第24話 穏やかな日々

 美しい海に囲まれたこの島には漁師が多い。

 たまに取れた魚を届けに来てくれる。


「ほらー、由紀子さーん!瑠璃ちゃん!魚持ってきたぞ!」

 石田のおじさんだ。

「ありがとうございます!」

 私は魚の入った袋を受け取る。ちょっと生臭くて私は苦手だけど。料理をしてもらえば美味しく食べれるのだ。

「あれ、由紀子さんはお出かけかい?」

「お義母さんは、裕子さんのお店に行ってます!」

「ほー!そーかい。勇二も仕事かい?」

「はい、今は私がお留守番です」

 私は石田のおじさんの前にお茶をそっと置いた。

「おー、ありがと」

と、まだ熱いのにぐびっと一口お茶を飲む。


「由紀子さんはあれだな、おしゃべりが長引いて帰るまで時間がかかるどー。うちのかぁーちゃんも、裕子さんとこ行くとなっかなか帰ってこねー。髪の毛なんて、あんな長い時間切ってたらなくなっちまうだろーさ」

と、ガハハと豪快に笑う。

「みんなおしゃべりが大好きですからね!」

と私もつられて笑った。

 しばらくは、そんな雑談をする。


「ほじゃ、魚の鱗はおとしてあっから!」

「いつもありがとうございます!」

「おっ、また来るわ!」

と、石田のおじさんはお茶を飲み干して帰って行った。


 裕子さんはこの島にある美容室をやっている。おしゃべりが大好きなので、賑やかな美容室だ。

 まだ、私も娘も行ったことはないけれど。

(パーマネント フラワー)

という名前が古びた布にプリントしてある。

 潮風と太陽の光をたくさん浴びて、少し色褪せているが、レトロな雰囲気が漂う素敵なお店だ。



 私は島に引っ越しをする時に、『瑠璃は仕事しなくていいよ』と言われている。

 今まではパートで働いていたが。

 島では実家暮らしになるし、島に完全に慣れて退屈になってからでいいよと勇二に言われている。


 なので、私は由紀子さんのお手伝いで片付けや掃除をお手伝いしている。

 たまに簡単なお料理もするのだが。

 魚を触れない私には荷が重い。

 由紀子さんはお料理がとても得意で上手なので、私は甘える事にしている。


 その代わり、パンを焼いたり、簡単なケーキを焼いたりする。

 島では菓子パンなどはすぐに売り切れてしまうので、娘はとても喜んでくれる。

 お義母さんも、焼きたてのパンはめったに食べれないから、ととても喜んでくれた。



 娘は島の学校でのびのびと楽しんでいるようだ。

 届いた制服もどきの制服を着て登校すると、皆に羨ましがられたそうだ。

 娘の姿を見て『私も着たい!』と、話題になり同じような制服を着る女子も増えた。



 ただ、私達にはどうしても避けられない苦痛が1つだけある。

 私と娘の苦手な虫だ。

 虫だけは戦えない、強敵だ。

 都会よりも栄養源が豊富なのだろうか……。

 同じような虫でも、今まで見たものよりも一回りは大きく感じる。

 外でもしも遭遇した時は、とにかく逃げる逃げる!逃げるしかない。

 家の中で発見した時は大騒ぎだ。

「ギャーーーーーーーーーーーー!!!」

と私と娘は悲鳴をあげる。

 この前はつい子供の頃からの癖で、私は食卓テーブルに乗ってしまった。


 その度に、お義母さんが大笑いしながら新聞紙を片手に助けにきてくれた。

「私も嫁いできた時はそんな感じだったわ」

と、懐かしそうに笑いながら敵をやっつけてくれる。

 ご近所でも有名な悲鳴になった。


 そして、悲鳴をあげてしまった次の日の私は決まってパンを焼いた。

 お気に入りの国産強力粉にイーストや塩、砂糖、牛乳を入れてテーブルの上で捏ねる。

 そして、バターを入れてしっかりと捏ねる。

 発酵したパン生地はふんわりと柔らかくて、とても可愛いく見える。

 普段はクルミやレーズンを入れるのだが、こんな日のパン生地はいたってシンプルなものにしておく。

 苦手な物があってはいけないからだ。


 家の中に優しいバターの香りがひろがっていく。

(ピッピッピッ)

 パンが焼きあがった音だ。

「あー、今日もいい香り!美味しそうねぇ」

とお義母さんもやってくる。

「はい、今日は丸いミルク食パンにしてみました」

「きっと、みんな待ってるばずやわぁ」

と、お義母さんも笑顔だ。

「ハハハ……早く慣れないとダメですね」

 私は苦笑いで答えた。


 焼きたてのパンをしばらくおいてから、少しずつ切って袋に入れる。

 まずは、一番近い黒田さんの家へと向かった。

 玄関の扉を開けて大きな声で呼ぶ。

「黒田さーん!細田です!」

 玄関にチャイムはあるが、島ではほとんど使わない。

 奥から柴犬のコロが真っ先に出迎えてくれた。

「あら、瑠璃さん!昨日は何が出た?」

 黒田の奥さんもお見通しだ。

「なんか、イモリだかヤモリだか……」


 そう、昨日はイモリだか、ヤモリだかが壁を歩いて現れた。

 それを見て、

「あーーー、あれ!あれ!あれ!ウギャー、こっちに来るーーーー!!!」

と大騒ぎになった。

 お義母さんがホウキでしゅっと窓から追い出してくれた。


 アハハハハハハ!!

 黒田の奥さんは大笑いだ。

「ここはそゆのも家族みたいなもんだべな。島全部が家だもの。アハハハ!」

「お騒がせしました……」

 私は笑いながらお詫びをしてまわる。

「気にすることないさ。うちに聞こえてくる叫び声は瑠璃さんか結ちゃんだもの!アハハハハハハ!」

 島の人達はおおらかで、ホッとしている。

「今日は、丸いミルク食パンです。どうぞ!」

と私は焼きたてのパンを渡す。

「なぁに、気ぃ使うことないってば!でも、美味しいから頂くね!お父さんも瑠璃さんの焼いてくれるパンを楽しみにしてるから!」

と喜んでくれる。

 そしてしばらくコロと遊んでから次の家に向かった。


 そして次の家でも、

「そろそろ瑠璃さんがパンもって来るどーって、じーちゃんと話してたところだ」

 と、私は笑顔で迎えられた。


 パンを渡してまわった後は、少し散歩をして帰る。


 海に囲まれたこの島の四季はとても美しい。


 春には綺麗な桜が咲き、花びらは柔らかい風に舞う。道端にもたくさんの花や草木が色を添える。

 夏には太陽の日差しをたくさん浴びた深緑の木々が木陰を作り、虫の鳴き声も空高く響いていく。


 そばに来なければ、虫達も素晴らしい景色のひとつだった。

 秋になると、枯れ葉はカラカラと冷たくなった風に吹かれて転がる。

 赤ちゃんの手のような小さな紅葉は赤や橙色にそまる。

 のびのびとしていたのら猫たちも少しずつ日向を探して丸くなっていく。

 寒い冬は霜で覆われた枯れ葉が、歩く度にパリパリと音を立てる。

 空と海は冷たい風に吹かれて、薄鈍色に染まる。


 私は、離れて暮らす母親が心配だったが、それなりに島での生活を楽しんでいた。

 慣れない環境での生活も、温かい島の人々やお義母さん、勇二に囲まれて幸せだった。



 そう、この時は幸せだった。


小さな島で2回目の冬を迎えた頃だった。

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