第51話 籠る日々

 気がつけば、もう3日も外に出ていない。ポストに郵便物やチラシが溜まっているだろうけど。エレベーターに乗って下に下りる事すらできなくなった。


 とりあえず、ポストを見に行こう。ついでに食料のストックを買いに行こう。フワフワとしながら、ゆっくりとしか歩けなくなった体を動かす。


 そして迎えた大晦日。

 この部屋に引っ越してきて2回目のカウントダウン。私は泣き腫らした目で、ボンヤリとテレビの画面を見ていた。


(10秒前!9……3・2・1!)

 私はテレビを消した。

 毛布にくるまって、床の上で小さくなっていた。


 何が明けましておめでとうだ!

 めでたくも何にもない!

 離婚して全てが終わったら、仕事を頑張って人生を立て直していくはずだった。


 資格も取れて、これから仕事に打ち込んでいける。

 心配をかけてしまった娘や母親の力になる為に私は生きていく予定だった。


 なのに。

 今の私はまるで脱け殻のようになってしまった。娘や母親の力になるどころか、迷惑をかけてしまっているではないか。


 犯罪者とは、縁が切れてしまったはずなのに。

 私はちっとも楽にならない。



 年が明けて、お正月を迎えた。

 私の家にはお正月らしいものは何もなかった。

 テレビもつけずに、私は椅子に座ったままだった。

 私は自分の家の置物のようになってしまった。


 そんな私に、母親から電話がかかってくる。

「瑠璃、結のところに行こう。お刺身とか買ってあるから。迎えに行こうか?」

「食欲ないけどな」

「お雑煮作るから、お汁だけでも飲もう!少しでも食べれるだけでいいよ!ねっ?」

「うん、じゃぁ、着替えて行くね」

「迎えに行かなくて大丈夫?」

「うん、大丈夫」


 そんな力のない会話しかできなかった。

(あ、そうだ!)

 私は去年の残りのポチ袋を用意して、少しだけお金を入れた。


 娘は正社員になって、ボーナスも貰っている。

 私は娘が社会人になってから、毎年お年玉を2つ用意することにしていた。


 自分の母親と勇二の母親と。

 ほんの気持ちだが、毎年渡していた。

 あの気持ちを返してくれ!と叫びたいが、叫ぶ事もできない。


(本当ならもう少し多く入れてあげたいのにな……。)

 仕事が出来ない私には、ほんの少ししか入れる事ができなかった。


 力の入らない体を無理やり動かして、ポチ袋を大事に持って娘の家へと歩いていく。娘の好きそうなジュースを買って、娘の家に到着した。


「明けましておめでとう!」

「明けましておめでとう!」

 娘と母親とオッドに出迎えられる。

「明けましておめでとう」

 娘の家はお正月の特番が流れていて、テーブルいっぱいにお刺身が並んでいた。黒豆や栗きんとんもある。


「お正月なんだなぁ」

 と、ポツリと呟いた。

「何いってんの?」

 娘は大好きなイクラをお箸でつまみながら笑っていた。

「お雑煮できたよー!」

 と、母親は私の前にお椀を置いた。

 湯気とお出汁の香りが私の顔にふわりとあたる。


 オッドは私の膝の上で丸くなって眠っている。

(あぁ、暖かい。)


 私は少しずつ、いろいろな物を口にした。

 お年玉も母親に渡した。

「今は無理しないで!」

 と言う母親に、これだけはさせて欲しいと頼んで受け取って貰った。


 そんなお正月を過ごして、また1人の部屋に戻った。

 それからまた私は、病院以外は外に出なくなった。   

 …出れなくなってしまった。


 オッドの顔を見るだけで涙が溢れてしまうので、娘の家にも行けなくなった。

「お母さん、オッドの爪切り連れていきたいんだけど」


 そう連絡を貰って、蒼白い顔で車に乗り込んだ。

(安全運転。安全運転。)

 そう言いきかせながら、娘とオッドを動物病院まで送迎をした。


「オッド、また遊びに行くからね!」

 と私が声をかけると、

「にぁーぉ」

 とオッドは答えてくれる。

「じゃあね、調子が良い時にまた行くね!」

 と娘には笑って見せた。


 けれど娘とオッドを送り届けて、また私は泣いた。

 駐車場に停めた車の中で、ハンドルを握りしめて泣いた。

「何でよ!何でよ!何でこうなったのよ!」

 私はちゃんとした母親になりたかっただけのに。

 私はごくごく普通の家族が欲しかっただけなのに。

 私は何も特別な事を望んでなんかいないのに。


 オッドの白い毛が娘が座っていた助手席に残されている。白い毛にそっと指で触れる。


(とりあえず、家に帰ろう。)

 駐車場から家までの距離が、とてつもなく遠く感じながら、私はとぼとぼと歩いて帰るのだ。


 キーンと冷えきった部屋が私を出迎える。

 暖房をつけて、暫くボーッと過ごした。


 休職してすぐの頃は、こんなに酷くはなかったのに。命の電話は、何度かけてもやっぱり繋がる事はなかった。

「ツー・ツー・ツー・ツー・ツー・ツー」

 耳に当てた携帯から聞こえてくる話中の音をずーっと聴きながら、私はただひたすらに泣いていた。


 医師の診察を受ける。

ストレスチェックの数値はひどく悪化していた。

「ホントに入院しない?やだ?」

「嫌です」

「んー、体重は増えた?」

「変わらないかな」

 同じ会話を繰り返す。


 カウンセリングも受けた。

「死にたくて、でも娘の為には絶対にしてはいけなくて。命の電話も繋がらなくて」

 私はありのままを話す。

「自分を責めないでね。死ぬ以外は何をしてもいいから!好きな事だけをして過ごして下さいね」

 私はそうやって、時間の中でただ流れているだけの私になってしまった。



 夜は早めに布団に入る。気分をまぎらわせる為に、動画を見る。ゲームをする。


 起きる時間はお昼くらいだ。

 軽食を食べて、ボーッと過ごす。

 何もしないまま時間は過ぎて、あっという間に夕方になる。お風呂にだって毎日は入らなくなり、私は生きているのかどうかさえも自分ではわからなくなっていた。


 そんな日々が続いていた頃、会社から封筒が届いた。

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