第十七話 「倉橋の巫女 前編」

 「頼みたいこと?」

 「ええ。お話を聞く限り、どうも、杞憂とは言い切れなくなってきたので」

 昭博は、頭をかきながら言った。

 「どうした?」

 「僕たちは、全てを見誤っている気がしているのです」

 「?」

 「考えてみてください」昭博は、急須からお茶を注ごうとして止めた。

 「ありゃ、お湯がない」

 「昭博さん。私やりますから、続きを」

 昭博から急須を受け取った由里香が続きを促す。

「ああ。由里香さん。すみませんね―――で、ですね?先輩の話を聞いていると、まず、事の発端の設定から間違っていたように思えるのです」

 「俺の?」

 「ええ。僕たちの認識において、事の発端って、いつですか?」

 「そりゃ、綾乃ちゃんの暗殺未遂」

 「そこです―――アチチッ」

 昭博がいれたてのお茶の入った茶碗から手を離して耳たぶを触った。

 「綾乃の暗殺は、僕たちが介入するきっかけにすぎません。僕がいわんとしているのは、この倉橋が狂った発端―――きっかけです」

 「?由里香の儀式でもないのか?」

 「先輩の話を聞くまでは、僕もそう思っていました。由里香さんは?」

 「違うのですか?」

 「うん。これは、あくまで僕の仮定でしかありませんけどね?以外と、僕たち当事者ですら、知らない間に準備は始まっていたように思えるんですよ」

 「―――おじさん。つまり、有里香さんのことを疑っているんですか?」

 「そう。悠理君、推理小説が好きってだけはあるね。キーは有里香さんだよ」

 「有里香が?でもそれは倉橋―――」

 「違う違う。倉橋家当主就任、ううん。儀式も何もない、ずっとずっと前に、すでに予定されていたことが、今、起きているんだと思うんだ。つまり、有里香さんが、修行に出ていた時に始まったことがね」

 「そんな前に?おい、昭博、話が滅茶苦茶じゃないか?」

 「論理的矛盾を抱えていることは否定しません。子供の頭でここまでの計画を立案することが困難なことは、僕も認めます」

 「―――入れ知恵をした者、そして、影で有里香を操る者がいる。教授はそうお考えなのですか?」

 「いやぁ。さすがに頭いいですねぇ。イーリスさん。どうです?今度、大学入りませんか?あなたなら助手に欲しい」

 「結構ですが、しかし、その者の姿が見えません。それほどの人物なら、むしろ既に表に現れているはずです。見えない、ということは、いない。ということなのでは?そもそも、それほどの人物なら、由里香さんや教授という近親者が知らぬはずが」

 「そう。姿が見えないんだよね。だから、先輩達に頼みたいんですよ」

 「?」

 「真の敵が誰か、見極めて欲しいんです。これ、大切なことですから」

 「真の敵?」

 由忠は眉をひそめた。

 敵は倉橋家ではないのか?

 「ええ。倉橋を潰しても構わないと思っている存在が仕切っているからこそ、今回のこの異常事態が生まれた気がするんです。でなければ、いろいろ説明がつかないんですよ。共倒れの危険性については、本家と分家、共に気づいていないようですし」

 「で?お前のことだ。目星はついているんじゃないのか?」

 由忠のその一言に、昭博は頭をかきながら答えた。

 「いやぁ。理屈こねても、それが見えないんですよぉ。そこが僕の限界かもしれませんねぇ」

 「―――嘘をつけ」

 由忠は、不満そうに呟くとお茶を飲み干した。

 「倉橋有里香を操っているのが、“あいつ”だと、そう言いたいんだろうが」





 通路を歩きながら、倉橋祐一は、儀式に対する準備に余念がなかった。

 「本家の襲撃の準備は?」

 「儀式開始の雅楽を合図に、重迫撃砲、対戦車砲の集中砲火をかけます。その後、騎士と自動小銃で武装した兵計40が突入します」

 「クックックッ……大盤振る舞いだな」その報告に、祐一は喉を鳴らして笑った。

 「ええ。フィリピン経由の密輸品、これで在庫がなくなります」

 「雄和と五和経由で手配しておけ。それで、奴らの手配は?」

 「すでに山に伏せさせています。報告では、儀式祭壇は射程として把握済みだと」

 「連中、騎士でも殺れるのだな?」

 「そのための彼らです。使用する弾種は対呪用特殊加工弾。万一、魔法防御がかかっても無効化できます。何より、騎士といえど、遠距離からの狙撃をすべて阻止出来るわけではありません。大丈夫です」

 ここまでの準備を一手に引き受けていた若い神官は心証を損ねたという顔になった。

 「わかった。大丈夫かどうかは、結果で判断しよう。黒達は?」

 「内通者からの情報通りです。本家周辺で動きがあります。こちらを狙っていることは間違いありません」

 「祭壇周辺の魔法防御壁の設置は?」

 「万端です。設置は結界と合わせて極秘にやりましたので、黒達は知るよしもないでしょう」

 「そう願おう」

 


 倉橋祐一が、ここに来たのは綾乃と初めて対面して以来だった。

 ぼんやりとした照明が照らす先にある部屋に倉橋の巫女はいる。

 それは、倉橋家の実権という見えない価値となって祐一を招いている。

 

 ―――そのためにここまで来たのだ。


 祐一は手にした扇子を握りし、じっとりと手に汗を感じていることに気づいた。


 ―――親を殺し、親族を殺し、親友すら殺してここまで来た。


 目の前に、今は亡き者達の顔が浮かんでは消えていく。


 ―――その代償、今こそもらうぞ


 襖の前で畏まっていた巫女が音もなく襖を開く。


 一礼の後、部屋に入ろうとした祐一は、一歩を踏み出して息を止めた。

 

 目に見えない凄まじい重圧が、あらゆる存在の部屋への侵入を拒んでいた。

 (これは……)

 その重圧が、殺気だということに気づいた時には、声がかかっていた。

 

 「ご苦労様です。祐一殿」

 

 部屋の奥からの声に無意識に膝を屈し、そして祐一は自らの行いに驚愕した。

 

 信じられなかった。


 馬鹿な。


 そんな、馬鹿な。


 背筋を冷や汗が流れた。


 馬鹿な。


 目の前にいるのは、俺の欲望をかなえるための手段、贄(にえ)でしかない女だ。

 それに何故、俺は膝を屈している?

 

 「儀式の準備は滞りなく?」


 「はっ!」


 馬鹿な!

 馬鹿な!馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!

 そんな馬鹿な!

 祐一はそれを何とか否定しようとして、出来なかった。

 しっかりしろ。

 お前は次の倉橋当主だぞ?

 それが、なぜ、こんな人形に恐怖している?

 お前が仕立てた木偶人形だろうが!?

 それを、それを何故恐怖の念で拝んでいるというのだ!?


 ―――恐怖?


 俺が、この人形に恐怖している?


 そんな馬鹿な!


 祐一は、なんとか否定しようとあがいた。


 しっかしろ!

 目の前にいるのは、巫女の出来損ないの血を引いた、それこそ出来損ないだぞ!?


 だが―――

 

 祐一の頭脳はすぐにそれを否定する。


 ふざけるな。

 そんな対象を俺が引っ張ってきたというのか?

 お前だってわかっているだろう?

 

 あの儀式が、実は成功していたことなんて。

 有里香の儀式が大失敗に終わったことも。

 それ故の現在だと。

 

 そうだ。


 本当の倉橋の巫女は、本当の当主は、

 

 倉橋由里香


 彼女なんだぞ?


 その血だぞ?


 俺は、その血を使う。


 代々の神官が出来なかったことを、俺はしてやるんだ!


 彼の頭脳は、そう自らに言い聞かせようとする彼を、さげずむように言った。


 愚かなことを考えている場合か?

 それとも、お前は未だに恋い焦がれた女を諦めきれずにいるのか?

 


 「そろそろ、日が暮れますね」

 女は、ここから見えるはずのない夕日を思い、天井のあらぬ方向へ視線を向けた。

 しかし、女の殺気がゆるむことはない。

 

 だめだ。

 どうしても、この女に対する恐怖心が消えない。

 このままでは、俺はこの女に取り込まれる。

 俺が、この人形を使う主だ!

 この人形を主とするつもりか!?

 否!

 断じて否だ!


 祐一は覚悟を決めた。

 

 ―――なら、利用してやろうじゃないか。


 そうだ。

 いつだってそうだった。

 あらゆるモノを利用してきたからこそ、俺は今、この地位があるんだぞ?

 なら、この人形ですら使いこなしてやろうじゃないか。


 「祐一殿?」

 

 「はっ!」祐一は、巫女に対する礼節を示すように平伏した。

 

 「―――私を殺そうなどと、愚かなことは考えない方が賢明ですよ?」


 「!」

 一瞬、息が止まった。


 「先ほどから、殺意が感じ取れます。なりません」

 

 「……ばっ、ばかなことを。なぜ、なぜ私が」

 祐一は視線をさまよわせながら答えた。

 「私は巫女に仕える身、数ならぬ我が身の程は心得ております」

 

 「―――なら、結構です。時に祐一殿」

 「はっ!」

 「あの倉橋の巫女を名乗る娘―――亜里砂はどうなりましたか?」

 「ご心配なく。すでに手は打っております」

 「―――重畳」

 目の前の畳を見るのが精一杯の祐一の前で、衣擦れの音がした。

 

 「参りましょうか?祐一殿」


 「はっ?」

 声が、すぐ間近で聞こえた。

 畳の上には、朱色の袴と、そこから見える小さな足。

 その気になれば、自分なぞ一瞬で殺されていたろう。

 背筋が凍りついた。


 「儀式はすぐです。我らも参りましょう」

 

 「……」

 祐一は覚悟を決めて、相手を見た。

 

 そこにいたのは―――

 前日までの侮蔑の対象

 今の恐怖。

 それが、倉橋の巫女

 自分の未来を保証する存在。

 自ら望んで手に入れた、力。


 欲望の、化身。


 祐一は、まっすぐに見つめた。


 麗しい華が、そこにいた。


 華の美が、祐一の心を決めさせた。


 ―――美しい。


 祐一は心からそう思った。

 その心に、恐怖という二文字はなかった。

 

 先日までのあどけなさは微塵も感じさせない。

 あるのは気高き気品。

 少女でも、女でもない、えもいわれぬほどの美をまとう―――まさに、華。

 

 麗しき華


 見まごうことなき巫女が、そこにいた。

 

 それはかつて、激しい思慕と共に見つめていた彼女そのもの。

 彼女の娘だからこその華が、目の前にいる。


 俺は、彼女の未来を、この手に掴んでやる。


 彼女を、彼女と共にと願い、かなわなかった未来を―――

 狂おしいほど望みながら手に入れられなかったその代償を、今、この手に掴んでやる。



 祐一は、力強く頷いた。

 


 「参りましょう。巫女」



 祐一の欲望を満たすために作られた華―――



 「はい」

 祐一は立ち上がると、その後に続いた。


 彼の目の前にいるのは―――


 倉橋の巫女


 先代の倉橋の巫女、倉橋由里香の娘


 倉橋家直系の血を引く純血の巫女


 最後の巫女





 瀬戸綾乃が、儀式へ向け歩き出した。






 

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