にしてんのよ。こっちまで恥ずかしくなるわ!」


 「仕方ないだろ! 女の子の下の名前なんて呼んだことがないんだから」


 「今までに、仲の良い女友達か彼女の一人くらいはいるでしょ?」


 「男子校なんだから、いるわけないだろ!」


 「何をキレてんのよ。中学や小学校の時なら、彼女じゃなくてもあだ名が下の名前の女の子くらいはいたんじゃないの?」


 「小、中は、共学だったけど、男子しかいなかったんだ。唯一いたのは、小学校の時に姉貴と妹がいただけだ!」


 「……」


 早紀さんは黙りこくってしまう。


 「「「「「そ、それは、さすがに……きつい」」」」」


 そして、周りからはいたたまれないような視線が送られ、同情の声が聞こえてきた。


 「わ、悪かったわ。そんな過去があるとは思わなかったのよ。じゃあ、もう一回、呼んでみ?」


 やっぱり、俺はからかわれているのでは……。


 「何を黙りこくってるのよ。ほら、早く呼んでみ?」


 「さ、早紀さん」


 何故だか、さっきよりも恥ずかしく感じ、顔がカァーと熱いくなっていく。

 そんな俺を見て、彼女はニンマリとする。


 ドカッ。


 「ぐのぉぉぉー」


 突然、すねに激痛が走り、俺は思わず、変な叫び声を上げてしゃがみ込んでしまった。

 すねをさすりながら、ふと、顔を上げると、そこには頬を膨らませている矢神さんが不機嫌そうに、俺を見下ろしている。


 「えーと、矢神さん? 何か怒ってらっしゃいます?」


 「別に怒ってない。早紀ちゃんのことは、下の名前で呼ぶんだ」


 「それは、お兄さんと苗字が同じだから、呼び方を別けないとややこしいし」


 「そんなことは分かってる」


 俺が理由を話すも、彼女は納得のいかない顔をしている。


 「あのー、どうしたら機嫌を直してくれます?」


 「別に機嫌悪くないし、そんなの知らない。そんなことよりも、私と沙友里のほうが先に出会っているのに、私たちのことは、下の名前では呼ばないの?」


 「コラッ、彩矢! 私まで巻き込むな!」


 俺の質問は無視して、顔を真っ赤にしながら矢神さんが返すと、彼女の後ろで武岡さんが怒鳴りだし、それを遠崎が「まあまあ」となだめていた。


 「えーと、矢神さんと武岡さんは、同じ苗字の人が近くにいるわけでもないし、女の子の下の名前を気安く呼ぶのはどうかと……」


 「「古臭い考えなのは、当たってた」」


 武岡さんと遠崎が声を揃えて、俺を見ながら勝手に納得していた。


 「私と沙友里は、野山君ともっと仲良くなれても、矢神さんと武岡さんのままなの?」


 寂しそうな顔で、矢神さんは見つめてくる。


 「だから、彩矢! 私を巻き込むな! 野山君、私は武岡さんのままで、いいんだからね!」


 再び、武岡さんが怒鳴りだすと、遠崎は彼女の身体を押さえながら、なだめていた。


 「えーと、矢神さんのことも、その、俺が下の名前で呼べばいいの?」


 「別に、そういうわけじゃない」


 ……俺はどうしたらいいんだ?


 「うぎゃー! イライラする!」


 早紀さんが、奇麗にセットされていた髪を両手でかき乱して、叫びだす。


 「野山君。彩矢ちゃんは、野山君が自分の名前ではなく、私の名前を先に呼んだことが気にいらないのよ。ようは、ジェラシー、嫉妬よ嫉妬!」


 「違うもん。嫉妬なんてしてない。負けず嫌いなだけだもん」


 矢神さんは早紀さんに向かって頬を膨らませる。

 も、もんって、か、可愛い。

 矢神さんのいつもとは違う一面を見れた俺は、胸のドキドキがおさまらない。


 「「ま、負けず嫌いって、この子は……」」


 早紀さんと武岡さんは呆れたように矢神さんを見つめてから、頭を抱えてしまった。


 一方で、遠崎の周りには、いつの間に集まっていたのか、数少ない女子会員たちが彼の周りに揃っていた。


 「ねえねえ、遠崎君のお友達って、初々しいね」

 「甘ったるいこじれ方をしていて、可愛い子たちなんだね」

 「遠崎君も、あんな青春って感じの恋愛が好きなの?」


 そして、彼女たちは、次から次へと色目を使いながら遠崎に話しかけている。


 「そこ! 武岡の旦那に手を出さない!」


 早紀さんが女子会員たちを指差して、注意をする。

 すると、遠崎の顔が見入る見るうちに赤くなっていく。


 「誰が、私の旦那だ!」


 武岡さんは叫びながら、早紀さんの両肩を掴んで揺さぶった。


 「えっ? 違うの?」


 「違うに決まってるでしょ! 友達よ、と、も、だ、ち!」


 武岡さんが否定し、友達宣言をすると、彼の顔は蒼白になり、しょんぼりとうつむいてしまった。


 「遠崎って、表情が分かりやすくて、忙しいやつだな……」


 遠崎たちのおかげで、こちらの話しが流されたことに、感謝しながら彼の様子を見ていた俺は、コロコロと変わる彼の表情を見て、思わず口にしていた。


 「ふむふむ、なるほど。遠崎君ってそうだったんだ」


 俺に寄り添うように隣で彼らを見ていた矢神さんは、一人で納得すると、俺に向かって笑顔を見せる。


 「遠崎君には頑張って欲しいね」


 「そうだね。遠崎は、大学に入って初めてできた、誰が見ても友人といえる友人でもあるからな」


 「……野山君。もしかして、花園君と寄居君のことがトラウマになってる?」


 「す、少し……」


 俺は、矢神さんに引きつった笑顔を見せた。


 「野山君には、私たちがいるんだから大丈夫だよ。あんな人たちのことは気にしなくていいんだよ」


 「ありがとう。なんだかスッとしたよ」


 俺が彼女に向かって満面の笑顔を見せると、彼女も笑顔で返してくれる。


 「矢神さん、俺たちは遠崎の応援をしてあげよう」


 「矢神さん?」


 彼女は目を細めて俺を見つめてくる。

 まずい、また、さっきの繰り返しになってしまう。


 「えーと、あ、彩矢さん……」


 焦った俺はままよと、彼女を下の名前で呼んだ。


 「うーん。それだと早紀ちゃんと同じ感じがする」


 なんか、我がままなことを言い出してきた。


 「……なら、あ、彩矢ちゃんで、い、いいかな?」


 俺は顔が火照って熱くなっているのを感じながらも、彼女のリクエストに応えるため、恥ずかしさを押し殺して頑張った。


 「うーん。野山君がちゃん付けで呼ぶのは、ちょっと、似合わない気がする」


 なっ! 我がままどころか、さらにハードルを上げてきた。


 「……あ、あ、あ、……あ、や、……様?」


 「……の、野山君。様って……ヒヨりすぎ。野山君らしくない」


 ヒヨったことは認めるが、彼女の中の俺のイメージって、どうなってるんだ! 


 「「「男なら、ビシッと言え!」」」


 なっ、いつの間に……。

 俺が矢神さんでいっぱいいっぱいになって周りが見えていなかった間に、武岡さんと早紀さん、遠崎の三人は、俺たちを見物していたらしい。


 「ど、どのあたりから見てたんだ?」


 「えーと、あ、彩矢さん……。辺りから」


 武岡さんは、俺の真似をして答える。

 恥ずかしいところは、全部見られていたことになる……。


 「「ほらほら、彩矢様がお待ちかねだよ」」


 武岡さんと早紀さんはニンマリとした笑みを浮かべながら、俺を茶化してくる。

 こ、こいつら、楽しんでやがる。

 周りを見ると、会員の人たちまでもが、俺に期待するような視線を送ってきている。

 と、とんでもないことになってしまった……。

 俺は少し悩むも、意を決して矢神さんの両肩を掴み、彼女の顔を覗き込むと、その目をジッと見つめた。


 「「「「「ゴクリ」」」」」


 皆の生唾を飲みこむ音が聞こえてくる。

 これは、完全に見世物だな……。

 顔には出さなかったが、心の中では、恥ずかしさと何とも言えぬ悔しさに泣き出しそうだった。

 もう、引き返せない、こうなったら、彩矢と呼ぶしかない。

 俺は矢神さんの身体を、少し引き寄せたが、彼女の目をジッと見つめたまま、覚悟を決めたのに口が動かず、時間だけを費やすのだった。

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