第53話 前を向きたい


 いつまでもこのままではいられない。

 母親も娘も心配している。

 前を向きたい。その言葉を必死で追いかけた。カウンセリングにも行って苦しい気持ちを吐き出した。何とか少しでも心が落ち着けるようにアドバイスもして貰った。


 父親は怒りをぶつける事もできずに納得がいかないまま、私達の近くで見守るように生活をしてくれている。


 時々、メールが届いた。

(少しは眠れていますか。ちゃんとご飯は食べていますか。今日は寒いので温かい格好を…)

 そんな何気ない文章が父親から届くようになった。


 週末になると、父親は大きな袋にお菓子や巻き寿司などを買い込んで、私の所に届けてくれた。チョコレートとむき栗と芋けんぴ。父親が選ぶお菓子はいつも一緒だった。それでも私には伝わっていた。

(少しでもいいから元気になれ。)


 娘や母親には言えない後ろ向きの気持ちを吐き出した事もあった。

「みんな同じ気持ちだよ!お母さんも結も、私も」

 と、悔しい気持ちを理解しようと父親なりに頑張ってくれた。


(そうだった、私だけじゃなかった。)

 そう、私は気づかされた。



「」もしもし?お久しぶり!」

 と、私は体調が良い時は友人に連絡をした。

「体調はどう?もう色々落ち着いたの?」

 私に起きている事を知っているのは数人だけだ。

「やっとね、調停も終わって手続きも終わったんだけどね。仕事辞めてしまったんだ」

「えっ?どした?」

 電話の向こうから驚いた声が聞こえる。

「病気で仕事を休んでいたのだけど、復職できなかった……」


 どんよりと落ちてしまった私に、言葉を探して伝えてくれる。

「良く頑張ったね!凄いよ!私にはできない。本当に憎いなぁ、アイツらは!でも、瑠璃が元気なのが一番だよ!結ちゃんはどう?」

 娘の事も知っている為、心配してくれていた。


「結はPTSDだけど、何とか仕事はできてるよ」

「あー、良かった。本当にそれは良かったよね。瑠璃はゆっくりとしておけばいいよ」

「せっかく苦労して手に入れた仕事だったんだよ」

 やっぱり私は悔しい気持ちを手放せないでいる。


「うんうん。でも大丈夫!仕事はまたいつでもできるよ!」

「そうかなぁ」

「そうだよ!だって、本当に瑠璃は凄いんだよ。あんなに辛かった時期をひとりで頑張ったんだから。今はゆっくりとする為の時間が要るんだよ」

「うん」

「あ、あのさ、急だけど家の外まで出れる?」

 本当にいつも急な友人。でも、私から連絡が来るのを待っていてくれたのだろう。

「うん、下に下りるくらいならできる」

「車で行くから、下に降りてきてよ!車で話しよ!顔を見せてくれよー!」

「了解!」


 そんな風に私に会いに来てくれた。

「んもー、なにこの腕!」

 私の腕を握って、少し怒っている!

「痩せすぎ!」

 友人は少し目を潤ませて、私の事を叱った。


「アイツが瑠璃をこんな風にさせてしまったんだね」

 私の腕を握る手は、強く暖かかった。

「凄く辛かったよ」

「うん、大丈夫。絶対にアイツは不幸になるから」

 と笑ってくれた。

「あー、でも顔を見れて良かった」

(私にはあなたがいてくれて良かった。)

 私は頷きながら、そう思っていた。


 10分くらい車で話をして、友人は帰って行った。

「また会おう!次は景色の良いカフェでも行こう!」

と約束をした。


 嬉しかった、本当に嬉しかったんだ。

 その時は。


 でも、部屋に戻るとひとりなんだと現実に戻される。ついさっきまで、あんなに楽しくて暖かくて。

(明るい方へ顔を向けよう…)

 と決めたはずなのに、と落ち込んでいく。


 天気の良い日は娘の家にも行った。母親と待ち合わせをしたりして、オッドに会いに行った。


 久しぶりに会うオッドはとても可愛かった。

 玄関に入るとすぐに、足元にまとわりついてくれる。

「にゃーーぁぉん」

「オッド、久しぶりになっちゃったね」

 私はオッドをそっと抱き上げる。


「にゃぁん」

「寂しかったのー?」

「にゃぉ」

「そうなのかぁ」

 私はオッドに顔をスリスリとした。

 オッドは少しだけ迷惑そうだったけど。


 膝の上に乗せて背中を撫でると、オッドはクルンっと丸くなった。

(温かくて可愛い。)


 私はお茶を飲みながら、時々娘の部屋で過ごすようにもした。

 けれどまた、帰宅するとドーンと落ち込んでしまう。


 当たり前のように一緒に家にいた娘も、オッドも出向いて行かないと会えないのだ。


「買い物行くけど、何かいる?」

 と聞く為に、電話をしなくてはならない。


 電話だって、いつも繋がるとは限らなくて。

 私は孤独を感じて、苦しくなっていった。


 そしてまた、部屋から出るのを辞めてしまった。娘やオッドや母親と会った日は、帰って来るとひどく落ち込んだ。


 また眠れない日々もやってきた。

 そして気づいてしまった。


 この部屋のあちらこちらには、私の涙や哀しみの欠片達がたくさん転がっている。

 それは掃除機をかけても、拭き掃除をしてもなくならない。

 ちっとも綺麗にならない。

 空気の入れ替えをしても、窓を閉めればまたコロコロと欠片達が転がってしまう。


(泣きたい時は思い切り泣こう!)

 そう決めて泣きたいだけ泣いた。

(誰か。誰か!)

 心の中で大きな声で叫んだ。


 でも何をしてもダメだった。

 ほんの小さな事に傷つき、私はまた後ろを向いてしまう。



 ドラマで見たように、私もギューっと抱きしめて欲しかった。

 人の温もりが欲しかった。


 残念ながら私には人の温もりが手に入らなかった。

(結、ごめんね。結、ごめんなさい…)

 私は何度も何度も泣きながら、震える声で呟いている。

 何度も。何度も。


 少しずつ明るい方へ向けていた体を、また漆黒の闇の方へと向き直してしまった。


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