第十五話 「儀式二日前」

 倉橋分家で男二人が向かい合っていた。

 「分家は一切、そのようなことに感知していない」

 祐一は、目の前の男に言い切った。

 本家から派遣されてきた執事、平沢だ。

 「およそ修行に耐えられずに家出でもされたのではないか?」

 「亜里砂様がそのような娘だと?」

 「所詮は子供だ。そのように追いつめたのが誰かを考え、猛省された方がよかろう」

 「……」

 「とにかく、分家としては感知しないことだ。第一、こんな夜中に押し掛けられては、こちらも迷惑だ。―――お引き取り願おう」

 「わかりました」

 平沢は席を立った。

 「待て」

 不意に祐一が平沢を呼び止めた。

 「何か?」

 「―――当主に伝えよ。瀬戸由里香が動いているとな」



●東家

 由里香が居間に戻ってきた。

 「あの子はどうした?」

 丁度、地図を前に水瀬と話し込んでいた由忠が訊ねた。

 「泣き疲れて眠ってしまいました」

 「倉橋亜里砂―――本人に間違いないのだな?」

 「あの子はそう言っていますし、そうでなければ、あのように殺されかかることはなかったのでは?―――ありがとう」

 由里香は水瀬からお茶を受け取った。

 「厄介な話だ。いずれにせよ、あの子を本家に戻すがな」

 「戻すというのですか?あの子を!?」由里香の顔色が青くなった。

 「倉橋の巫女ですよ?儀式が」

 由忠は、由里香の顔を一瞥してため息混じりに言った。

 「お前が倉橋有里香なら、どう考える?」

 「えっ?」

 「俺たちと同じだ。向こうだって娘が行方不明となっている。今頃、血眼になってあの子を探しているだろうし、死にものぐるいで取り戻しにかかるぞ」

 「……それでも、戻したらあの子は」

 「分のいい賭(かけ)だと思っているがな」

 「賭?」

 「誰だっけ?あの子に倉橋の巫女は継げないといったのは」

 「―――あっ」

 「そうだ。火の属性が強い娘には倉橋の巫女は継げないんだろう?それなら、あの子が儀式に出ても、儀式は失敗する。本家の儀式はそういう程度のことだ」

 「ただ、儀式に出させてあげるだけ―――由忠さんは、そう言いたいのですね?」

 「まぁ最も、これは昭博の発案だがな」

 「昭博さんの?」

 「ああ。あのタヌキ。これで本家に恩を売り、あの子の負傷は分家の仕業だと、あの子自身に語らせることで分家と本家の対立を煽ろうっていうんだ。聞いた時は感心したよ」

 「それって、いいことなんですか?」

 「共倒れが期待できる。だから、あの子は戻す。それで本家と分家は決定的だ。俺達はそうしなければならない。なにしろ、俺達があの子を保護したことで、本家、分家が共通の敵として俺達を認識したら、逆に俺達と倉橋家の総力戦に変わる」

 「そ、そうです!本家の儀式が潰れるのです。分家にとっても問題は」

 「そこが問題なんだ」由忠はお茶で喉を湿らせてから続けた。

 「分家とは表面上、和議が成立し、俺達は本家相手に戦うという形になっている。だが、本音を言えば、我々は邪魔な存在だ。ならば、共通の敵を潰すために本家と手を組むことは容易に想像できる。分家は何の負担もなしにな」

 「本家は亜里砂ちゃんを取り戻し、分家は私達……いえ、私を潰すことで」

 「そうだ。本家、分家共に悪い話じゃない。第一ここは倉橋縁の家だ。探索に来ることは間違いない。相手に生体追跡(トレース)能力を持つ魔導師がいれば――」


 不意に、玄関でチャイムが鳴った。


 「おいでなすった」

 由忠は刀を掴んだ。

 


 ●東家

 本家は乱暴といえば乱暴な方法で亜里砂を奪還した。

 生命体が個別毎に持つ生体反応を感知する魔術“生体追跡”を持つ魔導師(巫女)が東家に亜里砂がいることを感知し、本家関係者が東家に文字通り乗り込むと、有無を言わさず眠っていた亜里砂を拘束、車に乗せて戻っていった。

 すべての時間を合わせも3分とかかっていない。

 由里香を絶対魔法障壁(マジックコンシール)で隠した由忠達がしたこと。

 それは、ただ他の部屋で息を潜めて事態を見守るだけだった。




 ●市内

 「―――ありがとうございました」

 古ぼけた家から出てきたのは、昭博とイーリスだ。

 「ふうっ。やっぱりそういうことかな」

 んーっ。と、大きく伸びをした昭博がため息混じりにそう言った。

 「教授」

 「はい?」

 「何故、今頃になって倉橋家先代当主の所在を確かめようと?」


 “大学のフィールドワークの一環”と称してあちこちの老人を訪ね、倉橋の情報をかき集める昭博の情報収集能力、そして、イーリスを“留学生”と言い切る面の厚さに、イーリスは正直、脱帽していた。


 「イーリスさん」

 常に笑みをたたえる顔がイーリスを見た。

 「あなたは、先代当主について、どの程度ご存じですか?」

 「あなたから聞いた限りです」

 

 倉橋家先代当主

 倉橋静夜(くらはし・しずや)

 倉橋家の巫女の地位を15歳で継承。以降、倉橋家当主として辣腕をふるい、政界・財界共に高い発言権を確保。倉橋家の地位を高めた。

 現在、行方不明。


 「そうですね」

 昭博は、生徒からの答えを聞くように楽しげに頷いた。

 「では、次です。イーリスさん。数十年に1度という儀式があります。その執行をあなたが担当します。あなたにはわからないことがありました。さて、誰に聞きにいますか?」

 「それは―――先に儀式を行った先任者に」

 「またしても正解です」

 一瞬、(馬鹿にしているのか)と思ったが、これが昭博のキャラクターだということをイーリスはすでに理解していた。

 「今回、問題は、いるはずの先任者がいないで、そのまま儀式の準備が進んでいる。しかも、分家独自の儀式を認め、聖域を開放しているにも関わらず、です」

 「儀式、格式、全てが滅茶苦茶になっているのに、何故、先任者から異議があがらないのか。それがわからないというのですか」

 「はい正解です。なにより、10年以上、その人を、誰も見ていない。普通、これってどう思います?」

 「まさか!」

 イーリスも、さすがに目を見張った。

 「いや。さすがに十数年経っていると、探しづらいですねぇ。事件ならもう時効だ。あ、イーリスさん。丁度、喫茶店があります。お茶でも、いかがですか?」




 ●倉橋本家 亜里砂の部屋

 「……んっ」

 そっと額におかれたタオルの冷たさに亜里砂が呻いた。

 ピッ

 取り出した体温計は38度を示した。

 まだ熱がひかない。

 治癒魔法の痕跡があるから、その反動だということはわかっている。

 誰かが、亜里砂を助けてくれた。

 何とお礼を言えばよいのだろう。

 この子の命の恩人だ。

 

 私は、この子が生きていてくれただけでいい。

 この子が生きてさえいてくれれば、私はなにもいらないのだから。

 もう、倉橋家も何もいらない。

 この子と穏やかに暮らしたい。

 暮らしたかった。

 それも今となっては……淡い夢でしか、ない。

 

 すべてはあの日の結果……


 どうせ肉体を乗っ取られた身だ。

 

 この魂だって、いつまで正気でいられるか、正直、わからない。

 

 “あれ”が肉体を解放してくれるわずかな時間、それが今。

 それまでに出来ることはしておかねば……。

 時が来れば、また亜里砂には地獄が待ち受けている。

 私には、それが止められない。

 親として、なんと無様なことか……。


 昨夜、この子に何があったのか、それはわからない。

 だが、もうそんなことは私にはどうでもいいことだ。

 

 東家が亜里砂を誘拐したのだから報復を。そう叫ぶ者達は黙らせた。

 あの東が、そんなマネをするはずがない。

 それはわかりきったことだ。

 

 いずれ、この子の口から真実が知れる。

 

 その時、私がこの状態でいることはないだろう。


 “あれ”が下手なことをしないよう祈るしか、ない。


 “あれ”が戻ってくる。

 この体を乗っ取るまで、時間がない。

 

 私は急いでペンをとった。




 ●倉橋分家

 「成る程な」

 “亜里砂、本家へ戻る”

 その報告を受けた祐一は、感心したように頷いた。

 「本家と分家の結束を促進させるような馬鹿ではない、ということか」

 「祐一様、今後は、如何様に?」

 「綾乃様は?」

 「儀式の準備に入られております。報告では順調と」

 「そうか。場の準備は?」

 「基礎の設置にかかっております。本日中には」

 「ということは、本家もか」

 「はい。周囲へ結界を張り、祭壇もほぼ完成していると」

 「明日が、勝負だな」

 「襲撃部隊、準備は怠りございません。ご安心を」

 祐一は、報告を終えた部下に頷きながら言った。

 「さぁ、歴史を変えよう」

 



 ●夜 旅館 椿の間

 「いよいよ明日だな」

 由忠は、そう呟いて杯を空けた。

 「先輩の方は?」隣で酒を飲んでいたのは昭博だ。

 「本家は俺と由里香、イーリスがかかる。悠理が分家へ儀式開始と共に殴り込むつもりだ。昭博、お前は?」

 「由里香さんがいないので、折り入ってご相談が」

 「相談?」

 「お母様の件で」




 ●旅館 女子露天風呂

 「ふうっ」

 湯に浸かったイーリスから深いため息が出た。

 「イーリスさん、温泉はいかがです?」

 後から入ってきたのは由里香だ。

 「ええ。悪くありません」

 「それにしても、どうしてあなた程の方が由忠さんと」

 「この事件、最後までつきあうと約束していますので」

 「そうじゃなくて……」

 「?」

 「どうして、そういう関係に?」

 「……?……なっ!」

 その言葉の意味に気づいたイーリスは、赤面して立ち上がった。

 由里香は、生まれて初めて見る白人女性の肢体を赤面しながら見た。

 「ゆ、由里香さん?あ、あの、私は……」

 「こういっては何ですけど、かなり悪い評判ですのよ?女に関しては、由忠さん」

 「下半身に節操がないというか、女をなんだと思っているのか、本気で聞いてみたいというか」ここぞとばかりに由忠をコキ降ろす由里香。

 「それでも、あなたは関係を―――」

 「持っていません!あれは未遂です!」

 「えっ?」

 「あの後、すぐに奥様から電話がかかってきて、もう散々な目に」



 

 ●数日前 都内 某ホテル


 未知の感覚が、イーリスを支配していた。

 浮揚感に似た感覚。

 それが、快楽だと、イーリスは知った。

 

 もっと味わいたい。


 もっと、この快楽に身を任せたい。


 その先を知るのは、私を抱くこの男だけ。

 この男が、私を知らぬ世界へと導いてくれる。

 

 ぐいっ。


 強引に抱き寄せる男に身を任せるイーリスは、次に来る瞬間に備えた。


 ピーピーピー


 室内に不意に響きわたったのは、携帯電話の着信音だ。


 「くそっ!誰だ!携帯電話なんて開発したヤツは!」

 

 (こんなモノ作ったヤツは絶対地獄に堕ちている!)

 由忠は怒りを満面に表して携帯を掴み、その顔色を白くさせた。


 「……どうした?」

 『どうしたじゃありません!』

 相手は、妻、遥香だった。

 声色からして、かなり怒っている。

 『悠君、どうしたっていうんですか?学校から問い合わせが』

 「悠理?知らん。勝手にどこかほっつき歩いて」

 『それが親のセリフですか!?あなたの子ですよ!?』

 「そんな怒鳴るな!あいつだっていい年なんだから」

 『親としての責任を放棄するつもりですか!心配してくださってもいいじゃありませんか!』

 「……ふざけるな!親に手を引かれなければ何も出来ないわけではない!」

 『だいたい、今、何をなさっているのですか?今日はこちらに来ていただけるお約束でしょう?』

 「仕事だ仕事!」

 『頼んでいた仕事はどうなっているって、麗菜殿下から直接お電話がありましたよ?』

 「……なっ、何!?殿下から直接!?……あ、ああ。あれか……頼まれていた仕事があったことは覚えているが」

 『殿下、カンカンでしたよ?とりなしておきましたけど』

 「……殿下がご立腹?……だ、たから忙しくてそっちまで手が」

 『やってないんですか!?』

 「……わ、わかっている!だがなぁ……」

 『都内なら今すぐ殿下にお届けしてくださいな』

 「む、無理言うな!」

 

 なにをしているんだろう。

 私がこんなに待っているというのに、電話を相手にしている。

 私は、電話より価値がないのか?

 そんなことはないはずだ。


 イーリスは、由忠にしなだれかかった。

 「はやく、してください」

 「いっ!?」

 由忠は、その一言に凍り付いた。


 『あ・な・た?』

 妻の声が絶対零度まで下がった。

 「あっ、ああ」

 『今の声、どなたですか?』

 「き、気にするな!映画だビデオだDVDだっ!」

 『―――今、そちらに向かいます。逃げても無駄ですよ?』

 プッ

 電話が、切れた。



 ●旅館 女子露天風呂

 「……で、修羅場、と?」

 「1時間後にホテルが崩壊。巻き添え喰らわないようにするだけで精一杯でした」

 イーリスは複雑な表情を浮かべた。

 「で、でも、その後は?」

 「大佐は、必死の命乞いの結果、一命を取り留めました。その後、私は奥様のお許しを受け、部下として動いています。そういうことです」

 「でも、同じ部屋にいるのでは?」

 「あの部屋は二部屋あります。そのうちの一つを使っていますから問題はありませんし、夜は、遥香様がお食事がてら監視にいらっしゃいます。それにお互い―――まぁ、軍人、みたいなものです。だから、室内で野営でもしていると思えば」

 「あっ、そ、そう―――なんですか?私、よくわからないんですけど」

 「とにかく、間違いはありません!私は処女のままなんですから!」イーリスは言い切った。

 「それに、私だって、あの奥様を敵に回す程、愚かではありません!」

 「は、はあ……」

 (遥香さん、よっぽどのことをしたんだなぁ)由里香はそう思った。

 「とはいえ……」

 イーリスは湯に浸かりなおした。

 その顔は複雑だ。

 「確かに、シスターとして、女として、貞操は守れました。しかし、あそこまで行って何もなしっていうのが……女として何か大切なものを失ったというか、傷つけられた気がしてなりません」

 「……まぁ、複雑ですわね」

 


 

 ●旅館 椿の間

 「先代当主が行方不明だということは知っている」

 由忠は酒を脇に置きながら言った。

 「それがどうした?」

 「……亡くなっている可能性が」

 「あり得るな」由忠は腕を組みながら目をつむった。

 「―――病気、ですか?」

 「悠理君、病死や事故死なら、きちんとお葬式が出るでしょう?」

 「あっ。そうか」

 「殺されて、闇に葬られたと?」

 「問題はそこです」昭博は言った。

 「10年の間、失踪届等、役所への当主行方不明に関する一切の届け出がなされていません。むしろ、当主を行方不明のままにしておきたがっているみたいです」

 「本家が、当主を始末したと?」

 「しかもです」

 昭博は、一枚の紙を見せた。

 名前が書き込まれ、すべての名前に赤い斜線が書かれていた。

 「前回の儀式に参加した巫女のリストです」

 「?」

 「―――全員、数年以内に、病死、事故死、行方不明……先輩、おかしいと思いませんか?」

 「……儀式の情報を闇に葬ろうとしたと、いうことか?」

 「そう考えるのが妥当です。多分、口止めですね」

 「待て、先代当主が行方不明になったのは確か」

 「そうです。儀式の最中といわれています。少なくとも、儀式の翌日以降、先代当主を見たものはいません。つまり、当主を本家が殺し、それを秘匿するため、儀式の最も近くに配される巫女達を殺すことで、当主に何が起こったかを闇に隠した。僕はそう思っています」

 「理由は何?」水瀬が、誰に言うでもなく、ぽつりと言った。

 「だから」

 「違いますよ。おじさん」水瀬は言った。

 「当主を殺す理由です。殺さなくても、隠居させちゃうとか、老人ホームに放り込むとか―――浮気ばらしてお母さんに始末させるとか、不祥事全部明らかにして社会的抹殺を謀るとか……痛っ!!」

 水瀬の脳天に由忠の一撃がめり込み、水瀬は沈黙した。

 「この親不孝者め!!後半はお前の腹の中だろうが!」

 「まぁとにかく、悠理君のいうことももっともなんです」

 「ったく、昭博、お前、こんな息子を持たずに済んだことを神に感謝しておけ」

 「ははっ。息子を殴るって父親の醍醐味を味わえないのは、辛いですよ?」

 「そんなものか?」

 「そうです。―――先代当主の話に戻ります。僕もそれには迷っています。悠理君の言うとおり、何故、当主は殺されなければならないのか?みんな、そこがわからない。だから、みんな、当主が行方不明になったと信じ込まされているんだと思うんです」

 「儀式に、何かあったかな?」

 「そう考えるのが適当ですね。正直、前回の儀式の詳細がまるでわかりません。だから、推測の域を出ることもないのですが……」

 「いや。違うな」

 「?」

 「儀式の執行は、まだ先代当主がとりおこなっていたはずだ。なら、由里香の時と同じはずだ。問題は」



 おかしい。

 

 全てがおかしい。


 何が?


 今の当主が、だ。


 先代当主を亡き者にし、

 やって無駄な儀式を強行し、

 それで、何を得るというのだ?

 何を望んでいる?

 このままでは、本家の名声は失墜し、分家に取って代わられるぞ?


 「昭博」

 由忠は昭博に言った。

 「倉橋有里香についての情報を教えてくれ」

 「有里香さんの?」

 「彼女が、すべてのカギだ」

     

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