第六話 「歌姫の真実 4」


 「後は、悠理君も知っている通り、ということにしておいていい?」

 由里香は、小さくため息をつくと、水瀬を見つめた。

 子を産み、育てあげた女の、自信に満ちた眼差しだった。

 「……じゃ、こっちからも聞かせてもらっていい?」

 「答えられる範囲で」

 「―――倉橋が動いているというの?」

 「調べない限り、何ともわかりません。ただ、情報では」

 水瀬は、少し迷った後、由里香に言った。

 「新たなる水月の儀が近々あると」


 由里香は一瞬、目を見開いた後、自分を落ち着かせるために大きく息を吐いた。


 「有里香の子……そうね。もし、私が跡を継いでいたら、綾乃が勤める事だものね」


 ―――時が経つのは、早いわね。


 倉橋を追われてからの年月を思い、もう一度、窓越しに空を見つめた由里香だが、事の重大さに気づいて、水瀬に言った。



 「―――悠理君?」




 「はい?」


 「つまり、水月の儀を、今年、やるというの?」


 「ええ。確か、12歳の子と」


 「12歳!?」


 「え?ええ。確か、そう聞きましたけど」


 「何て事なの!?やってはならないことじゃないの!」


 「というと?」

 興奮気味の由里香に戸惑いながら、水瀬は由里香に訊ねた。


 「巫女の跡を継ぐには、年齢的には―――」


 「違います!いい?水月の儀はね。その日の星や月の配列の他もいろんな条件を厳しく調整して行われるけど、その中でも、最も大切とされるのが、干支なの」

 「今年って確か」


 「丙午よ。悠理君、聞いたことない?「丙午の女は男を食う」って」


 「ええ。僕も神社の出ですから。確か、火の兄(ひのえ)で、火、午も火の連想が元になっていますよね」


 「水月の儀は、水の儀式でもあるのよ?水の儀式を、火の属性が強い年に、同じく火の属性が強い子にやらせる?そんなバカなこと!儀式が成立しないわ!”火に火”の年に産まれただけでも、水月の儀は受けられないしきたりなのに。それをなんで―――」


 「有里香さん、一人しか子供が産めなかったそうです。だから、意地でも跡を継がせたいと思っているんじゃありませんか?その子が儀式に成功すればまぁ、よし。よしんば失敗すれば、多分、追われた身とはいえ、その―――」



 「……有里香」



 呆然とした由里香は、ただ、ティーカップの中に映る自分の顔を見つめるだけ。



 数分後―――


 「悠理君、まさかと思うけど……」

 「はい?」

 「綾乃を狙う理由も、そこにあるの?」

 「……壬寅の年の生まれです。十干でいう壬は”みずのえ”、水の属性。十二支でいう寅は”いん”。陰に通じ、女性を指す、つまり」

 「水の属性を持つ女―――綾乃がそういう解釈で見られている……」

 由里香にはその意味がわかっていた。

 「そんな……」

 「瀬戸さんは倉橋の巫女の子、つまり、巫女の血を持っています。水月の儀を執り行うのにふさわしい巫女としての」

 「有里香……まさか」

 「妹さんが、自分の娘に跡を継がせることには、その生まれ年から反対の声も根強いそうです」

 「だから、綾乃に目が注がれた」

 「もし、瀬戸さんが普通の女の子として生活していたら、もしかしたら、こうはならなかったかもしれません。しかし、彼女はトップアイドル――目立ちすぎます。誰かが、倉橋由里香の子と知って、それを倉橋有里香に反対する勢力の耳に入ったとしたら」


 「……」


 「倉橋有里香の勢力にとっては邪魔どころの存在ではなくなる。かといって、反対勢力にはこれほどの有効な手駒はない。一方は殺したい。もう一方は生かして利用したい。ある意味単純で、ある意味複雑な状況です」


 「……」




 真っ青になって震えている由里香に、水瀬は平然とした顔で言ってのけた。


 「僕が守りますから大丈夫ですよ」


 「え?」


 「瀬戸さんは僕の友達です。友達が困っているなら助けるだけです」


 「……悠理君」

 「だから、守ります」


 「……そうね。悠理君、いつだって綾乃の事、守ってくれていたものね」

 由里香は席を立つと、水瀬に深々と頭を下げた。


 「母として、お願いいたします」



 「わかりました」






 トテトテトテ―

 階段を誰かが降りてくる足音がそのまま二人のいるリビングに来る。

ガチャ

 「お母さぁん。なんかお腹空いちゃったぁ。何か―――」

 猫柄のパジャマ姿で寝ぼけ眼をこする綾乃が入ってくる。

 体の動きは緩慢だが、ぼぉっとしたで目の前にいる水瀬を見つめる表情だけはよく動く。

 その動きから、水瀬には、綾乃が考えていることが手に取るようにわかった。


 ―あれ?水瀬君?


 ―ここ、私の家よね?


 ―なんで水瀬君がいるの?


 ―えっと……


 ドアが開いてからきっかり1分後―

 

 状況がここまでかかってやっと理解できた綾乃が勢いよく部屋から飛び出していく。

 足音から、自分の部屋へ駆け戻ったらしい。

 部屋からドタバタ音がしているのは、どうやら着替えているからだと思うが……。


 「はぁ……ごめんなさいね?後できつく言っておきますから」

 「クスッ。いえ。いいですよ。瀬戸さんだって知らなかったんですから」

 「昔から朝に弱い子で困ったものだわ」

 「ええ……」

 水瀬にとって、幼かった頃のおぼろげな記憶の中でも、一番よく覚えているのは、昼寝の時に見せる綾乃の無邪気な寝顔。

 かわいいって、その寝顔を見つめるのが、なによりうれしかったものだ。


 ―――起き出した後の騒ぎは、出来れば思い出したくないが。


 「人って、簡単には変わらないんですねぇ……」

 「変わって欲しいことだってありますよ。親としては」

 「大変ですね。親って」

 










 倉橋邸

 当主の間





 奥まった部屋の中で、巫女装束に身を包んだ女性と、背広姿の老年の男性が向かい合って座っている。


 男の話に、女の表情は次第に険しくなる。一方の男の表情は乱れることはない。

 


 「―――申がしくじったというのか」

 「申し訳ございません」

 「奴なら大丈夫だといったのは、お主ではないか」

 「水瀬家の者の介入がありましたもので」

 「水瀬が?」

 「正しくは、水瀬の嫡男です。本人にはその自覚がなかったものと思われますが、結果としてその行動は我らの任を阻害し、ひいては倉橋の前に立ちふさがったことに」

 「水瀬家の愚か者めが……して、どうするのだ?」

 「申は始末いたしました。もし、その御意志がございますならば他の者に当たらせます。ただし」

 「ただし?」

 「この件、水瀬家経由で近衛も嗅ぎ回っております。下手な動きは倉橋の地位にどんな影響が出るか知れたものでは―――」

 「倉橋を侮辱する気か?」

 男は首を横に振った。

 「我ら数百年、代々倉橋に仕えてきた身。そのご恩と共に忠誠が揺るぐことはございません。なればこそ」

 「倉橋はたかが近衛程度で揺らぐものではないわ!」


 激高した女が突然立ち上がり、手にした茶碗を男に投げつける。


 「黒!こんな所で何をのんびりしておる!?さっさと言ってあの娘の首をかいてこい!そのためのお主達だろうが!?」

 「有里香様……」

 「水月の儀は私の子が行うのだ!何が火だ!私の子、倉橋の巫女の子、ただそれだけが大切なのだ!それすらわからぬバカ者どもめ!黒!殺せ!あの女の子だぞ!お主の弟を死に追いやった女の子だぞ!殺せ!殺せ!殺すのだ!」


 「……全ては、御心のままに……」


 殺せ!と叫び続ける女に一礼すると、男は立ち上がって部屋を出て行った。

 未だ背後からは殺せの声が聞こえ続けてる中を―――

   


補足:干支については、ほとんどメチャクチャです。作者にはそんなに知識はありません。ツッコミは勘弁してください(^_^)。

 




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