第13話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン12

あたしは田中たなかに足をかけられてベッドに胸から衝突した。

息が詰まる。胸が痛い。

冷たい床に膝をつくしかなかった。


「大人しくしてれば傷つけずに済んだのに、先輩が悪いんすよ」


背後にいる田中たなかが次に何をしようとしているのかわからなかったが、聞こえてきた言動からは、このままではまずいってことはわかった。

しかし、すぐには動けそうにない。

頭のなかで警鐘が大きく鳴っていた。

やばいやばいやばい!!


次の瞬間、一瞬視界が白いものに覆われた。


ばふっ!


一瞬のうちに目の前のベッドの上から白い布団が消えていた。


「なんだ!?うおっ!?」


背後から田中たなかの困惑した声と、どさっと倒れ込むような音がした。


三嶋みしま先輩も乗ってください!」


すぐ後ろで花束ふらわーちゃんの声がする。

あたしは胸の痛みをこらえてなんとか荒い呼吸をしながら後ろを振り向いた。

田中たなかの上に覆いかぶさった布団の上に、花束ふらわーちゃんが乗っていた。


「お前!?何すんだ、この根暗女ねくらおんな!!

退けこのッ!オラッ!!」


「きゃあっ!」


花束ふらわーちゃんが体勢を崩し、今にも田中たなかの上から落ちてしまいそうだ。


花束ふらわーちゃん!」


あたしは、花束ふらわーちゃんを必死に抱きとめて、暴れる田中たなかの上、布団越しに飛び乗った。

間一髪、田中たなかが体勢を整える前に2人で再び押し潰した。


「ぐうっゔゔ重っ、退いてくれ!息がっ!」


じたばたともがく田中たなかの上で、必死にバランスをたもつ。

田中たなかを解放したら、あたし達は何をされるか分からない……!

花束ふらわーちゃんを抱き寄せる腕に力が入っているのかいないのか自分ではもわからない。

上手くコントロールできない。

花束ふらわーちゃん もあたしの腕を痛いほど握りしめている。

怖い怖い怖い。

田中たなかの抵抗が徐々に弱まるのだが、油断するとひっくり返されそうになり、その度に田中たなかが息を思いっきり吸い込む音に背筋が冷たくなる。


田中たなかに乗って押さえつけていたのは、ほんの少しの時間かもしれなかったが、あたしと花束ふらわーちゃんにとってはとてつもなく長い格闘だった。

廊下を走る音が聞こえてきた。

良かった……あたしの声、届いてた……!

どんどん足音が近づいてくる。

あと少し、あと少しで助けが来る……!


目を瞑って花束ふらわーちゃんを抱きしめながら、田中たなかから振り落とされまいと踏ん張る。


「大丈夫か!!三嶋みしま!!」


この大声は……!


ぎゅっと瞑っていた目を開くと、畠山はたけやま部長が鬼のような形相で医務室の扉から駆け込んできたところだった。


「部長……!」


畠山はたけやま部長は、あたしと花束ふらわーちゃんが暴れる田中たなかを押さえつけるために上に乗っていることを瞬時に把握してくれた。

暴れている田中たなかの手足の付け根付近を順々に体重を載せて封じていき、押さえつけていく。


三嶋みしま宮下みやした

もう大丈夫だ。

あとは俺に任せろ」


そう言って、あたしと花束ふらわーちゃんを田中たなかの上から解放してくれた。

畠山はたけやま部長の背中がとてもかっこよく見えた。

來美くみというスーパーヒーローの彼氏もまたスーパーヒーローだ。


あたしと花束ふらわーちゃんは、未だに恐怖が冷めずに、お互いに抱きしめ合いながら畠山はたけやま部長と田中たなかの会話を固唾をのんで見守っていた。


田中たなか……お前、なんてことしてんだ!」


「先輩が悪いんだ!

俺のこと、全然見てくれないから!

先輩のせいで俺は!!」


「うるさい……!

お前はそんな安い芝居で俺や三嶋みしまがお前の主張を認めると、本気で思っているのか……?


……違うよな?

俺も三嶋みしまも、お前には期待していた。

頭のいいお前なら、しっかりと仕事ができるし、大丈夫だろうって思ってたんだよ……。


でも、最近のお前は、明らかに顧客への態度に問題があった。

クレームはなかったが、アンケートの顧客満足度はダントツで低かったぞ……。


どうしちまったんだ、田中たなか

それは本当に、三嶋みしまが悪いことなのか?

違うよな?

三嶋みしまが教えたことを実践している小南こみなみは、クレームになりかけることもあるが、顧客満足度は俺や三嶋みしまに迫るものがある……!

お前とは違うぞ、田中たなか……。


三嶋みしまは、しっかりと教えた……俺は三嶋みしまを信じているし、三嶋みしまに教えたのは他でもない、この俺だ。

だから、三嶋みしまの教えを守っていれば、顧客満足度が下がるはずはないと確信している。


教えを実践しないお前に問題があるってことは明らかだ。

そして、今俺がお前を取り押さえなきゃならんのも、もちろん三嶋みしまのせいなんかでは無い。

お前自身の問題だ……。

残念だが、俺や三嶋みしまが、とても優秀だと思っていた田中たなかは、もう居ない……。

そして、俺は1人の男を、会社の代表として警察に引き渡す義務だけが残った…………非常に残念だ……」


「……俺は、俺は違う!違うんだ!……俺は!」


「お前はもう、取り返しがつかない所にいる……。

諦めろ…………田中将貴たなか まさたか……観念するんだ……。

おのれためにも、しっかり反省しろ……」


━━━━

警察には來美くみが通報してくれたらしい。

あたしの大声を聞いてすぐに通報してくれたらしく、その後の警察の到着も早かった。

警察からは当事者として事情聴取を受けることになった。

花束ふらわーちゃんと畠山はたけやま部長も聴取を受けたが、畠山はたけやま部長は状況をあまり知らなかったので、必要なことを警察に伝えるとすぐに会社に戻って行った。

これから本部のお偉方に状況報告があると言っていた。

あたしと花束ふらわーちゃんが警察の聴取から解放されたのは、21時を回っていた。

すっかり遅くなってしまい、もう誰も会社には残っていないと思う。

案の定、オフィスは電気も消えていて、誰もいなかった。

会社に着くと、ロッカーから鞄を取り出して、警備の人に鍵を締められてしまう前にビルを後にした。


來美くみからは、ゼアコードでメッセージが来ていて、今日借りた服はきっちり洗濯をして返すようにというのと、落ち着いたらコールしてほしいという内容だった。

一先ずは、服の件にありがとうとOKのスタンプを送り、花束ふらわーちゃんを送ったらコールするかもというメッセージを返信しておいた。


街灯が立ち並ぶ夜道。

花束ふらわーちゃんと並んで歩いた。

最寄り駅までは同じ道だ。


「今日は花束ふらわーちゃんに助けられちゃったなぁ。

近々何かとお礼をしたいから、期待しててね」


「いえ、元はと言えば私が……」


あたしは花束ふらわーちゃんの唇に指を当て、それ以上は今話さないようにと首を振ってみせた。


「ん……!?」


花束ふらわーちゃんの唇へ当てた指先を柔らかくて温かい舌がチロリと舐めた。

すこし驚いて指を唇から離してしまう。


「先輩……。

私、あのことは言わないようにしますから、ちょっとだけお話してもいいですか?」


「ふぅ……わかった。

いいよ、話してごらん」


花束ふらわーちゃんは自分のかばんから、見覚えのある箱をとりだした。


「先輩のために用意したチョコです。

先に見られちゃったのと、中身はたぶんぐちゃぐちゃなんですけど、どうか受け取ってください」


繊細なレース編みのつつみにくるまれたあの箱だ。


「喜んで」


あたしはその箱を受け取り、レース編みに手を触れる。


「本当に素敵なつつみ。

こんな綺麗なものを作ってもらえるなんて、すごく嬉しいよ」


心からの言葉と笑顔を花束ふらわーちゃんに向ける。

ほっとした事も相まって、作り笑顔ではなく、不格好な、素のままの笑顔を浮かべていたと思う。


「このチョコを、あの人から守ってくれたのも、先輩です」


「……!?」

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