第56話 私の足跡

 新しい白いワンピースを着て、上着を羽織って。

 時計を気にせずに駅へと向かって歩いていく。

 歩く度にスカートの裾がふわりと足に触れて、何となくくすぐったい。


 どれくらいぶりだろうか。駅で新幹線の切符を買った。新幹線に乗って旅に出かける。

 乗れなかったはずの電車に揺られながら、窓の外を眺めている。処方された薬を追加で飲みながらの旅、

 いや、あの場所に向かうのだ。

 長い長い旅になりそうだ。

 片道切符を買い、小さなお弁当と飲み物を買って。

 景色の良い窓際の席に座る。


 しばらくは流れていく景色をボーッと眺めていた。 高層階のマンションが建ち並ぶ景色から、次第に緑色が増えていく。トンネルが多いので、あまり海も見えない。


 新幹線の動きにも少し慣れてきたので、買ってきた小さなお弁当をゆっくりと口に運んだ。

 少し離れた席ではカップルが楽しそうに会話をして笑っている。

(大事にしてあげてね……)

 なんて心の中で呟く。



 そして、車内販売のワゴンが通った。

 私は思わず声をかけた。

「アイスクリームありますか?」

「ございます!」

「1つ下さい」

新幹線のアイスクリームはどれくらいぶりだろうか。

カチコチに冷えたバニラアイスを少しずつ食べる。冷たくて、体が冷えた。



 少し眠ろうかと思う頃には目的地への到着のアナウンスが流れた。

(意外と早く着きそうだ…)

 小さめの鞄を肩にかけて降りる準備をした。


 切符を改札に通して出ると、懐かしい匂いがした旅に出る人、帰って来た人、仕事で移動する人。たくさんの人達とすれ違う。


(懐かしい。)

 けれど、建物などは変わっていて景色が違っている。それもそうだ。ここに住んでいたのは、もう35年以上も昔の事だ。


 私は贅沢だが、目的地まではタクシーに乗って移動した。


「この道をまっすぐ行った所だよ!この先はタクシーで行くと狭くて入れないから」

 と、運転手さんに言われ料金を支払ってタクシーを降りた。


 こんな道だったかなぁ。

 古い記憶を辿りながら、ゆっくりと歩いていった。


 少し曇っていた。まだ少し冷たい風が潮の香りを運んでくる。見覚えのある細い道見つけてを歩いていくと、目の前に海が広がった。


(あーーー、ここだ!)

(私はずっとここに来たかったんだ……)



 遠い水平線には薄く靄がかかっている。

 まるで今の私のようだ。

 空は昼間なのに暗く、薄墨色の波がやってくる。

 けれど、穏やかな波。

 懐かしい汐風の匂い。

 優しく頬を撫でていく風。


 防波堤に座って足をぶらぶらと揺らす。

 まるで昔の頃のようだ。


 私は懐かしい海岸にひとりでたどり着いた。

 あの頃と同じように私を迎えてくれる。



 ここにたどり着く途中で見つけたパン屋さんでパンを買ってきた。

(久しぶりにここでのんびり食べよう……)

 袋からパンを取り出して、少しかじった。

(あら、美味しい、かな……)


 今の私には(美味しい!)と感じる食べ物もない。


(すっごく楽しい!!)と心が踊る事もない。

 大好きなグループの押しメンバーのインスタやTwitterの写真を見てテンションはあがるのだが。

 きっと、心の底からの感情ではないだろう。ライブに行っても声を一言も出す事なく、見終えて帰宅をするのだから。



 私が座っている場所から、数メートルほど離れたところで学生達が楽しそうにはしゃいでいる。

 自転車を近くに置いたままで、彼女達の笑い声は波の音と共に私の耳を通りすぎていく。

 まるで昔の自分を見ているように懐かしかった。


 そして、暗かった空は明るくなり、気がつけば柔らかなオレンジ色に変化していた。

 そして夕陽はゆっくりと水平線へと沈んでいく。

 ほんの数分のマジックアワー。

 あっという間に辺りは薄暗くなっていき、学生達もひとり、またひとりと、去っていき誰もいなくなった。



 私はずーっと波の音と汐風の中にいた。

 私が帰ってきたかった、この海岸。


「私が死んだら、骨はこの海岸に捨てて欲しい」

と娘にお願いしている海岸。


 私は心も体も死んでしまった。

 だから、自らここに帰ってきたのだ。


 ずーっとここに来たかった。

 大好きな景色をしっかりと心に焼きつける。


 ここに座ってから、ずっとぶらぶらさせていた足を止めて、防波堤からポンッと砂浜へ降りた。

 潮が満ちてきている。

 私が来たときよりも砂浜が小さくなっていた。


 サクッ。サクッ。

 私はゆっくりと水平線へ向かって、少しずつ少しずつ歩きだした。

「にゃーん」

 と、猫の鳴き声が聞こえた。のら猫?

 ふと振り替えると、防波堤から一匹の猫がこっちを見ていた。

 辺りは薄暗くなっていて、色はわからない。

 瞳が光っている。可愛い猫だ。

「にゃー」

「可愛いね」

 私は少し微笑んで話かけた。

 キレイなオッドアイの猫だった。

(オッドに似てる……)

「バイバイ、寒いから早くお家に帰るんだよ……」

 小さく声をかけた。


 そして、また海岸線の方に向きを変えた。

(間違っているよ!)

 と、どこからともなく声が聞こえた。

 ん?振り返っても誰もいない。


 そう、きっと私は間違っている……

 わかっているの……

 でも、お願い、行かせて……



 そして、私は両手を広げて潮風を浴びながら、そっと目を閉じた。

 私がこの世に生まれてから、ずっと残してきた足跡はどんな足跡だろう。

 時には跳ねたり、転んだり、立ち止まったり。くねくね曲がった足跡を振り返る。


 そして、私の心のシャッターを押し続けて残してきた記憶のページは、どんどんと進んでいく。

 ページが進むにつれて、笑顔が減っていく。

 楽しかった島での生活。

 それも、すべて偽物だった。

 私達を苦しめた犯人の顔。

 そこに関係してきた人々の顔。

 絶対に許さないから!!!!!


 家族として過ごしていた時間に聞いた音楽も聴けなくなってしまった。


 そして、傷つけられた娘の笑顔。

 心配そうな母親の顔。

 ごめんね………

 本当にごめんなさい………


 サクッ。サクッ。

 そしてまた、私は歩きだした。

 寄せては返す波に、少しずつ足元が浸かっていく。

 それでも、私は歩いていく。


 力を失って痛みで苦しんでいた足で。

 ゆっくりと、ゆっくりと暗い海へ向かって。


(冷たっ!)

 もう少しで春を迎える海の水はとても冷たい。

 海水の冷たさで、私の体温は足元から少しずつ奪われていく。

 まだ感覚は残っていたのか………。

 それでも、私は海に向かって進んでいく。



「あ"――――!」

「あ"――――!」

 私は大きな声で叫んだ。



 頬をひと粒ずつ、涙がこぼれ落ちる。

 そして、またひと粒………。


 私の腰まで来ていた波は、海へと進む力を奪っていくのだが。私はそれでも、必死で海へとどんどん進んでいった。


 もう無理なんだ。

 ごめんなさい、ごめんなさい………。

 両親に心の中で謝りながら進んでいく。


 ごめんなさい、苦しめてごめんなさい。

 これからもっと苦しめてしまう事がわかっているけど………。


 ごめんなさい………。


 私は最期に大切な娘に心の中で謝った。


(結、私のせいで辛い経験をさせてしまって

ごめんなさい………。

きっと、これからも結を苦しめてしまうんだと思う。

わかっていても、もう止められないんだ。

ごめんなさい………。)


 そして、また波に逆らってゆっくりと進む。


 あぁ、私はやっと解放される時がきたのだ。

「あんたは男運がない!」

 そうやって、この海で笑われたっけな。

 全くその通りだったよ。

 でもね、娘に出逢えた奇跡は素晴らしいと思った。


 だけど、こんなに深く傷つけてしまうのならば出逢わなければ良かったとも思う。もしも別の人の元に産まれていたならば、こんな事にはならなかったかもしれない。


 今頃笑って素敵な家族と過ごしていただろう。

 私が母親でなければ良かったんだ。

 私の人生に巻き込んでしまってごめんね。


 涙は止まる事もなく、私の頬を伝って落ちていく。



 私は少しずつ深くなる海の中に入り、波に押し返されながら、進んでいく。

 海は私の胸の高さになり、そして、首の高さになり、やがて波に飲み込まれた。


 とても苦しくて、とても辛くて………。


 でも、もう、涙が零れても大丈夫。

 波と一緒に流れていくのだから………。


 狭くなった砂浜に残っていた私の足跡は、波に浚われて消えた。





(携帯電話が繋がらない………)

 1週間程して、母親は私の部屋を訪れた。

 持っているカギで中に入るが、私は居ない。



 テーブルの上に通帳が揃えて置いてある。

 生命保険の証書と印鑑と。

 メモ書きで4桁の数字が並んでいた。


 ごめんなさい………  瑠璃

 と一言だけ書かれている。



 娘と母親は慌てて警察に相談に行った。



 ある日、光の道が見える砂浜で倒れている女性が見つかった。

 それは、白い服を見に纏って血の気を失った

 人魚のようだと人々は噂をした。



 ―― 了 ――   


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天歩艱難 綴。 @HOO-MII

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