第十六話 「儀式前日」

 「有里香について―――ですか?」

 イーリスと共に戻ってきた由里香がきょとんとした顔で訊ね返した。

 「唐突に―――何ですか?」

 「いや。いままで気にもしなかったが、どんな人物か把握しておきたい」

 

 「今更?」

 口にした後、由里香は思わず口を閉じた。

 「そうだ。今更だ」

 由忠は表情を変えずに答えた。

 「我々の敵はあくまで倉橋分家、目的は綾乃ちゃんの奪還。それだけだった。分家には体面上、本家への敵対の意志は示したが、まともに相手をするつもりはない。」

 「あくまで儀式を阻害させる……ただ、それだけと?」

 「―――血を分けた妹と殺し合うつもりか?」

 「いえ、それは」

 「そうなれば後味が悪すぎる。本家の儀式が本来の意味では失敗し、形だけでも成立させておけばよいのだ。儀式の成立をもって本家は正統な継承者として亜里砂を立て、分家は求心力を失う。―――あくまで綾乃ちゃんを使う分家の儀式だけは阻止する。それで良い」

 「?由忠さん?分家とは、既に手打ちをされたのでは?」

 「私が介入しない、それを認めさせただけだ。他は知らん」

 「よかった」由里香はほっと胸をなで下ろした。

 「悠理君から、賄賂受け取ったって聞いた時は、どうやって由忠さんを殺そうかと思ってたんですけど。手間が省けましたわ」

 「―――昭博」ジロッと昭博を睨む由忠だが、「人妻ですから」と、昭博は涼しい顔だ。  「しかも悠理!」

 「何です?」

 「お前、どこで知った!?」

 「―――神社関係者全員知ってるんじゃないですか?水瀬家の当主が、分家当主に難癖つけた挙げ句、なけなしのお金分捕って、何だか悪どいことしでかすつもりだって」

 「あ、あんの野郎っ……!!!」

 震える声を隠そうともせず、由忠は刀を掴んだ。

 「由忠さん?ここは堪え時ですよ?」

 「ゆ、悠理……か、構わん。あの当主、必ず殺せ……」

 「金塊、半分分けてくださったら」

 「アレは家の建て直しに使う金だ!」

 「えっ?また立て替えるんですか?家、新築したの、半年前ですよ?」

 「うっ、うるさい!気に入らないからだっ!」

 「―――この事件終わったら、見に行っていいですか?」

 「ダメだダメだ!いいか!年内に帰って来ることは、絶対に許さんっ!」

 「?」きょとんとして父親を見る水瀬。

 「と、とにかくだ」

 その視線を避けるように、由忠は大げさに咳をしてから続けた。

 「とにかく、事態がここに来て、ようやく気づいただけだ。敵はもっと別にいるとな」

 「敵?由忠さんは、有里香も敵だと?」

 「娘が殺されかかった親のセリフとも思えないな」

 「そ、それはそう、ですけど……」

 由里香は言葉を詰まらせて俯いた。


 これまでの事態は現実として認めよう。


 だが、心のどこかで、妹が自分の娘を殺そうとしていることを認めたくないのだ。


 あくまで本家の一部の暴走。


 そう思いたいのだ。


 「本家の意図が読めないんだ」

 「?」

 由忠の一言に由里香は顔を上げた。

 「失敗する儀式は、あくまで形式的なものでしかない。それは、当主たる有里香にはわかっているはずだ。それに加えて、何故、成功する可能性が高い分家の儀式を放置している?もし、分家が成功すれば、本家が傾くだけでは済まんぞ?」

 「はぁ……?」

 由里香は由忠の言葉を頭の中でかみ砕いて理解しようとして、気づいた。

 「そう、いわれれば」

 「だから、当主の考えが、その人となりが知りたいのだ。由里香は、姉としてどう見る?」

 「……」

 由里香は、言葉に詰まった。

 血を分けた大切な妹だ。

 それを“敵”としてどう見るか、それを聞かれている。

 「有里香は、妹は……昔は優しい娘で、私には自慢の妹でした」

 由里香は、絞り出すように続けた。


 「小鳥が好きで、熱心に餌をあげて喜ぶような娘でした。修行も私よりずっと熱心で、出来の良い娘でした」


 「で、悠理。今の評価は?」


 「その……」水瀬は、ちらりと由里香を見た後、言った。


 「はっきりいって、芳しくありません。冷酷で、人を権威と恐怖で牽引するようなタイプ。金と力のためなら、人を殺すことも厭わないだろうと、周囲の評価は驚くほど低いです。しかも、自分の子供を含む、周囲への暴力は日常茶飯事と」

 「昭博、補足することは?」

 「―――まぁ、ありませんね」

 昭博も浮かない顔だ。

 「小さい頃は、本当に可愛い娘でした。よく一緒に遊んだものです。今でも信じられません。あれほどの娘が、どうしてこうも人望を失ったか、聞き込む度に驚かされました」


 「……慈愛に満ちた娘が、なぜ、そこまで変わったものか」


 「―――修行のため、親元を離されたのが、そもそものきっかけかもしれません」

 俯いたままの由里香は言った。

 「何があったのかは、存じませんが」


 「修行?実家の神社でやれば良いではないか。この馬鹿息子も、騎士修行こそ他でやらせたが、神主修行はうちでやったぞ?」

 「僕、お父さんから何一つ教えてもらったこと、ないですけど?」

 ボカッ

 またも由忠の一撃が水瀬の脳天に炸裂した。

 「本当のことなのにぃ!」

 「やかましいっ!」

 「無理はないのです」

 由里香は、親子のそれを見ないフリをしてやり過ごした。

 「既に母の心は、長女である私に跡を取らせることで決まっていたのでしょう。一子相伝の倉橋の儀式、継ぎもしない者に、例えそれが娘でも、教えるつもりが、母には無かったのです」

 「で?有里香が修行に出されたのは?」

 「10歳の頃でした。友達と離れたくないと泣いていましたが……場所は、よくは知らないのです。ただ、遠くの神社で、静御前を祀っている神社だと」

 「静御前?」

 「はい。あの“静や静”の、あの静御前です」

 「ん?―――待てよ?その歳いうことは……おや?」

 ピクッ。由忠の眉が動いた。

 「どうしたのです?」

 「ああ。そうか……あの神社……あの巫女か」

 何かを思いだしたように、考え込む由忠。

 「ご存じで?」

 

 冷めたお茶を乱暴に飲み干した由忠が語り出した。


 あれはまだ、オヤジが、年甲斐もなく左翼大隊筆頭騎士やっていた頃だ。

 A県の神社で第三種事件が発生、近衛から数名の魔法騎士が派遣され、返り討ちにあった事件があった。

 事を重く見た近衛から派遣されたのが、俺とオヤジだ。


 現地に到着して理由がすぐにわかったよ。

 その神社、確かに名は全国的に知られていたし、人は多いものの、祭祀はいい加減。

 あれじゃ、やってないのと同じだ。

 神社の聖域は低級霊に汚染され、神社の連中はその低級霊を神霊だと思いこむ、それがさらに低級霊を呼び込むという、よくある悪循環に陥っていたわけだ。

 “そいつ”は、よっぽどアタマに来たのか、片っ端から低級霊や人間を取り込んで力を取り戻そうとしていた。

 気づいた俺達は、即座に阻止と封印に動いた。

 ところが、神社の人間が、俺達に反対したおかげで、結局は“そいつ”を取り逃がす結果に陥った。

 結局、現在に至るも“そいつ”の所在は不明。

 近衛の判定は、“そいつ”の出自からして、危険レベルAAA。つまり、かなり厄介な相手ということだ。

 ―――まぁ、今考えれば、あの神社の連中も、その時は怨霊に動かされていたのかもしれないがな。


 「“そいつ”って、静御前のことですか?」

 「そうだ。そしてその時、巫女の一人として神社にいたのが、有里香だろう」

 「―――手を出したんですか?」

 ボカッ!!

 「まだ13歳だったんだ!早すぎるわ!」

 「そこまで知っているって……結局、狙っていたんじゃないですかぁ……大体、神社を敵に回したのって、巫女さんに手を出したことが原因ではないですよね?」


 どうやら、水瀬の懸念は的中したらしい。


 由忠は血相を変えて怒鳴った。


 「ちょっと2.3人つまみ食いしただけだ!オヤジは神主の女房まで相手していたぞ!?」


 「……もう、いいです」

 「由忠さん……それはちょっと」あきれ顔の由里香

 「いくらなんでも」と昭博

 「人として、どうかと思いますが?」めまいを押さえるイーリス。

 「と、とにかくだ!」

 これ以上、人としての評価を下げたくない由忠は、咳払いをした後、続けた。

 「それはいい!―――俺が手を出さなかったのは」

 「ほらやっぱり狙ってた」

 「悠理、黙れっ!―――あの歳で、あんな冷酷そうな女を、見たことがなかったからだ」

 「冷酷?」

 「ああ。心を閉ざし、憎悪に満ちた目をした巫女というのが俺の印象だ。周りの連中が目すら合わせないほどだぞ?だから覚えているんだ。どうすればあんな歳で、ああも冷たい人間になれるのか。とな」


 それは、由里香が最後に見た、そして水瀬達の知る有里香そのものだ。

 間違いであることを願っていた由里香の願いは、無惨にもうち砕かれた。

 「……」


 「つまり」水瀬がまとめるように言った。

 「その、静御前の神社で、何かあったというのですね?」

 「そう見るのが妥当だろうな」

 「あの―――」

 昭博が手を挙げて言った。

 「本家と事を起こす前に、ちょっとお願いがあるんですけど」 



 ●倉橋本家

 「有里香様。祭壇の設置、浄化共に滞りなく進んでおります。このままですと、予定通り、明日夕方までには全ての準備が整います」


 「うむ」


 本家奥の部屋で巫女から恭しく告げられ、大仰に頷くのは、有里香だ。


 亜里砂の部屋で見せた慈愛は、片鱗も感じさせることはない。

 圧倒的な威圧感。近づくだけで殺されそうな殺気―――

 それが、彼女という存在を構成していた。


 「黒」

 「お側に」

 声はするが、気配はない。

 いつものことだ。

 「分家はどうした?」

 「儀式を急襲します。目的は倉橋祐一の首」

 「亜里砂を殺さんとしたあの愚か者の首、かならず我が前に届けよ」

 「御心のままに」

 「―――ふん」

 パシンッ!

 亜里砂の手にした扇子が人払いを告げ、その周りから人の気配が消えた。

 

 「……」

 灯明だけの暗い室内。

 その中で、有里香は思案にふけった。


 分家は黒に襲わせれば良い。

 黒達、忍軍の力を投入すれば、それを阻止する力は、分家にはない。


 分家の儀式は襲わせない。


 儀式は成功して良いのだ。


 いや。成功してもらわねばならない。


 この女のためでも、この家のためでもない。


 そう。


 ただ、私のために。


 パサッ

 手を伸ばした途端、長い袖が音を立てた。


 「?」


 見ると、乱暴に丸められた紙があった。

 自分が丸めた紙だ。


 「―――馬鹿が」


 有里香は自分の頬を撫でながら、侮蔑するように、唇の端をつり上げた。


 「こんな手紙で、真実を告げようだと?―――有里香よ。お前は何年経っても、愚か者だ」


 ポッ


 軽い音がして、紙が一瞬のうちに炎に包まれた。


 「この期に及んで、平穏を望むとは……」


 勢いよく燃えた炎は、次第に勢いを失い、後には黒い炭が残るだけ。


 「己の、この家への憎悪する願い、我がかなえてやるのだぞ?何を今更、追放した姉を頼るというのか?」


 有里香は、楽しげに笑い出した。


 「クックックッ……儀式は始まる。案ずるな。おのれら姉妹の娘達は、しっかり使ってやる。だから、安心しろ」


 言い聞かせるような、それでいて勝ち誇った声が、暗い室内に響く。


 「本家はこれで終わりだ」


 有里香は、そう言って立ち上がると、衣擦れの音を引き連れて歩き出した。


 「それがお前の願い。かなえてやるわ」


 

 「亜里砂!亜里砂はどこ!?」

 有里香は襖を開くと、大声で亜里砂を呼びつけた。




 儀式まであと20時間を切った。



  

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