第八章 2

 野営所に戻ったら、テントはすっかり張られ終わっていた。ずぶ濡れで帰ってきたアンドレーアを見た連中は面白そうにして、親しげに話しかけては島での注意点だとか助言を伝えてやっている。神官長の息子だし、これまでは少し遠慮していたんだろうが、存外抜けてるようだってんで親近感が湧いたんじゃねえかと思う。

 アンドレーアはさっさと着替えて、野営所広場の西を流れる川で海水を吸った服を洗って、焚き火の近くに立てた物干し竿に引っ掛けて、手伝えることはないかと周りに訊いて回っている。初日だから張り切ってるんだろう。だがこの調子を続けていたら、疲れていっぺん寝込む日が出てきそうだ。

 飯はウェリアで食えるものよりずっと質素になるが、それはそれでアンドレーアは楽しんでいるらしい。『なにかやりたい』って言うし、ディランの家にいる間に家事の手伝いはしていたみたいだから、芋の皮むきくらいはできるんだろうと思ったら、ナイフ使いの危なっかしいこと。とても見ていられないんで、鍋でも混ぜてろって言ってやらせておいた。

 一方のリオンは、まあまあ器用に手を使えるようだったんで、アンドレーアが身を削りすぎて割った芋の皮を削ぎ落として、食えるようにしてもらった。料理はリオンの方が向いてそうだ。アンドレーアには片付けとか洗い物をさせておこう。

 そんな感じで、完成させた料理を火を囲んで食いながら、明日の予定を聞きつつ話し込んだりして、アビリス島での初日が終わった。


 夜が明けて、昨日の残りの飯を温め直して食って、俺たちの仕事が始まる。島の山を登る道は随分伸びて、もう少しでてっぺんまで届きそうだ。十年前の事件の後、進路を変えて道を作り直した。あの危険な石版は、封鎖された道の先で土を被っているらしい。『この島はべつに危険じゃねえ』なんて俺は思ってたけど、記憶が蘇ってからは『危ないところだ』っていう気持ちがすっかり強くなってる。またなにか出てきても、俺は不用意に近づけない。

 そうやって過去のことを思い返せば、実際に出土品があっても、真っ先に俺が近づかないように周りに気を遣われていたことも分かる。怪しい魔道方陣が描かれてないか、或いは紋章なんか刻まれていないか、十分に確認した後、俺はようやくそれを見せてもらえた。俺はそんな手間の掛かるヤツだったわけだが、連中は文句も言わず、この隊で俺が過ごして活動するための環境やら状況を整えてくれていた。当の俺はそんなこととは知らないってのに。俺は今になってようやく、ずっと年上の仲間たちの優しさに感謝できるようになった。だから、昨晩はテントを回って、仲間一人ずつに礼を言ってきた。大体親父と同年代の連中は、俺がしんみりした感じで気持ちを伝えると、肩やら背中やらを陽気に叩いてくるもんだから、俺は却って涙腺が緩んで、朝起きたら目がえらいことになっていた。

 それを見て、アンドレーアは『虫かなにかにやられたのか』なんて訊いてくるから、鈍いやつだななんて思って適当に流した。いや、敢えて茶化したのかもしれない。リオンは察しているのか興味がないのか、特に何も言ってこなかった。

 なんてことなく二日目も終わった。距離にすりゃあ大したことねえのに、実際に斜面の草木を刈り取って、土砂やら石やらを片付けていく作業ってのには時間がかかる。解読要員は、前回の調査のときに顔を出した石版を掘り起こしながら、なにが書かれているのか――それこそ、俺が近づいても平気なものなのか――ってのを調べた。ちょうど全部が土の中から取り出せた頃に日が暮れたので、詳しいことは明日に持ち越しになった。

 アンドレーアはそこらじゅうで足を滑らせて、野営所に戻る頃には泥だらけになっていた。足腰が弱いってんじゃなくて、単にああいう場所を歩き慣れていないんだろう。もう少し慎重になってもいいと思う。やっぱり、ちょっとはしゃいじまってる感じだ。大した怪我はしていないみたいだが、軽い打撲痕が腕とか脚についちまってる。

 一方のリオンだが、こっちは体力ないのを自覚してるからか、えらく慎重に歩いてたんで一度も転ばなかったらしい。大したもんだ。慣れてたって、転ぶときは転ぶ。いや、慣れているからこそ気が緩むのかもしれないな。まあ、アンドレーアは少しこいつを見習ったほうがいいだろう。

 いつものように夕飯を食い終わって、皆人心地ついたころ、俺は昨日は回るところが多すぎて大して話せなかったディランのテントに行った。もう少し話しておきたいと思ったんで。

 ディランは低い天井にぶら下がってるランタンの明かりを頼って本を読んでいた。魔道工学のものかと思いつつ表紙を見たら、古代魔道術に関するものだった。

「古いもの勉強してるんだな」

「こっちのほうが役に立ちそうだと思ってさ。ずっとこの方面を詰めてるが、際限がない」

 ディランは読んでいたところに紙の端切れを挟んで、本を閉じた。

「古代魔道術って、どの辺りからが『古代』なんだ?」

「大戦時代以前のものはそう呼ばれるな。大戦終期に、どういうわけかそれより前の技術は廃れたんだ。今の魔道工学より、ずっと進んでいたのに。お前、帝都リラには行ったことあるか?」

「ねえな」

「あそこはすごい。一万年以上前に築かれた都市らしいが、砂漠の中にあっても上下水が整っているし、何よりもあの塔だ」

「高さが三千フィートあるとかいう?」

「ああ。あの街では常に古代の魔道術が作動している。今の俺たちじゃあとてもその仕組みは解読できない。リラの人々――魔道師たちでさえも、よく分からないままその恩恵を受けているんだ。『結果』だけが残っている。その結果を導き出すための『式』の意味が、現代人には分からないんだよ。古代大戦の終わりに、そもそもの基礎から魔道というものの仕組みが一新されたのかもしれない。……極められたものをわざわざ作り直した理由は分からないが」

「極めすぎて制御ができなくなったんじゃねえの」

 なんて、俺は適当に思ったことを言ってみた。そうしたら、ディランは目を丸くした。

「……なるほど、そういうこともあるか……」

 だとか呟くから、俺の適当な考えも専門家に通用するのかと、却って驚いちまった。

「……それで? こんな話するために来たわけじゃないんだろう?」

「まあな」

 ディランは敷布の上で片膝を立てて、俺を促した。さて、実際切り出すとなると気が引ける。けど、こいつには殊更謝らなきゃならねえことが多い。話題が話題なだけに、こいつは気分を悪くするかもしれないが、ケジメはつけなきゃいけねえと思う。

「お前の兄貴、俺が殺したようなものだから。ごめん」

 俺は頭下げて謝った。俺が軽率に近づかなけりゃ、あいつは死ななかった。テントの中がシンと静まって、その間俺は顔を上げずにじっとしていた。

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