第八章 3
「……おい、よせよ。お前が謝ることじゃないだろう」
「あいつは苦しんで死んだ。自我を失っちまうほどに。けど、そうなる寸前まで俺の心配ばっかりしてたんだ。自分が味わってる苦痛なんて一言も口にしなかった。俺が不安がらないように。……だってのに、俺はあいつを怖がって、恨みもした。薄情者だ」
「よせって。お前は被害者なんだ。なにも……、あの人を庇うことない」
「いや、俺は本当は、あいつを嫌いたくなかったんだ。ずっと尊敬していたから。でも、ガキの頃の俺には、感情の整理ができなかった。今なら、ちょっとは分かるんだ。『仕方なかった』って。だから、本当の被害者はお前の兄貴だよ。あんなふうに死なせちまったのは、俺だ」
俺は言った。そうしたら、ディランは俺との距離を詰めて、肩を掴んできた。俺が顔を上げたら、ディランが俯いていた。
「……頼むから、お前は謝らないでくれ。お前が何したってんだ? 俺はお前を責めたことなんかない。俺が責めたのは俺自身だ。俺があの石版に刻まれたものの意味を理解できていたら、誰も傷つけなかった。ずっと、今でも思ってるんだ。……なんのために魔道を学んだんだ、俺はなんの役にも立たねえじゃねえか、って」
そう言って、ディランは俺から手を離した。でかい深呼吸を一つして、唇を噛む。昂りかけた感情を抑えるように。
「……あのとき、俺と同い年だったよな」
「そうだな。若かった」
「兄貴と仕事するの、夢だったんだろ」
「……それは、そうだな。……夢だったよ」
これからようやく、ってときに、それは潰えちまった。それも無念だったろうって思う。ディランは元々座っていたところに戻って、低い天井を仰いだ。
「……実際、兄さんと一緒に暮らしていたのは三年くらいだった。母親が違うから。俺が五歳のとき、兄さんが父親に引き取られて、一緒に住むようになったが。兄さんがパレスに行くまでの間だけだった。でも、面倒見がいい人だったし、歳も離れていたからさ……、『もう一人の親』みたいなところが、ちょっとあったかな。兄弟喧嘩にもならなかった。何でもできる人だったし、……只々、憧れてた……」
俺もあいつに憧れていた。あいつみたいになりたいって思っていた。その分、ガキの俺は失望しちまったんだろう。今なら、そんなやつが狂っちまうほどの苦痛だったんだろうって思える。あいつじゃなく、あいつを襲った『状況』を悪だと思える。その方が楽なんだ。なんでかって言ったら、俺は今でもあいつを慕っていたいからだろう。もう、思い出の中にしかいないあいつは、やっぱり俺の理想であることに変わりない。でも、ならその『状況』を作り出したのは誰なんだって考えると、俺自身だっていう結論に至る。そりゃ、俺だってわけが分からなかった。理不尽だと思ったさ。でも、そもそも俺がいなけりゃ、あんなことにはならなかったんだ。ディランは自分のせいだなんて言うけど、この世で最も著名な古代魔道研究者なら、あの場でそれがなんなのか、すっかり分かったってのか?
「お前のほうが、兄さんと過ごした時間は長いと思う。だから、羨ましかった。お前が兄さんを『兄貴』って呼んで懐いているのを見たら、なんだか取られちまったような気がしてさ。けど、お前は俺のことも『兄貴にしてやる』って言うから、どうでもよくなったよ。なんだかんだ、可愛げもあったし。……あの人の代わりになれればよかったんだが、いかんせん、出来すぎた人だった」
そんなことを言って、ディランは笑った。
「……兄貴と似てるところもあるし、似せてきたところもあるんだろうけど。お前はお前だし、どっちの方がいいとか、ねえよ。この十年、お前は俺にとって一番頼っちまう兄貴分だったし、これからもそうだったらなって思う」
「そうか……。ありがとうな」
なんだかしんみりしちまった。正直、少し言い争いくらいにはなるんじゃないかって思っていた。けどやっぱり、ディランは冷静なやつだ。
沈黙が落ち着かない。他のテントから飲んだくれの騒音が聞こえてくるが、ちょっと遠い。
「そういや、お前兵役に行かなかったよな」
俺はふと思い出して、沈黙破りにも丁度いいと思ったんで確認してみた。
「ああ。お前には言ってなかったけど、病んでたんだ。さっきみたいに。今よりずっと思いつめてた。だから、二十五のときは『お断り』されたよ。……だが、税金が高いからな。そろそろ行ってこようとは思ってる」
「なんなら、俺と行くか? 二年後くらいだし」
「いいなあ、それ」
ディランはすぐに乗り気な返事をした。本当に、俺のことを恨んだりとか、そういう感情はないんだろうか。今はなくても、正直なところを突いてみれば過去にはあったのかもしれない。けど、今そういう気持ちがないなら、わざわざ蒸し返す必要もないんだろう。
「なあ、古代魔道ずっと勉強してたんだよな。じゃあさ、あれが俺に反応した理由とか、少し分かったりしたのか?」
「ああ……、うん……。収穫が全くないってわけじゃないが、『分かった』って言うのはちょっとな」
「でも少しはあるんだろ」
「漠然としすぎてるがな。お前をお前でいさせるためのもの……。容姿とか、性格とか、体質だとか……、そういうものを定義する『なにか』があるらしい。そのお前が持っている『なにか』が、あの石版が反応するように書き込まれていたものと一致した、……そんな具合だ」
「なんだそれ」
「分からん。生物学の分野かと思って、そっちにも首を突っ込んでみたんだが……」
ディランは『お手上げ』って感じに、両手を上向けた。
「そういうのって、親から受け継ぐ部分が多いよな。……やっぱりアンドレーアにも反応するのか?」
「可能性としてはある。が……、どうもそれだけじゃあなさそうなんだよな。具体的になんなんだ、ってなると、やっぱり分からないんだが」
古代人ってのは、難解なことをしやがる。だが、要するにあの石版は俺みたいな人間が来るのを待ってたってことか。なんのために? 俺を待ってたくせに、攻撃した相手は俺じゃねえ。
「……もう一度見に行ってみるか」
「やめておけ。危険だ」
俺がボソッと呟いたら、ディランが間髪置かずに止めてきた。
「俺じゃなきゃ確認できないことだってあるだろ」
「それはそうだが……、何かあったら困る」
「かと言って誰か連れてくわけにもいかねえ。またそっちが呪われる」
俺はこの島に来てから、やけにあの石版が気になって仕方がなかった。あれがなんなのか知りたいやら、憎らしいやら。問いただせるものならそうしたい。『てめえ、どういうつもりであんな真似しやがったんだ』ってな。
「……とにかく、あの石版については、親父さんとの間でも話がついてる。お前を近づけるなってな」
「親父がこの島で発見したいものの、重要な手がかりじゃねえか」
「仮にそうだとしても、いいだろう。あの人が決めたんだから」
俺はどうしても腑に落ちなかった。親父はこの島に〈メリウス王の墓神殿〉の手がかりがあるはずだって、三十年も調べてきたんだ。アルベルティーニ家に残っていた記録から、どうやら〈メリウス王の墓神殿〉はこの島にあったってことが確実性を帯びた。それで、実際これまでの調査の中で一番の収穫っていったら、あの『墓守の盾』って、密かに連中が呼んできたらしい石版なんだ。『王の墓守』――その『王』が指すのは、メリウスか、その子孫だろう。
ディランと話せたのはよかった。互いに対して思っていることを知れた。それに、詳細は分からないにしろ、死んだ墓守たちはやっぱり俺を待ってたんだって、確信した。
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