第5話 一変した大学生活

 俺は大学へと向かっていた。

 コンパの後は、土日を挟んでしまっていたので、大学で矢神さんたちと会ったら、どう接していいのかが分からず、俺の心は不安でいっぱいになり、足取りが重かった。

 これって、コミュ障なのでは……?

 さらに悩みの種が増えてしまった。


 憂鬱ゆううつな面持ちで大学に続く道を歩いていると、ポンと肩を叩かれる。


 「野山君、おはよう」


 「おはよう」


 声を掛けてくれたのは遠崎だった。

 コンパの時とは違ってお酒が入ってないせいか、妙に緊張してくる。


 「今日は同じ講義だったよね?」


 「はい、そうです」


 「??? なんか、緊張してる?」


 「少し……」


 遠崎は、少し困ったように笑顔を見せる。


 「えーと、緊張されると、こっちまで緊張してくるよ。コンパの時みたいに、もっと気楽な感じで接してくれるとありがたいかな」


 「すみません。あの時はお酒が入っていたので……」


 少しと言っておきながら、緊張で頭が真っ白になりそうだ。


 「アハハ。困ったな? そうだ。僕とは男同士なんだから、男子校のノリで接してくれればいいよ」


 「お気遣いありがとうございます」


 俺は何を言ってるんだ! 遠崎が接しやすい提案をしてくれたというのに、台無しだ。

 もしかして、この一年の間に、俺は本当にコミュ障になってしまったのでは……。

 頭の中が緊張やら不安でいっぱいになる。


 「えーと、花園君と寄居君とは普通に話すんだよね?」


 「普通にといっても、二人が会話の途中で、たまに振ってきた話しに答えるくらいで、ただ、一緒にいるだけのほうが多いような……」


 あれ? よく考えたら、俺ってあいつらともたいして話していないような……俺ってダメじゃん!


 「……何だか、聞いていて悲しくなってきた」


 「すみません」


 「謝らなくていいよ。たぶん、野山君は、大学に入ってから面識のない人と話す機会を逃してきたせいで、人と接することに臆病になっているだけだよ。現にコンパの時は皆とも普通に接していたんだから」


 「それは、お酒の力なんで……」


 「お酒の力といっても、酔いすぎてたわけじゃないんだから、大丈夫だよ。それに、高校の時は周りと遊んだり、話せていたんだよね?」


 そう言えば、高校の時は皆とたむろしたり、遊んだりしてから帰っていた。


 「高校の時は、普通に話したり遊んだりしていました」


 「コンパの時みたいに、僕には砕けた言葉で話していいし、用が無くても話しかけてくれてもかまわないよ」


 コンパの時もそうだったが、遠崎はいい人だ。


 「遠崎……君。頑張ります」


 「……君って、呼び捨てでいいよ。それに頑張るって、気負ったらダメだよ」


 「えーと、じゃあ、遠崎、よろしく」


 「うん、野山君、よろしく」


 「俺も、呼び捨てでいいよ」


 「分かった。野山、よろしく」


 俺たちは照れ臭そうにニヤけながら、大学の構内へと入って行くのだった。




 教室に入ると、俺と遠崎に気付いた途端、立ちあがって手を振る女性がいた。

 それは、満面の笑みを見せる武岡さんだった。

 彼女の隣には、笑顔でこちらを見ている矢神さんも座っていた。

 遠崎は武岡さんのほうへと真っ直ぐ進むが、俺は彼と別れて、いつも座っている席のほうへと進む。


 「こらー! なんで、そっちに行く!」


 俺は振り返って首を傾げた。


 「首を傾げるな! こっちよ、こっち!」


 武岡さんが俺に向かって手招きをすると、教室にいる学生たちは、こちらを見てクスクスと笑いだしてしまった。

 うっ、恥ずかしい。

 いつも座っている席には花園と寄居の姿がなかったので、俺は恥ずかしさで顔を赤くしながら、武岡さんのほうへと向かった。

 なんで、あの二人のことを気にしているんだ?

 俺は彼女のほうへ歩みを進めながら、少し自己嫌悪を感じた。


 武岡さんたちが座る四人席の机のそばに行くと、通路側から遠崎、武岡さん、一つ席が空いて、窓際に矢神さんが座っていた。

 ポンポンと空いている席を武岡さんが叩く。


 「???」


 俺は首を傾げた。


 「このニブチンが! ここに座れって言ってるのよ!」


 「えーと、俺は武岡さんにめられるのでしょうか?」


 コンパの時に何か失礼なことでもしたのだろうかと、俺は急いで思い出そうとする。


 「違うわよ! なんで、私が野山君を締めないといけないのよ!? この席を空けておいたから座ったらってことよ!」


 武岡さんは苛立ちをみせながら、再びポンポンと空いている席を叩いた。


 「なんだか、締められる雰囲気なんですけど……」


 「だから、締めないわよ! それとも、締められたいの!?」


 「いえ、違います」


 彼女の隣に座る遠崎と窓際に座る矢神さんが机に伏せて、もがくように笑いを堪えていると、前後の席の人たちも、笑っちゃいけないと堪えるように苦しみだしていた。

 武岡さんは俺を睨みながら、さらにトントンと空いている席を強めに叩く。


 「そんなに睨まれていると、とても座りにくいんですけど……」


 「あんたが、さっさと座らないからでしょ!」


 「「「「「ブハッ、もうダメだ! アハハハハ――」」」」」

 「「「「「もう、無理! アハハハハ――」」」」」


 教室の男子たちが笑いだすと、女の子たちもつられるように笑いだしてしまった。


 「あんたのせいで、私まで笑われてるじゃない! 恥ずかしい。もう、お嫁に行けないわよ!」


 「それは大丈夫。遠崎がもらってくれる」


 「えっ!? なんで僕?」

 「なんで、遠崎君なの?」


 笑い声に包まれていた教室は、一瞬で静まり返り、遠崎と武岡さんはキョトンと俺を見つめながら質問をした。


 「遠崎は、いい人だから」


 「野山! 僕はボランティアで結婚なんてしないよ!」


 「ちょっと、遠崎君!? ボランティアってどういう意味よ!」


 「「「「「ブハッ、アハハハハ――」」」」」


 教室中が再び笑いに包まれ、皆の笑いがおさまるには、しばらく時間が掛かった。




 俺は武岡さんと矢神さんの間の席に座る。


 「野山君、おはよう」


 「矢神さん、おはようございます」


 「???」


 挨拶を返した俺を見て、矢神さんは首を傾げる。


 「???」


 俺も彼女が首を傾げた意味が分からず、首を傾げた。


 「あんたたち、何をいちゃついてるのよ! こっちは誰のせいで恥をさらす破目になったと思ってんのよ!」


 「そうだよ! なんで、僕まで巻き込むんだよ!」


 武岡さんと遠崎は、俺に向かって怒るが、俺と矢神さんは顔を真っ赤にして、下を向く。


 「……あ、あんたたちは小学生か!? っていうか、今の小学生のほうが、もっとませてるわよ」


 「そうだよ。二人とも、ちょっとからかわれただけで、初心すぎるよ」


 二人は俺たちを見て、困ったように顔を引きつらせた。


 教室内は、恥ずかしそうに下を向いて固まったままの俺と矢神さんを見て、女の子たちが嬉しそうにキャーキャーと騒ぎだす。

 そして、男子たちは騒ぎはしないが、微笑ましい視線をこちらに送ってくる。


 「俺、あの二人の今後を見守り続けたい。二人ともガンバレ!」


 「あんたは保護者目線で二人を見守る前に、彼女を作った方がいいわよ」


 「うぐっ……」


 一人の男子が俺と矢神さんにエールを送ったが、近くに座る女の子に玉砕されると、教室内に笑いが響いた。


 俺の前の席に座る男女の学生たちがこちらを振り返り、「おはよう」と声を掛けてくる。

 俺も「おはよう」と返すと、後ろの席からも声を掛けられ、俺は再び「おはよう」と返した。

 矢神さんは、俺をジッと見つめてくる。


 「なんで、私の時はおはようございますなの?」


 この状況で、緊張したからなんて言ったら、俺が彼女のことを気に掛けていると周りから誤解され、彼女が困るのではと思った俺は、返事に困った。


 「えーと、なんででしょう?」


 俺のバカー! なんで、疑問形で返してるんだ。これでは、彼女に俺の気持ちを察して欲しいみたいじゃないか。

 彼女と目を合わせている俺の顔が、カアーと暑くなっていくのが分かる。


 「ん? あれ? 野山君、顔が真っ赤だよ」


 「さ、さようでしょうか?」


 頭が真っ白で、何を言ってるのか自分でも分からん。

 彼女と目を合わせていられなくなり、視線を下に落とすと、別の彼女が強調するようにドヤ! と主張していた。

 俺の位置からは、深い谷間までもが一望でき、慌てて視線を上に戻す。

 すると、彼女と再び目が合う。

 俺はどこを見ればいいんだ!?


 「フフッ。野山君って、可愛いね」


 慌てふためいて落ち着きなくオロオロする俺を見る彼女は、ニコッと微笑むみながら、俺をからかうように言った。

 その彼女の一言と悪戯っぽい笑顔の可愛さに、ズキューン! と一瞬で俺の心は射抜かれてしまった。

 彼女の可愛さに射抜かれただけでなく、男なのに、可愛いねと言われて射抜かれた俺って……馬鹿なのでは……?


 ハッ!


 俺が周りの視線に気付くのと、ほぼ同じタイミングで彼女も周りの視線に気付き、二人で恐る恐る周りを見渡すと、皆はニンマリしながら、暖かい目で俺たちを見守っていた。

 俺と矢神さんは恥ずかしさのあまり、皆の視線から逃れるように、再び下を向いて固まるのだった。




 教室内には、どこか甘ったるい雰囲気が漂っており、その原因が俺と矢神さんだということは何となく分かる。

 これから講義が始まるというのに、この雰囲気の中にいるのは、気まずさと恥ずかしさで居心地が悪い。

 それでも、コンパを機に、先週までとは別世界のような一変してしまった環境を、嬉しいと感じていた。


 急に教室内が少しざわついた。


 「うわ、何だこの変な雰囲気は?」


 「ほら、先週のコンパで、頭の中がお花畑の連中が増えたんだよ」


 「ああ、そういうことか」


 教室の後ろにある扉から花園と寄居が話しながら入ってくると、さっきまでの甘ったるい雰囲気は、徐々に薄まっていった。


 「あれ? 野山の奴、まだ来てないのかよ。いつもの席が取られたらどうするんだよ」


 「今日は休みかもよ」


 少し苛立つ花園に寄居が含みのある返事をする。


 「寄居、休みかもって、どういうことだ?」


 「あいつ、狂暴女とおっぱいちゃんを助けようと笹島のところに向かったから、ボコボコにされて、今頃、家で寝込んでるか入院だよ」


 「ああ、そういうことか。あいつも酔っ払った勢いでカッコつけて、馬鹿だよな。正直、俺が思うに、あいつは俺たちより弱いぞ」


 「確かに、そんな感じだね」


 二人は俺に対して言いたい放題のことを言いながら席に着く。

 すると、教室内は甘ったるい感じからピリピリとした感じに変化していった。

 花園と寄居の暴言に対して、皆が俺のために怒ってくれていることが感じられ、嬉しくなってしまい、言われ放題なのに怒りが沸き上がってこない。

 そんな俺の机の上に置かれた手を、武岡さんと矢神さんがギュッと握ってくる。

 二人は俺を案じてくれているのだろうが、女性に対して免疫の少ない俺は、両手を女の子の柔らかい手に包まれたことで、ドキドキしている。

 皆には悪いが、俺は二人に握られている両手を見つめ、頭の中は嬉しさと恥ずかしさでいっぱいになっていたのだった。

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