第8話 俺たちの噂

 花園、寄居との一件からから数日が過ぎた。

 二人は、講義には出席するものの、皆からは蔑まれるようになり、教室に居場所がなくなっていた。

 自業自得なのだから仕方がない。


 俺はというと、二人とつるむことはなくなり、矢神さんと武岡さん、遠崎の三人が、いつもそばにいて、仲良くしてくれているおかげで、充実した大学生活の日々を送ることができてている。

 この三人がいなければ、花園、寄居の二人から外れた俺は、一人孤独に大学へ通っていたことだろう。いわゆる、ボッチになっていたのだ。

 三人には感謝をしてもしきれない。

 ただ、矢神さんと目が合うと、彼女から「責任、取ってね」と言われた言葉が常に俺の脳裏をよぎり、あの時以来、心の片隅にモヤモヤが残っている日々でもあった。

 そんなことを思いつつ、俺は、彼女たちとの会話を楽しんでいた。




 「ねえ、ねえ。大変、大変!」


 そんな俺たちのもとへ、ショートカットのジーパンにシャツ姿のラフな恰好の女の子が血相を変えた駆け寄ってくる。

 すると、周りにいた学生たちも、何事かと寄って来て輪ができた。


 「大変って、何?」


 武岡さんが彼女に向かって尋ねる。


 「ねえ、私が苦労して、沙友里ちゃんと彩矢ちゃんの噂話しを仕入れて、走って報せに来たと言うのに、普通、水、いえ、水なんて贅沢は言わないわ。お茶の一杯を出したっていいんじゃないの? あと、野山君のもあるよ」


 水よりお茶のほうが贅沢なのでは? それに、俺の扱いが、二人のおまけのようだ。

 得意げに答える彼女に、武岡さん、俺、矢神さん、遠崎は眉をひそめる。


 「えっ? 何、その顔は?」


 「どうせ、くだらない噂でしょ。それと、なんで、お茶より水が贅沢なのよ」


 武岡さんも、俺と同じところが気になったようだ。


 「聞いておかないと、広まってからだと対処が難しくなるような噂よ。それと、水が無ければお茶は作れないから、水のほうが貴重なのよ」


 「わ、分かったわよ。はい、野山君、お茶代出して」


 武岡さんは、俺に向かって手を差し出した。


 「えっ? 俺が出すの?」


 「私たちの噂なんだから、当然でしょ」


 「いやいや、俺はおまけみたいに付け加えられてたんですけど……」


 「「男なんだから、細かいことを気にしない!」」


 武岡さんと女の子が口を揃える。

 なんで、彼女まで一緒になってるんだ!

 二人からジーっと見つめ続けられた俺は、渋々と財布を出して、お茶代を武岡さんの手に載せた。


 「えっ、小銭? 札じゃないの?」


 「なんで、札を期待してるの?」


 眉をひそめる女の子に、疑問形で返した。


 「ま、まあ、いいわ。じゃあ、買ってきて。ハニーカフェオレね」


 「ハニーカフェオレって、自販機にはないから、学食に行かないと買えないけど」


 俺は顔を引きつらせて、彼女を見上げると、ニコッと微笑まれた。

 俺、この子、苦手だ……。


 「仕方がない。遠崎君、買ってきて」


 武岡さんは、遠崎の手に俺の渡したお茶代を握らせる。


 「えっ? 僕が買いに行くの? それに、これじゃ、お金が足りないよ」


 「そこは、遠崎君の器量の見せどころよ」


 「そ、そんな、僕はまったく関係ない気がするんだけど……」


 一番、理不尽な目に遭ったのは、遠崎だった。

 遠崎が少ししかめた顔を上げると、周りに集まっていた男子たちが、引き潮のごとく、サーと下がっていく。

 渋々と席を立ちあがった遠崎は、お茶から化けたハニーカフェオレを買いに行かされるのだった。


 「それで、噂話って、どんなのよ」


 「それは、お茶が来てからね」


 「「「……」」」


 武岡さんと僕、矢神さんは呆れるように、彼女を見つめることしかできなかった。




 遠崎がハニーカフェオレを片手に持ちながら、戻ってきた。


 「噂話は、どんな内容だったの?」


 「「「……」」」


 遠崎の質問に、俺たちは黙ったまま、彼を見つめる。


 「???」


 「あっ、来た来た。じゃあ、いただきまーす」


 首を傾げる遠崎からハニーカフェオレを受け取った女の子は、一口飲む。


 「じゃあ、話すね」


 「えっ? これから話すの?」


 驚いた顔でこちらを見る遠崎に、俺たちはコクコクと頷くと、彼は顔を引きつらせて女の子を見つめるのだった。


 「まず、沙友里ちゃんの噂からね」


 彼女は、また一口飲む。


 「えーと、沙友里ちゃんは足癖が悪いから、男を見境なしに蹴り飛ばすっていうのと、お願いすれば、素足で顔を踏んでくれるっていう噂が流れてたよ」


 「何よそれ……。なんで、素足で顔を踏むのよ?」


 「そういう少数の需要もあるのよ」


 「……」


 武岡さんは、意味が分からないといった素振りで黙ってしまった。


 「えーと、次は彩矢ちゃんね。彩矢ちゃんのは、胸を鷲づかみにされると喜ぶとか、仲良くなると、胸で腕を挟んでマッサージしてくれたり、胸を手の上に載せて、その重量感を味合わせてくれるとか……。なんか、自分で言っていて、ムカついてくるんだけど」


 彼女は顔を真っ赤にしている矢神さんの重量感のある胸を見つめてから、自分のつつましい胸に視線を落とす。

 そして、武岡さんの同じサイズくらいの胸に視線を向けた。


 「友よ!」


 「やかましいわ! 喧嘩売ってんの!?」


 彼女は武岡さんの手を握るが、すぐに払いのけられてしまった。


 「ひ、酷い……」


 「酷くないわよ。私の胸まで巻き込もうとするな!」


 「まあ、彩矢ちゃんは胸が歩いているようなもんだから。仕方ないけど」


 「そんなことはない! そこまで大きくないよ」


 矢神さんは、女の子の言葉に、首を横に振って否定した。


 「「ある!」」


 女の子と武岡さんは、声を揃えて言い返す。


 「野山君、私、胸が歩いているように見える?」


 矢神さんは、真剣な目で俺を見つめてくる。

 えっ? そんな言葉を間違えたらセクハラになりそうなデリケートな話しを、俺に聞くの?


 「えーと……」


 俺は彼女の顔と胸を交互に見て、言葉を詰まらせる。

 何か気の利いた言葉を掛けてあげようと、俺は思考をフル回転させるが、胸のインパクト強すぎて、女の子の「胸が歩いている」という比喩に勝る言葉が見つからない。

 それでも、必死に言葉をひねり出す。


 「えーと、矢神さんは可愛いから、ただでさえ、他の人より目につきやすいんだよ。そこに、その魅力的な胸を持ち合わせてるから、皆、気になるんだと思う」


 「野山君も?」


 なっ、その質問は反則だ!

 真剣な表情で見つめてくる彼女の目と俺の目が合い、彼女の曇りのない純真そうな奇麗な目から逸らすことができなかった。

 俺は彼女から好印象を持たれている雰囲気にドギマギしながらも、やっと、この数日間で緊張せず、親し気に話せるくらいには仲良くなれたというのに、ここで言葉を間違えたら、嫌われたり引かれたりしないだろうかと不安がよぎる。


 「えーと、矢神さんは、俺が出会ったことのある女性の中で、一番魅力的な女性だと思います」


 ポカ、ポカ、ポカ。


 「「「どさくさに紛れて、何、告ってんのよ!」」」


 俺の後ろの席に座る三人の女の子たちが、丸めたノートで俺の頭を叩いてきた。

 やってしまった! 俺は何を口走ってんだ。それも、こんな公然の面前で……。

 僕は、叩かれた箇所をなでながら、恐る恐る矢神さんの様子を見る。

 彼女は顔を真っ赤にしながら目をお泳がせて、どんな反応をしていいのか困っているようだった。

 そして、彼女の表情は少し微笑んでいるように見え、今の言葉で俺のことを嫌ったりひいたりしてしている様子はなかった。

 俺は身体中の力が脱力するような安ど感に包まれ、安心した。


 「ねえ、この二人って、付き合いだしたんじゃないの?」


 噂を教えにきた女の子は、俺と矢神さんを指差して、首を傾げながら武岡さんに質問をすると、武岡さんだけでなく、遠崎も一緒になって、彼女に困り顔を見せる。

 そして、少し間を空けてから、溜息を吐きながら首を横に振った。

 俺と矢神さんも、顔を真っ赤にして首を横に振る。


 「高速コンビと揉めた後、なんか、一気に距離を詰めて、いい感じだったよね? なんで付き合ってないのよ!?」


 女の子は、意味が分からないと言った表情で、俺と矢神さんをジッと見つめてくる。


 「「知り合って、まだ日が浅いし……」」


 俺たちが声を揃えて答えると、彼女は前髪で顔が隠れるように下を向くと、何やらブツブツと言いだす。

 そして、急に顔を上げると、カッとした眼で俺たちを睨みつけた。


 「バカなの!? あんたたちは小学生か! いや、最近の小学生だって……。あんたたちは小学生以下よ! この数日間、何をしてたのよ!?」


 「ちょっとぶつかっただけで、お互いに顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに謝りあってたわよ」


 武岡さんが余計なことを教える。


 「アホかー! 大学生なのよ。それにお酒も飲める歳なのよ。なんで、試しに付き合ってみる? みたいな軽い感じで猿のようにパコパコやってないのよ!?」


 なんか、凄いことを言い出したぞ。

 俺と矢神さんは興奮している彼女を見つめる。


 「「そんな、破廉恥な……」」


 そして、俺たちは恥ずかしそうに下を向いて答えた。


 「……あ、あんたたちは、いつの時代を生きてるのよ!?」


 「「うんうん、もっと言ってやって!」」


 武岡さんと遠崎が、彼女をあおりだす。

 う、裏切り者ー! こうなったら、俺が何とかしないと。


 「やっと親し気に話せるようになったんだ。その、そういうことは、もっとお互いのことを知ってから、少しづつ進めるというか、進展させるものだ!」


 俺が反論すると、彼女はギロッと肉食獣のような目で睨みつけたきた。


 「……と、俺は思います」


 ごめん、矢神さん。彼女の圧に、ヒヨってしまった。

 彼女から目を逸らした俺は、矢神さんに心の中で謝った。




 「「「「「……」」」」」


 噂を教えにきた女の子と皆は黙ったまま、呆れるように俺と矢神さんを見つめていた。

 うー、居心地が悪い……。

 俺と矢神さんは大人しく下を向いたまま、この場をやり過ごそうとしていた。


 「「「「「……」」」」」


 時間だけが過ぎていくが、彼女と皆は黙ったまま、こちらを見つめている。

 この状態は、いつまで続くのだろう? そうだ、ここは話題を変えて逃げよう。


 「あのー」


 俺は勇気を振り絞って、彼女に声を掛ける。


 「何よ? ヘタレの野山君」


 「ヘタレ?」


 「そうでしょ! 野山君がビビらないでリードすれば、彩矢ちゃんはついてくるわよ」


 「いや、小説やドラマじゃないんだから、それはない」


 俺の横では、矢神さんもウンウンと頷いていた。


 ズキッ。


 何故だか、俺は心にダメージをくらった。


 「……も、もしかして、二人そろって鈍感なの?」


 彼女は、俺たちに向けていた視線を、武岡さんに向けた。

 コクコクと武岡さんと遠崎が力強く頷く。

 鈍感? 何のことだ?


 「「「「「ハァー」」」」」


 周りから大きな溜息がはかれた。

 どういうこと?

 俺が首を傾げると、矢神さんも首を傾げていた。


 「……も、もういいわ。こういうタイプを相手にしても、こっちが疲れるだけだから」


 フゥー。良く分からないが、女の子は諦めたようだ。って、何を?


 キンコンカンコーン。


 チャイムが鳴ると、皆は蜘蛛の子を散らすように席へと戻って行く。


 「あっ、俺の噂は?」


 「また、あとでね」


 彼女も席へと戻って行ってしまった。

 お茶代を払ったのに、俺の噂だけが聞けていない……。

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