第七話 「追憶の詩」

 綾乃の家を辞した後、水瀬は歩きながら考えを巡らせていた。

 

 由里香には言わなかったあの時のこと。

 

 誘拐された時、綾乃は右腕に軽い切り傷を負った。

 絆創膏でも貼っておけばなおる程度だったが、水瀬はそれを治癒の術でなおそうとして、そして、出来なかった。


 その光景に、水瀬は戦慄した。


 治癒の力が、綾乃に触れるか否かのタイミングで「消滅」したからだ。


 ―え?


 何度やっても結果は同じ。

 術に失敗したか?とも思ったが、間違いなく力は「消滅」してることを水瀬も認めざるをえなかった。

 

 中和現象―――


 魔法には、使い手によって独特の波長があり、波長が全く同じ者は原則として存在しないことになっている。

 では、仮に同じ波長を持つ者同士が存在していたとして、その者同士が戦ったらどうなるか。

 現実に存在しないことになっているから、仮定の域を出ることはないものの、この場合、互いの力が中和され、結果として力は消滅することになる。

 それを、中和現象という。

 

 ありえない。


 水瀬は自分に言い聞かせるように、口の中で何度も呟いた。

 

 絶対にあり得ない。


 いや、あってはならないことだ。


 なぜか?


 魔法を使う者の力が強ければ強いほど、波長も強くなる。

 当然ながら、水瀬の力を消滅させるほどの波長を持つなら、それは―――。



 家に戻る途中の水瀬は、足を止め、空を見上げた。




 都内某教会内執務室

 

 「瀬戸綾乃の誘拐に失敗したことは知っている」

 革張りの重厚な椅子から立ち上がり、いらだたしそうな口調を隠そうともしないのは、牧師姿に身を包んだ背の高い男だった。

 「は……」

 対して神妙な顔で男の様子をうかがうのはシスター姿の女性。

 金髪の碧眼の上に整った美しい顔立ちが人目を引く。

 「で?いつ、再開するというのかね」

 「現在、瀬戸綾乃は自宅におりますが、警察の監視が厳しく」

 「言い逃れは聞きたくないな。私は、いつ再開するのかと聞いているのだ」

 「……」

 「イーリス、私が何のために君に白銀兵団を貸していると思っているのかね?彼らをピクニックにでも連れて行けとでも、私に命じられたというのか?」

 「……いえ」

 「10日だ」

 「……」

 「それが最大の譲歩だ。手段は問わない。あの娘を手に入れてこい。いいか?もう一度言う。あれは人ではない。人ではないからこそ、今回の召還計画には必要不可欠な存在なのだ。教団のため、犠牲は厭うな!」

 「―――全ては、神の御為に」

 「そうだ。期待しているぞ。イーリス」


 


 都内某所 天野原骨董品店

 

 「おお。水瀬ではないか」

 ガラクタ(神音曰く『商品』)の間からひょこっと顔を出したのは、店番の神音だった。

 「こんにちわ。かのん。店長は?」

 「おお。奥にいらっしゃるぞ」

 「通るね?」

 ガラクタを器用に避けつつ、奥の部屋に入る水瀬。

 ギイッ

 黒光りした年代物の扉の向こうは、店と同じくらいの広さの書斎になっていた。

 

 執務机に座るのは、先ほどの神音と同じ顔、同じ姿の女の子。

 「これ。悠理ったら、ノックくらいしなさい。レディの部屋ですよ?」

 「ごめんなさい。神音(かみね)おばあちゃん」

 バツが悪そうに頭を下げる水瀬に、神音と同じ姿の女の子は優しく言った。

 「いらっしゃい。どうしたの?珍しいじゃない。どれ、お茶でも入れてあげましょう」

 「召還獣の件ではお世話になりました。」

 ソファーに腰を下ろしながら礼を言う水瀬の前に、気が付けば、どこからか出したのか、紅茶が置かれていた。

 「いえいえ。私も驚いたわよ。よもや獣を入れておく時空の網が破れていて、その中に妖魔が紛れ込んでいたなんて」

 「召還獣は妖魔達にとって格好のエサですからね。ま、よく妖魔を召還できたって感心はしましたけどね」

 「やっぱり、私の製品は間違いないわよ?」

 「……そのおかげで僕がどれだけ―――」

 「はいはい。で?聞きたいのは、あの綾乃っていう女の子のこと?」

 「え?」

 「シルフィーネ、いえ、遥香さんから連絡が来てますよ?どうせ悠理が行くから面倒見て欲しいって」

 「はは……」

 「ま、いいわ。結論から先に。悠理、あの子にあなたの魔法は通じません。ただ、剣なら間違いなく殺せます」

 「いえ、別に殺したいわけじゃ」

 水瀬は、綾乃が敵と勘違いされていると笑って済ませようとしたが、神音の口調は冷酷な程、真剣なものだった。


 「殺しなさい」

 

 「―――え?」


 「あれはあってはならない存在です。野放しにすることは、魔界にとっても、ひいては天界にとっても、困ります」

 

 「おばあちゃん?」

 

 「だから、殺しなさい」

 

 「……どういう、ことですか?」

 

 「魔界の機密事項ですから答えられません。あなたは自分の生来の職務を全うする意味で、あの子を殺せばいいの」

 

 「できません」


 「……だめ?」


 「だめです」


 「どうしても?」


 「どうしてもって……」


 じっと見つめ合う二人だが、不意に神音の方がため息混じりにソファーにぐったりと寄りかかりながら言った。


 「簡単に言えば、あの子は、あなたの『対』なのよ」

 「対?」

 「あなたに対抗する意味で作られた存在といえばわかるかしら?」

 「それが、なぜ人間界に?」

 「そのきっかけが、あなたが関わっている事件の発端なのよ。何がどうなったかなんて、誰にもわからないわ。ただ、あの娘の母親が、あの子の基を自らの胎内へ召還してのけたっていう、もう信じられないことがあったという事実だけが全てよ。わかるでしょ?その存在の異常さ。厄介さが」

 「じゃ、瀬戸さんは……」

 「遥香が生まれたときから3年がかりで調べた結果よ。わかるわね?この意味」

 「そんな……」

 それは、水瀬にとっては信じられないことだった。


 いや、信じたくない。


 信じたくないから、


 否定してもらいたくて


 ここに来た。

 

 それなのに




 「あの子は、あなた同様、ただの人間じゃないわ。―――ううん」




 「あの子は、あなたと同じなのよ」




 水瀬は、目の前が真っ暗になった。

 その意味が、わかるから。

 

 数分後

 

 「どうしても―――どうしても、殺さなければならない、存在なんですか?」


 うつむきながら、やっとの思いで水瀬は言葉を紡ぎ出した。

 あまりのことに、もう思考が働かない。


 「いいえ?」


 「へ?」

 アゼンとした顔で神音を見る水瀬。


 「ぶっ―――」


 神音は耐えられなかったという顔で吹き出した途端、腹を抱えて大爆笑していた。

 「お、おばあちゃん?」

 「キャハハハハハハハハハハッ!も、もう!悠理ったら、マジにとるんだもん!そういうとこ、由忠譲りね、あなたって!」

 「お、怒りますよ!?」

 「ご……ごめんなさいごめんなさい……あーっ。笑ったわ」

 「くっ」

 「孫に自分の嫁を殺せだなんて、私が言うはずがないじゃないの!」

 「はぁ?」

 「遥香さんはもうずっとその気なんだからね?他の子連れて行ってもだめよ?私も認めません」

 「……あの、です、ねぇ」

 「悠理、でもね?」

 

 やはり来るんじゃなかった。

 そう思う。

 知らない方が幸せなことだってあるんだから。

 例えば、これが、そう。



 「あの子があなたと同じっていうのは、本当よ?」

 


 





 1週間後 某放送局食堂

 

 トップアイドルである瀬戸綾乃が一週間も仕事を休んだことは、確かにあちこちで話題を呼んだ。

 過労による体調不良のため、大事を取って静養させた。

 というのが事務所側の説明だったが、芸能記者達はこぞって「瀬戸綾乃は先日のステージでの事故でケガをして、その治療のためだった」とか、「事故がトラウマになってカウンセリングを受けている」など、ありもしないことをさもあるように書き立てた。


 書き立てる―――。

 

 そういう意味で暴走したのはインターネットの掲示板だった。

 

 瀬戸綾乃は某所に監禁調教されている

 瀬戸綾乃は同級生の北条瞬とそういう関係にあり、事故にかこつけて引き離された。

 瀬戸綾乃が実は妊娠しており、その処置のため、一週間休むことになった。ちなみに父親は北条である。

 とか―――。

 

 ゴシップで済むことだが、この時名指しされた北条が、明光学園内で何者かにより袋だたきにあい、救急車で運ばれたことなど、どうでもいいエピソードを生み出したものの、とにかく、瀬戸綾乃は仕事に復帰した。


 とはいえ、瀬戸綾乃の身辺警護は並はずれたものとならざるを得ず、しかも、彼女の警備がきつくなったことをマスコミに感づかせないため、建前上は「明光学園の騎士養成コースの生徒達の実習訓練」のため、警察は彼らへの「騎士警備部を中心とした要人警護に関する指導」のため、具体的な警護“訓練”対象として、綾乃を含む数名がピックアップされ、それぞれの護衛・指導任務に就くことになった。

 

 綾乃の護衛という訓練に参加したのは、明光学園から水瀬と女生徒5名、警察からは騎士警備部の女騎士3名。

 ただし、水瀬は遊撃部隊的存在に位置づけられ、女生徒達とは行動をほとんど共にしていない上、当然、女生徒達には、本来の目的は告げられていない。

 事情を知らない彼女達にとっては、あくまで訓練であり、それほど真剣になる必要もない。

 「ま、テキトーにやってりゃ、大丈夫よねぇ〜っ」

 そんな気楽なつもりで参加していたものだから―。


 「ほらっそこっ!ぼっとしない!」

 「何やってのんよ!学校で何習ってきたの!?」

 「泣きゃあいいってもんじゃないのよ!やる気ないなら辞めてしまいなさい!」

 騎士警備部の騎士からはことある事に放送コードギリギリの罵声が飛び、彼女達は、泣きにながら訓練が一日も早く終わることだけを祈り続けるハメに陥った。


 一方の水瀬はさすがに綾乃の安全がかかっているから、気を抜かずに仕事に励んでいた。


 実に珍しく。


 訓練は1週間の予定、1日目で水瀬が仕留めた不審者の数は実に12名。

 内々に仕留めたものの、その数は警察が動くのに十分だった。

 そして、いつものあのヒトが話に加わってくる。

 ご愁傷様。

 

 「で?どうして君絡みで私が動くことになるのよぉ」

 ボヤきやながら水瀬の前に座るのは理沙だった。

 「近衛絡みだもの。多分、他の人がやったら、出世にヒビく厄介事だからじゃない?」

 「はぁ〜っ。私、出世街道から外れちゃったもんねぇ(T_T)」

 「お気の毒様」

 「ま、色々あったからだけど、こうして目の保養出来るのは、いいものよねぇ」

 「……切り替え早いね。さすが官僚」

 ティーカップを水瀬にぶつけた理沙の視線の先には、普段、モニターの向こうでしか見ることが出来ない芸能人が生で動いていた。

 「ほら、あれ、ジャニズのNewじゃない?未成年飲酒と集団婦女暴行の常習犯!ほら、あの頬傷のあるヤツ、ほらほら、あれ!ラッパーの塚窪揚水じゃない!?血液検査やったら一発で芸能界永久追放されるって言う!」

 「……ヤバくない?」

 「あーっ!検挙してやりたい○○共が揃ってるぅ!もうすっごいわ!」

 「お姉さん、喜ぶところが違うと思うけど」

 「だって芸能人って検挙すりゃスゴイコトになるもの!外部からの圧力で、あの一課の中村の○○○○が胃潰瘍になる無様な姿が目に浮かぶわ!」

 「お姉さん、かなり鬼畜な性格してるんだね。ホントは」

 「いいのよ。部下の醍醐味ってのはね、上司に詰め腹切らせて陰で笑うことなんだから」

 「……」

 村田理沙の経歴は、確かに左遷された負け犬警察官僚のそれだった。

 しかし、水瀬には、上司達が問題のありすぎる理沙を体よく現場に追いやっただけにしか思えなかった。

 つまり、彼女の上司に同情していた。

 

 「お待たせいたしました……あの、もう少しお静かに」

 ウエイトレスが理沙の前にランチセットを並べながらそっとささやくように注意する。

 「あらごめんなさい」

 見ると、今まで食堂にいた芸能人が一人残らず姿を消していた。

 「営業妨害、ってヤツかな」

 広い食堂の中、二人きりでポツンと座る水瀬がバツの悪そうな顔で呟いた。

 「関係ないわよ。自業自得。叩けば埃が出てくるからね。芸能人なんてみんな」

 「ははっ……(^_^;)」

 一瞬、少し前の綾乃との修羅場と、その被害額、そして事件になった場合の綾乃の罪状の数々が水瀬の脳裏をかすめた。

 「た、確かに……」


 「―――で?綾乃ちゃんの件、ホントに大丈夫?」

 「不安ではあるんですけどね。でも、逆に人目に付く所にいてくれれば敵の半分は手が出せないわけで」

 「残り半分から守っていればいい。そういうことね?」

 「そう」


 「―――でも、君にも感心がある人、いるみたいだよ?」

 「……みたいですね」

 チラリと視線を送った先には、数名の取り巻きに囲まれながら、じっとこちらを見つめている初老の女性。

 顔立ちこそ温厚だが、スーツに身を固めた姿からは敏腕な手腕がにじみ出ている。

 「私はやり手です」と書かれているようにすら感じる女性が、ちらりと水瀬が見たことをきっかけに席を立ち、水瀬達に向かって歩き出す。

 「お知り合い?」

 「―――どっかで見た気がするんだけど」

 

 ツカツカツカ  


 グイッ

 「わっ!」

 女性は、突然水瀬のアゴを掴むと自分の方に向けさせ、まるで美術品を鑑定するかのように水瀬を見つめた。

 「あ、あの?」

 「顔小さいし、目は大きいし、顔立ちもアゴの形もいい」

 グイッ

 突然、口の中に指を入れられ、歯ぐきがむき出しになる。

 「白い歯、黄ばみなし。手入れされているし、歯並び申し分なし」

 ブツブツと呟きながら水瀬の体のあちこちをさわってくる女性に、水瀬は困惑した。

 「あ、あの?ち、ちょっと止めてください!(>_<)」

 相手が魔力の使用とか、そういった方面で不審な行動を取れば、水瀬はためらわずにこの女性を始末したろう。だが、この女性の行動はそういった方面とは全く異なる。

 水瀬は、そこに困惑していた。

 「背は低いけど、足は長いし、体つきも華奢だけど合格点。透き通ったいい声しているし、音程も理想以上……か」

 「は、はぁ?」

 ようやく水瀬を解放したかに見えつつ、両肩をがっちり掴んで逃がさないようにしているそつのなさ。

 「そちらの方、保護者の方?」

 チラリと視線を理沙に送る。

 「まぁ、あまり関わりたくないんですけど」

 「お姉さん……(T_T)」

 「そう。ね?君、芸能界、興味ない?」

 「いっ、いいえ?」

 「ダメよぉ!いい?まだ夢を持たなきゃ!せっかくテレビ局来てるんだし!ね?こういう所で活躍してみたいって思ったことはあるでしょ?あるでしょ?ねっ!!」

 ガシッ

 グイグイ

 水瀬の頭をわしづかみにして、力ずくで何度も頷かせる。

 「まぁ〜っ!そう?そうよね!そうよね!やっぱり女の子なんだもん!芸能界に興味あって当然よねぇ!さっ、早速―――」

 「お、お姉さん!助けて!―――ハウッΣ(OдO‖」

 助け船を求めた水瀬の視線の先の理沙は、あまりの愉快さに腹を抱えて悶絶していた。

 「ヒ、ヒドイ(T_T)……あんまりだ」

 「いいのよいいのよ!私が一人前のアイドルとしてデビューさせてあげるから!」

 「あ、あのぉ、僕、今日は仕事で、しかも、僕は」

 「あらあらアルバイト?大変ねぇ。でも、もっといいお仕事したいでしょ?したいでしょ?それに、まぁ〜っ!僕だなんて!もう合格!一切のオーディションいらないわ!さ、こっちへ!」

 


 引っ張られていった先は、レコーディングルーム。

 なんと、丁度、綾乃が撮影前に音合わせを終えたばかりだった。

 綾乃の無事を確認できて安堵したのもつかの間、女性に引っ張られた水瀬は、問答無用で“文字通り室内に放り込まれた。

 「み、水瀬君?」

 「せ、瀬戸さん助けて!」

 慌ててドアに向かった水瀬の前で無情にもドアは閉まった。

 「あら、綾乃さん」女性は綾乃に一瞥を喰らわすと、あちこちにテキパキと指示を出す。

 「小林!さっさと曲リストもってくる!須藤!ぼっとしてない!いい?音響監督なんだから、この子の声!ちゃんと評価して!いい加減なことやってたらタマ潰すわよ!?

 ―――まだ、名前聞いてなかったわね。私は信楽房江、芸能プロダクション「ピースメイカー」の社長をしております。あなた、お名前は?」

 あまりの押しの強さから本能的に逆らわない方がいいって判断した水瀬は、反射的に答えてしまった。

 「み、水瀬、悠理です」

 「まぁまぁ。芸名いらないわね。悠理ちゃん?カラオケくらいやったことあるでしょ?一曲でいいから、歌ってみて」

 「へ?いえあの、ぼ、僕は」

 「一曲歌ってくれたら、今日の所は勘弁してあげる」

 「ほ、ほんとうですか?」

 「信頼第一がビジネスの基本よ?カラオケ流してあげるから」

 「ううっ……」


 困った。

 水瀬は困惑していた。

 実は、水瀬は歌を歌ったことは、物心ついてからほとんどない。

 というか、教養として音楽を習ったものの、趣味として歌ったことがないのだ。

 だから、いきなり言われても何を歌っていいのかすらわからない。

 

 そうだ

 

 心当たりが一曲だけあった。

 

 中学時代、英語の勉強の一環として教わった曲。

 教育熱心で、学校に慣れない水瀬に対しても真剣に接してくれた、水瀬にとってのたった一人の“先生”―――。

 メガネがトレードマークの、あの先生が教えてくれた曲なら、なんとかなるかもしれない。

 「あ、で、でも、あるかな」

 「ここはテレビ局よ?何万曲でもカラオケにしてあげるわよ!さ!」

 「えっと、Midnight with the Stars って、確かそんな曲なら……」

 「待ちなさい……何やってんの!パッと出しなさい!パッと!」

 

 水瀬が初めて歌った人の作った曲。

 Midnight with the Star

 真夜中、星と君と―――


 先生が好きな映画に使われた曲だと聞かされた。映画のタイトルを聞いたら、ほとんどのクラスメートがなぜか引いていたっけ。



 数分後、イントロが流れ出す。


 目を閉じた水瀬の瞼の裏に映し出されるのは、あの日のこと。

 あまり話しも出来なかった同級生達と一緒にいたあの日。

 自分を見つめるみんなの顔。


 教壇に立たされ、みんなの興味深げな表情にさらされた時、僕は恥ずかしかったんだよ?先生―。

 ちらりと横を向いた先には、カセットプレイヤーの再生ボタンに指をかけながら微笑む先生の顔。


 みんな、キライじゃなかった。

 先生の授業も、ホントは楽しみだったんだよ?


 でも、もう、会うことは出来ないんだよね。


 あの戦争で、みんな、みんな死んだから。


 先生も―――


 ああ、先生の授業も、もう、永久に聞くことができないんだな。

 

 あのね?実はあの日、僕、宿題、忘れてたんだよ?


 ごめんね。先生。

  



 水瀬は歌う。

 


 二度と戻らぬ過去への追憶と共に―。




Midnight with the stars and you (真夜中に星達と君と)

Midnight at a rendezvous (真夜中の逢瀬を)

Your eyes held a message tender (君の手にはやさしいメッセージ)

Saying I surrender all my love to you (「私の愛のすべてをあなたに捧げるわ」と)


Midnight brought us sweet romance (真夜中に甘いロマンスのひとときと)

I know, for my whole life through (これからもずっと、君を忘れない)

I'll be remembering yours (いつまでも君のことを忘れない)

Whatever else I do  (この先に何があろうとも)

Midnight with the stars and you  (真夜中に星々と君と)


 

 曲が終わるまで、居合わせた全員が聞き惚れていた。

 透き通るような声色が奏でる、語り手の思いが心にしみこむような恋歌。

 歌に込められた思いを余すことなく引き出し、聞く者に目を閉じるだけでその光景を、その想いを容易にイメージさせるほど、不思議な説得力さえ持つ―――。


 まさに美声だった。


 「いや、社長!あんなスゴいの、どこから引っ張ってきたんですか?」

 オーディションにも頻繁に引っ張られる評論家でもあるディレクターが興奮気味に社長に言った。

 「逸材ですよ!綾乃ちゃん獲得出来なかったけど、この子なら挽回できますよ!私が保証します!」

 「え?ええ。そ、そうね」

 予想を遙かに上回る水瀬の歌に、正直、社長は気圧されていた。


 ―何千人とオーディションに立ち会ってきた私だって、若手で、音楽的にこんなにスゴイ実力者は、せいぜい、目の前にいるこの子だけだったものね。

 偶然とはいえ、こんなスゴイ子がこの世にいるなんて、世の中、捨てたもんじゃないわ。


 「音程が完全に安定していますし、こりゃ、相当な音感の持ち主ですね。いや、とにかく声がいい!透き通っていて、まるで滑らかに心に染みいるようだった!こりゃスゴイ!」

 居合わせたスタッフも驚きを隠せない程の水瀬の一曲だったが―――。

 

 一方、

 「はぅぅぅぅぅっ (〃-д-)σ‖」

 水瀬はその場にうずくまっていた。

 恥ずかしくてたまらなかったのだ。

 「も、もういいですかぁ?」

 「はい!お疲れ様!契約書作るから、外出たら少し待っていて!」

 「はぁ?」

 

 レコーディングルームの分厚い扉が開き、出てきた先には驚いた顔の綾乃達が待っていた。

 「すごい!水瀬君って!」

 若手の歌手として当代随一、“歌姫”の異名を恣にする綾乃も水瀬の実力には敬服した様子だった。

 「せ、瀬戸さぁん。助けて……僕、人前で歌ったのなんて経験あんまりないんだよぉ」

 「うふふっ。慣れれば大丈夫」

 「慣れたくなぁぃ(号泣)」

 



 「ま、大変だったわね」

 「お姉さんの薄情者、イジメだぁ」

 半泣きの水瀬がようやくのことで食堂に戻ってきたのは、かなり後のことになる。

 ついていった理沙に帰り際、幼児化した水瀬が文句を言いっぱなしだったのは別の話。

 「ま、確かにあれならデビューさせてみたいって思うのは人情よ」

 「知らないもん」

 

 食堂に入って、水瀬達が出くわしたのが、騎士警備部の騎士達と女生徒達、つまり、警備についていた全員。


 「あっれぇ?」

 「水瀬君?」

 女生徒達が驚いた表情で水瀬を見ていた。

 「あ、あれ?百瀬さん達、どうしてここに?」

 「だって、水瀬君が交代するから休めって通信が」

 「警部補、確か水瀬君と共に警備につくと無線連絡がありましたが」

 「交代?僕、そんな指示受けていないよ?い、今、誰が瀬戸さんの警備に?」

 全員の顔色が変わった。

 

 「今どこ!?」

 「10階の楽屋!」

 水瀬達が全力疾走で階段を一気に駆け上がる。

 周囲への被害なぞ、この際どうでもいい。

 

 「瀬戸さん!」

 扉をあけた先には、驚いた表情のマネージャーがいるだけ。

 しかも、仕出し弁当を口に運ぶ途中で凍っている。

 「瀬戸さんは?」

 「い、今、お手洗いに」

 「行って!」

 

 水瀬の指示に女生徒のみならず、警備部の騎士達までもがとっさに動く。

 トイレは無人。

 全員が手分けして探すことになった。

 

 ―まずい。

 

 水瀬は内心で自分を呪っていた。

 うかつすぎだ。

 僕は何でこうもトラブルに巻き込まれるんだろう。

 

 いくつかの角を曲がった時、大きなケースを乗せた台車を押す4人組にすれ違った。

 “クリーニングの大津”と書かれた台車を押すのは、中年の男達。先に女らしき二人が歩く。全員、作業着に帽子姿で、特に不審なところはなかった。

 

 クンッ

 

 例え水瀬といえど、この時に“匂い”に気づかなければ、永久にチャンスを失っていたろう。

 だが、偶然にも水瀬はその“匂い”を感じ取るコトが出来た。

 

 「――待って」

 4人組の前に回り込んで制止する水瀬。

 手にはスタンブレードではなく、霊刃が握られていた。

 「中を見聞したい。現在、当方は警視庁騎士警備部の指揮下にある。拒否する場合、公務執行妨害と同様に―」

 こういう時のためにと教えられた警告を、水瀬は最後まで口には出せなかった。

  

 ギィンッ!!


 同様、までしゃべった時には、霊刃が相手のナイフを受け止めていたからだ。

 正しくは、ナイフタイプの霊刃。刃の部分だけ霊刃となるよう、加工されたタイプだ。

 つまり、彼女が魔法騎士だということでもある。



 ギリッ

 

 「行け!ここは押さえる!」

 水瀬と鎬を削る女の鋭い声に、男達が台車の上の袋を担ぎ上げて駆け出そうとする。

 「待ってったら!」

 そこを、水瀬の放った魔法の矢が襲う。

 互いに騒ぎが大きくなることを嫌い、大がかりな魔法を使うことを避けるために最も基本的な魔法の矢による攻撃とならざるを得ないとはいえ、大気をプラズマ化させるほどの熱量を持つ魔法の矢が放たれてもスプリンクラーが作動しないところをみると、彼女たちはいろいろ細工してくれたらしい。

 ガンガンガンッ

 あちこちから金属音がした所から考えると、どうやら防火壁を閉じたらしい。

 逃走経路以外の防火壁で追っ手を阻止するつもりなのだろう。

 さっさとケリをつけたい。

 騒ぎの火消しはお姉さんに頼むことにしよう。

 納めた税金分は働いてもらわなければ。

 

 まずは、男を始末することにしよう。

 女は、その気になればいつでも殺せる程度にすぎないし。


 「ちいっ!」

 女は水瀬の魔法攻撃を防御魔法で男を庇いつつ、魔法の矢と霊刃で反撃してくる。

 彼女に言わせると、“こんな狭いところで下手な魔法を使えば、こちらの被害もどうなるかわかったものじゃない”と、水瀬より余程現実的な判断に基づいているのだが。

 だが、彼女は正直焦っていた。

 彼我の実力差は圧倒的だ。

 全く勝てないことは、他人に言われるまでもなく、彼女自身がわかりきっていた。


 とにかく、あいつが逃げてくれれば任務には成功する。

 そう。それだけでいい。

  私のことなどどうでもいい。

 最悪、私にはこれがある。

 無意識に手がポケットの中のスイッチに行く。

 押せば腹部に巻いた高性能爆薬の束が爆発する。このフロア位なら吹き飛ぶほどの―

 


 双方が魔法の矢を放ったのはほぼ同時。

 しかし、その数は水瀬の方が圧倒的に多い。女は自分の放った矢をわざと爆発させ、矢の誘爆を誘うが、矢は何本となく、爆発をかいくぐって襲ってくる。

 「くっ!」

 楯の形成が間に合わない!

 バンッ!

 女が魔法の楯を展開する前に魔法の矢が彼女の目前で爆発。

 後ろにいたもう一人の女を巻き込む形で床に叩きつけられた女の頭から帽子が吹き飛ばされ、細い細工物のような美しい金髪がこぼれ落ちる。

 女はそれにかまう事なく、魔法の攻撃をかけてくる。


 「はぁぁぁっ!」

 魔法の矢とタイミングをあわせて水瀬に突撃、跳躍して防御魔法の真上をかいくぐり、水瀬を狙う攻撃。


 違う。


 水瀬の直感は鋭い警告を発していた。

 

 真下

 

 床の建材に魔力を通し、真下から床材の破片が水瀬に襲いかかる。

 真っ正面からの魔法の矢を防御魔法で弾いた所を、上からの攻撃を受けた水瀬は、対抗する魔法を放つと同時にとっさに後ろに飛び退けて難を逃れたが、一瞬の判断を誤れば、挽肉になるところだった。


 女も、反撃は覚悟していたらしい。

 水瀬の攻撃もまた、攻撃は防がれていた。

  

 ―まずい。この人もかなりの使い手だ。


 ここで瀬戸さんをさらわれるのはまずいけど、この人にもいろいろ聞かなくちゃならいなみたいだ。

 

 ――なら。


 水瀬は魔法の矢を10本作り上げ、一気にそれを放った。

 狙いは女ではなく、荷物を抱えて角を曲がろうとする男だ。

 女の防御魔法が魔法の矢から男を守るが、男は突然、つんのめって前に転んだまま動かなくなった。

 「何!?」」

 「光ったモノだけが魔法攻撃じゃないよ」

 「なっ!!」

 男に気を取られていた女は、水瀬が自分の懐に飛び込んでいることに気づくのが遅れた。

 

 ガツッ

 「ぐっ!」

 作業着の下に着込んだ防御服がなければ内蔵が破裂したろう水瀬の霊刃の一撃が鳩尾に決まり、女は崩れ落ちる。

 

 女の胸からこぼれ落ちた、奇妙な細工がされたロザリオが水瀬の目にとまった。

 

 

 

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